秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

浪速神社★坐摩神社末社★居所知

2016-02-28 | 世情雑感




先週、浪速神社に案内されるまで全くその存在も知らず、坐摩さんの末社に驚いた。

家に帰るとすぐ調べてみて、大変うまく伝えているブログを見つけた。

居所知ーココニイルコトヲシル

渡辺村の歴史がいちばんよくわかりましたし、
現代のアンニュイさと哀しみが十分表現されていると思います。

街と神社と夕暮れと
許可を得て原文そのまま引用させてもらいます。


引用ココから

坐摩神社 ココニイルコトヲシル1

砂州が生まれたり水没したり
川岸も海岸線もまだはっきりとしない
淀川の河口付近
渡辺津と呼ばれるその地に
屈強な戦闘集団が集落を形成していた

戦は続く
彼等は武装し
船を操り
源氏の郎等として歴史に登場した彼等
その戦闘集団は畏れを込めてこう呼ばれた
渡辺党

遡れば彼等の祖先は
天皇のキヨメの儀式を執り行う一族であった
祭祀こそが政治であった古代
一族は権威を誇ったに違いない
周りからは畏怖の眼を持って見られたことだろう
産まれる女の子は一定の年齢に達すると
神に仕える巫女になった

彼等の神が坐摩神である
坐摩はイカスリと読む
居所知ココニイルコトヲシル
という意味だそうだ
居ることを知った神が鎮座するこの地を中心に
一族は勢力範囲を全国に拡げていく
日本人の苗字で結構多い
渡辺さんは皆ここからきている

神職を継承しつつ
戦闘集団として発展していく一族
同時に様々な職能集団を抱える
川を挟んで
南岸には武士と神官が
北岸には鉄や革を扱う武具職人や
神事にキヨメを実行する人々が住った

いつまでも世は乱れたまま
戦乱の日は永遠のように続く

豊臣秀吉は渡辺党を嫌った
土着の人々にとっては
よそ者による支配など許されず
激しく抵抗したのかもしれない
ずかずかと難波の地へ入ってきた秀吉は
古代から住み慣れたこの地を奪う
ここが聖地であることを知っていたのか
秀吉はこの地に
大阪城を築く

彼等は
砂州の上にできた新興の土地に
集団移住を強いられた
彼等の神様と一緒に

新興の土地は船場と呼ばれ
無縁の人々で構成される商都へと発展していく
渡辺一族もイカスリの神も
いつしか街の中へ溶け込んでいく
だが
ここからもう一つの渡辺村の話が始まる
大阪の街が抱く巨大な矛盾は
この時すでに
決定していたのかもしれない



浪速神社 ココニイルコトヲシル2

秀吉によって移転を強いられた渡辺一族
古代から共に暮らし戦ってきた仲間は
身分と職業によって
真っ二つに分断される
一方は市街地の中心に
もう一方は外縁部へと追いやられた

行政の暴力的な強制か
あるいはそれは
共同体内部からの声もあったのか
事実はよくわからない

追いやられたのは
牛馬の死骸から皮を剥ぎ
鞣しの加工を施し
武具馬具を製造する職能集団と
キヨメを行う下級神職集団だった

さらに拡大する大阪の街
外縁部が拡がるにつれ
村は幾度も移転を強いられる
そして
木津川のほとり
市街地とたった一本の道で結ばれる
渡辺村が誕生する

徳川幕府は絶対的身分制度を完成させる
武士は偉く
それ以下の下層身分は蔑まれ
ひたすら搾取が繰り返される
まるで気狂い沙汰である
時代劇や大河ドラマで
喜んでる場合ではない

という身分が在った
主に皮革製品を取り扱っていた職業身分のことだ
渡辺村の人々も
そう呼ばれた

その昔に
天皇の儀式を執り行った遠い記憶なのか
畏敬の眼で崇められたプライドなのか
彼等はこの渡辺村に
あのイカスリの神を奉った
ココニイルコトヲシル
ココニイルコトヲシル
呪文のように
アイデンティティーを確かめるように
神の名を呼んだ

渡辺村に通ずる唯一の道
今も地下鉄大国町駅から辿ることができる
旧渡辺道と書かれた道標が
堂々と建っている
旧渡辺道の突き当たり辺りが
イカスリの神を祀る浪速神社だ
今では誰も
ここに居ることを確かめる必要は
無くなったのかもしれない
もうこの時代に
結界は不要なのだと言うように
鳥居の注連縄がブチ切れたまま
ブラリと垂れ下がっていた






