沢田研二 華麗なる世界

2024年06月09日 | 音楽

「沢田研二 華麗なる世界 永久保存版必至 ヒット曲大全集スーパースター」
(BS-TBS 夜9時~10時54分)を観た。
「危険なふたり」(1973)から曲が流れた。
それから「追憶」(1974)、「時の過ぎゆくままに」(1975)、「さよならをいう気もない」(1977)
「勝手にしやがれ」(1977)でレコード大賞を取った。
その20日後に、ザ・ベストテンが始まったという。
そのあと、黒柳徹子と久米宏の司会をするザ・ベストテンでの映像が沢山流れた。
かなり沢田研二の曲は、ザ・ベストテンの1位になっていたんですね。

私は1972年に20歳になっている。
そのとき私は、東京の本郷三丁目にあった試薬会社に勤めていた。
私が21歳ぐらいに沢田研二の歌は流行っていたんですね。
20代前半の頃に私は恋をして、何度か女性とつきあい、振られていた。
そういうときに、沢田研二の曲をよく聴いていた記憶がある。
阿久悠の書く詞がいいなと思っていた。
今日の番組を観ていてそんな昔のことをいろいろ思い出した。


沢田研二ヒットメドレー

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吉田拓郎・かぐや姫 Concert in つま恋 2006 総集編

2024年05月27日 | 音楽

吉田拓郎・かぐや姫 Concert in つま恋 2006 総集編

昨夜、ネットにつないでYouTubeの「はとやま爺ちゃんねる」に行くと、
そこにこれがあった。
昨日の九想話を書いてから、「つま恋 2006 総集編」を視聴した。
胸が熱くなりました。
このコンサートがあった2006年のときに私は、54歳でした。
しかし、歌われた曲の多くは私が20代のときのものです。
私の若いときのことがいろいろとよみがえりました。
仕事で悩んだり、友と酒を飲んでケンカしたり、恋した人に振られたり・・・。
そんな暮らしをしていたときのうしろで、この歌たちは流れていました。

動画の後半で、中島みゆきが出てくる。
「永遠の嘘をついてくれ」をうたう。
このひとは、私と同じ歳なんだよな。

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忌野清志郎 - 世界中の人に自慢したいよ

2024年05月17日 | 音楽

忌野清志郎 - 世界中の人に自慢したいよ

昨日、NHKのラジオを聴いていたらこの曲が流れてきた。
ある男の人のリクエスト曲だった。
その人はまだ新婚のようだった。
奥さんの誕生日の何日か前に、
「誕生日に何がほしい?」と妻に訊いたら、「何もいらない」といわれた。
「なので、忌野清志郎の『世界中の人に自慢したいよ』を妻に送りたいのでリクエストします」
というようなリクエストのメールだった。
それからこの曲が流れた。
この「世界中の人に自慢したいよ」は初めて聴いた。
いい歌だなと思った。
この曲を奥さんの誕生日に贈るなんて、素敵ですね。

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ピアニストのフジコ・ヘミングさん死去

2024年05月02日 | 音楽

ピアニストのフジコ・ヘミングさん死去、92歳アルバム「奇蹟のカンパネラ」が大ヒット

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/yorozoonews/entertainment/yorozoonews-15253813


> 世界的ピアニストのフジコ・ヘミングさん(本名=ゲオルギー・ヘミング・イングリット・
>フジコ)が4月21日に亡くなっていたことが分かった。92歳だった。フジコ・ヘミング財
>団が2日、公式サイトで発表した。
(よろず~ニュース)

フジコ・ヘミングさんの「カンパネラ」の演奏が私は好きでした。
その演奏に触発されて、63歳のノリ漁師の徳永義昭さんはピアノを弾き始めた。
それを取り上げた番組のYouTubeを観て、私もピアノを弾こうと思った。
そしてピアノを買った。
2020年02月29日九想話「ピアノを買う
ただ私は、いいかげんな練習をしているので、まったくうまく弾けるようにならない。
なんとかしないといけない。

【高音質】フジコ・ヘミング ”ラ・カンパネラ”など4曲 2020年11月「協奏曲の夕べ」Fuzjko Hemming 「La Campanella」【For J Lodlive】
ー合掌ー

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青春のアリス

2024年05月01日 | 音楽

今日の「ふんわり」(NHKラジオ第一)の10時台は、<堀内孝雄さんと聴く「アリス・ヒット曲集♪」> だった。
(2024年5月8日(水)午前10:55配信終了)

>10時台は【アリス・ヒット曲集♪】。堀内孝雄さんが、谷村新司さん、矢沢透さんと
>紡いだヒット曲の数々を、ご本人と共に、当時の裏話を交えながらお届けします。

「冬の稲妻」
「今はもうだれも」
「ジョニーへの伝言」
「チャンピョン」
「終秋符」
「昴」
これらの曲を流して、堀内孝雄がアリスの思い出などを話した。

アリスは、私の25・6歳の頃に曲がヒットした。
そのとき私は恋をしていた。
そして振られた。
よくアリスの曲を聴いていた。
アリスの歌を聴くとそのときのつらかったことを思い出します。

谷村新司・堀内孝雄 「遠くで汽笛を聞きながら」

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あの素晴しい愛をもう一度~2024Ver.

