友人の夢

1999年08月26日 | 会社・仕事関係

 昨日、私は仕事が終わってから大宮に友人たちの芝居の公演に行った。
 井上ひさしの「父と暮らせば」という芝居はよかった。
 二人芝居で、テーマは原爆だった。娘と死んだ父親の(亡霊)会話で芝居は
進行していく。父親の役をやった仲川がよかった。いつも稽古場で麻雀をやる
やつだが、いつもリーチとかロンとかいうその口が、原爆の非情さ哀しさを叫
んでいた。子ども3人を育てるために東京の街の中をトラックで毎日走ってい
るあいつ。会うとパチンコの話をする仲川。この前の麻雀でも負けたが、芝居
を観て、私は彼に負けてる、と思った。
 終わってみんなで飲んだ。私は車だったので、ウーロン茶だったんだけど、
楽しかった。しかし、素面で眺めていると、酔っぱらいとはなんとおろかなん
だろう。(いつもは、そのおろかなワタシです)
 劇団のリーダー的存在の友人は52歳で、ある交響楽団の事務局の部長をや
っている。彼は今、交響楽団の運営を自分の考えで出来る立場になった。その
彼が私に夢を語ってくれた。
 交響楽団のサポーターを作りたいといってた。金を出せる人は金を出し、金
のない人は行動を提供してもらう。チラシ配りとか、裏方をやってもらい、プ
ログラムの選曲にも意見をいってもらい、コンサートが終わったら、楽員たち
と一緒に飲む。そういう楽団の協力者を来年から集めたい。といってた。
 たくさんのオーケストラが日本にはあるが、もっとお客と身近なオーケスト
ラにしたいと、ビールを飲みながらいってた。私は、そのサポーターになるこ
とを約束した。
 彼の仕事がうらやましかった。
 しかし、うらやんでばかりいられない。私も人に語れる仕事をしなくては。
 そういう仕事ができるようにがんばろう。負けたくない。
…………………………………………………………………………………………………………………………………………………

8月の九想話
8/1  初めての労働
8/4  雨
8/6  あと1日
8/8  肉体労働の効用
8/9  ニセ青竹踏み
8/9  今日の朝礼
8/12 パソコンを作る(1)
8/12 パソコンを作る(2)
8/13 ダニ
8/14 戦争を語り継ぐ
8/18 作業服終わってしまった夏休み
8/26 秋の風
8/26 友 人の夢

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秋の風

1999年08月26日 | 暮らし

 日々の暮らしに追いまくられているうちに、季節は、人の心なんかおかまい
なしにどんどん走っていっちゃうんだなァ。
 いろいろ書こうと毎日思っているが、昼間に肉体と精神を使い果たしてしま
い、家では何もやる気がしません。
 昨日は、とうとう腰痛がひどくなり近くの整形外科に行ってきた。レントゲ
ン写真を見た医師がいうには「骨の形は、あなたの年齢では正常です。とても
キレイですね」なんてことをいってくれた。私の今回の腰痛は、過労だそうで
す。仕事をしないで休むようにといわれた。
 というわけで…、本日も過酷な労働をしてきた。休むわけにはいきません。
 1時間残業をして帰り、シャワーを浴び、サケを飲みながら飯を食ってるう
ちに寝てしまった。女房が見ていたテレビの映画「砂の器」の最後の頃で目が
覚めた。
(ああ…、今日もこんなふうに1日が終わってしまう)
 なんてこと、朦朧とした頭で思っていると、
「もう寝るよ。寝たほうがいいよ。ヒサシ君は疲れてんだから」
 と、女房。本人はやさしさでいってるのだろうが、そのときの私には、冷た
い響きだった。ベランダの窓からは、冷たい秋の風が吹き込んでくる。急いで
窓を閉める。ほんの2、3日前まで、エアコンをつけて寝ていたのに。
 一人になり、なんかやるせなくなり、台所の換気扇のところに行ってタバコ
に火をつける。このまま寝るのも悔しいから、本でも読もうと居間のテーブル
に戻った。
 Uがぼそっと近寄ってきた。
「モデムの名前は、標準のモデムでいいのかな?」
 お、あのパソコンでインターネットにつなごうとしているんだ。
「接続ウィザードやったのか」
「うん、やってみたけど途中で分かんなくなっちゃった」
 どれどれ、と私は、Uの部屋に行った。
 Uが、私が作ったパソコンのスイッチを押した。あれっ、1回で電源が入っ
た。そんなこともあるんだ。Uに訊くと、いつもは2、3回押してるらしい。
それでこそジャンクのマザーボードだ。画面の色が、変わったりするのが哀し
い。最初から、接続ウィザードをやってみる。ASAHIネットの設定を教え
て、なんとか終了。
Windows98のは初めてなので、戸惑うこともあったが、ASAHIネットにつ
なげることができた。
 Uが「おお…」なんて声を張り上げる。さっそく友人にメールを送ったよう
だ。
 あいつが、インターネットにつなごうとしたことがうれしい。苦労してパソ
コンを作った甲斐があった。Kにも作らなくてはと思うのだが、今はその元気
がない。