日本の神話おみくじで思兼神

2016-02-28 | おでかけ・近畿




今年初めてのおみくじひいたら、
7番の神様 思兼神(おもいかねのかみ)が出たよ。








撮影時間10:18

朝日なす輝く宮、夕日なす光る宮に、
世の長杵に常世の宮に静まり坐ませと申す




恵方 の神々を訪ねて というバスツアーで向かった先は
高野山麓の丹生都比売神社。
去年5月に初めて参拝以来ご縁繋がったようです。

一緒に行った人は 猿田彦神がでました。
毎年伊勢の猿田彦神社に初詣行ってるねんとビックリされてました。

私の思兼神はどういうご縁なのかな

渡辺むらの渡辺さんの案内で

2016-02-27 | おでかけ・近畿


リバティ大阪の会議室でお弁当食べました。
大阪市内というのに近隣にはレストランやコンビニさえないらしい。

午後から人権太鼓ロードのフィールドワークで旧渡辺村を案内してもらいました。

JR芦原橋駅から人権博物館(リバティ大阪)までの新なにわ筋周辺の約500mが人権・太鼓ロードです。
太鼓の産地として300年の歴史をもち、全国有数の皮革の集散地でした。


この地で差別を受けて生まれ育ち、リタイアした現在、この差別を無くす運動が生き甲斐だと語られてました。

渡辺さんってこの村では皆そのお名前ですかと尋ねたら、自分家だけだったとのこと。
確か坐摩神社の神主さんも渡辺さんだったような記憶がある。




豊臣秀吉が大阪城築城にあたり、天満の渡辺の津の住人を移転させた。
淀川南岸の渡辺さん集落は現在本町の坐摩神社あたりへ、
淀川北岸の渡辺さん集落が、江戸時代に入り大阪の南 木津の港辺りに追いやられた。
町に通じる道は渡辺道だけ。


戦後JR今宮駅が出来た時になっても、このエリア方面の出入口は設けられなかったそうだ。










団地がいっぱいありますがひと気がない。



立派な保育所に人が集まらず廃園になってた。







太鼓の縁を模したベンチ。
中央の木はケヤキで、固く木目つまった材が太鼓の胴に適しているそうだ。









撮影した時間は2:21
午後3時にはからくり時計が動くらしいけど、待てなかった。


あちこちに立派なモニュメントが建ってるのがまた虚しい。




現代でも太鼓が造り続けられています。
太鼓ロードのバス停も太鼓のアレコレが紹介されてます。





太鼓がらみの彫像もたくさんありました。
韓国の太鼓の前でだけ立ち止まり説明されたことには、
「太鼓は朝鮮よりもたらされ日本で独自に発展を遂げ…」
そうかなぁとちょっと違和感ありました。
問題で韓国アゲはいらんのと違う?

2005年にモロッコ行った時に革の製造している町を観光しました。
皮をはいでいる行程は見ませんでしたが、なめしたり染色したり、乾かしたり。
ものすごい臭いが充満していました。
こうした風景は全く見られなかった。


「」聞き書き「太鼓ロード」と文化・産業行政から外れる皮革の話→こちら






次回は浪速神社



橋下氏VS人権博物館の記事コピー

2016-02-26 | 世情雑感



リバティおおさか
裁判第3回口頭弁論のお知らせ(2016/01/16)

日時 2016年3月11日(金)10時より開廷
 9時30分より傍聴抽選券配布予定
場所 大阪地方裁判所

よりによってあの3/11
5年たって福島のもろもろが明らかにされたように、こちらもかな。



産経WEST【関西の議論】にリバティ大阪との顛末が詳しく述べられています。
時にこうしたサイトの記事は見れなくなることがあるので、拙ブログでコピーしておきます。
見やすくするため? 改行と数字を半角に、小見出し太字、赤字強調はブログ管理者が行ないました。


原文は以下リンク貼ってます→
(上)慰安婦、フェミニズム…議会「展示は反日キャンペーン」批判も背景 対立は司法の場に

(下)「いつもの差別・人権のオンパレード!」 リニューアル1年後、いきなりツイッターで猛批判


ココから引用コピペ・・・・・・・・・・・・・・

2015.10.5
(上)慰安婦、フェミニズム…議会「展示は反日キャンペーン」批判も背景 対立は司法の場に

大阪市と大阪人権博物館(同市浪速区、通称・リバティおおさか)の〝対立〟が注目を集めている。
市が7月、リバティが建つ市有地の明け渡しなどを求めて大阪地裁に提訴し、問題は司法の場に移った。
リバティは国内で唯一、人権問題に特化した博物館だ。
橋下徹市長は、人権問題を取り上げてきた役割は認めながらも「子供に将来を考えてもらえる施設にするように求めたが、展示がそうなっていない」と批判。
公益性がなくなったと指摘し、賃料支払いにリバティ側が応じなかったため提訴はやむを得ないと主張した。リバティ側は「廃館に追い込むもの。橋下氏の個人的な思いで決められている」と反発する。
ただ、リバティの展示内容をめぐっては、橋下氏の就任以前から大阪府市両議会で問題化し、慰安婦やフェミニズムなどに関する展示内容を「一方的で偏向している」と批判する声も上がっていた。
対立の背景には、人権をめぐる複雑怪奇な問題が絡み合っているようだ。

