秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

666★六道・六波羅蜜・六角堂

2011-04-30 | 西国33箇所
昨日はたまたま六の字のつく3箇所(六道の辻・六波羅蜜寺・六角堂)
666めぐりとなりました。

お昼前に西国第17番 補陀洛山 六波羅蜜寺(ふだらくさん ろくはらみつじ)へ。


こちらで朱印をもらうのに並んでいたら、
空也上人伝承 悪病除御符が目に留まりました。
1000円はちょっと高いけど、もしここで賜らなかったら家に帰ってから後悔するような強力なパワーを感じました。

二つ注意がありますと言われました。
必ず家で半紙に包み、御札だけを直に押しピンなどで壁にとめないこと。
字の書かれた表面を北には向けないこと。


一緒に廻ったEちゃんは「淵龍の御符」にしました。
こちらの御札は玄関で内側に向けて貼るんだそうです。
間違って外側に向けて貼ると金運は出て行きますよ~

金運・徳運が絶大で300円とは安い!
御符は12年ごとの辰年のご開帳には、黄・緑・紫・・と改まり五色五体のご符が授与されるそうです。

六波羅蜜寺は、951年(天暦5)醍醐天皇第2皇子光勝空也上人により開創されました。
  
空也上人立像  鎌倉時代(重要文化財)運慶の四男康勝の作

胸に金鼓を、右手に撞木を、左手に鹿の杖をつき、膝を露に草鞋
念仏を唱える口から六体の阿弥陀が現れたという伝承のままに洗練された写実彫刻です。

空也上人自身が刻んだとされる十一面観世音菩薩(国宝)が本尊で、秘仏のため12年毎の辰年に開扉されます。
来年は辰年だから、またお参りに来てみよう。

六波羅蜜とは、「布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧」
この世に生かされたまま、仏様の境涯に到るための六つの修行をいいます。
波羅蜜とは彼岸(悟りの世界)に到ることです。

あの世とこの世の境に建つ六道珍皇寺と小野篁&16番清水寺

2011-04-29 | 西国33箇所
春の行楽シーズン、西国33箇所の京都市内4寺の朱印を賜りに出かけました。

午前10時ごろ京阪三条について、まずレンタサイクルを借りました。
まだエネルギーがある午前中に、坂がキツイ音羽山の清水寺(16番札所)からスタート。


続いて補陀洛山 六波羅蜜寺(17番札所)へ行く前に、
すぐ近くにある六道珍皇(ちんのう)寺の見学をすることに。
  
   京都市東山区松原通 東大路西入ル

たまたま今日から特別公開で拝観料800円が必要でした。
え~、拝観料無料だと思ってた。。。
しかしこれも何かの縁と学生ボランティアの説明をしっかり聞いてきた。
本尊の薬師如来坐像(重文)をはじめ、
寺宝の地獄絵「熊野観心十界図」などが間近に拝観できますが撮影禁止です。

境内はいってすぐ右手に薬師堂、続いて閻魔堂、迎え鐘の鐘楼が並んでます。

 画像は入口とは逆に本堂の方から撮影

土壁で囲われた鐘楼の中に迎え鐘があり、
鐘を突くのではなく、外に出た紐を引くと中でぽ~んと鐘がなります。
お盆には、この鐘をついて先祖の霊を迎え入れる「六道まいり」がおこなわれます。

六道珍皇寺は、冥界と現世との境「六道の辻」に建つ寺です。
平安前期の延暦年間に開創され、古くは愛宕(おたぎ)寺と呼ばれ周辺が風葬、鳥葬の鳥辺野の高台でした。


「六道とは仏教の説く六道を輪廻の死後の世界のことで
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界の6つの世界をさす。
生前の善悪の業により六道のいずれかに赴くとされ、珍皇寺はこの6種の冥界の入口にあたり
こここそが人の世の無常とはかなさを感じる『あの世とこの世』の分岐点と信じられてきた。