2024年04月26日 | 音楽

音楽ドキュメンタリー映画『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』本予告【公式】

音楽ドキュメンタリー映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」が作られた。

>STORY
>フォーク、ロック、ボサ・ノヴァ、トロピカル・サウンド、レゲエ、タンゴなど、
>時代時代に敏感に、誰よりも深く研究し取り入れていた加藤。その楽曲の幅広さ、
>意外性は一人の音楽家の手によるものとは気がつかないかもしれない。本作では、
>加藤の人生、生きた時代を捉えながら、加藤にどのような変化があったのかを、
>関係者らの証言や当時の貴重な映像で紐解いていく。

加藤和彦は、私が軽井沢で暮らし始めた2009年の10月16日に亡くなった。
62歳だった。
私はそのニュースを聴いて驚いた。
私が中学3年から憧れていたあの加藤和彦が、私が暮らす軽井沢で自殺した。
彼にとって私のことなんて知らないだろうが、私としてはなんか因縁を感じた。
私の近くで亡くなったことに、不思議な気持ちになった。

2009年10月17日九想話「加藤和彦が死んだ

私は、心の底から加藤和彦に憧れていた。
中学3年の11月から私は、高校への受験勉強を始めた。
アホな呑気な私でしたね。
受験勉強をするために私は夕食をすませると仮眠した。
そして11時ごろ起こしてもらって、それから受験勉強をした。
私の家は百姓の家で8畳の部屋が3つあるだけだった。
自分の部屋などはないので、時間帯をずらして私だけの空間を作った。
そのときそのころ始まった深夜放送を聴いて勉強をした。
正直なところ勉強にならなかった。
毎晩、ラジオの深夜放送を聴くために夜中に起きていたようなものだった。
そのとき聴いていたのはニッポン放送の「オールナイトニッポン」でした。
ニッポン放送アナウンサーの糸居五郎(月曜日)、斉藤安弘(火曜日)、高岡尞一郎(水曜日)、
今仁哲夫(木曜日)、常木建男(金曜日)、高崎一郎(土曜日)を聴いていた。
そして12月ごろからよく流れた曲が、フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」だった。
毎晩毎晩聴いていた。
そして待ちに待ったその次のフォーク・クルセダーズの曲が、「イムジン河」だった。
いい曲だなと思ったが、すぐその曲は発売中止になった。
それから私は、フォーク・クルセダーズの曲を追いかけた。
私は必死にギターを弾けるようにがんばって、フォークルの曲をギターで弾いて歌った。
「戦争は知らない」
「花のかおりに」
「何のために」
「水虫の唄」

高校生のときは、やはり夕食のあと仮眠をとってラジオの深夜放送を聴いていた。
学校では誰も話す人はいないので、深夜放送を聴いていろんな人の考えを聴いていた。
そのころは「パックインミュージック」でしたね。
北山修は水曜日だったかな?
金曜日は、野沢那智と白石冬美です。
愛川欽也も聴いていた。
北山修の考え方には影響を受けた。

高校を卒業して手工ギターを作るところに弟子入りした。
ギター製作の修行のために東京に行ったのに、
毎晩毎晩兄弟子から誘われて宗教の集会に連れて行かれた。
もうそれが厭でイヤで、5月にギター工房を辞めた。
「世界一のギターを作るんだ」と夢を見てギター工房に弟子入りしたのに、
あの宗教のために私の夢は潰された。
もう、おれにはなんの希望もない、と茨城の実家で百姓を手伝って暮らしていたときに、
加藤和彦と北山修のこの曲が流れた。
なんか救われましたね。
人生をやりなおそう、と思った。

『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』エンディング曲「あの素晴しい愛をもう一度~2024Ver.」PV【2024年5月31日公開】

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久しぶりの「弾き語りフォーユー」

2024年04月23日 | 音楽

今日の午後2時半、女房を迎えに、大学の駐車場に行った。
大学の食堂は、新学期は忙しいらしく先週は2時半まで仕事だった。
妻は午前10時から午後2時までということで採用された。
今週は1日おきに終わりが、午後2時と2時半だそうだ。
今日女房は、2時半までの仕事ということだった。
朝、女房は病院に行きたいと話していた。
ある数値が高いので女房はその治療をしている。
妻の通院している病院は午後3時からの診察があるという。
病院の駐車場に2時50分に着いた。
女房が病院に行っている間、私は車の中でスマートフォンのラジオを聴いていた。
らじるらじるの聴き逃しで「弾き語りフォーユー」の4月23日放送の番組を聴いた。
(2024年4月30日(火)午前10:15配信終了)
中島みゆき特集だった。
中島みゆきのメロディーはいい。
ラジオを聴きながら持ってきた本を読んだ。
「与謝蕪村考」(中村稔著 青土社刊)
与謝蕪村の俳句も素晴らしい。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………