「差別問題を考える場」

「大阪市は歴史的経緯を無視している」9月25日。リバティを運営する公益財団法人「大阪人権博物館」は、市側の提訴を受けた記者会見を館内で開き、石橋武理事長がこう強調して憤った。
JR今宮駅(浪速区)を西へ約500メートル。市営住宅に囲まれた市有地約6900平方メートルに建つリバティは昭和60年に開館した。
鉄筋コンクリート一部3階建て、延べ床面積約6200平方メートルの堅固そうな建物は、主要部が旧市立栄小学校校舎。50年に同校が移転するまで実際に児童が通っていた。
周辺は昔、渡辺村と呼ばれ、皮革加工などをする人々が集まっていた
リバティによると、敷地はもともと地元の有力者や住民の土地だった。
昭和初期、子供たちの教育向上のためとして、市に寄贈した。一帯は戦後、解放運動が盛り上がった地域でもあり、人権に特化したリバティが置かれることになった。


財団法人は解放同盟と大阪府、大阪市、府内の大手企業などの共同出資で設立され、初期の評議員名簿には、企業の役員や教育委員会幹部らの名が並ぶ。
石橋理事長の言う「歴史的経緯」とは、こうした背景のことだ。
現在、人権や差別の問題に関する資料約3万点を所蔵。
館長を兼ねる石橋理事長は、開館準備段階から学芸員などとして携わってきた。「見過ごされがち、避けられがちな差別の問題を継続的に考える場となってきた」と存在意義を語る。

きっかけは「橋下行革」

そんなリバティはなぜ、大阪市と対立関係に陥ったのか。直接のきっかけは「橋下改革」だ。
提訴後の7月23日、橋下氏は記者会見で「今までの(リバティの)役割は認めるけれど、今は時代が違う。公金で維持する施設ではない」と言い切った。
市が求めているのはリバティの立ち退き、建物の撤去、そして今年4月から退去まで1カ月あたり約250万円の賃料に相当する損害金だ。
市は平成26年11月、特定団体への支援は納税者が納得できる理由がなければ行わない-という橋下氏の意向のもと、それまで無償にしていた土地を年間賃料約2700万円として、10年間の事業用定期借地契約の締結と固定資産税の支払いを求めた
リバティ側は「財政的に支払う余裕がなく、減免してほしい」と主張したが、双方の溝は埋まらないまま、訴訟に至ったのだ。
市が賃料を求めることになった遠因は、19年の橋下氏の府知事就任にさかのぼる。
文楽協会をめぐる騒動でも注目された補助金見直しの一環で、橋下氏は20年9月にリバティを視察。
当時、リバティは運営費の約9割を補助金に頼っていたが、入館者数は8年度の約9万3000人から、20年度は約4万2000人に減少していた。

橋下氏は視察で、入館者の約3分の1を、教諭が引率するなどした中学生以下が占めていることを念頭に「発達段階の子供には分かりにくい」と展示内容を疑問視。
公金投入の条件として「教育現場のニーズに応えるような博物館に」「子供が将来に希望が持てる学習施設に」と展示内容のリニューアルを求めたのだ。

「客観性、中立性を欠く」

橋下氏が問題視した展示内容とは、どんなものだったのか。
当時の展示内容を、リバティが18年に発刊した「総合展示図録」でたどると、差別の歴史、解放運動の原点となった全国の活動、アイヌなどの民族問題といった歴史的な差別問題を中心に、障害者やエイズ、ハンセン病、学歴や家柄-といった項目が並ぶ。
概略だけ見ると特に問題はないようにも思えるが、仔細に展示を追っていくと印象は一変する。
特定の運動の主張ばかりを紹介しているように思えた」。
市民団体「戦争資料の偏向展示を正す会」の山田喜弘氏(50)=大阪市=はかつての展示内容についてこう指摘する。
山田氏によると、「私にとっての差別と人権」というコーナーでは、戸籍制度そのものに矛盾を感じ、平成16年に戸籍に記載がない子供の国籍確認訴訟を起こした原告女性のインタビューをビデオで紹介。結婚、出産、離婚をきっかけに社会のゆがみを問い始めた-といった内容で、原告女性の主張だけを取り上げていたという。
フェミニズムなどの運動スローガンの垂れ幕や米軍基地反対デモの写真といったパネルもあった。
さらに山田氏は戦時中の慰安婦についてのパネルにも疑問を感じた。「『慰安婦』にされた女性の証言」として韓国の女性の言い分のみを紹介していた。
パネルには、女性の名前や写真とともに語り口調の証言形式でこう記されていた。

