2013年がゆく

2013年12月31日 | 健康・病気

忙しく、2013年が過ぎていく。
11月からは家を購入することで必死になっていた。
なんとか家を買うことができました。
来年は、その家のリフォームで忙しいと思う。
壁紙などは、節約して業者に頼まずに私と女房とでやる。
庭もそれなりにあるので、綺麗な庭にしたい。
忙しいです。
………………………………………………………………………………………………

12月の九想話

12/2   石破氏のおごり
12/3   ベッカンコおに
12/4   尺八
12/5   もう寝ます
12/6   健康診断
12/6   月と金星
12/7   祈り~a prayer
12/8   12月8日
12/12  ぞうげ色で、つめたくて
12/13  Windows8.1
12/14  パソコンを買う
12/15  行きずり
12/16  パジャマのズボン
12/18  大人の科学
12/20  家を買う
12/22  家の鍵をもらう
12/23  孫たちに会う
12/24  人生“中盤”の一手
12/25  11月の句会
12/27  クリスマスウォーキング
12/27  トンボの湯の温度
12/28  ミニエレキ製作
12/29  忘年会
12/31  水無月忘年会
12/31  大瀧詠一
12/31  2013年がゆく

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大瀧詠一

2013年12月31日 | 健康・病気

大瀧詠一が亡くなった。
私が大切に思っていたひとです。
残念です。
彼のメロディー・歌い方が、私は大好きです。

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水無月忘年会

2013年12月31日 | 健康・病気

 

12月30日に演劇集団水無月の忘年会があった。
その前に麻雀をやるというので、午後4時にさいたま市の水無月稽古場に行った。
私にとって4年ぶりの麻雀だった。
昔の九想話を読んで調べたら、前回水無月稽古場で麻雀をしたのが2009年だった。
ハンチャン2回やりまして、ー43と負けました。

忘年会は7時半ぐらいから始まった。
いつものメンバーがそれぞれの時間に集まった。
来る人来る人が酒や料理を持ってくるので、コタツのテーブルの上にはご馳走がならんだ。
楽しい話が続く。
おもに昔の思い出話だ。
みんな水無月稽古場で芝居を経験し、卒業して行った人たちだ。
この水無月の忘年会に毎年必ず来ていると思う。
私は、なかなか都合がつかず4年ぶりになってしまった。

30年続いてきた水無月稽古場が、来年2月で閉鎖になるという。
さびしいですね。
しかし考えれば、30年間も続いてきたことに感動する。
この稽古場には、私なりに思い出がたくさんある。
でも、水無月劇団員の稽古場への想いは私以上でしょう。

私は帰りの電車が心配で、10時半に水無月稽古場を出た。
まだみんなは盛り上がっている。
30分歩いて大宮駅に着いた。
もう、この駅には来ないだろうな、と思った。
水無月の前身の劇団に参加して、22歳の頃から利用してきた駅です。
あの頃と比べると、立派な駅になりました。

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忘年会

2013年12月29日 | 健康・病気

今日は、新所沢の友人たちとの忘年会だった。
夏に軽井沢に遊びに来てくれた友人たちです。

メインの料理は、すっぽんです。
肉は美味いと思わなかったが、スープが美味かった。
最後に雑炊で食べました。

軽井沢、所沢と離れてしまったが、こうして付き合っていけることがうれしい。

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ミニエレキ製作

2013年12月28日 | 健康・病気

みなさま、お待たせしました。ダレモマッチャイナイデスヨネ
大人の科学の付録のミニエレキを、本日やっと製作にとりかかりました。
 
大人の科学の本誌と付録を分けるとこのようなものになる。
 
作り始めて、かなり難しいぞと思った。
私は、本誌の「ふろくの組み立て方」を読んで、慎重に作り始めた。
部品が小さくビスで取り付けるとき神経を使った。
エナメル線でコイルを巻くときは、いつ終わるのかと思った。
 
1時間ほどで製作は終了した。
乾電池を入れ、まず音を出してみる。
エレキの音がする。
音が割れている。
チューナーを使って音を合わせた。
ネックが子供用のように小さく、うまく弦を押さえられない。

結論として、これは“楽器”としては不十分ですね。
音程がきちんと出ない。
これを買ってしまったことは失敗でした。

 

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トンボの湯の温度

2013年12月27日 | 健康・病気

  

なかなかトンボの湯に行けません。
昨日、床屋に行ってから今年最後だと思って行ってきた。
クリスマスツリーの飾り付けをクレーン車を使ってはずしていた。
夜に行ったことはないので見ていないが、綺麗だったでしょうね。
今年は、芝生にランタンも置かれていた。

入るときに下足棚の靴を数えたらちょうど20足だった。
身体を洗って湯船に入る。
気持ちよかった。
大きなガラス越しに見える外の景色もいい。
お湯につかりながら今年のことをいろいろ思った。

露天風呂に行く。
お湯に右足を入れたときに違和感を感じた。
これまでに感じたことのないお湯の熱さだった。
軽井沢に住んで4年9ヶ月、トンボの湯にそれなりに入っているが、
露天風呂の温度があんなに熱かったとこはなかった。
内風呂には温度計があり、いつも41度を表示している。
露天風呂はそれより少しぬるくなっていた。
それで私は、最初に内風呂に短い時間入り、露天風呂に長い時間つかっていて、
最後に再び内風呂に入って温泉を出るという習慣にしていた。
ところが昨日はお湯の温度が熱くて長く入っていられなかった。
私はちょっと不安になった。
これからもずうっとあの温度になってしまうのか、と。
トンボの湯は源泉掛け流しをうたっているから、あの温度になってしまうのかな?
あの露天風呂の熱いお湯はつらい。
トンボの湯に行く回数がへってしまうだろうな。