この寺と冥界にまつわる伝説がもう一つある。
それは、平安時代初期の官僚で、閻魔大王に仕えたとされる小野篁(たかむら)は、この珍皇寺の裏の井戸を使い、夜毎冥界へ通ったという。」





本堂裏には冥界に通じる井戸があり、普段は格子戸からのぞきます。


しかし今日は特別拝観で本堂中に上げてもらえますから、
庭の鬼門にある井戸がしっかり見えて撮影してた。
すると、ココは間近で撮影するとやばいそうですよ
とボランティアの男子学生さんが注意してくれた。

それで撮影した画像を一緒に見ながら、
真正面から撮影したものは削除して、少し遠くからのものならいけるだろうと…

何か写ってたらと、PC画面で画像を確認するまでドキドキものだった。


閻魔堂に、仏師でもあった小野篁が檜材から制作した閻魔大王坐像が祀られています。
 

小野篁立像は江戸時代に制作されたそうです。
 

通常は格子越しに拝観できてもかなり見にくいようですが、
今日は特別拝観で扉が開け放たれてよく見えました。
しかし撮影禁止のためネット検索で画像もらってきました。
 
衣冠束帯姿をし、身長6尺2寸(約186cm)
袖の広がりは、井戸から冥界に降りた立ったとき風を受けて膨らんだ様子を表わしてるんだそうだ。


半眼の眼光鋭くじっと見つめられているようでちょっと怖い。

  


小野篁は、聖徳太子に仕えた小野妹子を先祖に持つエリート家系に生まれた。
歌人として有名な小野小町は篁の姪にあたります。

父岑守が陸奥の守として奥州に赴任するのに同行し、少年時代は狩や弓馬にあけくれた。

36歳のとき遣唐副使に任命されたが、正使である藤原常嗣の乗船する第一船に欠損が発見され、
篁が乗船予定の第二船と取替えよとの詔に反発し、破損した船での渡航を拒否。
さらに疑問を感じていた遣唐使制度を「西道謡」という詩を作って風刺批判。
嵯峨天皇の逆鱗に触れ、839年隠岐に配流となりました。

難波(なにわ)より、隠岐へ向かう船に乗り出で立ちた時、詠んだ一首
わたの原 八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人のつり船


しかし僅か1年半で許され召し返され、
その後、蔵人頭、参議、左大弁を歴任し、不正を正し風俗を矯正するなど手腕をふるったそうです。

昼は朝廷に出仕し、夜は閻魔庁に勤めたという冥土通い伝説は、
篁が都の治安維持にあたる検事のような役職に就くなど、都や人を取り締まり裁く役職を歴任。
また平安京の三大葬送地 (鳥辺野・化野・蓮台野)の整備と火葬をすすめ、
人々に自身の体験をもとに冥界や地獄の恐ろしさを説いたことによるものと考えられています。

おろし蕎麦

2011-04-28 | ケータイ・スマホから
久しぶりに山商蕎麦店へ行きました。
おろしそばの中央の卵の黄身をつぶしてから
このブログ書き始めてから一度も紹介してないことに気づき、急いで携帯で撮影。


橋波市場の端っこにある蕎麦屋さんで、守口で暮らすようになった時すでに存在してたから、きっと歴史は30年は超えると思います。
店舗外見も水車があり内装も風情があるし、知る人ぞ知る有名店です。
住所:大阪府守口市橋波西之町2丁目9-13

大量の大根おろしとしょうが、青ねぎ、のり、花かつお、そして卵の黄身がトッピング。
そばつゆの熱いのと冷たいのが選べます。
食べ終わった頃に蕎麦湯をいただいて、濃い目の汁を蕎麦湯で割って飲むのも美味しい。

