図書館のバカヤロー

1998年10月31日 | 料理

今日、図書館に行ったら休みだった。
 こういうところは、土曜日に休んで欲しくない。
 平日に行けない私のような者はいつ行けばいいのだ。市民に本を借す気がな
いのか。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………

10月の九想話

10/1   ホンモノを見抜け
10/2   太宰治
10/3   秋の桜
10/5   郵便受け
10/6   子会社の経営
10/7   ライオンズ優勝
10/8   ビールかけ
10/10  U の記憶
10/11  相 性
10/12 「はざ」と「おだ」
10/13  双子に生まれた私たち
10/14 10分間の休憩
10/15  久しぶりの試験
10/16  ハローワーク飯田橋
10/17  阪神の監督は?
10/18  逃げ出したい
10/19  会社と社員の関係が変わる
10/20  クラス会
10/21 ねむい
10/22  ある会社
10/23  ようこそ先輩
10/24  ある課長の自殺
10/25  兄弟
10/25  炬燵前線
10/26  私の日本シリーズ
10/27  来年が楽しみ
10/27  少年
10/28 消えた書店
10/28  ふたつの死
10/29 朝のお仕事
10/30 金曜日の笑顔
10/31 図書館のバカヤロー

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金曜日の笑顔

1998年10月30日 | 会社・仕事関係

 5時前に、一緒に生産管理をしているSと会社に戻って、第1工場の裏口か
ら入ろうとすると、賑やかな声がする。見ると、金型をフォークリフトがゆっ
くり運んでいた。それの後ろにしがみつくように、製造の男が3人乗っていた。
まるでお祭りの山車のようだった。3人の中のKが、
「このフォークじゃだめだァ。これじゃジョブチェンジできませんよ」
 と、私とSに大声でいう。
 今日、第1工場のフォークリフトは点検のためにリース会社が持って行き、
目の前を走っているのは代車だった。その代車は2トンで、いつも使っている
フォークリフトは2、5トンなのだ。金型が重くて、フォークリフトが浮いて
しまうので、製造の奴らが乗っているのだ。
 私のたてた計画では、3号機は1勤までHS30のサイドウィンドウを成形
し、2勤でジョブチェンジして(金型を載せかえて、ガラスを成形できるよう
調整するのに5、6時間かかる)、月曜日の1勤からSX0のフロントベンチ
を成形することにしたはずだ。
 なんとかR側の金型は、成形機まで運んで載せたが、L側は少し重いので、
そのフォークリフトでは無理だとKがいう。
 私は考え込んでしまった。検査が終わってフォークリフトが戻ってくるのは
月曜日だが、ジョブチェンジは今日中にしてもらわなくては、私のたてた計画
が狂う。
 そのときSが、
「第3工場のフォーク持ってきましょうか」
 という。
「この通勤時間帯の混雑してるときどうやって」
 Kがいう。
「頭下げて車に停まってもらうんですよ」
 Sがニコニコしていう。ちょっと太っていて、黙っていると近寄りがたい雰
囲気の彼だが、笑顔は天下一品だった。第1工場と第3工場は500メートル
ほど離れている。
 先週、T硝子から台車(製品のガラスを入れて運ぶもの)のビニールシート
が破れたから交換してくれといわれていて、そのシートがやっと今日入ったの
で、Sと交換しに行ってきたのだ。これで1週間が終わった、と思っていたの
に、こんなことが会社で待っているとは…。
「裏道、使いましょう」
 Kの一言で決まった。Nが運転し、私たちはフォークリフトの前後を歩いた。
夕方の住宅の間の細い道路を、フォークリフトはモーターを唸らせて走った。
地べたを這いつくばうように暗闇を走るフォークリフトは、怪物のようだった。
 第1工場に戻り、無事L側の金型を成形機に載せた。
 帰りは面倒くさいから、表の通りを行こうということになった。無事金型を
載せてジョブチェンジできることになった安堵感が、みんなの心を大きくして
いた。
 製品の、仕上げや検査をしているおばさんたちが、1週間の仕事を終えた開
放感を顔いっぱいにくっつけて「おつかれさまァ」と帰っていく。
 Sが道路に出て、両手を広げ丁寧に頭を下げて、通行する車を停めた。フォ
ークリフトが唸りながら、表通りを走っていく。
 私に、やっと金曜日の開放感がやってきた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝のお仕事

1998年10月29日 | 会社・仕事関係

うちの会社は、朝8時15分から始まる。
 私はだいたい8時に行っている。
 それから朝のお仕事をする。2つの事務所と会議室のくず入れのゴミをポリ
袋に入れて、きれいにするのだ。
 9歳年下の課長(この人は、先週まで1ヶ月休んでいた)はのんびり煙草を
吸っている。13歳下の副課長は、女の子と楽しそうに話している。
 その脇を、私は毎日さっそうと手早く、くず入れのゴミを半透明のポリ袋に
入れていく。のんびりやってられない。8時10分から、生産管理の朝礼をし
なくてはいけない。なぜか私が一番の新入りなのに、朝礼をしなくてはならな
い。
 つくずく転職はイヤだ、と思う。
 これでも前の会社では課長だった(とエバッテどうする)。朝、机に坐って
いれば、女の子がいろいろやってくれた。今は必死でゴミを毎朝集めている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふたつの死

1998年10月28日 | 健康・病気

 たった今、田舎のクラス会の幹事をやってるやつから電話が来た。
 私は今日まで葉書を出してなかったのです。メッセージという欄に何か書こ
うと思っているうちに今日まで書かずにいた。
 参加するよ、といい、そのあと近況を話した。高校を卒業してからだから、
27、8年ぶりに彼とは話した。
 小堀が8月13日に死んだ。そして、大塚さんが昨日亡くなった。とそいつ
がいう。二人とも心不全が死因だったそうだ。
 ラグビー部のキャプテンをやってた小堀。クラスでは、いつもみんなを笑わ
せてくれた。大学を出て、京都で教師をしていたという。
 大塚さんは、身体が弱くて学校を休むことが多く、1学年上から降りてきた
人だ。私に、親しくよく話しかけてくれた人でした。
 46歳か…。
 これまで私のクラスでは、交通事故で2人死んでいる。合計4人になってし
まった。
 電話を終えて、台所の換気扇のところで(うちではここかベランダでしかい
けません)煙草を吸いながら、涙が出てきそうになりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消えた書店

1998年10月28日 | 会社・仕事関係

 今日の会社の帰り、踏切前の渋滞でまいった。これは、定時に会社を出てき
たせいだ。6時過ぎに出てくると、これほどの滞りはない。
 あまりの退屈さに窓の外を見ると、? あれ、本屋がない。レンタルビデオ
屋の隣にあったそこそこ大きい書店のビルが暗くもぬけの殻になっていた。ビ
ルの壁を見ると、「BOOK」と大きくネオンがあったところが、取り除かれ
た跡で「BOOK」と読めた。
 ここにはあまり来なかった。Kが、「ビデオを借りたいから乗せてって」と
いったとき車で来て、息子がビデオを借りるまで、私は暇を潰すために本屋で
立ち読みしたぐらいだ。
 それにしても、私にとって書店がなくなるということは寂しい。ガソリンス
タンドやディスカウントの酒屋などの店が潰れるのを見るのはなんとも思わな
いが、本屋がなくなることは辛い。
 昨日、NHKの「クローズアップ現代」で本が売れない、ということをやっ
てたが、そうか…、とあらためて感じた。
 昨年、新所沢駅前に本屋が開店して、2ヶ月で消えた。これには驚いた。東
京に本店がある書店で、かなり大きな店舗面積だった。開店したとき喜んだの
だが、あっというまに落胆した。
 私は、21歳のときN女子大の生協書籍部で働いていた。これまでやってき
た仕事で一番楽しかった。女子大だったからではない(ともいいきれない)。
本を売ることが楽しかったのです。
 取次店の倉庫(ものすご~ーーーく広く、日本中で売られてる本があった)
で、女子大生に読んでもらいたいと思う本を、わしづかみにして台車の上の段
ボール箱に入れたときは楽しかった。ほとんど自分が読みたいと思った本ばか
りだったかな。自分が買うわけではないのだが、豊かな気分を味わった。
 本を売るという仕事は、私にとって大好きな仕事でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少年

