軽井沢に来て1年

2010年02月28日 | 健康・病気
二月が終わる。
28日というのはやっぱり早い。
3月が来ると私は、軽井沢に住んで1年になる。
早かったですね。
あっというまです。

今、去年の3月1日の九想話を読みました。
28日からコンビニで夜勤をやって、仮眠して長野に来たんですね。
確か、朝、レジを締めたときにお金が合わなくて焦った記憶がある。
朝来たバイトの女性がその原因を探してくれて、
感謝して家に帰ったことを覚えています。
コンビニの仕事も激務でした。


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2月の九想話

2/1 さぶ~い
2/1 ブログのかたち
2/2 もとに戻す
2/2 雪           息上がる雪どかしてもどかしても
2/3  あァ…、トヨタ    春になりトヨタ自動車春が去る
2/4 無縁社会       ひとりではなんにもできない春が来た
2/4 ジョン・レノン博物館
2/5 今岡誠
2/5 とめはねっ!     春泥や希望の轍強調す
2/6 また雪かき      雪が降る啄木鳥の音軽井沢
                季語は何かと俳句をひねる
2/7 怒鳴られる      炬燵では寝ちゃいけないと怒鳴られる
2/8 息子たちのビデオ  早春や妻バスで来る軽井沢
2/9 暖かい         寄り添えば人の心は暖かし
2/10 女房は軽井沢が大好き
2/11 あ…新所沢
2/12 おとうと        東京の春から帰る軽井沢
2/13 お~い龍彦      A弦を音叉に合わす春の雪
2/14 昨日のつづき
2/14 温泉の効能     温泉に首までつかって春を待つ
2/15 陶芸          もう生きていることもなし春炬燵
2/16 おめでとう!
2/16 メガネのイタガキ   眼鏡買う明るい春を見たくって
2/17 カンテツな女
2/17 ウソか夢か?     球春や動き出したる甲子園
2/18 向学心         向学心なくもないがあまりない
2/19 疲労困憊       いいことはなんにもなくて春の夢
2/19 ウニャ・ラモス
2/20 来てますパンカーラ   
2/21 スペイン語       生きているザラザラ転がり春を得る
2/22 リャマの小道      春の気配氷点下でも軽井沢
2/23 体内時計       遺伝子が春を感じて動き出す
2/24 すばらしい女性     
2/25 受動喫煙        
2/26 磯じまん
2/27 絶望的!!
2/28 軽井沢に来て1年      

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絶望的!!

2010年02月27日 | 健康・病気
明日は、私が参加している「わいわい雑俳塾」の投句締め切りです。
ですから、ワ・タ・シは本日、俳句を作ろうと何日か前に“決断”していた。
2月は短いから毎年気をつけねばならないのです。
月末が投句締め切りと分かっていても、どうしても27日なんて気がゆるむ。
しかし、考えれば明日で2月も終わりです。
お題は、「二月」「春時雨」<“カタカナ入り”しばり>です。

明日はなんと!!女房が軽井沢に来る。
とてもじゃないが俳句なんて作っている場合じゃない。
だから今日中に作って投句しようと思っていた。

“なのに”今日、職場の仲間が「久しぶりに、酒を飲もう」という。
ああ…、なんで今日なんだ。
今週は、3月1日から始まる私の施設の1年の締めくくりである
「創造展」のための、準備で忙しかった。
80弱ある団体の作品を3月7日まで展示するのです。
油絵、水彩画、切り絵、パッチワーク、書道、書画、版画、彫刻、仏刻、陶芸。
ステージでは、吹奏楽、大正琴、長唄、ダンスのヒップホップ、新体操、フラダンス。
ロビーで、オーケストラの演奏。談話室を改造してやる演劇講座の朗読劇。
演劇講座は私の担当です。

月曜日から体を酷使した。
なんといっても私が今の職場で一番若いのです。
私が率先して体を動かさなかったら前に進まない。

なんとか今日でカタチができた。
今日もいくつかのサークルが作品を展示しに来たが、明日は全部の団体が来る。
それはいいのだが、なんといっても、女房が軽井沢に来る。
夜、俳句なんて作っていられない。
でも、投句締め切りだ。
どうしよう…

3月1日で私が現在の職場に来て1年がたつ。
早いもんですね。
今日の飲み会は、そういうことでもあったのです。
明日がコワイ。

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磯じまん

2010年02月26日 | 健康・病気
私が愛読しているブログ「のはらだより」の2月22日は、
「自慢?」という標題で、海苔の佃煮のことを書いている。
私はこれをハラハラドキドキしながら読みました。
「のはらだより」は、
九想話のブックマークにありますので読んでみて下さい。

