秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

梅は咲いたけど

2012-02-28 | ケータイ・スマホから
うるう年の2月も明日で最後だというのに、今日も寒いですね。
この調子だと桜の花も遅れそうな感じです。

お正月の門松に使った梅の枝を松と一緒に花瓶に挿してありました。
ふと気づくと梅の花が咲いてました。
ちょっとうれしい。

梅って寒をくぐりぬけて花をつけると聞いてます。
ただ単に暖かくなっただけでは開花しないんだそうですよ。

あさがおも光の加減で開花しますが、
夜明け前の漆黒の闇を通り抜けて明るくならないとダメらしいです。

酒はサンズイではなくトリ偏だった。。。

2012-02-27 | 古代史のミステリー
灘の酒蔵をめぐった記事の画像をご覧になると、
どこの酒蔵にも、しめ縄があり杉だまがぶら下げてあるのに気づかれたことでしょう。

日本酒の試飲といえば、三輪明神、奈良は桜井市の大神神社です。
たまたま11月の酒祭りにお参りしたことがあり、その日は全国からの酒造業者が参詣されていて、境内ではいろんな日本酒の試飲ができました。

祈祷殿には、それは見事な超巨大杉玉がぶら下がっています。



ところで、この「酒」という漢字、なんとサンズイではなく、酉トリ偏だったことを知りました。
酉(ゆう)、もともとは醗酵した果実を入れる壺、つまり酒壺を表す象形文字です。
これに水を表すサンズイを加えて「さけ」として特定したみたいです。

酉は醸造関係や酒に関する漢字にかなり多く使われています。
醤油、酢、味醂、醗酵、醪、酸味、お酌、酔う、樽、酩酊、焼酎、醸す、醒める、醍醐味、…

2001年(平成13年辛巳)から毎年、年に何度かは大神神社にお参りしてます。
しかしいつも決まったごとく、このあと狭井神社でお水を賜り、帰路は池利の三輪そうめんを食べて帰るというコースでした。

なんか昨日は大神神社の空気がいつもと違ってた。
荘厳さが妙な明るさに変わってて、少しざわざわしているような気がした。
これは同行者のEMIちゃんも同じように感じてました。

今回初めて、若宮(大直禰子神社)へまわってみることにした。
神仏習合時代にはここが神宮寺である大神寺で、二の鳥居前を左横に100mほど入った突き当たり





祭神の大直禰子(大田田根子・おおたたねこ)命は、大物主神の御子孫。
祟神天皇の時代に、茅渟県の陶邑より召しだされ三輪の大神(大物主神)を斎き祀ったということになってます。

陶邑は現代でも堺市に陶器というところがあり、高校の同級生がこの地出身。
南海高野線北野田駅より乗車した私と一緒に登下校したことが何度かあります。

陶邑とは須恵器を作る村で、土師氏と関係が深いようで、
南海高野線の白鷺駅より少しいったところに土師という地名も残っています。
大学時代の同級生の住所が現在でもそこです。

大田田根子(おおたたねこ)が三輪君族の始祖であり、 三輪の神が大物主神であることは、日本書紀の崇神天皇8年に示されているそうです。

しかし、この大田田根子って帰化人だったという説もあるようです。
この時代からお酒で有名な神社となったとすると、あの京都は嵐山にある松尾大社と同じで。。。
ということは秦氏なんでしょうか?


大宝元年(701年)松尾大社を開いたのは秦忌寸都里(ハタのいみきトリ)
ここにもトリが入ってますね。
2011-10-02 京都嵐山1dayチケットで損した話→こちら
結局秦氏のなぞはまとめるのが大変で、広隆寺も蚕ノ社も松尾大社もその後記事にできてません。


ところで、この大直禰子神社参道の右手に琴平社がありました。


小さな社の右柱の札には、琴平社祭神 大物主
なぜに、わざわざに記載してあるんでしょうね。

と書いてから思い出しました!