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クリスマスウォーキング

2013年12月27日 | 健康・病気



  

12月25日(水)は休みでした。
久しぶりにウォーキングを1時間あまりした。
冬になり寒くてウォーキングをさぼりぎみです。
できるだけ歩こうと思う。

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11月の句会

2013年12月25日 | 健康・病気

11月末投句締切りの句会の結果を報告します。
兼題は、「冬暖(あたたか)、冬ぬくし」 「冬紅葉」<“文”しばり>で、
私は久しぶりに優勝しました。
といっても優勝はもう1人いました。
参加者が6人なのでさびしいです。
15年前ほどは17・8人いました。

   やさしさが隠れし言葉冬ぬくし        
 冬紅葉曲がりし角に身をひそめ        
 恋文を十年かけて冬に出す          

私の句の中で、

 やさしさが隠れし言葉冬ぬくし

この句が好きです。
俳句にも真面目に立ち向かわなくてはと思っています。

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人生“中盤”の一手

2013年12月24日 | 健康・病気

ドキュメンタリー同期生「人生“中盤”の一手~奨励会 昭和57年組~」
NHK総合12月24日(火) 午前1:00~午前1:25(25分) を観た。

> 特別な時間を共有した同期生を追うドキュメンタリー。
> 将棋のプロの登竜門「新進棋士奨励会」に焦点をあてる。
> 棋界を代表する羽生善治や森内俊之らが奨励会に入ったのは昭和57年。
> “昭和57年組”の中からは、トップ棋士が多く生まれた一方、
> ほとんどの人は、年齢制限で退会し、違う人生を歩むことになった。
> 今、40代という人生の”中盤”に差し掛かった昭和57年組。
> かつての天才少年たち、それぞれの夢の軌跡を追う。
NHKの番組紹介にこのように書いてある。

番組では2人の人を取材して報告していた。
1人は、規定の26歳までに四段になれずに将棋界を去ってサラリーマンになったが、
将棋にもう一度夢を求めて、アマチュア戦を闘っている人。
現在アマチュアからプロ棋士への編入ができるようになったので、
アマチュア棋戦で優勝を目指しているが、今年も準決勝で負けてしまった。
もう1人は、現在プロの七段で順位戦B級2組にいる人だった。
昨年、B級1組から2組に降格してしまった。

同期生の羽生善治と森内俊之が名人戦を闘っているのに、
現在の自分を考えると2人とも忸怩たる思いだろう。
私なんてそれ以下だ。
このようなドキュメンタリーを観て、自分をなぐさめている。
いや、だめだ、私はなんとかしないといけない。
少なくともこの2人は闘っている。
私も闘わなくてはならない。

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孫たちに会う

2013年12月23日 | 健康・病気

22日は忙しかった。
私と女房は、購入した家を見てから息子たちの家族に会いに行く予定になっていた。
まず最初にUのところに行くのだが、女房が息子と約束していた時間が、午後1時から1時半ということだった。
途中、ラーメンでも食べていこうと考えていたが、時計を見てあきらめた。
なんとか1時40分にUの家に着いた。
玄関のアラームを鳴らすとドアが開いて、孫を抱いたUが立っていた。
久しぶりに見る息子だった。
9月に行ったときは嫁と孫にしか会っていなかった。
12月で1歳になっていた孫はしっかりした男の子になっていた。
自分で立っているし、少し歩くこともできた。
女房が一所懸命、孫をあやす。
私は、ただ写真を撮っていた。
どうも、私はかっこつけている。
孫の前でバカになれない。
孫を抱かせてもらう。
ずっしりとした重みがあった。
男の子だな、と感じた。
15分ほどいてUの家を出た。

それからが大変だった。
その日が、孫の習っている新体操のグループがなんとかカップという大会に出るという。
その会場である志木市民体育館に行くのだが、カーナビになかった。
人に聞いたりして迷いに迷ってなんとかたどり着いた。
ところが駐車場に空きがなかった。
私の勤務する施設でも、新体操の発表会などの日は駐車場が車であふれてしまう。
私はしかたないので、邪魔にならないところに停めてある1台の車のうしろに停めた。
午後3時半から始まるところに私たちは、10分前に着いた。
観客席に行くと、息子と嫁がすぐ見つかった。
私がカメラを持っていると息子が私に注意する。
「許可もらってない人は写真撮っちゃだめなんだ」と。
私は、仕方なく女房にカメラをあずけた。
孫のグループの演技は、6番目だった。
体育館のフロアまで降りて見ていいと嫁がいう。
孫の演技が始まる頃に、孫たちが演技する前まで私たちは降りた。
孫はリボンを持っていた。
小学6年生から1年生まで一緒に演技した。
30名はいたのだろうか?
孫の小学校まで先生が行って、新体操を教えてくれるのだそうだ。
孫が一所懸命踊っている。
踊っている中で一番背が小さかった。
リボンが足に巻き付いたりしている。
そんな孫を見ていて、私は涙がにじんでしかたなかった。
全部のグループの演技が終わってから、なわとびをみんなでやった。
保護者も参加できるといわれて女房が行った。
孫のそばで一緒になわとびを使ったダンスをやっていた。
表彰式で孫は名前を呼ばれて賞状をもらった。
終わって、私たちのところに来た孫は、うれしそうに賞状を見せてくれた。
外に出ると、すっかり暗くなっていた。
私は、息子となんの話もできずに別れた。
家のことなどを話したかった。
Uとは少し話したけど、Kとはまったく話せなかった。

 

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