私も“ごはんですよ!”が大好きです。
ご飯を食べるときは必ずこれで二口三口ご飯を食べます。
どんなにおかずがあってもこれは欠かせません。
いろいろ海苔の佃煮を食べましたが、
やはり“ごはんですよ!”が一番のお気に入りです。

のはらさんは、息子さんに頼まれていた「ごはんですよ!」を、
近所の市場で買おうとしたら、市場のオッチャンに、
「今日は“磯じまん”が安売りや。
 “ごはんですよ”とほぼ同じ味、っちゅうことで
 いつも置いてるやつや。
 そっちにしたらどうや。」
のはらさんは“磯じまん”を食べたことがない。
でも、一所懸命に勧めてくれる市場のオッチャンに逆らえない。
結局、“磯じまん”を買ってしまう。

このあたり、のはらさんのやさしさがにじみ出ていますね。
私だってゼッタイ断れるわけがない(小心者なんです)。
私なら“磯じまん”を10コでも買ってしまいそうです。ウソツケ

“磯じまん”は、私が小学生の頃よく食べていた。
私の母は、“江戸むらさき”より少し安い“磯じまん”を買ってくれた。
その頃、私は味にうるさくなくてなんでもよかった。
小学3・4年生の頃だったか、母親が農作業で忙しくて弁当のおかずを作れないとき、
私は、学校の机の中に“磯じまん”を1瓶置いておいた。
アルマイトの弁当箱にご飯だけを持っていって、
“磯じまん”でご飯を食べたなんてことがありました。
そのときは毎日、“磯じまん”でお昼を食べるのです。
そうだ、ご飯は、麦入りご飯だった。
おふくろは、炊きあがったご飯の上のほうをしゃもじでどかす。
麦飯は軽いので上になるのです。
その部分を削り取って下の白米を弁当箱に詰めてくれた。
しかし、そんなことをしても少~し麦は入ってしまう。

私の家のおかずなんてあってないようなものだった。
普通は、お新香と味噌汁ぐらいだった。
百姓だから野菜はある。
しかし、現金がないからお店でおかずの材料を買えない。
私は、野菜が嫌いだった。
ですから、私のおかずは海苔の佃煮、ふりかけ、などでした。
でも、それらのものも買ってもらえず、多くは醤油をかけて食べていた。
栄養が足りなかったせいか、私はよく病気になって寝込みました。
その頃、私の家では鶏を10羽ほど飼っていた。
朝、卵を取りに行くのは私の役目だった。
しかし、その卵を食べることはできなかった。
近所に売っていたのです。
親父は毎朝、卵かけご飯を食べていた。
一家の中心となって働かねばならないからだ。
子どもは食べさせてもらえなかった。
たまに母親が親父に内緒で私と兄に卵を1つくれると、
2人でご飯を茶碗で3杯づつ食べた。
最後は卵などなくほとんど醤油の味だった。

のはらだよりを読んでいて、ふと“磯じまん”を食べたくなった。
所沢には売っていたが、軽井沢では売ってない。
あ…、なんか無性に“磯じまん”が食べたくなった。
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受動喫煙

2010年02月25日 | 健康・病気
「公共施設は原則全面禁煙」厚労省通知 飲食店など対象(朝日新聞) - goo ニュース

とんでもないことになりつつありますね。
公共施設や飲食店での喫煙が禁止されようとしています。
いざ、立ち上がれ喫煙者たち!!

あまり社会が潔癖になることを憂いる。
ほどほどに世の中は汚れていたほうがいいと考えます。
そりゃ、受動喫煙で有害物質はもらいたくない。
でも、私たちは、
受動喫煙以外でも健康に良くないものを沢山受けて生活している。
無神経なおばさんの行動。
自分勝手なおじさん。
不道徳な人間の行い。
理不尽なこの社会。
そんなものより煙草の害のようがよほど軽いのではないか。

って書いた私は、現在喫煙者ではない。
申し訳ありません。
なんとか去年の7月から煙草を断っています。

このごろ、日常的に煙草のことは考えなくても過ごせている。
職場は当然禁煙で、去年の7月までは1時間に1度ほど、
恐縮しながら建物の外にある喫煙所に行っていた。

喫煙者の味方の私ですが、
この前、新所沢の肴やに行き、友人の吸う煙草にむせ、
カラオケスナックでは、完全にその空間が辛かった。
私以外の6・7人は、10分に1度は煙草に火をつけていた。
私も去年までは、まったく同じ行動をしていました。
もう、うたっていても、煙草の煙で喉が苦しかった。
私の体は、煙草を受け入れない体になってしまったんですね。
でも、煙草を吸いたいという欲求はあるのです。
吸ったら咳き込むと思うのですが…。