おろし蕎麦は1150円で、夕方の7時までに行けばご飯は無料サービスです。

オキザリスと酢漿草(かたばみ)紋

2011-04-26 | 四季折々・色とりどり
雑草でよく見かけるカタバミに比べると花が大きいけど、なんて名前なんだろうと思ってました。

じゅんじゅんさんのブログでオキザリスと知ったので調べたら、次々と興味はつきませんでした。

オキザリスの別名、セイヨウカタバミ 園芸種は種類がたくさんあります。

花色が桃色で葉色が緑の三つ葉形 オキザリス・ボーウィ(Oxalis bowiei)が一般的です。
花色は濃いピンクや黄色、白、赤などがあり鉢植え地植えともに適し
特に手入れをする必要はなく、植えっぱなしでもよく育ちます。

よく日光に当てて乾燥気味にするとどんどん増えるそうで、だから雑草となった時、手におえない植物なんですね。


黄色い花を咲かせる オキザリス・セルヌア(Oxalis pes-caprae)

オキザリスの特徴は、陽が当たるとぱっと花を開き、曇天や夜間は花を閉じてしまうようです。

ギリシャ語の【oxys】酸っぱいが語源とされ、葉や茎に蓚酸を含み酸味があることにちなみます。
全草に蓚酸(しゅうさん)を含み酸味がある。
昔はこれを利用して葉などで金属の食器や仏具などを磨いたとか。

カタバミで検索すると、
三つ葉のクローバー(シロツメクサ)によく似ているが、カタバミは小さな黄色の花をつける。
別名、サクショウソウ(酢漿草)、スイモノグサ(吸物草)、スズメノハカマ(雀の袴)

別名の酢漿草で調べて、下の画像もらってきました。
  

愛花人集合というブログで言語は中国語でしたから読めませんが
画像見てるだけでも興味深かったです。



カタバミはその葉の形より古代より文様としてもよく用いられました。
また繁殖力から子孫繁栄を願って、酢漿草紋にもいろいろバリエーションあるようです。

    

家紋ワールドから引用します。

「酢漿草紋は田圃の畦など、どこにでもあるありふれた草花で田中姓を代表する家紋ともいわれる。
そのせいか、酢漿草紋は田中姓の多い県に集中しているようにみえる。
田中姓が一位を占める大阪・京都・滋賀・奈良・福井・島根・鳥取の各府県は、酢漿草紋がとくに集中しているのも偶然ではないだろう。
徳島県をはじめとした四国四県も酢漿草紋が多いが、これは戦国大名として四国を席巻した長曽我部氏にゆかりの家が用いた結果と思われる。」

1歳10ヶ月

2011-04-24 | エソラ&ゆうり
あと2ヶ月で満2才を迎えるエソラ。
次のお正月にはお兄ちゃんになる予定で、ママは体調最悪。
昨夜から泊まりに来ていたので、ばぁが子守です。

朝から選挙の投票会場である東光幼稚園に連れて行った。
ウンテイとしては低いけれど、エソラには難しかったようだ。



顔はりりしい、というか険しい。
案の定、次の段には上れず足から落ちて、腹を横棒にぶつけた。
顔や頭でなくてよかったと思ってたら、
ウンテイ下から横にでるときに頭を打って泣いた。
やれやれ…やっぱりね。


しかし鉄棒にぶら下がるだけなら上手で驚いた。




隣で逆上がりの練習をしていた小学生のお姉ちゃんを
横目で見ながらずっとぶら下がってたけれど、


お姉ちゃんの健闘を称えるのに拍手してたのでさらに驚いた。

幼稚園すぐ南隣の三郷小学校へ。
正門入口入ってすぐの庭は花が咲き乱れている。


広い校庭の端にあるブランコめがけて走り出したと思ったら


遠い隅の鉄棒に少年たちの姿を見つけ走る方向を変えた。


ここでも鉄棒にひとしきりぶら下がった。
そして少年のボールを見つけ、ちゃんと手渡して「はいどうぞ」


運動神経も年齢にみあってそうだし人間関係もそれなりにわかってる。
と同時に、怖いという感情が芽生えだしたようで、最近すぐに怖がるようになった。

大通りの車やバイクの音がするたびに「こわ~い 抱っこ」
家まで抱っこして帰ってきたので、ばぁはとても疲れた。

幻のCM『九州新幹線全線開CM180秒』

2011-04-22 | 世情雑感
祝!九州 九州新幹線全線開CM180秒


3月11日の巨大地震と津波、
その翌日が九州新幹線全線開通であったためJR西日本での開通記念式典は中止になりました。

この全線開通CMも開業3日前からスタートするも、中止に。
Webで呼びかけて1万人以上が参加して2月20日に収録が行われたそうです。
その幻のCMが今YouTubeなどを中心にたいそう人気なんだそうだ。

九州新幹線のWebサイト

ほんとに「ひとつになる」なんて
この大震災を見通していたがごとくの感激ものですよ~

いずれ東北新幹線でも、こうしてウエーブをする日が来るはずです。


関係ないけどJR九州の唐池社長は、NHKの『プロフェッショナル仕事の流儀』
4月4日放送「列車は走るびっくり箱」の最後の方で少し写ってたらしい。
見逃してしまって1週間後深夜再放送も聞いていたのに、これも見忘れた。

彼は高校の同級生なもんで、誇りに思います。
なんて最後は関係ないけど自慢です。

いざよいの月

2011-04-20 | 世情雑感
地盤沈下した被災地は1日2回満潮の時に海になる、
ちょうど大潮なのでさらにひどい様子を夕方のTVニュースで見ました。

宮城県東松島で難を逃れられたマンデーさんのブログでも、そうしたことが綴られています。
お母さんの実家もそうした地域にあるそうです。

昨夜11時前にベランダに出てみると、雲の動きは早く時々月が顔を出していました。


天体暦には15.9日と書かれていましたから、十六夜(いざよい)の月です。

たしか「いざよい」と読むんだったよなと思い、そう入力するとちゃんと十六夜と変換されました。

十六夜の月は、十五夜の月よりも50分ほど遅くのぼってきます。
いざよい(いざよい=ためらい)ながらのぼってくるように見えるので、
「じゅうろく」と書いて「いざよい」と名付けられたそうです。

雲の動きがちょっと不気味で、月の光が雲に反射して大きな輪ができていました。
もうそろそろ余震もおさまってほしいものです。
福島県浜通りって原発近いところで余震多発するのも不思議ですね。

復興税といおきべさん

2011-04-19 | 世情雑感
春眠の眠けまなこで朝の報道系ワイドショーを見てたら、東日本大震災の復興には25兆円が必要だといってました。

税金を上げるとしても所得税ではとても足りないので、
消費税を3%あげて8%とするとほぼ3年間でほぼ25兆円になるとか。
これは2012年度からになるので、今年の分として復興債で補うような方向になるだろうとの解説でした。

毎日新聞の朝刊ではまだそこまでは書かれていなかったけれど、たぶんそうなるのでしょうね。

たしか数日前のTVニュースで、「東日本大震災復興構想会議」の議長に就任した五百旗頭氏が写っていて復興税云々と話してました。
政府は4月11日「東日本大震災復興構想会議」の設置を決めるとともに、議長に五百旗頭真防衛大学校長を充てる人事を発表しています。


この五百旗頭さん、「いおきべ」と読むって、難しいなぁ~
全国に200人ほどしかない極めて珍しい名字らしい。

読み方も含めて不思議な名前が気になって、
「五百旗頭 由来」検索してみるといっぱい出てきて驚いた。

景行天皇の皇子・五百城入彦命(いおき いりびこの みこ)の御名代部がルーツみたいです。
五百城(いおき)の旗頭、リーダーですって。

御名代部(みなしろべ)とは皇后・皇子・皇女の名を残すために天皇が定めた直属の私有民のこと。
仁徳天皇の時代に始まると書かれてあったけど、
景行天皇って12代で、仁徳天皇って16代なら合わなくない?