先だってこんぴらさんにお参りして記事にするに当たり、本殿が本宮ということを確認しました。
本宮→旗宮→秦宮だったようです。



二の鳥居前で左に折れて若宮(大直禰子神社)に行く角の門に、


麻ののれんをくぐると



にゅうめん800円とむかごごはん400円をいただきました。

なんかよくわからんけど、崇神天皇のころは三諸山(みもろやま)が
雄略天皇のころには三輪山(みわやま)。

以前岡山の総社をサイクリングでめぐったとき、三輪を見つけてどっちが先やねんと疑問に思いました。
ひょっとしてこの備前地方から帰化人がやってきて、御諸山が三輪にのっとられたかもしれませんね。

2010-04-09吉備路サイクリングロード③→こちら


今回の記事は古代史のミステリーというカテゴリーで67番目の記事です。
2回目は、2008-10-16 古代史ミステリー②秦君 →こちらから

あれから3年以上が過ぎて実地検分はいろいろ行ったけど、
何がわかったんだろう。


灘浜サイエンススクエア

2012-02-26 | おでかけ・近畿
昨日の灘酒蔵ウォーキングで、真っ先に立寄った場所が灘浜サイエンススクエアでした。
神戸製鋼所が地域交流施設として2004年4月に開館した体感型学習施設です。

神戸市灘区灘浜東町2
9時30分~16時30分、もちろん入館無料。

「製鉄」「発電」「エネルギー」「環境」をテーマに、科学・技術の面白さ・不思議さを遊びながら学べるようになっています。
昨日朝9時半にはすでに観光バス3台で乗りつけた、どこかの子ども会の学童が100人ほど入場していて、楽しそうに走り回ってました。

 
 

適当に触っていじって遊べるように工夫されてます。


迫力のライドシアターは10時から1回目が始まるようで、
私達一行は10時までの滞在時間で見れませんでした。

敷地は工場地帯の一角であり周辺も完全に都市化されてますが、
都賀川の下流立地を活かしたビオトープとして整備されてます。


こんな体験もできるみたいです。
詳しくは→こちらで

灘の酒蔵めぐりウォーキング

2012-02-25 | おでかけ・近畿
実家の近くに梅林酒造という造り酒屋がありました。
すでに今は閉業され跡地はスーパーマーケットになってます。
子供の頃、一升瓶を持って行き酒蔵からお酒を分けてもらうお使いの記憶があります。
当時、その酒造メーカーはご近所に酒かすを配ってくれました。
その酒粕を火鉢で焼いて砂糖を包んで食べる習慣があり、今はオーブントースターで軽く焼いて砂糖はつけません。
もちろん粕汁も大好きです。

今日は小雨降る中、灘の三郷ウォーキングで、神戸市東灘区を歩いてきました。
P社モーター人事チームの企画に参加させてもらわなかったら、こうした地域を歩くチャンスは後にも先にもなかったことでしょう。
ありがとうございました。

阪神電車の大石駅に朝9時集合。
大石から魚崎駅の浜側一帯に点在する酒造記念館をめぐり試飲させてもらってきました。


あちこちに表示されてて、地図も駅などに置かれてあります。


沢の鶴資料館は木造の古い酒蔵をそのまま保存されてます。



原酒の試飲サービスをいただいて、酒粕小さいの180円で購入。






灘泉酒蔵では中に入り見学させてもらいました。









ここでの試飲は皆で回し飲み。
熟成された濃厚な味でした。
酒の粕は最初の画像真ん中、色が他のものに比べて少し濃い。
白鶴は1kgで630円だったけど、灘泉はその量半分以下で700円でした。
ちょっと高いだけに、どんな味か楽しみです。



白鶴酒造記念館


ここでも試飲



さすが大手の酒造メーカーはお土産もバラエティに富んで充実してました。
数年前にこの白鶴さんの酒粕で作った化粧品を通販で購入し使っていた時期がありました。
今も販売されてましたがちょっと高いので購入はやめました。