「情けのない軍人は刀抜いて暴れまくったり、これで殺すと言ったり、いろんな軍人たちがいました。妊娠して腹がでっかくなろうが、軍人の相手しなきゃ殴られるの」
「謝れば一番いいんだ。慰安婦にされたのも悔しいし、私の人生がこんなになったのに情けないし。何で人の国の戦争さ巻き込まれて慰安婦にされて、こんなざまになったのかということ考えると死んでも死にきれない」
歴史的背景や日本側の言い分の説明は何もない中、「証言をみて、思ったことや考えたことを書いてみよう」と小学生版のワークシートが置いてあった。
「子供が見て、考えたり、判断したりできるような中立の展示ではなかった」(山田氏)という。

保守系議員「反日施設」と批判

議会でも、リバティの展示内容に対して批判が集まった。
「展示内容が人権というものですが、むしろ私らから見れば反日キャンペーンだと指摘する声もある」(20年3月、自民市議)
「一部内容が偏っており、研修・啓発施設として適切なのかどうか。公平な客観性・中立性を備えた博物館として生まれ変わらなければならない」(16年11月、自民市議)
市議会の議事録に残る市議たちの言葉だ。
戦争に関する資料を展示し、かつては自虐的な「偏向展示」と指摘されていた「大阪国際平和センター」(大阪市中央区、ピースおおさか)もあったため、ピースやリバティに対し、保守系の府議、市議や有識者からは「人権、平和、平等、反戦を隠れみのに、ゆがんだ歴史観や主張を繰り広げる反日施設」と指弾する声が強く上がったのだ。
府市議会では、厳しい財政事情の中で、多額の公的支援と伸び悩む入館者数を取り上げ、「リバティを特別扱いするのは問題だ」との指摘もあった。

政治運動パネルを排除

橋下氏が府知事就任後に求めたリバティのリニューアルは、これまでの議論も踏まえ、「公的な教育施設」としてふさわしいかという視点で行われた。
府教委によると、まず「学校連携の方向性」について府教委と大阪市教委、小中高の校長らが検討。
『人間教育の館』をコンセプトに、人間性や社会性を自ら学び、人権感覚を身につけられる博物館」との位置づけを求めることになり、知事だった橋下氏にも方向性を報告した。
21年5月にはリバティと行政側が共同でプロジェクトチームを設置した。
「かつては確かに政治運動的な主張ばかりになっていた部分もある」。
石橋氏が振り返るようにリバティ側も不備を認め、運動スローガンの垂れ幕やデモ写真といったパネルは排除した。
大半を占めていた被差別などの歴史紹介の部分を縮小しつつ、「命の大切さや他人への思いやり」「職業意識の醸成」など、社会教育的側面も拡充する案を同年7月にまとめた。
リバティ側が2900万円、府が900万円を負担して工事に着手、23年3月にリニューアルオープンした。

これで問題は収束か、とみられた。だが-。



2015.10.13
(下)「いつもの差別・人権のオンパレード!」 リニューアル1年後、いきなりツイッターで猛批判

大阪市が7月、市有地からの立ち退きなどを求めて大阪地裁に提訴した大阪人権博物館(同市浪速区、通称・リバティおおさか)。
抜き差しならない対立関係の背景にあったのは、橋下徹市長が大阪府知事時代の平成20年、「発達段階の子供には分かりにくい」「子供が将来に希望を持てる学習施設に」などとリニューアルを要求した展示内容だった。
かつて解放運動が盛り上がった地域に根ざす差別問題の展示が多くを占めていた一方、戦時中の慰安婦やフェミニズムなどの特定の政治的な運動を紹介した部分で〝偏向展示〟の指摘が根強かったものだ。
リバティは府と市、両教委側と協議した上で展示内容を変更し、23年3月にリニューアルオープンにこぎ着けた。
しかし、問題は収束しなかった。
約1年後の24年4月、橋下市長が突如、インターネットのツイッターで「おかし過ぎる!」とかみついたのだ。

「僕の考えには合わない」

橋下氏のツイッターへの書き込みは激しい言葉が並んだ。
「おかし過ぎる!いつもの差別・人権のオンパレード。それは大切だが、まずは子どもたちに夢や希望を実現するために頑張ろうと言う気持を起こさせることが重要」(24年4月21日、原文のまま)
橋下氏はこの前日、松井一郎知事とともにリバティを視察していた。
その理由を、ツイッターで「(リニューアルで)出来上がったものがおかしいと市長になってから指摘を受けたので」と書き込んだ。
そして視察終了後、報道陣にこう語った。
「まだ差別や人権に特化されている。子供が夢や希望を抱ける展示になっていない。非常に残念」
「僕の考えには合わないので、市税の投入についてゼロベースで考えさせてもらう。自立してもらわないと仕方ない」

