誕生月が終わる

2012年05月31日 | 健康・病気

私の大好きな5月が終わる。
それにしても今年の5月は不安定な天気が多かったですね。
竜巻もあった。
これからの5月の天気はこうなってしまうのだろうか?

何も努力しないて60歳になってしまいました。
私のようなダメな男がなってもいいんですかね?
もう少しまともな方だけ60歳になって、
私のような者はなれなくてもしかたないのじゃないか。

ま、そんなことをいってもなってしまったものはしかたない。
嗤われたり、後ろ指を指されないような60歳になりたいものです。

………………………………………………………………………………………………

5月の九想話

5/1   軽井沢風越公園
5/2   年金のこと
5/3   埼玉県
5/4   パンカーラGWライブ
5/4   GW渋滞
5/5   子どもの日の中軽井沢
5/6   ショパン
5/7   竜巻                   
5/8   懐かしい歌                 捨てたいが愛おしくもあり春二十歳
5/9   休日だらだら
5/10  入ります
5/11  当然です
5/11  久しぶりに焼き肉
5/11  ご無沙汰のトンボの湯
5/11  三波春夫
5/12  イラ・イ・アルカ ライブ
5/12  我慢
5/13  金環日食
5/14  虫の目
5/15  4月の句会の結果
5/16  身体の疲れ               プールでは頭からっぽアホになる
5/17  軽井沢のクマ
5/18  グループサウンズ
5/19  ラジオ文芸「雪明かり」
5/20  還暦          
5/21  金環日食
5/21  金環日食とそのあと
5/22  花は咲く
5/23  健康診断
5/24  60歳の水中ストレッチ
5/25  迷惑な腕時計
5/26  遠い世界に
5/27  孫に会えない
5/28 スポーツクラブ
5/29  あんパンダまん
5/30  インカ帝国展
5/31  誕生月が終わる                              

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インカ帝国展

2012年05月30日 | 健康・病気

マチュピチュ『発見』100年 インカ帝国展」は国立科学博物館で開催されていた。
私は、ここに入るのは初めてです。
インカ帝国展の入口で私と女房は音声ガイドを借りた。
私は、ここのところ展示会に入るとこれを借りることにしている。
一昨年のゴーギャン展、去年の法然・親鸞展のときにも借りた。
展示物だけではよく理解できないので、音声ガイドはありがたいです。

インカ帝国展は、プロローグから始まり、
第1部インカ:帝国の始まりとその本質
首都クスコとその歴史
黄金帝国インカの神々と王
インカの農耕
インカの建築技術
インカの芸術と工芸
インカの人々と日常生活

第2部インカ:帝国の統治
インカの行政と社会経済システム
 ~インカと乾杯~
 ~ミトマク(ミティマエス)~
 ~インカ道~
インカ帝国の広がり
 ~鉱山資源をもとめて、コリャスーユへ~
 ~チャチャポヤの文化~
 ~インカのツール・チムー王国との戦争~

第3部インカ:滅びるインカ、よみがえるインカ
征服されるインカ
インカの反乱
よみがえるインカ

第4部インカ:マチュピチュへの旅
マチュピチュ「発見」100年

最後に「マチュピチュへの旅」3Dスカイビューシアターがあった。

展示会場に入って音声ガイドを起動させるとナレーションのBGMに、
ケーナのメロディが流れた。
これで私はあっという間にインカの世界に入ってしまった。
正直なところ私はインカ帝国のことをほとんど知らなかった。
昨日はいろんなことを教えられました。
そもそもインカはアンデスでは少数の部族だったが、
おおよそ100年程度で現在のペルーからチリにまで至る大帝国を築きあげた。
そしてインカはその広大な領土を行き来するために、
「インカ道」と呼ばれる交通網を整備し、チャスキと呼ばれる飛脚が情報を伝えた。
文字は使わずキープと呼ばれる結び縄による数字表記があって、
近年になって、このキープが言語情報を含んでいる事が研究によって明らかにされているようです。
ミイラが5体展示されていた。
これを目の前で見られたことがすごかった。
沢山の陶器の器・瓶が良かった。
金や銀などで作られたそれらは、スペイン人が征服したときに鋳つぶしてしまったそうだ。
もったいないことをしたものだ。
聖母マリアがインディオを攻撃している、という絵が面白かった。
あの聖母マリアが指の先から砂を出してインディオをやっつけているんです。
最後に見た「マチュピチュへの旅」3Dスカイビューシアターが素晴らしかった。
女房が「これを見たらマチュピチュに行かなくてもいいね」という。
「いや、おれは行きたいよ」というと、
「あそこに行ったらあんな角度から見られないし、詳しく見られないよ」と女房。
私はへんに納得してしまった。