 何をくだくだ書いてるのだろう。会議室の流れに何の関係もないことを書い
てる自分が、みっともない。
 今週は土曜日まで仕事だ。大宮での友人たちの芝居、行くのかったるい。で
も、行かねばならない。日曜日だと月曜日がつらいな。土曜日に行こうか。ど
うしょうかな。
 ああ…、またどうでもいいこと書いてる。どうも、ぐちっぽくていけない。
 先週の日曜日、西武園の花火に行ってきた。写真も撮ったのでUPしようと
思っているうちにもう金曜日だ。夏休みの女夫淵温泉のこと書こうと思ってる
のに、秋になってしまった。
 現在、これだけ落ち込んでるのに、本格的な秋になったら、おれはどうなる
んだ。

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作業服終わってしまった夏休み

1999年08月18日 | 会社・仕事関係

 今日も暑かった。
 湿度が高かったせいか、夏休み前よりも作業服が汗でぐっしょりになった。
頬や顎を流れる汗。眼鏡に汗の玉がついても軍手を脱いで拭くのがめんどくさ
いのでそのままで仕事をしてるが、前が見づらくてそのうちいやいや軍手を脱
いで拭く。首にかけてるタオルが1時間ほどで汗を全体に吸い込んで、重量を
増す。汗を、汗の含んだタオルで拭うのは気持ち悪い。
 Oさんが、
「Gが場所をとりすぎる。もっと台車を向こうに下げさせて」
 という。このおばさんは、第2工場が狭くなったので、7月から私の職場に
来た。私は、嫌いなタイプだ。Gはペルーの若い女性だ。
 Gに、
「この台車、もう少しこっちに動かして」
 と私がいう。
 Gは、
「それ、できない」
 という。
「会社というのは、我慢することも、必要なんだよ」
 と、私。
「それ、ガマンじゃない。あのおばさん、おかしい。いろいろへん」
 というようなこと、Gがいう。
 私は参った。Gの気持ちが分かる。Oさんは、第1工場でもわがままいって
製造課長に怒鳴られたことがある。
 私なりに、Gにお願いしたが、台車を動かすことはイヤだと頑張る。
 ああ…、勝手にしろよ。どうなったっておれの知ったことじゃねェ。
「Oさん、Gに説明したけど、どうしても必要な広さなんだって、悪いけど我
慢して」
 Oさんにそういうと、
「ペルー人は、わがままなんだから、いいわよ、このままで」
 と、Oさんは、私ががまんすればいいんでしょ、という感じで、恩着せがま
しく私にいう。
 ああ…、「あんたのほうがよっぽどわがままだよ」といいたかったが、心で
噛みつぶした。
 仕事は順調に進んだ。0さんの件以外は。
 こうやって、また明日から、毎日が過ぎていく。
 おそらく、これは、いい状態なんだろう。
 シャワーを浴びるとき体重を計ったら、66.8kgだった。昨日、女夫淵温泉か
ら帰ってきて計ったら、68.7kg。1.9kgも痩せたのか。
 女夫淵温泉は楽しかった。そのこと書くつもりだが、今日は疲れたのでまた
にします。
 おやすみなさい。