なんで防衛大学校長やねんという批判的な意見も多数ありました。

自衛隊法に抵触したとお咎めを受けた田母神さんが、
五百旗頭真さんのことをWillの2月号で書かれた内容は実に興味深い。

今まで関心なかったことが、このたびの震災でいろいろ気になるようになりました。

春らんまん

2011-04-17 | 四季折々・色とりどり
今朝は守口市会議員選挙の公示日です。
知り合いから頼まれたポスターを掲示板に貼りに廻ってきました。
あちこちで花々が咲き乱れ、春爛漫を楽しめました。

菊の花のような桃色の濃い花が満開で
何の木でしょうね
通りすがりの人と、幹肌をみると桜の木みたいですけど、と話した。

少しカメラを引いて撮影すると、やっぱり電線だらけです。



パナソニックのさくら広場、安藤忠雄プロデュースです。

花はすでに散り葉桜になってました。

難宗寺の何の木か分からないけれど新芽がでて勢いがありました。


芦間高校裏の小さな公園では不用になったのであろう鯉のぼりが飾られてた。

アイデアはいいんだけれど、
見栄えするにはもう少し飾り方、見せかたを… ね。


パンジーか三色スミレかわかりませんが、鉢植えも満開。



たいてい選挙のポスター掲示板は公園の周りとかが多い。
公園の周り2箇所、こんな近くに?ってところもあった。

興味ないものにとっては、見れども見えずで、
実際貼りに廻って、こんなところにあったのかと思った場所も多々。


ココの狭い路地は場所を探すのに苦労しました。
一度場所が決まると、掲示板として有効かどうかの検証なんてまずされることなく延々と続くのかもと思われました。

22名の定員に対し30名近くが立候補されるようです。
公明党推薦の方は濃いピンク色が規定カラーのようでたくさんありました。

ポスター作成する時、どの色をメインにするか思案に思案を重ね
開示日になって同じ色でかぶったらがっかりでしょうね。

まだ全部貼られてませんが、青とピンクが多いようで、
エマージェンシーカラーの黄色が目立つ、さわいさんはラッキーでしたね。

トモダチ作戦任務終了

2011-04-14 | 世情雑感
東日本大震災の被災地支援に従事していた在日米第31海兵遠征部隊(31MEU)が
任務『オペレーション・トモダチ』を終えて沖縄に戻ったというニュース。

地震の発生時、31MEUは災害救助の訓練をするために東南アジアにいたが、
急遽日本に戻り、米海軍強襲揚陸艦「エセックス」で東北沖に展開。

仙台空港の全面復旧に向けて滑走路のがれき除去作業なども支援した。
米軍が仙台空港を最初に整備したのは、
戦域で航空優勢を確保するのは戦術の第一歩であり、
物資の大量輸送を可能にする空港の重要性を熟知した上での判断だそうだ。

「敵の反撃」がないから米軍の作戦は容易だった、って聞くとちょっと笑える。

嘉手納基地の第320特殊戦術飛行中隊は
3/16パラシュートで空挺隊員と装甲車ハンビーを宮城県松島町上空付近から空中投下。
アフガニスタン戦争も経験した精鋭部隊にとっては、夜間や悪天候をついてひそかに敵の背後にパラシュート降下するのは朝飯前だった。



米軍は自衛隊員らとともに仙台空港のがれきの撤去にとりかかり、
3時間で大型輸送機C130が着陸できる長さ1,500mの滑走路が完成。
3/20には、C130の3倍の積載量を誇る米空軍の大型輸送機C17が約40トンの人道支援物資を積んでアラスカから到着した。

そして昨日、仙台空港に旅客便の一部が再開したのでした。


同じく自衛隊・静岡のタスクフォース富士も作業に従事したと聞いたけれど、
いろいろ検索ワードを変えてもヒットしなかった。
自衛隊はネットでの宣伝広報が充実してないのかな。

一方、第31海兵遠征部隊(31MEU)についてはいろいろわかりました。


アメリカ海兵隊が配置する7つの海兵隊遠征隊の中で、唯一海外展開される約2,200人の実戦部隊。
大統領直轄部隊で常に議会の承認が不要で武力行使をする実力部隊だそうだ。