1998年10月27日 | 会社・仕事関係

 うちの会社に、17歳の男の子が働いてる。
 息子たちより1歳年下だ。
 その子を見るたび、なんか胸が熱くなる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

来年が楽しみ

1998年10月27日 | スポーツ

 野村前ヤクルト監督が、阪神の監督になることになった。
 どっちかというと、私は嬉しい。
 ヤクルト監督のときも、けっこう好きだった。
5年前、会社のヤクルトファンの同僚と神宮に行ったとき、どっちを応援するか困っ
た。なにしろまわりは、ビニール傘を持って踊ってるやつらなんです。当然、同僚も
傘を持って踊っていた。
 そのときは、試合が終わって、私も東京音頭を歌ってました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

私の日本シリーズ

1998年10月26日 | スポーツ

 私にとっての日本シリーズとは、どっちが勝ってもいい、7戦、緊迫したい
い試合を見たい、ということにつきます。
 少し正直にいうと、できれば7戦までいい試合を続けて、最後に、わが所沢
の名を高めてくれるライオンズが勝ってくれることが喜ばしい。
 本音をいっちゃうと、昨日炬燵を出したとき、炬燵の下敷きがないことに気
づいた。5月に炬燵をしまったとき、あまりにもボロボロだったので捨ててし
まっていたのを思いだした。昨日、女房と西友に行ったところ、なかなかいい
ものがあった。7000円前後のものがよかった。日本シリーズで西武が優勝
すれば、15%OFFになる。だから、なんとしてもライオンズに勝って欲し
い。
 それなのに、負けてしまった。

 しかし、ベイスターズに拍手をします。
 権藤監督、好きになりました。
 8回に出てきた阿波野を、応援しているおれはなんなんだ。
 8回裏で、2塁打を打った駒田はエライ。
 しかしその前の、審判の判定は?
 やっぱり、佐々木には花を持たせたかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

炬燵前線

1998年10月25日 | 暮らし

今日、わが家では炬燵を出した。
 昨日、所沢はとっても寒かった。西武ドームで並んでいた人たちも寒かった
ろうな。
 仕事から帰ってきた女房に、
「そろそろ炬燵を出そうか」
 と、いうと、
「まだいいんじゃない」
 と、乗り気じゃない。
 昨日と打って変わって、今朝は暑かった。日光が射し込む午前中は、カーテ
ンを閉めなければいられなかった。
 しかし、午後になるとやはり10月下旬の気温は肌寒く、女房と協議の結果、
炬燵を出すことにした。
 炬燵を出す準備をしながら、この前しまったのは5月のゴールデンウィーク
だったな、と思った。山梨から帰ってきて、連休が終わると新しい会社に出社
するのだと緊張していた頃だ。ときの過ぎるのは早いものだな、とあらためて
感じた。
 ところで、「桜前線」という言葉があるのだから、「炬燵前線」があっても
いいですね。
 今日の晩ご飯は、寄せ鍋にした。炬燵で寄せ鍋、もうすっかり気分は冬です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兄弟

1998年10月25日 | テレビ

 またまたテレビの話で恐縮です。
 NHKで今日午前9時35分から「土曜ほっと」という番組を見た。「今だ
から話せる兄弟秘話」ということで、北野大、なかにし礼が兄弟のことを話し
ていた。
 北野大は、弟のビートたけしのことを、なかにし礼は、小説にも書いた兄の
ことを話していた。
 とても興味深い話を聞けて楽しかった。
 テレビを見ていて、私は兄のことを考えた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする