秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

小豆島の思いでショットアレコレ

2024-05-31 | 旅・中国&四国地方
小豆島2泊3日の旅、
画像貼り付けて記録残します。

瀬戸内海の数ある島々で、小豆島大きいけれど橋がない。
高松港からのフェリーの数多くて、約1時間です。
そこまで行くの遠いけど。







直島へのフェリーはカラフルで目を惹きます。

土庄港で、帰りのフェリー乗る前に



観光スポットで有名なオリーブ公園

オリーブの花が満開時に訪れたのは初めてでした。


白人観光客はサイクリングしてる姿多く見かけました。

ギリシャ風車を背景に空飛ぶ写真撮るの流行ってますね。

ロープで囲ったエリアでは、専門家に撮影してもらうのに並んでた。
要費用?


跨るホーキはオリーブ記念館で無料貸し出し中とパンフに記載発見。

老いも若きも、、、見てただけ。











小豆島の海の幸.山の幸

2024-05-29 | 旅・中国&四国地方
2日目の夜は小料理屋を予約してくれてました。
新鮮で美味しい魚を、シンプルな家庭料理で。
ソースや飾りつけで惑わせない確かな味❣️



カウンター前に料理が所狭しと並んでました。
たらふく平らげて大満足(๑˃̵ᴗ˂̵)
ご近所だったら週二で通うわ。


実はその日の午後、ご近所さんから生牡蠣どっさり❗️

飲食店予約済みだから帰ってから食べようと冷蔵庫へ。

ところがもう満腹で、これ以上無理。
というわけで、加工して持ち帰ることになりました。


以前デパートで殻付き生牡蠣買ったことあります。
掌サイズで揃ってたのでホットプレートに並べて蓋して加熱。
超簡単に牡蠣のふたが開いたのだった。

ところが岬前の近海で採れた天然生牡蠣は団子状態。
さっと洗い、くっついたの外すも、、、

妹の夫のお母さんは90歳ですけど、仕事手早い。
それでも四苦八苦でした。
加熱し蓋開いたものから身を外すのも疲れた😮‍💨

昨秋に赤穂で買った牡蠣の佃煮思い出して煮込む。



左下が持ち帰った牡蠣佃煮。
極旨っ❣️
苦労した甲斐ありましたね。

でも次は市販されてる佃煮買います。
煮込むと縮み嵩低くなるから手間暇考えるとね。


中央のジンソーダ。
シークワーサーはそのまま食べても美味しい。
その実を中皮ごと炭酸割りジンに放りこむ。
潰しながら(^^)


右下の自然薯も頂き物でした。
初日のBBQで皮ごと焼いたらイケてる〜
焦げた皮がパリっとして自然薯のねっとり感とで超美味。
一部もらったのをフライパンで焼きました。


小豆島って海の幸山の幸恵まれて、ホンマええとこでした。







木こり、石工職人、造園師、大工などDIYの、SHIMASTREAM

2024-05-27 | 旅・中国&四国地方
エキゾチックなキャンプ場で印象残ったものは数々あれど、
スゴイなと思ったのは、石積みの塀でした。



施工管理者で現場職人でもある本人が指差すのは、四角い石の手水鉢。
粉挽臼も見ました。
和洋折衷でええ塩梅。

年月かけて自分でコツコツ積み上げたんだって。
※ガビオン塀 花崗岩40トン

穴太衆やなと言うと、
そやろ小豆島の石工職人やと。

そういえば大阪城石垣の巨石は小豆島から多く切り出されてましたね。
その歴史は綿々と引き継がれ、現代の職人さんは辺野古で仕事してるそうだ。

母方のひいおじいちゃん松吉さんが石工職人。
で、墓参り行って墓石確認(^^)