ついに施設運営に関する補助金の打ち切りを検討する考えを打ち出し、松井氏も「現状のまま維持するのは無理」と同調した。
リバティへの補助金は、最多時には年間で府が約1億6000万円、市が約1億1000万円を出していた
リバティは運営費の実に9割を補助金に頼る〝赤字施設〟だったのだ。
橋下氏はリニューアル後の展示内容も踏まえ、市民から預かった税金でサポートする「公益性」がないとの判断を下し、5月7日には25年度からの補助金打ち切りを表明した。
市は公益性がなくなった以上、市有地の無償貸し付けもできないとして25年11月、年間約2700万円の賃料を求めることになり、10年間の事業用定期借地契約の締結と固定資産税の支払いを求めた。
そして、「財政的に支払えない」と拒否するリバティを提訴する動きにつながっていく。

差別だけでなく…

リニューアル後の展示はどう変わったのか。
「いのち・輝き」「共に生きる・社会をつくる」「夢・未来」の3部構成で、かつて大半を占めていた問題の展示は、アイヌなどの民族差別やハンセン病問題などとともに「共に生きる・社会をつくる」の一部に縮小された。
こうした歴史的な差別だけでなく、家庭内暴力や児童虐待、ブラック企業、薬害エイズ・人工呼吸器で制限された生活、心と身体の性の不一致など、現代社会でもさまざまな差別や抑圧が存在することを紹介。
子供たちに「違いを認め合う心」をはぐくもうとする狙いがあるという。
「生命」の体験コーナーも設置。受精の仕組みなど生命の成り立ちを図示し、赤ちゃんの心臓音を聞いたり、赤ちゃんと同程度の重さの人形を抱いたりできる工夫が凝らされた。

いまなお展示に疑問符も

確かにフェミニズムなどの運動スローガンの垂れ幕や米軍基地反対デモといった特定の運動を紹介するパネルは排除されていた。韓国の慰安婦女性による被害証言だけを掲示し、全体を俯瞰(ふかん)した経緯や日本側の主張を紹介しないようなバランスを欠いた展示は一見したところ、見当たらない。
だが、「働く権利」の一角に展示された女性差別問題に取り組む団体の冊子には、「(女性らが)日本という国家に『くくられ』ている」といった国家を罪悪視したような表現が残っていた。
在日コリアンを紹介する展示でも、こんなふうに説明したパネルがある。
「1910年、日本は朝鮮を植民地とし、日本の領土としました。多くの日本人が朝鮮に渡り、一方で、生活が苦しくなった朝鮮人が日本で生活するようになりました。
日本では、朝鮮人に対する差別が生まれ、朝鮮の文化を劣ったものとする考え方が強まりましたが、朝鮮人は言葉、生活習慣などの民族文化を守り続けました」
1910(明治43)年の日韓併合について、「韓国併合に関する条約」が国際法上の要件を満たしていたことには触れず、日本が外交権や国内の政治力、軍事力などを「次々と奪い」と表現。ロシアの脅威や韓国側の併合推進の動きを紹介せず、その後も抵抗運動一色だったような印象を与える説明になっていた。

複雑な国際情勢や経緯を踏まえ、複眼的に歴史の事象をとらえるのでなく、どこか日本=加害者、朝鮮=被害者といったステレオタイプの構図に切り取ったような主張が根底ににじむ
入館者に多い小・中学生には、時間をかけた説明が必要と思える内容だった。

リバティの展示内容を追及してきた自民党の市議は「かつては宗教的な女人禁制まで『女性差別』とあげつらってきた施設。
リニューアル後の展示を見学しても、すべてを反体制的にとらえる考え方の根幹は変わっていないと感じた」と指摘する。

リバティの〝反撃〟

展示内容に対する橋下氏の違和感は、「まだ差別や人権に特化されている」との言葉に象徴されるように、全体的なテーマや構成にあるようだ。
一方、リバティを運営する公益財団法人「大阪人権博物館」の石橋武理事長(リバティ館長も兼務)は「そもそも橋下氏は府側から(リニューアル)計画の報告を受けていたはず。
それに基づくリニューアルを、後から『考えが合わない』とはおかしい」と反論する。
石橋理事長によると、24年4月の視察時、橋下氏から直接指摘を受けたのは、戦前の植民地支配について世界的な状況説明が不十分という点と、職業展示の「大工」の部分ぐらいだったという。
職業展示とはリニューアルで追加されたコーナー。
「大工になるためには」という紙をめくると、「建設会社や工務店などの求人に応募し、就職する」となんとも味気ない中身-と話題になった展示だ。
橋下氏が「子供が夢や希望を抱ける展示になっていない」と判断した理由に挙げた一つでもある。
石橋氏は「確かにおそまつな中身だった」としつつ、「われわれは職業教育のノウハウがなかったから、府側の提案で入れたものなんだが…」と語った。

公益財団法人の専務理事を務める赤井隆史・解放同盟大阪府連書記長は「公金に100%頼りたいと思っているわけではない。入館料や貸出料などでわれわれなりの自立を目指そうとしているが、いきなり補助はゼロ、土地代を払え-では、廃館せよと言うのに等しい」と訴える。
リバティ側は実際、24年10月に「企業や個人に寄付を募る」と発表。
開館を週4日に、学芸員も7人から2人に、それぞれ減らして人件費や運営コストを抑制している