お昼は、櫻正宗資料館併設のダイニングで酒蔵御膳1,500円

飲兵衛さんたちが利用されることが多いからかご飯は少なめででした。

そしてオードブルとしてお造りと胡麻豆腐と蕎麦の前半と、
後半メインディッシュと粕汁が運ばれるまでにかなり間がありました。



食後またまた試飲して、酒粕どこですかと聞いたら売り切れでした。

入場無料で試飲できて、左党の方にはおススメのウォーキングコースです。
他にも菊正宗や浜福鶴、福寿などありました。



ういろうと蜂須賀家

2012-02-24 | 旅・中国&四国地方
うだつを見学した徳島県美馬市脇町でういろうを買いました。
老舗「川田光栄堂」は、脇町に昔から伝わる郷土菓子「麦だんご」が有名らしい。

790円はちょっと高いような気もしたけれど、昔ながらの製法で作られたというのに心惹かれました。
徳島県に古くから伝わる「ういろ」は、小豆・餅粉・米粉・砂糖等で作られていて独特のもっちりとした食感と小豆の深い味が特徴だそうです。
名古屋名物のういろうに比べて、確かにもっちりで、ちょっと喉を詰めそうになった。



なぜ名古屋名物のういろうが徳島にもあるのはなぜかなと思ってたら、
繋がるキーワード見つけました。
それは蜂須賀です。


「墨俣の一夜城」
美濃の斎藤側の攻撃を防がせながら工事を進め、わずかの日月で完成させたことで有名です。
低湿地帯に敵を眼前にしての築城は難工事でした。

秀吉は美濃と尾張の緩衝地帯にあって、斎藤氏にも織田氏にも服属していないような土豪、あるいは土豪くずれの野武士たちを寄せ集めました。
そのときの野武士の頭領が蜂須賀小六正勝。

以来、正勝は信長に属することに。
秀吉麾下になったのは、元亀元年(1570)信長が朝倉攻めで退路を絶たれ秀吉が殿軍をした時だそうだ。
以後、秀吉に従って軍功を挙げ、四国征伐ののち、子家政が阿波一国を与えられました。

蜂須賀の阿波入国以後、藍を奨励し阿波の特産として国益の第1位に挙げられ、吉野川沿岸の農地は過半藍畑で占められた。

これで尾張と阿波が蜂須賀家によって繋がりました。
きっと「ういろう」も同時にもたらされたかもしれません。




その後の蜂須賀家の歴史、興味深いです。

蜂須賀家は、関ヶ原の合戦では、はじめ石田三成の挙兵に応じた。
しかし、家政の子至鎮は小笠原秀政の娘を家康の養女という名目で妻に迎えていた関係から東軍に属し、野上に陣して南宮山に備えていた。
結果、蜂須賀氏は徳川大名として生き残ることができた。

大阪の陣でも戦功を挙げ、淡路をも領し本国阿波と併せて二十五万石の大名に飛躍した。
江戸時代、徳島藩藩主の蜂須賀氏は阿波の産業として藍の生産を奨励した。

代々封を次ぎ、明治維新を迎えることになる。
阿波国徳島藩の第13代藩主 蜂須賀 斉裕(はちすか なりひろ)1821-1868

斉裕は江戸時代末期、幕末に幕府最初の防衛大臣となった経緯は以下のとおり。


斉裕の父・家斉は『オットセイ将軍』と称されるほどの子沢山であり、兄で嫡男の家慶を除く多くの男児は、他藩の養子として出されることが多かった。
しかし将軍の子であるから、その多くは親藩であり、なおかつ大領を領しているのが条件となっていた。
このような中で、斉裕は外様大名である蜂須賀氏の養子となって家督を継ぐこととなった。
蜂須賀氏は阿波・淡路両国を領する国主であり、禄高では申し分ないが、外様であることに変わりはない。
つまりこれは、徳川氏の歴代将軍の子の中でも異例の出来事であった。

天保14年(1843年)家督を継いで藩主となった。
この頃、徳島藩では財政が悪化し、窮した前藩主・斉昌は百姓に重税を強いることで解決しようとしたが、これに百姓が猛反発して一揆を起こした。
しかもこのとき、斉昌は一揆の首謀者の一人を処罰できずに許すという無様さを示している。
藩主にはもはや百姓を抑える力さえも欠如しかけていた。