Webサイトには、
OWNER & BLOGGER Kazuhiko Ohashi

実際は、
山切り開き、木こりして、整地して植林する造園師。
仕切りガビオン塀に石積む石工職人。
赤銅色の肌が作業の過酷さ物語ります。



キッチン部分の屋根や、バスコンテナ内の棚とか木工細工の大工さん。


そうそう、自動芝刈りロボットはWi-Fi電波で制御して動きます。
作動エリア境界に、Wi-Fi受信するコードが地面にはりめぐらされてる。
これって電気工事やさん?
水道や下水の礎も真っ先に、専門業者と共に工事してますわね。


施設も調ってて、うちの家より立派でオシャレな備品も。


利用料金平日なら5万円、休前日6万円。
エアストリームに2名宿泊できます。
追加人数2名はテント設営してくれます。
食料持ち込みですが、BBQ設備もあるし電気調理器具完備だし。
温泉はないけど、バスコンテナから海見えるし。
ロウリュウサウナもありますよ。


平日4名利用なら@12500と思えば、いい体験できるかもね。
東京のカプセルホテルですら超高額のご時世ですから。




WebサイトAbout us  によれば、

島のみなさまに助けて頂きながら、土地の潜在自然植生を生かし、島の石を生かし、様々な廃材をアップサイクルしながらDIYで誕生したSHIMASTREAMはちょっと無骨でどこか不恰好。
そんな無機質でありながら有機的な施設と小豆島の自然との調和を、お楽しみ頂ければ幸いです。



SHIMASTREAM@小豆島

2024-05-26 | 旅・中国&四国地方
23〜25の2泊3日で小豆島へ行ってました。
目的は、
 



コレってリュウゼツランやんか。
植物園で見たことあるよ。

中南米風エクステリア?
行ったことないけど。

エアストリーム、初めてみた。
日本のキャンピングカーに比べたら目がテン👀

芝刈りロボットのクロちゃん作動中でして、


充電切れそうなったらステーションへ、賢いな〜







出してくれた水までオッシャレー❣️
NWってどこの国?
裏見たら佐賀県だったよ。



海みながら入浴できる贅沢なバスルーム。
外観みただけで使ってないよ。
なんともリッチなアウトドア施設でした。


つづく







観音崎の夕焼け

2024-05-25 | 旅・中国&四国地方
昨日はブログお休みでしたのに、
アクセス数7637(訪問者数1007)、何がバズったんでしょう。


出かけた23日は曇ってましたが、みごとな夕焼け。
東には満月もみれました。




観音崎の海の見えるベランダでBBQしたのは、


高いとこから見ると、白い建物です。
前の湾に弁天島があります。




16年前に記録残してます。
>壮大な夢だけで終わらせない、
思考よりは膨大なる試行&施工に敬意を表します。

2008-4-6
ネットで土地を買う - 秋麗(あきうらら)

ネットで土地を買う - 秋麗(あきうらら)

2006年10月にネットで家を買うという記事を書きました。その友人の度胸に驚いたものですが、実は妹んちも3年前にネットで土地を買いました。小豆島のある岬に別宅を建て、...

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つづく
 


奥出雲の絲原家は松江藩鉄師御三家

2023-10-09 | 旅・中国&四国地方
奥出雲たたら旅の2日目午後は絲原記念館の見学でした。

お昼ご飯は清嵐荘で、

出雲湯村温泉国民宿舎で綺麗でした。
個人旅で行ってたら絶対♨️

たたらに特化したマニアックツアーゆえ道の駅すら立寄り無し。




14:10頃到着。
島根県仁多郡奥出雲町大谷856-18

奥出雲は江戸末期には日本の鉄の7割を生産してたそう。
松江藩鉄師御三家が、田部家、櫻井家、絲原家です、
絲原家は寛永13(1636)年からたたら製鉄操業。
松江藩の鉄師頭取を務め、松江藩からの拝領品も多い。
美術工芸品、家具調度品、古文書等々見れました。



現当主は県会議員さんで、息子さんが記念館で挨拶されました。
明治大正と西洋から鉄が入り、手間暇かかるたたら製鉄は終焉を迎える。
そうした中で絲原家は鉄道に目をつけて再建、やり手ですね。
松江藩主をお迎えする時の御膳器一式。







庭の真ん中に高殿あったそう。
右手樹木の辺り、左側が絲原家居住屋敷です。
居住区がこんなに近い距離はまず無いそうです。

庭も立派でした。




やっと仁多米発見❣️
付与された電子クーポン残してたのに、
電波悪く繋がらず現金払い(*´-`)




『砂鉄七里に炭三里』

2008-12-28に書いたブログで

⑭鉄のルートからみた古代史(その1) - 秋麗(あきうらら)

この中央構造線の画像は、2006/10/24の記事で使いました。日本の古代史に関心を持つようになったきっかけになるものです。直感的にひらめいた思いは、2年過ぎてもっとはっ...

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「砂鉄七里に炭三里」という言葉があるそうです。
砂鉄から1200貫の鉄を得るのに4000貫の木炭が必要で、
4000貫の木炭はひと山をまる裸にするほど木を切らないといけない量で、それをわずか3昼夜で使ってしまう、
そうした木炭の輸送に伴う困難を物語る輸送限界を示す言葉だとか。

古代、製鉄には大量の炭を必要とし、良質の炭と樹木の復元力のある土地でなければ鉄は出来ない時代が中世まで続きました。

砂鉄の採れる場所を求めて、そして木炭の補給が簡単な場所を求めて移動した?



中近東が砂漠になったのは、レバノン杉の伐採によるところもあると高校の歴史で習ったような。
日本は丸裸になった山もすぐに樹木が育つモンスーン気候でよかったわ。











代わりばんこにタタラを踏む、もののけ姫では…

2023-10-08 | 旅・中国&四国地方
昨日のブログ記事で書き漏れてたことありました。

追記せずに項新たに記しておきます。
それは「かわりばんこ」という言葉が「たたら場」から来てたこと。

博物館や資料館で見るのと違って、実際に使われてた現存の菅谷たたら山内。
やはり生で目にするとイメージ湧きました。



山砂鉄、川砂鉄より純度の高い砂鉄を選り分けて、木炭と一緒に三日三場晩燃やし続ける「たたら製鉄」
良質粘土で造った炉で、天秤鞴(ふいご)で風を送り続け、高温度を持続させる。







ジブリアニメ『もののけ姫』にあるシーン

このふいごを踏む、タタラを踏むって半端ない重労働の男仕事。
たぶん、絶対、女は従事してないと聞きました。
約1時間ごとに交代して、ばんこを踏むので、
「代わりばんこ」という言葉が生まれたそうです。


炉から少し距離置いて高殿屋内周りに一段高くなった板張り休憩場がありました。
順番来るまで、そこに腰掛けたり、横になって体力回復してたんでしょう。
女子供の出番では無かったはずで、笑ってる場合じゃない過酷な3日間だった。

『もののけ姫』タタラ場の謎を徹底解説!ジブリに登場した女性の国は実在の場所?! | ciatr[シアター]

『もののけ姫』タタラ場の謎を徹底解説!ジブリに登場した女性の国は実在の場所?! | ciatr[シアター] 

『もののけ姫』は、1997年に公開されたジブリの長編アニメ映画。当時、日本の歴代興行収入記録を塗り替える大ヒットを記録し、アメリカやイギリスなどでも劇場公開されまし...