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戦争を語り継ぐ

1999年08月14日 | ラジオ

 今日の、TBSラジオ「永六輔の土曜ワイド」に野坂昭如が出ていて、戦争の
ことを話していた。昭和20年の8月14日のこと、日本兵とアメリカ兵の
弁当の違い、15日のいろいろな作家の日記、作品の中で表現されているこ
と、などなど。
 野坂は現在、中学生などに戦争のことを講演で話しているそうです。
 日本がポツダム宣言を受諾することが分かっていたのに、15日に大阪空襲、
熊谷空襲があったのが理解できないと話していた。E-MAIL
 話を聴きながら、サラティさんを想いました。
 その番組の午後に、秋山ちえ子が、毎年8月15日に自分の番組で朗読して
いる「かわいそうなぞう」という童話のことを永六輔が話し、その朗読を再放
送した。聴いていて、胸が締め付けられました。

 それにしても、今の「ジジコウ」は何なんだ。
 まるで“戦前”に日本を戻そうとしてるかのようだ。
 何もできない自分がはがゆい。

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ダニ

1999年08月13日 | 家族

 女房は、なぜか虫に刺される。私も同じ部屋で寝ているんですが、私は虫に
冷たくされています。
 ダニだと思うのですが、かなり何ヶ所も女房は刺されてる。
 私の想像では、ダニはアルコールが苦手なんじゃないかな。私と女房の血液
の違いは、毎晩、アルコールで洗浄してるか、してないか、です。血液型が、
私はA、彼女がB、ということは関係ないよな。
 これは、あくまでも、何の根拠もない、九想話です。

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パソコンを作る(2)

1999年08月12日 | パソコン・スマホ

 九想話をUPしてから、作ったパソコンに向かった。
 さて、これからどうしょう、という情けない気持ちになった。
 とりあえず電源スイッチを押してみる。つかない。電源が入らない。何度も
押す。5回目ぐらいに入った。BIOSの表示が画面に流れ、Windows98が立ち上
がる。
 それを終了して、またスイッチを押す。15回目ぐらいに入った。
 そんなことを何度も繰り返した。
 やっぱりマザーボードがおかしいのかな。それを確かめるには、Sにもらっ
たマザーボード(CPUは、Pentium 133)と取り替えてみれば分かるんだけど、接
続するコネクターの位置が違う。厚いマニュアルを手にとって開いてみれば英
文で書いてある。今付いてるコネクター、ボード類をはずして付け替えてみて
も、そのマザーボードを正確に接続する自信がない。
(いいじゃないか。なんべんでもスイッチを押せば。電源が入ればそれなりに
動くんだから、このままで行こう)
 そう思いながらも、うじうじ電源を入れたり、Windows98を終了させていた。
 そのうち、電源は入ったがBIOSが表示されなくなった。画面が黒いままだ。
このときは焦った。電源を切ろうとしたが、今度は切れない。なんなんだ。もう、
全部壊れたのか。泣きたくなった。夕方、Sに電話して訊いたら、このパソコ
ンは、電源を切るときは、5秒ほどスイッチを押し続けていれば消えるといわ
れた。そんなこと知らないから、もう頭は真っ白です。
 その後もなんとかWindows98が立ち上がるので、これで息子に我慢してもらお
うと思った。
 6時半、所沢のパソコンショップに、サウンドボードとCD-ROMをつなぐケー
ブルを買いに行く。古いパソコンのサウンドボードを使ったのだが、買ってき
たCD-ROMのコネクターが違っていた。ATAPIという使用だとSはいっていた。
 ショップの店員に訊くと、
「サウンドブラスターの新しいものですか?」
 と訊く。
 そんなこと私は分からない。あのパソコンを買ったのは、まだWindows95が出
てない頃だから古いんだろう、なんていおうとしたら、
「コネクターが4つ付いてるのがありますから、これなら大丈夫でしょう」
 ほんとうに大丈夫かな、と不安な気持ちで570円のそれを買った。電車賃が往
復で280円合計1,000円弱の出費がパーになるのはくやしい。昨日、4,000円のジ
ャンクを買ったことはどうなんだ。気持ちうらはらな私です。
 家に帰って付けてみると、接続できた。なんかいいかげんな感じの店員だっ
たから、どうも不安だった。
 シャワーを浴び、食事をし、NHKの「バイキング」の前編を見た。後編は、パ
ソコンをいじりながら見た。
 CD-ROMに、ウニャ・モラスのケーナのCDを入れて再生させると、スピーカ
ーから音が出た。これはうれしかった。
 どうせ息子たちは、ゲームぐらいしかやらないだろう。そのためには、音が
出ることは必要条件だ。