そのような中で藩主となった斉裕は、藩政改革に取り組むことにした。
まず、藩士の知行を3割削減し、領内の特産品である染料と藍を扱う大商人に献金を求めた。
さらに藩の軍制をイギリス式に改め、海防に力を注いだ。
岩屋や由良(洲本)に砲台を建築するなど、海防においては多くの功績を挙げている。
このため、幕末の動乱期に、斉裕は幕府が新たに設置した役職である陸軍総裁に任命されている。

しかしこのための出費が凄まじく、短期間で陸軍総裁は廃止され、徳島藩の財政は破綻寸前になった。

高松刑務所のあれこれ

2012-02-23 | 保護観察
先月、世間をにぎわせた刑務所関係のニュース二つ。

広島刑務所内の工事中の塀を乗り越え、中国籍の受刑者李国林容疑者(40)=殺人未遂などの罪で服役中=が脱走した。

鹿児島刑務所の内部を撮影した映像が動画投稿サイト「ユーチューブ」で一時公開された。
映像を投稿したのは、刑務所に刑務作業の資材を運送した同県日置市の運送会社「桃北運送」の元運転手の男性。

保護司会の研修旅行には、刑務所や少年院などの見学が組み込まれています。
今年は高松刑務所でした。

高松刑務所も工事中で、工事足場などを使って脱走されないよう、工事関係車から情報もれないよう警備は厳重でした。
もともと刑務所内は撮影できませんが、見学者もより気をつけました。

最初の画像は、刑務官より高松刑務所の説明を受けた部屋、ここは撮影できます。
壁のショーケースに過去の帳面や遺物が展示してありました。
部屋を出る最後の一瞬に撮影したので、説明の文字が反射して読み取れなくていつのものなのか不明です。


獄中の食器も展示されてありましたが、呉須青の監獄という文字が生々しいですね。


高松刑務所で検索すると、延々と続く工事の入札やら、過去の刑務官がらみの事件などがヒットします。

最近もあったようです。

2011年12月28日(産経) 受刑者の頭を輪ゴムではじくなど不当処遇していた主任看守を減給処分


2010年10月3日(朝日)高松刑務所もバリアフリー 受刑者にも高齢化の波

法務省によると、全国で60歳以上の受刑者は1999年で4154人で、全体の1割にも満たなかった。
2009年には10,333人と約2.5倍に増え、全体の15%を占めるまでになった。
同省は07年度の補正予算で83億円を計上し、高松と大分、広島の3刑務所で高齢者に対応した収容棟の整備を進めた。



廊下と室内に段差はなく平らなバリアフリー棟や、2年前に完成した浴室も見学してきました。
高松刑務所では10年以上も工事が続いているため、収容人数1175人のところ880人と数割程度減っているそうです。

調べていて、一番興味をもったのは、以前15年も逃走していて捕まった「福田和子」でした。
もうすでに刑務所内にて亡くなっていました。

福田和子が該当しヒットしたのは、高松刑務所の刑務所内強姦事件でした。
詳しくはWikiページをリンク貼ってますので、そちらでごらん下さい。
読みふけってしまいます。

中野うどん学校

2012-02-21 | 旅・中国&四国地方
四国といえばうどん、こんぴらさんでうどん作りを体験してきました。
参加費は団体価格1,365円(一般1,575円)で1時間程度楽しめました。


前夕、こんぴらさんにお参りに行くとき表参道に面して中野うどん学校がありました。
すでに午後4時を過ぎていたにもかかわらず若者がたくさん並んでました。


その会場で昨日朝早い8:40からうどん作りを体験しました。

各自、自分の分を綿棒で伸ばし、包丁で細く切る



  