 



【エボシ御前の過去とタタラ場の矛盾】タタラ場には子どもがいない?実は石火矢はそこまで強くない。もののけ姫、考察、解説。 - ウォーキングプラネット アニメ・漫画考察置き場

※引用:©スタジオジブリ 「もののけ姫」より 

ウォーキングプラネット - アニメ・漫画考察置き場

 






たたらを踏むとは、
よろめいた勢いで空足(からあし)を踏み、勢い余って数歩ほど歩み進んでしまう。

語源辞典によりますと、

たたら(踏鞴)は、金属の精錬・加工に必要な空気を送り込む大型の送風器「ふいご(鞴)」のことで、







奥出雲の田部家、鐡の企業城下町みたいな

2023-10-07 | 旅・中国&四国地方
奥出雲たたら旅から帰り1週間が過ぎました。
砂鉄を含む山肌砕き川に流す鉄穴流しでは、比重によって砂鉄を区分けします。
重い鉄が沈むから、川底に溜まる土を揺り上げて揺り上げて選別します。
 

情報過多だった「たたら旅」も時間の経過で、区分け。
私の脳にとって軽いものは流れ行きました。
深く記憶にとどまったものを記録しておきます。




旅の2日目午前中は雲南市の鉄師、田部家を見学しました。
その帰りのバス乗る直前の隙間時間に買った「手焼きたたら煎餅」
よく見たら型押し施されてました。

漢字の鐡、菅谷たたら、桂の木、ほたる、
SUGAYAのなんかわからんおっちゃんキャラクターは鉄師?

1番最後まで気になったのは桂の木かな。
それを考察する前に、スマホ画像から一部を貼り付けます。



田部家土蔵繋がる鉄の歴史村。



マンホールには鉄の歴史村

坂を上り鉄の歴史博物館へ向かいました。
島根県雲南市吉田町吉田2533


郷土資料館内でビデオ「和銅風土記」
昭和44年(1969)たたら操業復元の記録です。
30分もあったけど興味深く視聴。






展示物見た後、菅谷たたら山内へ。
雲南市吉田町吉田4210-2
住所は同じ吉田でも、バス移動10分ぐらい?
先に見学した場所は田部家を中心に居住区エリア。
たたら従事する職人と家族の暮らす長屋家屋。保管する蔵とか。



到着までにバス道から谷側集落を見下ろせます。
菅谷は田部家の中心的なたたらです。
宝暦元年(1751)から大正10年(1921)まで操業されてました。
奇跡的に現存する日本唯一の重要文化財たたらです。








たたらの詳細は端折ります。
お連れが鉄の博物館で買った本持って来てくれて、
昨日までザッと目を通してました。

スンゴイ技術ですが説明無理😓


高殿傍の立派な桂の木、落葉が芳ばしい香り放ちます。
この葉っぱはお焼香の抹香になるんですって。


バス駐車場横の田んぼの看板に

平成30年新嘗祭献穀祭田


さて、
あちこちで見かけた漢字、


鉄という字の正字は鐵で、これを解くと「金++呈」
 は「切る」という意味があり、
「真っ直ぐに物を切り落とす鋭利な金属」を表している。

鋼は「金+岡」で、岡は「堅い大地を意味し、硬くて丈夫な物」を表している。
また、別に鐵を「金の王なる哉」と解く説がある。
江戸時代の思想家三浦梅園は、
「金とは五金(金、銀、銅、鉛、鉄)の総称なり、五金の内にては鉄を至宝とす。
如何となれば鉄その価、廉にして、その用広し、民生一日も無くんば有るべからず」
と記しているが、現在最も広範に利用されている金属であることを考えると、正鵠を射た説ともいえる。



色付けはサイト独自で、アンダーラインは私。
今の漢字、ー金を失うってどういう意味なんだろう。




奥出雲たたらと刀剣館

2023-10-03 | 旅・中国&四国地方
次に向かったのが、
奥出雲たたら刀剣館、15:44到着。
スマホ画像には撮影時間が残るので、到着出発時に記録撮影しています。