 そんな訳で今回の「自作パソコン物語」は終了とします。
 パソコンはどうにか動きます。でも、最初のスイッチを5、6度押さないと
立ち上がりません。画面が、ときどき黄色になったりするのも気に入らない。
たま~に、BIOSが立ち上がらないのも気になるな。お金をためて、新品のマザ
ーボードを買います。
 みなさん最初に自作するときは新品のパーツを買いましょう。それだっ
たらマニュアルも付いてると思いますので、安心でしょう。
 いろいろありましたが、でも、自分が組み上げたパソコンは、最高です。

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パソコンを作る(1)

1999年08月12日 | パソコン・スマホ

 昨日、パソコンのパーツを買うために秋葉原に行った。
 夏休みにパソコンを作りたいな、とはなんとなく考えていたが、経済的なこ
とを考えるとやはり無理だと思っていた。
 ところが、日曜日に所沢パティオの友人のSからメールが来ていた。
「パーツを買いに行くようでしたら、つき合いますよ」
 7月末にオフで飲んだときに、「パソコン作りたいんだ」と私がいったこと
を覚えていたのだ。
 そんなメールをもらっては無視するわけにもいかない。
「お金がないので、作りたいのはやまやまだがとうぶん我慢します」
 というメールをSに送った。
 翌日電話をすると、
「僕の余っているパーツを上げますよ。だから、ケース、FDドライブ、CD-ROM
ドライブ、OSぐらい買えば作れますよ」
 という。
 彼は、自作したパソコンをアップグレイドしていて、取り替えはずしたCPU、
マザーボード、ハードディスク、ビデオカードなどがあるという。
 それからSと会ってビリヤードをした。彼は、まだ20代で独身だ。たまに
会ってへたなビリヤードをしている。
 そのあと所沢のパソコンショップ(ここにはパソコンのパーツなどが売って
いて、そこを見てから、私もパソコン作ってみようという気持ちになった所で
す)に行って、いろいろ説明してもらった。その後、喫茶店で彼からいろいろ
話を聞いてるうちに、秋葉原にパーツを買いに行くことなった。
 昨日は暑かった。その中を、私たちは必死になって中古パーツのお店を駆け
回った。
 朝のうち、私はケースとOS(Windows98)ぐらいを買って、あとは彼からもらえ
るパーツと古くて使ってないDOS/Vパソコン(この前、今のパソコンが壊れたと
き使っていたもの)のFDドライブとCD-ROMドライブそして、サウンドカードを
使って「自作パソコン」というものを味わってみようと思っていた。
 という計画を持ちながら、財布には5万円ほど入れてきた。息子が使うパソ
コンなので、できるだけ快適なパソコンを作って上げたいという親心も心の隅
っこにあったのです。
 Sがあるショップで、ペンティアムIIの載る4,000円のマザーボードを見つけ
た。
「これはジャンクです。動かないかもしれません。でも、動いたら掘り出しも
んです。騙されたと思って買ってみませんか。ただし、動かなくてもいいとい
う覚悟がなかったらやめて下さい。そのとき、僕のこと恨まないで下さいよ」
 私は、考えた。薄給の私にとって、4,000円は大きな金額だ。それを捨てるこ
とになったら。でも、私の遊び心がぬくぬくと鎌首を上げてきた。一か八かの
賭に、私は、掛けてみようと思った。それにこのクソ暑いのに、一日つき合っ
てくれてるSを楽しませてあげたいという、私のサービス心が出てきた。彼だ
ってこれまで、ジャンクを買って苦労をしている。それを少し味わってみても
いいではないか、と私は心を決めた。
 そのマザーボードをレジの店員に持っていくと、
「これは、レシート、保証書渡せませんがいいですか」
 という。へェーそういうもんなんだと私は思った。
 マザーボードを買ったことによって、CPU、メモリーも買わなければならなく
なった。あっちこっちのショップに行き、価格を見ては戻ったりと動き回った。
 マザーボード                4,000円
 CPU Pentium II 233 (FAN付き)         6,980円
 CD-ROM 24倍速                                         3,980円
 メモリー 32MB DIMM  (2,580円x2)      5,160円
 ケース                      6,980円
 OS(Windows98)               7,980円
 この他、ケーブルとか小物を買って、総額、36,600円になった。
 ケースを、所沢まで持ち帰るのは大変でした。