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すばらしい女性

2010年02月24日 | 健康・病気
どうしてテレビの民放というのは、こういうふうにしか番組を作れないのかな?
悔しいけれどNHKの番組はいい。
しかし、扱っている題材は素晴らしい。

「ベストハウス123必見!放送123回記念スゴい女性が続々登場オンナは強いぜSP!!」
( 21:00 ~ 22:48 フジテレビ )
▽恐怖…指入りスープを飲んだ女性!?衝撃結末▽最後のメッセージ…愛する子へ母が残した命の言葉に涙▽どん底から脱出!人気モデルの壮絶人生▽巨悪根絶

しかし、また文句になるが、いちいち反響の声とかはなんとかならないのだろうか。
うるさくてしょうがない。どうせ録音の声を流しているんだ。ああ…、イヤダ。

ソマリアで生まれ、13歳まで育ち、父親から61歳の男と結婚しろといわれる。
結婚するとラクダが5頭もらえるからだ。
ソマリアでは、男のいうことが絶対だという。
母親が、「妹のいる町まで逃げろ」という。
1週間ほどかかる町まで逃げた。
昼は60度になる暑さだけど、夜は、氷点下になる砂漠だった。
やっとの思いでたどり着くが、しかし、叔母さんは、その子をこき使った。
あるとき、ある人がイギリスに行くという。
それに必死にお願いしてついて行った。
イギリスで、あるカメラマンに認められてモデルになる。
そして、32歳で引退し、現在は、国連で働いているという。
恵まれない女性のために働いているらしい。
すばらしい話だ。

もう一つの話は、悪性リンパ腫になった女性が恋をして男と結婚した。
幸せに2年が過ぎた。
結婚した夫婦にとって普通のことなのですが、妊娠した。
しかし、そのとき奥さんにガンが再発した。
医師は、子どもを堕ろしてガンの治療をするようにすすめた。
そのとき、奥さんは、子どもを産むことを選んだ。
自分の治療は、子どもが生まれるまでいっさい拒否して子どもを産んだ。

子どもを産んで6日後にガンの除去手術をした。
成功したのだけれど、結局昨年の2月に奥さんは亡くなった。
子どもに自分の姿をビデオに残したいと思ったのでしょう、
死ぬ1週間前ほどに自分だけでビデオをセットして、
息子に話しかけるビデオを残した。

すばらしい母親だな、と思う。
こういう人に長生きして欲しかった。
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体内時計

2010年02月23日 | 健康・病気
プロフェッショナル・仕事の流儀[再]
(2/23(火) 00:45 ~ 01:40 NHK総合)
「カラダを操る体内時計・謎に挑む若き天才学者・
密着・驚きの実験現場師との別れ▽新薬期待」
という番組を観た。

こういうことを研究して生きている人がいるんですね。
私の人生となんと違うことか!!
まず、東大医学部に入るということがすごい。
それから大学院に行き、学生のまま、
企業の研究室に入り沢山論文を書いたという。
現在は、民間企業の研究所に所属して「体内時計」を研究している。

高校時代にお世話になった恩師(校長だった)が、
病気でもう長くないというときに会った。
そのとき「生命の本質」という本を借りた。
くれるのかなと思っていたが、恩師は「貸す」といった。
その恩師も彼も医師だし、恩師の命がもう長くないことは分かっている。
どうやってその本を返そうかなと思った。
そのとき、これからやるべき“仕事”が分かった。

体内時計というのは面白そうですね。
そういうことを研究するというのはいいだろうな。
そんなことを研究する仕事があるんですね。
いったい私はこれまで何をしてきたのだろうか?
ただ、自分の食欲を満足させ、安定した暮らしを得るために労働してきた。
妻・息子たちの生活を守るためだけに働いてきた。
それで何がわるい、と胸をはれなくもないが、あまりかっこよくない。
あ…、私の志(ココロザシ)が低かったですね。
志も低かったが、能力もなかった。
せめてこれからの人生、面白いことをやって生きていきたい。

と、思うのだが、仕事から帰ってきて、
夕食を用意して食べ、テレビを観ているうちにコタツで寝て、
惰眠をむさぼり、11時頃目覚め、またテレビを観て、
そしてこうやって救いようのない九想話を書いている。
コラッ、九想、何やってんだ。
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リャマの小道

2010年02月22日 | 健康・病気
昨夜、「Camino de llamas」の意味を尋ねたら、
はるさんとhideさんがコメントを書いてくれました。
朝、出勤前に九想庵を見てうれしかったですね。
こういうことがあると、ブログをやっててよかったな、
としみじみ思う。

> ギャラリーすいふよう
> 一曲は「リャマの小道」という曲名の労働の歌です。
> リャマを追いながら草を求めて移動する時に歌い、
> 仕事が終わって帰るときに歌う。
> 情景と広い青空が目に浮かびます。
> 手づくりのケーナを楽しませていただきました。
www.gallery-suifuyo.com/blog/?mode=normal&p=15