参加したツアータイトルは、
神と結ばれし地で生まれた日本遺産を紐解く!
国宝松江城夜間特別入場 
鉄づくり千年の物語「出雲國たたら風土記」2日間


おどろおどろしいヤマタノオロチモニュメントに対比して、
階段下に満開で風になびくコスモス風に心和む。


入口前の展示は、斐伊川下流で川砂鉄を採集した川舟。


まず最初に、たたら製鉄のビデオ視聴。
とてもわかりやすい内容で、刀鍛冶の真髄も良かったです。



参加者は超マニアックな人多く質問どんどん出てくる。
ガイドさんは旅の最終で、こんなに多く質問受けて嬉しかったと話されてました。

私にはレベル深過ぎて、、、
途中で説明の輪を離れ他の展示物見たり。








炉が地下深くてスゴいんです。
こんな構造よく思いついたね、賢いな〜


刀剣館でもあるので日本刀の展示も多数ありました。
ここで生産される玉鋼から出来る刀鍛冶もすごい技術でした。




もののけ姫や鬼滅の刃などアニメの原風景がこの奥出雲にあります。
炭治郎の羽織貸し出され写真撮ることもできました。
でも、今回のツアー客は、そんなの関係ねぇー!
みーちゃんはーちゃんじゃないのでした。


私的に興味あったのは、





砂鉄が含まれた山の岩肌削り川に流す鉄穴流し。
その流す川勾配も計算されていた。
下流で重く沈んだ山砂鉄を集めて、たたら製鉄に使えるのわずか0.4%だそう。
残りの土を積み上げた小山があちこちに、それを整地してだんだん畑や棚田を作る。
冬に砂鉄採取して「たたら製鉄」で、他の3シーズンは農耕従事です。

砂鉄採取で剥がされた奥出雲は、
黄金に輝く稲田に生まれ変わる文化的景観に感動します。
あの有名な仁多米の産地❣️



消化しきれない情報いっぱい得てどっと疲れた。


16:37 見学終了。
この旅最初のレポート松江城へと向かったのでした。

翌日も、てんこ盛り見学つづきます。


それにしても、
以前より旅の記録始まると訪問者増えたものでした。





今回は、なんと減ってる‼️
→たたらとか神楽とか、マニアックで興味ない人多いってことかな。

というか、旅立つ前の2日間が異常。
珍しく800超えで、しかも848と同じ訪問者数というのも珍しい。

9/28ブログ投稿なし


やっぱり島根県は観光地として人気ないのでしょうか。
コロナ禍中の旅行支援が9月まで残ってたようです。
適用となり5000円引いて貰えました。
ありがとうございます😊









ブサイクな女神と伝わる金屋子神

2023-10-02 | 旅・中国&四国地方
島根旅初日28(木)朝8時に新大阪を出て境港でお昼食べて、
午後2:45金屋子神社に着きました。
製鉄や鍛冶の神様を祀る総本社だそうで安来市にありました。







参道傍の池に祀られた小さな祠は金儲神社。
両参りでお金持ちに❣️


祠下の白蛇の形があまりにリアルすぎ(゚o゚;;




二の鳥居から駐車場までの参道で見た農集排マンホール蓋。

小雨が降ったり止んだり、折り畳み傘広げたり閉じたりで写真わずかです。

イヤフォンから聞こえる「たたらガイド」さんの説明も適当に聞き流し…

覚えてたこと二つ。

金屋子神は、この神社の桂の木に降臨された。
どの木かわからんかった。


そして金屋子神はブサイクな女神だった。

ブサイクとの伝承お気の毒で、なんでだろう。
家に帰り検索してみました。


タタラ場の女神「金屋子神」はサンのモデル?!「もののけ姫」のようにたたらを踏む女たちがいたというのは本当か? - みずいろてすと

タタラ場の女神「金屋子神」はサンのモデル?!「もののけ姫」のようにたたらを踏む女たちがいたというのは本当か? - みずいろてすと

  日本ってなんでブサイクの女神様が多いの?!?!? タタラ場の女神「金屋子神」はサンのモデル?!「もののけ姫」のようにたたらを踏む女たちがいたというのは本当...