インカ帝国展に、女房も私も満足しました。

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あんパンダまん

2012年05月29日 | 健康・病気

今日、女房が有給休暇をとれたので2人で「インカ帝国展」に行った。
私としては、1人で行こうと以前から予定していた。
若い頃は、だいたいこういうものに行こうと女房を誘うと、断られることが多かった。
女房と東京の街を歩くというのは久しぶりです。
池袋駅まで西武池袋線・地下鉄有楽町線をつかい(女房の定期券のため)、
池袋から山手線で上野駅まで行った。

常磐線で人身事故があったと車内アナウンスがあった。
私は、人間が1人亡くなったことが“人身事故”という言葉で簡単に処理されてしまうことが哀しいと思う。
しかし、「さきほど常磐線で人が“電車に飛び込みました”」というのもへんだ。
そんなことを考えているうちに上野駅に着いてしまった。

上野駅の前は人がたくさんいた。
今日は火曜日の平日です。
なんで東京というところはこんなに人が多いのだろう。
上野駅の目の前に東京文化会館がある。
ここには20歳の頃よく来た。
4階の資料室でクラシックレコードを聴いたのです。
フランス・ブリュッヘンのリコーダーコンサートを聴いた。
都響の定期演奏会に何度か行きました。

喫茶店がやっていたので中に入ると、そこにこんなもがあった。

今日は眠たいので「インカ帝国展」のことは明日書きます。

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スポーツクラブ

2012年05月28日 | 健康・病気

先週、女房と電話で話したときに、
「私、今日1000メートル泳いだんだ」と嬉しそうにいった。
「ゆっくり泳いだんだ。そうしたら楽に泳げたよ」
女房は、東京のスポーツジクラブの法人会員になっている。
女房の会社がそのスポーツクラブと提携しているとかなんとかいう。
西武池袋線の練馬高野台駅・ひばりヶ丘駅・東久留米駅などにあり、会員はそのどこへでも行けるという。
(今、ネットで検索したら日本中にある大きなスポーツクラブだった。長野の松本にもあった)
今あの人は毎日のように行っているようだ。

今度私が東京に来たときに招待券が1枚あるから行こう、といわれていた。
そこに今日行った。
女房は残業がなく定時で仕事をあがれた。
午後6時半にひばりヶ丘駅で待ち合わせた。
私は30分で行けるだろうとたかをくくっていたのでのんびりしていたら、
家の近くのバス停の発車時間が6時17分というのになってしまった。
女房の家には時計がない。
私は現在、腕時計を持っていない。
それで時間の把握を間違ってしまって遅れた。
それでもひばりヶ丘駅には6時37分に着いた。
駅の階段を降り、ゴミゴミした細い道を歩く。
「おい、これはKの家に行く道じゃないか?」
「そうよ」
なんだよ。まるで孫のMに会いに行くようだ。
7・8分でスポーツクラブに着いた。
あと数分歩けば孫に会える。

プールに入る前に私のゴーグルを買おうと女房がいう。
自分のが壊れたから私のをくれという。
それで私に度付きのゴーグルを買ってくれるということだった。
私は面倒だからいいといったが、彼女は一度いったらきかない。
ゴーグルを買ってからそのスポーツクラブのことを女房が説明してくれた。
ロッカーのこと、風呂のこと、プールの位置、タオル下着の置くところ…。
はじめてのところは分からないことばかりでオタオタする。

私は「歩くところ」のレーンで水中ウォーキングをしていた。
女房は、「初心者」のレーンでゆっくり泳いでいた。
私もなんどか「初心者」のレーンでクロールをやったが息継ぎがうまく出来なくて「歩くところ」に戻った。
20分ほど歩くと、プールの隣にあるバブルのお風呂に入って休んだ。
ここは“ひばりヶ丘温泉”といおうかな。
ちょっと、駒場屋内プールのS会のみんなのことを考えた。
女房が1000メートル泳ぎ終えて2人で“ひばりヶ丘温泉”に入る。
プールに入って1時間たっていた。

プールを出てお風呂に入る。
ここはカランがあり、ボディシャンプーとリンスインシャンプーがあり、これは完璧なお風呂だった。
湯船と寝湯があった。
お風呂を出て服を着て、女房に教えられていたマッサージ機械の上に寝た。
小諸のあぐりの湯にあるものとほぼ同機種だった。
それが無料で使えたのには感動です。
所沢にいた頃、こういうスポーツクラブに通えばよかったかな、なんて思った。
でもその頃、こういうことに興味はなかった。
家に帰ると楽家にばかり通っていた。
居酒屋に行って酒飲んで世間話をしているより、
スポーツクラブで運動していたほうがどれだけ建設的な生活を送れたか。
ま、それを反省して軽井沢で健康的な暮らしをしよう。