注目の司法判断は…

市がリバティに対して、市有地からの立ち退きや建物の撤去などを求めた裁判の第1回口頭弁論は10月2日、大阪地裁で行われた
石橋理事長が意見陳述を行い、建物撤去は2億円ほどの費用がかかり廃館に直結すると主張。
さらに、市有地は近隣住民らが教育施策のために市に寄贈した土地だとし、「歴史的経緯を無視し、住民の差別撤廃と教育向上の強い願いを踏みにじった」と述べた。
提訴についても「人権行政の責任を放棄した行為」と市を批判した

リバティ側は賃料支払いについて「(減免を求めたのに)市は話し合いに応じなかった」と訴えるが、市側は「24年度には賃料支払いを求める方針を伝えており、2年間の猶予期間を置いた」と適正な手続きを踏んだと主張。
双方の言い分は平行線をたどる。

展示内容を踏まえ、橋下氏が「公益性がなくなった」としてリバティ側への市有地無償貸し付けを打ち切り、訴訟にもつれ込んだ両者の対立。
司法はどんな判断を下すのだろうか

人権教育に長く携わり、リバティ存続も支援している上杉孝実(たかみち)京大名誉教授(80)は、リニューアル後の展示について「表現が穏やかになり、多様な人権問題も取り上げる内容。橋下氏の意見を踏まえて努力をしたと思う」と評価する。

・・・・・・・・引用ココまで


リバティ大阪はどう変わったのか

2016-02-25 | 世情雑感


リバティ大阪の常設展示は数年前に修正されたそうです。
これについては次回でふれる予定です。

前がどんなだったかは知りませんが、新しく工夫されたと聞いても、まだまだ、かな。

一般入場料500円も取るだけの見せ方ではないかも。
この二枚の画像だけなら文化祭の展示みたいですね。

漢字にふりがなふってありますから、小学校高学年とか中学生の社会見学対象なのかな?
どのあたりをターゲットにしてるのかしら。

大人でもスルーしたくなるわ。
内容が内容だけにもう少し読む気をそそる書き方の工夫いると思う。



ものの展示はそれだけで訴求力あります。


ホントは館内撮影禁止です。
最初はパネルとかで禁止とは思いもよらなかった。


この墓石は、実物でレプリカではありません。
たまたまその場にいたボランティアガイドさんが説明してくださった。
撮影禁止だけど目をつぶって許してもらった。
閉館なるかどうかの瀬戸際で、民意にアピールし応援してもらわなあかんもんね。

この墓に刻まれた漢字が普通ではありません。
この戒名と変な漢字だけでを示します。

死んでなおから逃れられてないのです。

数々の展示の中で一番心に残りました。



アイヌ関連展示は面白かったので項を改めてます。



かつての渡辺村にこのリバティ大阪が建ってます。
この地図を見るまで知りませんでした。

あの渡辺党です。
かつての記事は こちら



あの大阪人権博物館(リバティおおさか)を初めて見学して

2016-02-24 | おでかけ・近畿




守口市人権協会の現地研修会の、人権歴史フィールドワークでした。
ひょっとしたら閉館に追い込まれるかもの土壇場らしいです。

2012年に前大阪市長の橋下さんが、リバティおおさかを見学し補助金打ち切り。
人件費圧縮や開館状況を工夫し改善努力されてたみたい。
それが以前まで免除だった土地代と税金支払えと裁判係争中ですって。

ニュースで見たことありましたが、まさか実際足を運ぶ日がやってくるなんて。


ちょうど私の世代ぐらいで問題クローズアップで、大学の教養で単位必須でしたが、
いかんせんノンポリで (-_-;)



まず最初に1時間講義を受けて後に施設見学



去年開館30周年だったそうで特設展示



もう一つの特設はアイヌ文化

ヘェ~と思ったことを2、3回に分けてご紹介していきます。
今まで人ごとだった方もこの機会にしばらくお付き合いください。



猫の日にニャンともしまらない猫画像あれこれ

2016-02-22 | ギズモ&もぐ&メルキー








店開ける前のガラス戸越しに外眺めるぺぺ。
虎猫の雄でおっとりしてるので、お客さんに可愛がってもらってます。

猫はシャッターチャンス難しい。

仕草が可愛くて それは動画になって納得し共有してもらえるのでしょう。

昨今の猫ブームはYouTube始め動画投稿サイトの普及と連動してると思います。





おまけでもぐちゃん近影画像










バラの花ではなくて葉っぱをかじるギズモ

2016-02-21 | ギズモ&もぐ&メルキー





先週スーパーで小さなバラの鉢植え買った。
匂ってるのか?
猫でも鑑賞するのかなと見てたら
かじりだした。

せっかくの蕾が~と怒ったら葉っぱをかじってた。

鉢が小さなものだったので倒れてしまうから鉢カバー二重にした。



葉っぱをかじりにくくなって
怒ってるみたいなギズモ

立派な潅木級のローズマリー★2/22追記

2016-02-21 | 脳トレ


念のために細い葉っぱをちぎって匂ってみた。
きっとローズマリーに違いないと思ったけれど、あまりに立派に成長してて ?