みずいろてすと

 

日本の女神というのはブサイクな神様というものが多く、

金屋子神も器量が悪く女嫌いで嫉妬深いと言われている。

日本各地の「山の神」もとても醜い顔をしていたと伝えられる。

金屋子神と同様に嫉妬深く、女が山に入るのをひどく嫌うという。

山の神と金屋子神はあまりにも似ている。

山の神が特別にたたら製鉄地域の中でだけ、金屋子神という神様に変貌したということだろうか。





昔から『たたら』と言い伝えられてきた鉄づくりには、

山や川でとれる砂鉄と、鉄をとかすのに必要な大量の木炭と、炉を作るのにふさわしい粘土が必要です。

金屋子神は、その三つの条件を兼ね備えた地として能義郡西比田を選び、そして西比田黒田の森の桂の木に降り立った。


たたらNavi 

たたらの女神、金屋子神

大昔のある年の夏のこと。播磨の国岩鍋(今の兵庫県と岡山県との境)という山の谷あいにある村あたりいったいは、何日も雨がふらず、太陽が毎日ぎらぎらと大地をこがす日が続...

info-hinonohi ページ!

 


太古のある日、村人が集まって雨乞いをしていたところ、播州穴栗郡岩鍋というところへ神様が舞い降りた。

その神託は、これからあらゆる鉄器をつくり五穀豊穣を祈念しよう、というものだった。

しかし、そこに神様が住みたもう場でなく、

白鷺に乗って西方へと飛び、出雲国能義郡(現在の安来市)の桂の木に舞い降りた。

それを見つけた安部正重(金屋子神社の宮司である安部家の祖先)が社を建立し、

神を村下としてこの地でたたらを吹いた。そこでは鉄の湧くこと限りなかった。



この神様を、たたら師たちからは、

「金屋子さんは、生産を高める女の神様だ」

人によっては「いや、金屋子さんは男の神様だ。

いつも炉の中の強い火の光りばかり見ているので、片目をとられてしまった一つ目の神様だ」という人も。



で、女の神様の場合、

器量が悪く女嫌いで嫉妬深いと言われているそうです。



石見神楽特別公演@松江城

2023-10-01 | 旅・中国&四国地方
松江水燈路は大がかりイベントでした。
限りある時間でもう一つ観れたのが石見神楽。



18:30、19:45からの2部特別公演でした。

天守閣から降りてくるとすでに始まってました。


演目はわからないけど,剣持ってぐるぐる延々と回る。
長々セリフは古語でもありよーわからんかった。

重い衣装とお面付けてシンドイやろに息切れてない。

30分公演終わる時に、2部は八岐大蛇と知る。
つぎの19:45開演までに急いで無料振る舞い会場へ。
最後の利酒小カップ手にまたもや神楽会場へ戻る。

2013年出雲遷宮の折、大社で神楽見た時とは違ってました。
演じる社中によって異なるかどうかもわからないです。
浜田市西村神楽社中、独自の演出なのか,めっちゃ派手。
うーん、京劇みたい?
目がテンなったので撮影画像貼り付けときます。



スサノオがお爺さんお婆さんから、
娘を八岐大蛇に差し出す顛末を聞かされる。

ヤマタノオロチが4体登場17mもあるらしい。









いつお酒飲ませて大蛇酔わせたのか?
スサノオの立ち回りで大蛇の首を切り落としていく。

横笛がめっちゃ上手くて感動した。
30分間ずーっと吹き詰め、すごいわ。



最後の大蛇の尻尾から草薙剣出て、
わからんうちに両手に剣持ってた。



クシイナダ姫も取り返し、めでたしめでたし❣️


中国からのクルーズ船が山陰沿岸停泊したら、
きっとこうした神楽観て大袈裟な演出に大喝采だと思います。

TVなどでチラ見した鄙びた神楽と大違いでした。



松江城観光終えて20:30駅前ホテルへ。
グリーンリッツホテルはビジネスホテルですが大浴場付き。
北海道から二股炭酸カルシウム温泉運んでるそう。
お風呂の前にお連れと近場の焼鳥やで🍻