出来上がったうどんは持ち帰りビニール袋に入れて、綿棒と卒業証書も付いてます。
今朝撮影しようとしたら、さっそく黒猫もぐちゃんが視察にやってきました。


その後、5人づつに分かれて、うどん作りの前半部分をグループ講習。
小麦粉に塩水を混ぜてコネコネ


ある程度固まったら、ビニール袋に入れて足ふみ


皆で歌を歌いながら応援します。
タンバリンまで用意されててにぎやかなことでした。


無事お囃子隊を努め、そのときのうどんとして成形する前段階のものをいただきました。

一番上の画像、下のほうに写っている白い塊です。
今晩、綿棒で伸ばして包丁で切ってうどんに仕上げる予定です。

中野うどん学校は、経営者がいろいろ試行錯誤の上たどり着かれたあたらしい体験型観光です。
ホンと、よく工夫されてました。



天皇陛下御病気平癒祈願記帳

2012-02-20 | 旅・中国&四国地方
吉野川の大歩危峡より、国道32号線で香川県琴平に出て、こんぴら温泉琴参閣に到着したのは午後4時。
宴会は6時スタートでした。
2時間近くあるのなら、行きたいところがありました。

階段が785段もあるというこんぴらさんです。
金刀比羅宮は象頭山(標高521m)の中腹に鎮座するので、お参りするには1時間半ほどかかります。

女性3人でこんぴらさんにお参りに行くことにしました。





朝7時半頃家をでて、すでに夕方、かなり疲れてます。
バスの中ではしっかりビールも頂戴していたし。
4時20分宿舎出発し、本宮に5時少し前に到着。



なんと本宮の階段下に天皇陛下御病気平癒祈願記帳所が設けられてありました。
心臓冠動脈バイパス手術が無事成功したことはニュースで聞いていました。
1日も早いご快復をお祈りし、謹んで記帳させていただきました。

こんぴらさんの階段のぼりながら陛下のことなど話題にしていたのでした。
上に来て記帳所あり思いが通じたね、
なんて話しながら記念撮影しました。

 

しんどかったけれど、お参りできてよかったです。
5時半にはホテルに戻れて、所要時間1時間半もかからなかった。
おばちゃんたちでもやればできるもんだ。


卯建・鳥衾と四国三郎

2012-02-20 | 旅・中国&四国地方
保護司会で四国へ行ってきました。。
刑務所は土日は見学できません。
日曜日に出発し、月曜日の今日の午後、高松刑務所を見学しました。

今回の団体旅行でまたもや1.5kgの体重増 
とりあえず1回目は
「へぇ~そんな名前やったんや」を3つレポートします。



週末はまたもや寒波襲来で、四国の山間部にも雪が積もったようで、
日曜午前は徳島道、高松道が通行止めでした。

吉野川と平行した徳島道がダメなので、国道192号線で美馬市脇町へ。

吉野川の水運を利用して藍染で冨をなした江戸時代の街並みが保存されています。
豪商達は、二階建ての立派な家を建てました。
二階と一階との間で、隣家との境界部には卯建(うだつ)という白壁の防火壁を作り、これに立派な装飾を付けた瓦を張り、御互いに権勢を競ったそうです。