画像検索で潅木のようなローズマリー発見


そのページを見ると

◆学歴高いほど記憶喪失も急速=アルツハイマー発症後-米<時事ドットコム2007/10/24>より
 【シリコンバレー23日時事】培った認知力が高いためか、高学歴者の方がアルツハイマー病など認知症の発症は遅めだが、記憶障害が出始めた後は、より速いペースで記憶の喪失が進む傾向が確認された。米アルバート・アインシュタイン医科大学の研究チームが23日発行の神経学会誌ニューロロジー最新号で報告した。
 統計的には、認知症発症までの時間は、教育を受けた期間が1年増えるごとに2カ月半遅くなった。逆に、発症後の記憶喪失ペースは、教育が1年増えるごとに4%ずつ加速したという。

★アルツハイマー型老年痴呆(Senile dementia with Alzheimer's type; SDAT)。日本では、痴呆性疾患のうちでも脳血管性痴呆、レビー小体病と並んで最も多いタイプです。
 教育を受けた期間が1年増えるごとに2カ月半遅くなった?もしかして脳トレも効果があるのかも ・・・。
 また、記憶喪失ペースは、教育が1年増えるごとに4%ずつ加速したという統計データもあるという。もしかして脳の使いすぎ、あるいは寿命か?そして、脳卒中病歴のある人は?



★2/22追記 
ローズマリーやハーブがなぜ認知症予防に繋がるのか、調べてみました

・人の脳には記憶を司る海馬(かいば)という部分があり、かつては認知症を発症すると始めに海馬がダメージを受けると考えられていたが、実は違っていた

・近年の研究で認知症を発症すると最初にダメージを受けるのは、海馬に直接繋がっているにおいを感じる嗅神経であることが判ってきた

・嗅神経のダメージが海馬に伝わり、その他の脳の部位にも影響し、認知症が悪化する

・嗅神経は他の脳神経とは例外的に異なって再生能力が高く、嗅神経を刺激することでその機能を再生させればそれに繋がった海馬も活性化させ認知症の予防・改善に繋がる


柴山ゴールド 80,000円 (@_@)

2016-02-18 | 日々是好日









柴山港へカニ食べに行ってきました。
漁業組合で姿美しい大きな蟹にはタグ付いてビックリ価格の80,000円
足が欠けると同じような大きさでも1/4ほどに。
爪のある足かけなら1万円台でありました。



皆さん大体これぐらいなら手が出ます。
高級品はおそらく大都会の料亭行きでしょう。




過去何度か記事にしてる柴山荘さん
2014年12月以来でしたが、おかみさんも仲居さんも覚えてくださってました。
また行けてうれしい。






焼きガニは甘くて美味しいね



もちろん生のカニも超甘い




これで4人分



甲羅のみそが少なくなったら甲羅酒で




しめの雑炊もお代わりして 大大満足 (^_^)v



山陰線柴山駅舎上の雲


今年も美味しくカニを食せたことに感謝(^人^)


2016/2/16から見つけたWeb Safe Colors 216

2016-02-16 | シチの目
今日の日付って216がリフレインになってるみたいと
216 でちょっとぐぐってみたら
216=6×6×6 6の3乗 立法数だって。
216=13×23×33
自然数の3乗の積とみたとき1つ前は8、次は13824。

なるほど~、
もっと目に留まったのがWeb Safe Colors 216

ウェブサイトをデザインする際に、WindowsでもMacintoshでも一定の色が出せる基本216色。

設定した色が多くの人の環境で同じように見える色という意味でWebセーフカラーと呼ばれます。
WindowsやMac、そしてフルカラー表示で設定している人や256色表示している人など利用者の環境は様々ですが、Webセーフカラーを使用していればほぼ同じような色が表示されます。

Webセーフカラーは、赤緑青の値として
「00」「33」「66」「99」「cc」「ff」の6つの値を取った場合の組み合わせ。
この場合に作成される色の種類は6×6×6=216色となります。

その説明ページで見つけた色の名前


この画像は、  Midnight blue 191970 を選択しました。
色の表示部分をクリックすると、地色がその色となります。


同じ青でも BlueMedium Blueと異なり、日本だったら紺色というのかな。

ご参考までに調べてみました。
ミッドナイトブルー【midnight blue】
色名の一つ。JISの色彩規格では「ごく暗い紫みの青」としている。一般に、真夜中の青と形容される黒に近い青のこと。濃紺よりも暗い。中国明代の磁器からとられた「ミンブルー」に由来するという説もある。