参加者34名中1人参加20名という超マニアックツアーでした。
どんな深掘りツアーだったか、明日から忘れないうちに。
しばらくお付き合いくださいませ。








国宝松江城ライトアップと神在月水燈路

2023-09-30 | 旅・中国&四国地方
昨日島根旅から帰りました。
印象に残るイベントだったので,お月さま他の画像も残しておきます。

午後は曇りでバス移動中など時々雨降ったりだったのに、
夜には見事に晴れて良かった。










夕方6時に松江城着いて8:30までの自由時間。
まず天守閣上がりました。



ピンボケで読み取れないですね。
天守閣入場券には無料ふるまい券が付いてました。


全国に残る現存天守閣12のうちの一つ松江城は、
慶長16年(1611)秀吉の最古参の将、堀江吉晴が築城。
昨夜アップした最初の画像、堀江吉晴銅像です。
中国方面軍攻防はじめ交渉人としても活躍したそうです。

大阪冬の陣、夏の陣(1615年)の間、豊臣🆚徳川が軍事的緊張あった時代の築城で、
戦うことを意識した造りです。

鉄砲や矢を射る枡形虎口や石落とし口とか。
画像はイマイチゆえ省きます。







やがて家康側になったのか、息子が初代松江藩主。

堀尾家の後を京極家、さらに1638(寛永15)から家康の孫の松平直政が出雲国藩主に。
中国地方の日本海側の要所でしたから。
石見銀山や奥出雲のたたら製鉄あるしね。





限りある時間、急いで上まで上がりお月見して。
他にメインイベントまだ二つ、
そのうちの一つが無料ふるまい券です。

蟹汁、しじみ炊き込ご飯おむすび、出雲そば、島根牛コロッケ。

どれもみな美味しかった(๑˃̵ᴗ˂̵)
量は少なかったけど。
立ち食いゆえ画像なし。

そして島根の地酒利酒無料券3枚。







アンケート書いたらさらに3枚追加😊



金鳳が1番気に入ったと話したらおまけでもう一杯(^^)v



もう一つのメインイベントに
つづく




満月前夜は松江にて

2023-09-29 | 旅・中国&四国地方
今晩は満月で中秋の名月。
帰路の中国道でずーっと眺めることできました。

昨夜は島根県松江城で,

十三夜月もまんまるに見えました。





品格あるいいお城でした。
国宝松江城天守閣夜間特別入場できて、
天守閣に居た外国人スタッフが、



シャッター押してくれました。

松江水燈路平日特別開催というイベントに参加。
明日30日、10月は1、7、8、9、14、15日にライトアップされます。





壇ノ浦、関門トンネル人道を歩いて渡る

2022-01-22 | 旅・中国&四国地方


源義経 八艘飛び


みもすそ川公園に設置された源平合戦最終章。


関門海峡の一番狭い「早鞆の瀬戸」は潮の流れ速く、1日に4回潮流変わる海の難所です。

壇ノ浦は、軍団の団から壇という地名由来みました。
でも私が思うに、長府の壇具川の壇と同じじゃないかしら。



壇ノ上と呼ばれた豊浦宮(現代の忌宮神社)
天神地祇を祀った祭具を川に流す。
その壇具川から海に出た壇(祭事道具)が、潮にのって早鞆の瀬戸で波に揉まれる。
だから壇ノ浦、なんちゃって、ね。