制服のレッドラインは、いつでも血を流す覚悟の現れとされています。
今の日本で、国のために血を流す覚悟、なんて口にするのはヤバイかも。

近年ではイラク戦争での武力攻撃にも参加したほどの極めて戦闘能力の高い部隊だそうです。

在日米国海兵隊公式サイト

高い戦闘能力を維持するために行う訓練がもたらす弊害(被害)として
普天間飛行場周辺の人々に与える大きなリスクが特に問題となっています。

2009年日米のグアム移転協定では
在沖縄米海兵隊のうち定員8,000人とその家族9,000人を14年までにグアムに移転すると決まっています。

沖縄に残るのは、ミュー31の2,000名と補給支援の拠点で保守要員500名程度。
この残す部隊の基地をどこにするかを議論しているのだとか。

4/12は、1996年日米両政府が普天間飛行場の全面返還に基本合意してから15年。


今回の東日本大震災では、自衛隊や米軍のトモダチ作戦がどれほど日本国民に安心を与えてくれたことか。
普段から訓練してなかったらいざというとき役立たないこともよくわかりました。
原発でロボットすら役立てることができない現状も目の当たりに見ました。

尖閣諸島海域、竹島占領問題、北方四島不法占領などなど、
「国防」のことは避けて通ることが出来ない最重要課題であることをやっと認識できました。

秀吉は知ってか知らずか…

2011-04-13 | 古代史のミステリー
大阪に現存する最古の青銅製狛犬だそうです。
中央区淡路町4にある、厄除けと縁結びの御霊神社にあります。
たまたま訪れた時、本殿で結婚式が挙げられていました。

御霊神社のサイトには青銅狛犬元和元年(1615)作となってます。
1615年って大阪夏の陣ですね。
ということは誰が寄進したんだろう?

御堂筋を淀屋橋から歩き始めて、大阪ガスビル前でロダンの彫刻を撮影。
すぐ隣のビルは壊されてブルドーザーとかが整地中だった。

御堂筋沿いのビルがなかったので、一筋入った所にある鳥居が目に留まった。


拝んでいきなさいよ~って呼び止められた気がした。
約束の時間まであまり余裕がなかったけれど、
そのまま立ち去りがたい雰囲気があり吸い込まれるように鳥居をくぐりました。


祭神は
* 天照大神荒魂 (瀬織津比売神)
* 津布良彦神 (旧攝津国津村郷の産土神)
* 津布良媛神 (旧攝津国津村郷の産土神)
* 応神天皇 (広幡八幡大神)
* 源正霊神 (鎌倉権五郎景政公霊)

文献上の初見は「文徳実録」850年文徳天皇の即位した年にあたります。
創建は4世紀後半から5世紀にかけて栄えた河内王朝にまで遡るとの説もあります。

古来、瀬織津比売神、津布良彦神、津布良媛神を祭り圓神祠(つぶらしんし)と称していたようです。

平安時代になって、生国魂(いくたま)神社や坐摩(いかすり)神社同様、
八十嶋祭の祭場のひとつでした。

八十嶋祭に向う勅使が京都を発つ日に、天皇は麻衣で体をひと撫でし、さらに息を吹きかけます。
勅使は、その麻衣を御衣筥(みそはこ)に入れて、五隻の舟で女官と共に淀川を下り難波津の祭場に向かいます。

百済鳥に上陸し、その西に広がる円江(つぶらえ)の海岸に祭壇を設けて聖寿の万歳を祈願し、内侍が持参した天皇の御衣を何度か西の海に向かって打ち振り穢れを祓い落とす


八十嶋祭は、鎌倉時代初めの後堀河天皇を最後に廃絶されるまで続きました。

そして月日は流れ、豊臣秀吉の時代
1594年(文禄3年)境内の小祠乾八幡宮と源正霊神とを本殿に合祀、
圓江(現在の靱・うつぼ)から現在地に遷座。



20年ほど前に津本陽氏の『下天は夢か』を読んだ。
織田信長が他の武将とは大きく異なる2点が今でも印象に残ってます。

一つは天皇からもらう権威。
源頼朝も足利尊氏も征夷大将軍になって幕府を開いたが、信長はどんな官位も受けなかった。
もう一つは宗教から自由であったこと。
それゆえに一向一揆も弾圧できたし、比叡山焼き討ちも躊躇なくできた。