あれあれ紺色ってネイビーじゃぁなかったっけ?
スクロールしたもっと上のほうには NavyDark Blueがありました。




ここで選択した色は       Navy 000080 ↑ 

日本の感覚では 花紺ですね。


ネービーブルー【navy blue】
色名の一つ。ネイビーブルー、ネイヴィブルーとも表記し、略してネービー(ネイビー、ネイヴィ)ともいう。JISの色彩規格では「暗い紫みの青」としている。ネービーは海軍のこと。一般に、イギリス海軍の軍服のような濃い青色をさす。日本でも馴染みの深い色名。和名の紺色が近い。



いつも商品をネット出品するとき、色の名前を書くのに苦労してます。

緑が混ざった青とか、オレンジがかった茶色とか、・・・

今度からこのページの色の名前参考にしたいとは思いますが、世間一般がイメージできるかとなると難しいものがありますね。

寿恵廣

2016-02-15 | 日々是好日


2/11 守口市体育連盟創立50周年式典に出席しました。



記念品に頂いた扇子は300本限定、そのうち希少価値出るかもしれませんって。
箱書きに 「寿恵廣」と書かれてました。
なんと読むのだろう?

ググってるうちに見つけました。

スエヒロと読み、おめでたい漢字の当て字でした。
扇子は末広がりで縁起いいといわれますからね

「八の字」に広がる扇子は「末広がり」としてこれを慶びます。縁起物として扱う場合「すえひろ」というちょっと捻った言い方をします。勿論「寿恵廣」は縁起のよい文字を選んだ当て字です。



昨日2/14は先輩保護司の藍綬褒章受賞記念祝賀会でした。



ご本人着用のモーニングは結婚式のもの、奥様の帯はお母様から受け継いだものだそうです。

頂いた記念品、台付き帛紗は菊の御紋のついた桐箱入り


ありがとうの箱の中は


箱代でうんと根が張りますね~


空亡 天冲殺とかで

2016-02-13 | 日々是好日


先月淡路島の護国寺に詣でた時に賜わりました。

12年前四国お遍路廻ってる時もどこぞやの寺で買い求めた。
当時は四柱推命で私は申酉空亡とは知らなかったんだけど。

今回はいろんな巡り合わせで、自分の命式を少しは意識してます。
お正月初詣でサムハラ神社、そしてこの申の吉祥宝来。
ご加護賜わりますように。







ベランダに蜂の巣小っちゃいの発見。
今はまだ蜂がいなかったのでなんなく削除 (^_^)v



空亡について→こちら

ご自分の空亡 天冲殺がお知りになりたい方は
こちら


ウツボカズラの驚異

2016-02-10 | 四季折々・色とりどり


落とし穴式捕虫形式の食虫植物です。



現地では子供の頭ぐらいの大きさのものもあるとパネル画像で紹介されました。
手を入れようもんなら、指が溶けたりなんて、コワっ




咲くやこの花館の季刊誌は、2016年1-3月がVOL.100
第100号記念特集で、フラワーツアー参加者の歓声を集めた植物10選の
堂々一位は「ウツボカズラの仲間」


あらためて、ウツボカズラで検索してみると
漢字で書くと「靫葛」

「靫(うつぼ」とは、狩などで矢を入れて持ち歩いた用具のこと。
長い竹かごで作りその外側を虎や熊、猿などの毛皮や鳥の羽根で覆ったそうです。

大阪市内に靫公園ってありますけど、これと同じ由来なのかな。


食虫植物のウツボカズラに話を戻します。
「その口元に蜜のようなものを分泌することで虫を誘い、足を踏み外した虫を落とし込むのだ。ツボの内部はすべすべした状態になっており、一度落ちると虫は這い上がることができない。ツボの下部の酵素液で溶かされ、植物体の養分とされてしまう」


ところが原生地ではツタをロープ代わりに使用するほか、目を疑うような驚きの活用法があるそうです。


画像引用元:A Tropical Garden


「ウツボカズラ(ネペンテス)の自生地でもあるマレーシアの山岳地帯に住むダヤック族、ブナン族はネペンテスの袋でお米を炊いて食べる習慣があるそうです。
もともとネペンテスの袋には消化液に酸が含まれているため、抗菌作用があり、腐敗しにくいことから、米や肉などを携帯食として持ち歩くのに便利なんだそうです。
実際に現地ではネペンテスの袋が市場で売られています。」

詳しくは→こちら


きさらぎの光の中で

2016-02-08 | 四季折々・色とりどり


昨日 鶴見緑地に到着した午前10時半頃

同じ場所を光の当たる側から撮影すると



フラワーツアー終えてお昼過ぎ、まだ3000歩、
もうちょい頑張ろう



かつて1990年花の博覧会の時、オランダのなごり風車が残されてます。




鶴見新山 (標高45m)初めて登った





アオサギも心なしか早春の陽射しを喜んでそうだった。




もうすぐ1時、さすがにお腹すいてきて、約6518歩でウォーキング終了した。