みなさん記念撮影終えたら左手へ流れる。
攘夷戦砲台跡がずらーっと並んでました。

私は足温存のため見に行かなかった。
この後海底を歩いて対岸へ渡らんとあかんから。

考えてみれば、神功皇后の時代、平家から源氏へ、そして幕末。
大きく時代が変わる時に、この壇ノ浦は重要なステージの役目果たしたんですね。




15:01

エレベーターで地下55mへ




780mを約15分で歩けます。
エレベーターで60m上昇し地上へ。


15:19

目の前に大きな鳥居が


和布刈神社

つづく



長府の壇具川は清く澄んで 住みよろし

2022-01-22 | 旅・中国&四国地方
1/22夜中1時過ぎ日向灘でM6.6 大分や宮城県で震度5強。
大きな被害出てませんように。

夜中の寝床で遭遇する地震は不安です。
阪神大震災は明け方5:46に起こされました。
大地震の後はおちおち寝てれてませんもの。

今書き綴ってる旅の記録、
1週間前の土曜夜に船で九州向けて旅立ったのでした。
あれが今日だったら行くの悩んだと思います。
さらにオミクロン爆増もあるし。


長府の壇具川で

青鷺いました。

鴨もいっぱい。


1/16(日)12時から長府でふぐづくし昼食後、14:40まで自由時間でした。

12:55 散策開始

昼食場所の長府観光会館横の
壇具川を遡り功山寺で折り返す予定。



川の両側は遊歩道として整備されて歩きやすい。
でも小雨降ってるので左手で傘さし右手にウォーキングステッキ。
雨は体力気力奪い、写真写すの面倒になる。
視野もせまくなり見落としも増えます。

そうした状況でも、この川の流れが清く澄んでるのに心惹かれました。




人馴れした鴨の群れ



鯉も見かけましたが画像無し。
夏には蛍だそうですよ。


この遊歩道から少し脇入ったとこに


御影の井戸
菅原道真公はこの地にも立ち寄られてました。

さらに上流へ行くと

13:16 功山寺
高杉晋作が挙兵した寺です。


もう膝限界、この山門で待ちました。
友だけ上の境内へ、


一瞥報告によれば本堂は閉じられてたそう。
馬上の高杉晋作像見たかどうか聞かなかった。

雨脚も強まり、すぐ前にある下関歴史博物館で休憩することに。
入館料210円と安い。
でも市立ならタダでもいいんちゃう。

館内で撮った写真たった一枚が



わずかな滞在時間でしたが雨上がりました。

ゆるい坂降ります。
13:48

途中のカフェでフルーツサンド買い船で食べました。
美味しかったけど画像無し。
疲れてたんですね。



壇具川の名称は神功皇后が三韓鎮治のとき 
この豊浦の地(長府)で祭壇を築き天神地祇を祭り
その祭壇に用いた道具を流した川ということから
その名が付いたと伝えられる 
昔は祭事が終わるとその都度祭具を川に流したという
又その祭壇を築いた場所(忌宮神社正面の惣社町一帯)を
「壇ノ上」といいその地名が伝えられている    
 平成五年三月 長府観光協会



この記事投稿で地図仔細点検
長府藩侍屋敷長屋横通るも入ってない。
敷地内で山頭火句碑も見れたのに残念。
「山あれば山を観る 雨の日は雨を聴く 
春 夏 秋 冬 あしたもよろし ゆふべもよろし」


なんか気品ある街で歴史を感じました。
水の綺麗なとこは住みたくなる。
またいつかじっくり散策したい長府だなと。


長府と防府、長門と長州、
この違いがよく分かってませんでした。
お昼のふぐ尽くしご飯を長府で食べた時点では、
下関の隣町で長府市だと思ってたぐらいだった。
食後の町歩きで、下関とはずいぶん趣き異なるなと気付く。
江戸時代の城下町が醸し出すなんか品があるんです。

調べてわかったこと
長府には、萩の毛利本家の分家を藩主とする「府中(長府)藩」が置かれた。
長府(長門府中)は下関(赤間関・馬関)とは独立した別個の市街を構成。
現在の長府は下関市の一部だが、歴史的にはお互いに別々の都市で独自の発展を遂げた。

ちなみに防府は、周防府中の略称


長府観光ですでに一万歩超えてた。
足痛いはず。

つづく