信長の後を継いだ秀吉が、そうした思いや信念をどれぐらい知ってから知らずか、関白の位をもらってるし、神社仏閣をたくさん移転させました。

大阪や近畿の神社仏閣の歴史を見ていると、秀吉によって移転させられたというのを時々見かけます。
生国魂神社、坐摩神社、そして御霊神社も大阪城築城のため移転させられました。

ほんとはこの御霊神社で一番気になるのは
天照大神荒魂 (瀬織津比売神)です。

全く存在すら知らなかった御霊神社、
ちょっと寄って挨拶していきなさいと呼び止められた方だと思います。
しかしちょっと難しすぎて今回は触れずにおきます。
そのうち続き書けるといいなと思います。

蜂と神様

2011-04-11 | 世情雑感
蜂はお花のなかに
お花はお庭のなかに
お庭は土塀のなかに
土塀は町のなかに
町は日本のなかに
日本は世界のなかに
世界は神さまのなかに。

さうして、さうして、神さまは
小ちゃな蜂のなかに。
    金子みすず

画像は酔いどれシェフさんが撮影したものをもらってきました。
ハチのようでハチでない…でんでん♪


4月9日更新のツィートによれば
「今朝5時に家を出、目的地の宮城県亘理町に行く為、自転車で日本海縦断をする為に買ったナビのおかげで迷う事なく亘理町のボランティアセンターに四時半頃に到着しました
被災をされて間もなく一ヶ月になります。
明日から被災をされた皆さんの笑顔を見れますように働かせて頂きたいと思います。」

縄文ランチ

2011-04-10 | 日々是好日
たぶん近畿ではこの土日が花火日和だったと思います。
娘が近所の花見に行くというので一緒に行くことにしました。

ところがいつの間にか花より団子で、
まだま村の縄文ランチへ変更となってしまった。

モノレールの宇野辺駅で11時にひろってもらって、まだま村には11時半には着いてました。
茨木市もちょっと走ればとても大阪とは思えないのどかなところでした。

キシシタン大名として知られる高山右近の領地で、禁教令が出てから隠れキシシタンの里だったみたいです。
千提寺の竹林の中にひっそりと佇む、縄文竪穴住居風のオーガニックカフェ
大阪府茨木市千提寺428  電話072-649-3800







縄文ランチは予約制で1日20食限定。
次々と予約客がやってきて大繁盛だったのもちょっと驚きでした。
ちなみに店名の「まだま」とは「磨魂」だそうです。

お腹いっぱいになって、エソラの家によりちょっとお昼寝して
帰りは沢良宜駅まで送ってもらう車中より花見

渡辺党からミセスワタナベまで

2011-04-09 | 古代史のミステリー
東北沖で巨大地震があってすぐに円高へすすみ、3月17日の早朝には一時76円25銭をつけ驚きました。
この先どうなっていくんだろうという不安が日本中をおおいました。

これって、ミセス・ワタナベ(Mrs. Watanabe)のせいという話です。

ミセス・ワタナベとは、2007年ごろより話題になった日本におけるFX個人投資家のことです。

何もわからない素人でも気軽に始められる投資として絶大なる人気を誇るFX。

「為替取引の世界において、これまでプロだけの動きで市場が決まっていたのが、彼女たちが参加するようになって、不可解な動きをするようになったから、関心が深まり、ふたを開けてみるとさらに予想外のトレーダーたちであったので、驚愕と蔑視の意味を込めて、日本の主婦トレーダーをミセス・ワタナベ、と呼ぶようになったのである」
詳しくは→東洋経済のページ


坐摩神社が移転させられて、渡辺一族も一緒に動き、地名地番にまで残っているというのって、不思議だなと「渡辺」を検索していて知りました。

 