そして鬼瓦の上の突き出した部分は鳥衾(とりぶすま)という名であることを知りました。

鬼瓦に鳥が止まったり、糞をかけたりしないようにするため、鳥が止まる場所としてつくられ、鳥休み、雀瓦とも言うようです。



さらに吉野川を遡り、かつて高校野球で一世を風靡した池田を過ぎて吉野川は大きく曲がります。
ここから国道32号線で、大歩危(おおぼけ)小歩危(こぼけ)へ。

遅い昼ごはんを食べた大歩危峡レストランまんなかの下から遊覧船に乗ることができます。





吉野川は、普段はとてもおだやかな流れですが、増水すると恐ろしい暴れ川になります。
画像左手崖上に国道が通っていますが、その近くまで増水したこともあるそうです。

四国三郎の異名を持ち、日本三大暴れ川の一つです。
ちなみにあと二つは、利根川の坂東太郎、筑後川の筑紫次郎です。



鉄橋の片側のような構造物が見られます。
これは水位が高くなって避難する時や、船を修理する時に、クレーンで吊り上げると聞きました。

冬の節電

2012-02-18 | ギズモ&もぐ&メルキー
仲よく並んで寝そべり日向ぼっこするギズモともぐ。
普段はそれほど仲良しでもなくて、家中で寝る時は別々のところです。
今年の冬は寒いので、12月の暮れから、猫のために1日中ホットカーペットをつけっぱなしにしています。
あまりに寒いと猫達は下痢して、あとの始末が大変なんです。
1畳用タイプを一番弱にしてますが、電気代が気になるところです。

先月、関西電力から使用料計測お知らせを見て、去年より少なくなっていてホッとしました。
それを記事エントリーするつもりが、その計測通知を無くしてしまったのでした。
対前年同月でどれぐらいのマイナスかまで記憶になかったから。

1ヶ月が過ぎて、2月分の計測結果お知らせが入ってました。
前年同月(1/20~2/16)に比べて使用量は、-14.1%

ホットカーペットの電気代っていかほどかはわかりませんが、それほど安いとも思えない。

思い当たることは、
去年11月21日にゆうりが生まれた後、産後養生で娘が家で暮らしてました。
確かにそのときは居住者が増えて電気代高かったです。
しかし、この滞在中に、家をいろいろ片付けてくれました。
二つの子供部屋にあったCDデッキ2台を処分してくれました。
それまでこの2台はずっとコンセントが繋がり、いつでもリモコンで作動するスタンバイ状態だったのです。

また、家のTVは、全部みない時は主電源のスイッチを切るようにしました。
コンセントは抜いていません。

そして次にトイレ便座の蓋を必ず閉めることを忘れないようにしています。
きっと便座を温める電気代も馬鹿にならないに違いないから。
そして1日以上家を空ける時は、便座温めスイッチを切っていきます。
家に戻り温めるスイッチ入れるの忘れて座り、あまりの冷たさにびっくりすることもあるけど。
猫のための電気代と引き換えなので、やむをえません。

他は去年と全く同じ暮らしぶりです。
猫のための電気代が増えてるのに、15%近く節電できてるってスゴイでしょう。

皆さんは 他にどんな節電工夫しておられるのでしょう。
いい知恵あったら教えてください。


おしゃべりなゆうり

2012-02-16 | エソラ&ゆうり
もうすぐ3ヶ月になるゆうり。
人の姿や顔を認識し、たぶん気に入ったらおしゃべりらしき発声が止まりません。
あ~え~い~お~う~の発声練習みたいに声を出し続けます。
まるで何かを伝えたいように延々と続きます。




ゆうりの名前はユーリ・A・ガガーリン(Yurii Alekseevich Gagarin)からいただいたそうです。


「地球は青かった」
大気圏外から初めて地球を見たガガーリン感動の言葉です。
1961年4月12日 初の宇宙飛行を終えて帰還したソ連の宇宙飛行士。

あれからもう50年、
いや まだ50年で宇宙開発はこんなに進んだのですね。

八朔のオレンジピール

2012-02-16 | スピードクッキング
数年前に自分で適当に作ったら苦くてちょっと食べれた代物ではなかった。
お菓子作りの上手な友人に聞いたら何度か湯でこぼしするとのこと。

今回、ちゃんとゆでこぼしし、水でさっと洗う、また水に入れて煮るを数回繰り返した。
ただしあまりにしすぎると、せっかくの苦味や風味がなくなるのでほどほどに味見しながら。