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今日の朝礼

1999年08月09日 | 会社・仕事関係

 私は毎朝、仕事の始まりに、10人の女性を相手にして朝礼をします。
「お早うございます」
 といって、今日のやる種類、予定生産量、それぞれのやってもらうことをいう。
 今日は、ペルーの女性3人だけだったので、
「Buenos dias」
 といった。
 これは、前から計画していた。彼女たちは笑った。予想どうりだった。
「みなさんとおれは、明日から夏休みになります。最後の一日怪我のないようにがん
ばりましょう」
 今日は、アナも笑顔だった。

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ニセ青竹踏み

1999年08月09日 | 会社・仕事関係

 現在のような仕事をしていると、足の土踏まずが痛い。なにしろ一日中立ちっぱな
しです。もちろん、フォークリフトに乗ってるときは、座席に坐ってますが…。
 私の場合、右足の膝の裏の靱帯を1本交通事故で切断しているので、立っているこ
と、歩くことが普通ではありません。どうしても左足でかばうためか、その足が特に
痛い。
 近くの100円ショップに、プラスチックで出来てる「ニセ青竹踏み」があったの
で、5月頃に買った。買ったときはそれほどやらなかったが、今は毎日踏んでいる。
 イボイボが足の裏に気持ちいい。でも、それをやることが疲れる。
 たま~に、女房が私に同情して、足の裏をマッサージしてくれる。このときはさす
がに、“あの方”に感謝する。
 でも、女房はマッサージをやりたくないようで、電気マッサージ器を買うようにい
う。私は、高い金を出すぐらいなら、ニセ青竹踏みでいいと買わない。
 人間、楽をして気持ちよくなろうなんて、考えてはいけない。(タダ、カネガオシイダケデス)

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肉体労働の効用

1999年08月08日 | 健康・病気

 なんといっても痩せたことですね。
 6月18日に、72kgあった体重が、昨日は、67.2kgになりました。7月末に67kg代
になった。これまで、いろいろ痩せようと努力したけど、なかなか酒を飲むのをおさ
えること、ダイエットすることができなかった私ですが、今の仕事になってから食事
の量、酒の量は変えてないのに5kgほど痩せられたことは嬉しい。
 しかし、今日のように家に1日いると、体重は68.4kgになっている。
 明日から夏休みなのですが、生産数を挽回するために出社する。明後日から私の夏
休みです。太ってしまうのだろうな。

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