2024年4月23日楽曲一覧

かもめはかもめ 小原孝(ピアノ) 作曲: 中島みゆき 編曲: 小原孝(4分30秒)

しあわせ芝居 小原孝(ピアノ) 作曲: 中島みゆき 編曲: 小原孝(3分26秒)

この空を飛べたら 小原孝(ピアノ) 作曲: 中島みゆき 編曲: 小原孝(3分1秒)

世迷い言 小原孝(ピアノ) 作曲: 中島みゆき 編曲: 小原孝(2分53秒)



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小沢征爾さん死去、88歳

2024年02月09日 | 音楽

小沢征爾さん死去、88歳…ボストン交響楽団などで日本人初の音楽監督

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/entertainment/20240209-567-OYT1T50150


> 世界的指揮者で、ボストン交響楽団やウィーン国立歌劇場の音楽監督を
>日本人で初めて務めた小沢征爾(おざわ・せいじ)さんが6日、心不全で
>死去した。88歳だった。葬儀は近親者で行った。
(読売新聞)

私が高校生のときから、テレビのクラシックの音楽番組で指揮をする
小沢征爾さんを観てきた。
今夜の報道ステーションで30分ほど、小沢征爾さんのことを放送していた。
日本のクラシック音楽界に大きな影響を与えた人なんだな、とあらためて思った。

今朝のラジオ深夜便の午前4時台は、口承文芸学者 小澤俊夫さん(93)が話していた。
〔人生のみちしるべアンコール〕「心を励ます声~昔話と我が人生」前編  
聴いていると小沢征爾さんのお兄さんということを知った。

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第30回わいわいがやがやコンサート

2024年01月30日 | 音楽

今回で30回ということを知りませんでした。
年に1回か2回やってきたんですが、すごいことだと思う。
午後7時に、わいわいがやがやコンサートは始まった。


1.ウサギ山モモ代    (語り)
 お話出てこい


2.九想  (ケーナ)
 1エル エコー
 2ウルバンバの流れ
 3糸


3.from 4階の角部屋  (うたとギター)
 1 マリーゴールド
 2 good night baby


4.モックモック  (三線とうた)
  1.娘ジントヨー
  2.童神
  3.十九の春


5.KSⅡ(うたとギター)
 1.クリスマスイブ
 2.愛の花


6.浅間竹笛の会    (篠笛と尺八)
 1. ? (忘れました)
 2.浜千鳥
 3.月の沙漠


7.ひとりでルスカ  (ケーナ)
 1.リャマの小径
 2.ジブリメロディー
 3.リャキルナ


8. アナローグ  (うたとギター)
 1.ペニーレインでバーボンを
 2.沢田研二メドレー
 3.朝まで踊ろう


9.アール・クルー  (うたとギター)
 1.ウイスキーの小瓶
 2.元気です
 3.星降る夜

私は6時半頃に、ビールと食事を注文した。
大ジョッキはすぐ飲んでしまって、次はやめている日本酒(八海山)を頼んだ。
“あとはのとなれやまとなれ”という気分です。
演奏する人はみな楽しそうでした。
ふだんの暮らしを忘れて演奏していたのでしょう。
こういう場所があることはいいことだな、と思います。

ー私の反省ー
人前で演奏することは難しいですね。
いつもの練習のように吹けばいいのですが、緊張してしまってまったくだめでした。
もう2度と人前で吹くのはやめよう、と落ち込みました。
しかし時間がたつと、また吹きたくなるんですよね。
次のときはもっと練習します。

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舟唄

2024年01月20日 | 音楽

八代亜紀 / 舟唄 (1981)

今夜はこの曲が聴きたくなりました。
飲んでるお酒は、温めの燗ではありません。
日本酒をやめているので、焼酎のお茶割りです。
あ・・・、日本酒が飲みたいです。

お酒はぬるめの 燗がいい
肴はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
灯りはぼんやり 灯りゃいい

しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
涙がポロリと こぼれたら
歌いだすのさ 舟唄を

沖の鴎に深酒させてヨ
いとしのあの娘とヨ 朝寝する ダンチョネ

(略)

ほろほろ飲めば ほろほろと
心がすすり 泣いている
あの頃あの娘を 思ったら
歌いだすのさ 舟唄を

ぽつぽつ飲めば ぽつぽつと
未練が胸に 舞い戻る
夜ふけてさびしくなったなら
歌いだすのさ 舟唄を
ルルル‥‥

いい唄ですね。
阿久悠の詞はすごい。

八代亜紀の舟唄もいいが、藤圭子のもいいです。

藤圭子♥舟唄

2人が仲良く歌うこんな番組があったのですね。

藤圭子♥ふたりのビッグショー(八代亜紀)

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