天満橋あたりは、古代、渡辺津、または小江は新羅江(しらぎえ)ともいったようです。
新羅から天之日矛(アメノヒボコ)がアカルヒメが逃げた地と聞いて追いかけてきた伝説の地です。
渡(わたり)の神が邪魔をして難波には入れず、ぐるっと廻って但馬の国に行きましたとさというお話です。


三井寺のサイトに大阪府の新羅神社について詳しく書かれた稿があります。
古代この地域には新羅から来た人々が暮らしていたといった話です。
大阪府の新羅神社


(社)解放・人権研究所のサイトでは人権のゆかりの地ということで、中尾健次氏(大阪教育大学)が書かれています。
渡辺村のふるさとを訪ねて
「古くから軍事・交通の要所として知られ、座摩神社や天満宮の神官でもあった渡辺氏を中心に、「渡辺党」と呼ばれる武士団が形成されていたのです。あくまで推測ですが、ここには座摩神社の“キヨメ”として、清掃や皮革加工などにたずさわる職人がおり、こうした“キヨメ集団”が、のちの「渡辺村」の核になったと考えられています」


ワタナベの侠気や妖気に触れた「渡辺党」伝説は面白かったです。
一部抜粋してみると
「源氏の武将である渡辺綱は、のちに『渡辺党』と呼ばれる軍団を率いていた。
平氏掃討後の瀬戸内海の水運を牛耳った『渡辺党』は、日本海・太平洋にも水軍を派遣し、あるいは海賊となり、列島各地に拡散していった。
その後の水軍の多くが「渡辺党」を源流にしていると言われ、九州の水軍「松浦党」も「渡辺党」の流れを汲むらしい。
日本列島の沿岸に暮らす漁民や川筋に暮らす水運業者たちにとって、「ワタナベ」は特別な意味を持つ姓だったかもしれない。
現代の我々が「山口組」というときのような意味を、「ワタナベ」は持ったのかもしれない。
であるとすれば、おそらく多くの海賊・悪党が「ワタナベ」を騙っただろう…」

たかがワタナベ、されどワタナベ、深いでしょう。
興味はつきませんねぇ~

鷺丸(さぎまる) 坐摩巫(いかすりのかんなぎ)

2011-04-07 | 古代史のミステリー
坐摩神社の御神紋は、白鷺が羽を上げて丸くなった、鷺丸です。
一見JALの鶴丸みたいですけど、
鷺丸のほうは目力強く、足のツメも力がみなぎってます。
これをみたら鶴丸ってパワーないわぁ~

鷺丸(さぎまる)御神紋の由来は
神功皇后が白鷺の多く集まる地に坐摩神を奉斎するようにという神託を受けたことから。



住吉大社と並んで摂津国一宮を称し、昭和11年より官幣中社です。
古来、朝廷の崇敬篤く、菊の紋もみえます。

奈良時代成立の住吉神社神代紀に、住吉大神の御魂として猪加志理(ゐかしり)神を祀るとして登場し、古代から祀られていたことがわかります。

元の鎮座地が天満橋あたりで、河内王権の祭祀に何らかの形で取り入れられ、皇居を守る守護神として祭祀された可能性があるそうです。

坐摩神は宮地守護の神であり、現在も宮中三殿の神殿に「座摩巫祭神五座」として祀られています。
宮中においてこの神々を祈ぐ役職を、坐摩巫(いかすりのかんなぎ)といいます。
坐と巫、並び方が微妙に異なるだけで線の数も一緒ですね。

通常の巫女には特段の制約がないのが普通だが、
坐摩神に奉仕する巫女(坐摩巫)は都下国造氏出身の7才以上の童女をもって充て、これが結婚したときは別人に替える、と特記されています。

宮司は渡辺氏であり、渡辺氏の出自は都下(つげ)国造家。
都下氏は日神祭祀に係わる氏族だったといわれるとか。

中央区久太郎町に移転しても、
渡辺姓は「四丁目渡辺3号」として住所地番に残っています。


この白鷺は、去年岡山吉備路で撮影したものです。