「リャマの小道」をGoogleで検索したら、
上記のようなところがありましたが、
その記事のところにはたどり着けなかった。
しかし、「リャマの小道」という曲があることが分かりました。
「リャマの小道」が、ウニャ・ラモスの吹いた
「Camino de llamas」と同じかどうか今のところ分かりませんが、
とてもうれしいです。

この曲が収められたCDはあるのだろうか?
現在、ウニャ・ラモスは過去の人になってしまったから、
ないだろうな。

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スペイン語

2010年02月21日 | 健康・病気

「Camino de llamas」
おととい、九想話にリンクしたウニャ・ラモスの曲です。
あれからずーっと心の中で響いて離れない。
あの曲を私がケーナで吹いても、ギターでなぞってもつまらない。
やっぱりウニャ・ラモスの吹き方ですね。
あれはいい演奏だ。
あんなものがユーチューブにあることがうれしい。
フォルクローレとかの範疇を越えてますね。
もう、ひとつの芸術空間です。
これをフォルクローレとはいえないだろう。
私にはフォルクローレに未練はない。

「Camino de llamas」の意味が分からない。
おそらくスペイン語でしょう。
女房に調べてくれとメールした。
“一応”あの人はスペイン語を習っていた。
これからも勉強したい心はあるようです。
なにしろフラメンコのカンテ(歌)はスペイン語です。
去年は、清瀬に住むスペイン人の女性の教えを受けようとしたが、
やめてしまった。
そのぐらいだから回答が来るのを諦めていますが、
この曲の意味を知りたい。

私だって、51歳までスペイン語を話していた。
こう書くと誤解されてしまいますね。
51歳まで勤めていた車のウィンドウガラスの加工をしていた会社で、
私は3年間ほど、ペルー・ボリビア・チリ・ブラジルの女性たちと
一緒に仕事をしていた。
その頃の九想話を読んで下さい。

ディナダ
Adios,hasta la vista
さよならゴメス
さよならロウルデス

ブラジルはポルトガル語ですが、他の南米の国はほとんどスペイン語です。
素人考えですみませんが、
ブラジル人とその他の国の人とは、何の違和感もなく話していましたね。
ポルトガル語とスペイン語は共通点があるようです。
いや、これはまったく無学な私の考えです。
でも実際にブラジル人とペルー人が普通に話していました。

「Camino de llamas」
だれか分かる人、教えて下さい。

 

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来てますパンカーラ

2010年02月20日 | 健康・病気
暮らしに煮詰まってしまって、
今夜は、パンカーラに来てます。
飲んでます。
今夜は泊まっていきます。
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ウニャ・ラモス

2010年02月19日 | 健康・病気
Uña Ramos- Camino de llamas


私のケーナの“師匠”です。
あくまでも“”付です。
私が初めてケーナという楽器を知った
サイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」の
ケーナを吹いていた人…、と記憶している。
ロス・インカスのこの演奏にS&Gは歌をのせている。
このグループのケーナを吹いていたのがウニャ・ラモスと聞いている。

私がいくつだったのだろう?34・5年前のことです。
ウニャ・ラモスのコンサートに行った。
確か、渋谷のどこかだった。
そのとき、感動しましたね。
それからほとんどウニャ・ラモスのレコードをコピーして吹いていた。

この曲はこの動画で初めて聴きました。
いい旋律ですね。
ウニャ・ラモスのケーナを吹く真剣さが伝わってきます。
この動画を見て気がついたのですが、
ウニャ・ラモスは低音を出すときに指を替えていますね。
いつもは、左手の薬指はつかっていないが、
低音を出すときにはこれを使い、
ケーナの一番下の穴を右手の薬指で押さえている。

私がケーナを吹くときは、左手は中指まで穴をふさぐのに使い、
一番下の穴をふさぐときは右手の小指を使う。
でもこの穴は遠く、右手の小指でふさぐには不安定になる。
最近のケーナを吹く人は、通常左手は薬指まで使って、
一番低い音は右手の薬指で吹く人が多い。
このほうが安定した低音が出ると思う。
しかし、私はいまさらこの指使いにできない。

私がケーナを吹き始めた1972年頃は、
左手は中指までしか使わなかった。
そういうふうに月刊中南米音楽の「ケーナの吹き方」に書いてあった。
ウニャ・ラモスの前には、アントニオ・パントーハをよく聴いていた。
この人の演奏は素朴でいいです。
ウニャ・ラモスは“洗練された”という演奏でしたね。
そもそもが、私はパントーハの吹き方を真似していました。

ウニャ・ラモスは今、生きているのだろうか?
もう80歳前後のはずだ。



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