そして最後にパイロゲンという酢の健康飲料にキビ砂糖を加えて煮たら、上々のオレンジピールが出来上がりました。

画像右は最近はまっている「レモン&ジンジャー」
トワイニングのフルーツ&ハーブティーの一つです。
なんとポーランド産でしたが、これがイケててすでに3箱めです。

鴨南蛮

2012-02-14 | おでかけ・近畿
金剛山山頂には香楠荘(こうなんそう)という宿泊施設があり、鴨鍋で予約してくださってました。

想像以上に鴨は柔らかく臭みもなく美味しかったです。
鍋が始まる最初から、茹で上がった蕎麦も出ていて、さっと湯どうし程度でどうぞと言われました。



この蕎麦がまた美味しくて、もう1人前づつ追加したくらいです。
鴨とネギと、蕎麦なら鴨南蛮。
しかしなんで南蛮っていうんだろうね。

翌朝の朝食にでた、ベーコンはここのお土産としても販売されてました。


今から20年ほど前に、この香楠荘で宿泊してケーナをつくるという企画に参加したことがありました。
あまりよく覚えてないけど、こんな建物だっただろうか…


調べてみると、やっぱりリニューアルしてました。
食堂が蕎路坊(そじぼう)であったのも納得 
 
 ↓
2003/12/24 産経新聞 
「千早赤阪 村おこしに民間の知恵 グルメ杵屋」

近畿の名峰・金剛山を抱え、南北朝時代の武将・楠木正成の生誕地としても知られる大阪府千早赤阪村の村おこしに強力な“助っ人”が登場した。
うどんチェーンなどを手掛ける外食大手、グルメ杵屋(大阪市)が、利用低迷が続く金剛山上の村営宿泊・休憩施設「香楠荘(こうなんそう)」の運営を委託され、ロッジ風に改装して今月二十日にリニューアルオープンさせた。
平日に格安パックを設けたり、自社の店舗網でPR展開する一方、従業員に山上とふもとを結ぶロープウエーの運行技術を学ばせて夏季のナイター営業を目指すなど、民間の知恵を絞って施設の再生に挑む。

村は、山上のキャンプ場の一角に立ち、総ひのき風呂を備えた香楠荘を大阪府から無料で借り受け、これまで別の業者に運営委託してきた。
しかし年間の宿泊者数は平成10年にピークの4022人を記録した後、4000人以下が続いており、料理や弁当、イベント運営などのノウハウを持つグルメ杵屋へ委託先を変えることにした。
 グルメ杵屋は宿泊客や日帰り客に「非日常」を楽しんでもらおうと、三千万円をかけて施設を全面改装。
木材をふんだんに使ってロッジ風にし、転落防止のためのテラスのさくを強化ガラスに取り換えて眺望にも配慮した。




香楠荘の前には、「ちはや星と自然のミュージアム」もあり、
家族連れでも楽しめる企画がいろいろ催されているようです。

金剛錬成会と転法輪寺と葛木神社

2012-02-12 | おでかけ・近畿
金剛山には錬成会があることが、おそらく他の山と異なる点ではないでしょうか。
TVなどで金剛山へ何百回、何千回も登られてる方の映像をご覧になられてるかも。


広場に1000回以上のお名前が貼り出されています。
10000回以上もお一人おられました。
1日1回でも27年はかかるということになる。

金剛錬成会は、金剛山葛木神社の崇敬団体として1963年に発足され現在に至ります。
主に回数登山を中心に活動しており、現在の会員数は4000人を越えてるとか。
登山回数を記録するカードがあり、心身鍛錬と自然との調和を目的に登頂されたら、金剛山登拝回数捺印所でスタンプ押してもらえます。



毎年5月3日のさくら祭りに百回以上の登拝者が表彰されるそうです。

山頂には転法輪寺(てんぽうりんじ)というお寺があります。





大人になってからで3回め登山にして、やっとこのお寺の存在に気づいたのでした。

不動明王の前の護摩壇をきれいにされてたお寺の方に
踏んだらあきませんよと注意されました。
そして7月7日に是非お参りにおいでなさいと。



この寺の本堂へと続く階段はきれいに掃き清められ、雪は残ってなくて足を滑らすということがない。
お掃除が行き届いていて、さすが修験の中心地だなと大変印象に残りました。

家に帰り、7月7日に何があるんだろうと調べてみました。


転法輪寺で検索すると、日本のあちこちに同じ名前のお寺があることが判明。
なんとインドのサルナートにも初転法輪寺があり、
映し出された画像を見てると、2006年1月にインドのサルナートへ行った時見た景色か??
インドまで行きながらお参りした寺の名前を覚えていないのだった。

初転法輪(しょてんぽうりん)とは、釈迦が初めて仏教の教義(法輪)を人びとに説いた出来事を指すようです。
まず最初にお釈迦さまはかつての五人の比丘に教えを説こうとされ、これが伝道活動の開始となります。
これを初転法輪と呼びます。
「輪」というのは古代インドで使われた武器で、輪の回りに刃物がついています。
もちろんお釈迦さまは武器を手にされたわけではなく平和の「輪」の法輪を回転させたという意味です。


で、金剛山の転法輪寺は、山岳宗教の開祖 役の行者が開かれました。
毎年7月7日は「れんげ祭」
なんで、夏にれんげやねん と思ったら蓮華だった。
吉野の金峯山寺の蓮華会(れんげえ)は毎年7月7日 ということでわかりました。
そしてこの日は、役の行者のご命日でした。

葛木一言主ノ神を祀る葛木神社と法起菩薩を本尊とする転法輪寺との珍しい神仏習合のまつりの日です。
7月7日忘れずに、いつかそのうち…




今でこそ金剛山(こんごうさん)と言われていますが、
古くは葛城山(かつらぎやま)または高天山(たかまやま)と言われていたそうです。
ちなみに葛木神社の現在の住所は、奈良県御所市高天476

古事記・日本書紀、内容はそれぞれ若干異なっていますが、
雄略天皇と一言主神(ひとことぬしのかみ)との逸話は、この葛城山が舞台となっています。



天智天皇4年(665年)役の小角(えんのおづぬ)16才の時、
この山に登られ霊気を感得し長い修行の後、
頂上に法起菩薩を御本尊とする金剛山転法輪寺を建立されました。
役の小角は金剛山の奈良側の山麓になる御所市出身で、
ご自身の祖神である一言主神を祀る葛木神社を鎮守としてあわせ祀られ神仏混淆の霊峰とされました。



以後、真言密教の霊場として信仰を集め、
転法輪寺のお寺の山号である『金剛山』が略称の様に使われ葛城山脈中の最高峰を指す名称になったとも言われています。

時代はすすみ後醍醐天皇の時代、楠正成が転法輪寺の山伏勢力を利用しわずか500の兵で知略を使った結果、関東5万の大群を寄せ付けなかった。
千早城の要塞としても関わりの深いものがあったと言われています。

近世までは葛城修験の中心地として栄えていたのが、明治維新を迎え神仏分離令によって廃寺に。
そして昭和10年まずは葛城神社が復興され、
昭和25年役行者1250年忌に再興事業が始まり昭和37年(1962)にようやく転法輪寺も復興。

このときに金剛山葛木神社宮司であった葛城貢氏が、登山者の会「金剛錬成会」を発足させたようです。




樹氷まで神さびて

2012-02-11 | おでかけ・近畿
金剛山の頂上は1125m、この一番高い地点は、葛木神社の神域にあり立ち入ることができません。
二の鳥居をくぐった境内だけでなく、山頂付近すべてが神さびてました。

転法輪寺横の鳥居をくぐり


赤い灯篭の参道を登っていくと


一番最初に2本の杉の大木がくっついてるのが目に留まります。


葛木神社のレポートは後にして、
先に参道の立派な樹氷から見てもらいます。





仁王杉は樹齢500年という立て看板がありました。
それに負けず劣らずの杉の古木がたち並びます。




これがダイヤモンドトレールに繋がる地点一の鳥居まで続きました。


翌朝、宿泊した香楠荘のデッキから眺めると、
葛木神社神域あたりだけもやってて神秘的でした。


樹氷とは霧氷ともいいます。
氷点下で山に雲がかかり風があるとき、
氷点下にあるのに凍っていない水滴が樹木などに衝突して瞬時に凍りつきます。
自然の造形美、神のなせる業のようでした。