しかし、ほんの目と鼻の先には孫がいる。
会いたいな。

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孫に会えない

2012年05月27日 | 健康・病気

明日、東京に行く。
女房に、
「火曜日、Mに会いたいから、遊びに行ってもいいかKに聞いといて」
と昼休みに電話した。
(Mは、孫の名前、Kは息子です)
夜、女房からの電話。
「平日は疲れているから土日に来て」だって。

それはよく分かる。
平日に親に来られたら迷惑だろう。
しかし、私は土日は仕事です。
東京に行けるのは、休館日の水曜日前後なんです。
孫に会いたいな~

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遠い世界に

2012年05月26日 | 健康・病気

「遠い世界に」五つの赤い風船 永遠のフォークソング名曲集



私が高校3年の冬でした。
昭和46年の1月だったか2月だったか…。
私の吹奏楽部の定期演奏会があった。

今、あらためて考えてもへんな定期演奏会だった。
1部と3部は吹奏楽の曲の演奏をした。
行進曲・映画音楽のメドレー・クラシックの曲などを演奏した。
あたりまえですよね、吹奏楽部の定期演奏会なんですから。
ところがなんと、2部は、フォークバンドの歌だったのです。
吹奏楽部のフォークの好きなメンバーでバンドを作った。
3年生3人、2年生2人ぐらいだったかな?
私はギターとヴォーカルでした。
そのときこの五つの赤い風船の「遠い世界に」を歌った。
その他に2曲ほど歌ったと思う。
顧問の先生が大学を出たばかりの若い先生だった。
私は、ゼッタイ自信を持っていえます。
定期演奏会でフォークソングを歌う吹奏楽部なんて他にないと思う。
その先生の指導は良かった。
夏の合宿のときには、先生が卒業した大学の吹奏楽部の後輩を呼んで私たちを指導させた。
そのせいか、吹奏楽コンクールに初めて出場して銅賞を受賞した。
私は楽しい吹奏楽部を経験しました。

そのときのテープを今でも持ってます。
しかし、オープンリールなので聴けません。
出来るなら聴いてみたいです。

あのとき、親父が定期演奏会に来ていた。
親父はどんな思いでいたのかな…。

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迷惑な腕時計

2012年05月25日 | 健康・病気

腕時計の電池が切れたようで針が動かない。
それに気づいたのは5月21日、そうあの金環日食の日です。
朝6時半に起きて食事をしてトイレに行って準備万端。
さあ金環日食でも見るか、と思ってコタツの上に置いてある腕時計を見た。
ナニ!
おれは我が目を疑った。
腕時計の針が8時3分を指していた。
たしか、金環日食は7時半ごろになると聞いていた。
今回のように広範囲で起きるのは932年ぶりの金環日食。
それをおれは見逃したか!!!!!
せっかく日食グラスも買っておいたのに。
台所で洗い物をしていた女房におれは怒鳴りたくなった。
「なんで7時20分ぐらいに時間を教えてくれなかったんだ」と。
ふとテレビ画面を見ると「7:12」と表示されてあった。
考えてみれば、いくらおれのトイレが長いといっても1時間は入っていない。
腕時計をよく見ると針が動いてなかった。
そうか、そうだったのか。
これで電池切れと思った。
女房を怒鳴らなくてよかった。
そんなことをしていたら、おれは悲惨な60歳を生きなければならなかっただろう。
金環日食は、あの日の九想話に書いたように無事見られました。

今日、佐久市のカインズホームに行った。
以前行ったときに店の左の方に時計売り場のカウンターがあった。
ところがそれは消えていた。
カウンターに店員を1人おいておくほど時計は売れないので撤去したのだろう。
中央レジの前にあるサービスカウンターに行く。
腕時計の電池交換を依頼すると「カシオに送って交換しなければならない」と女性店員がいう。
電池交換料金は2,100円だという。
おれは以前、シチズンの腕時計を使っていた。
その時計の電池交換は、時計を売っているどんなところでも1,300円ほどですぐ交換してくれた。
「カシオに送ると2週間ほどかかりますがよろしいですか?」と店員はいう。
腕時計の電池交換に2週間もかかっては困るが、交換してもらわなければ時計は動かない。
2週間も電池交換にかかるなんて、なんのための腕時計だ。
シチズンのようにその場で交換出来なければ意味がない。
おれは、時間を見るときにいちいち携帯電話を出して見るのは嫌いだ。
カシオなんて買わなきゃよかった、と思った。

この時計は、軽井沢のアウトレットの中にあるカシオの店で買ったもので4,500円ぐらいだった。
それの電池交換が2,100円かかる。
………?

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60歳の水中ストレッチ

2012年05月24日 | 健康・病気

健康診断を終えて家に帰ってから女房と、駒場屋内プールに行った。
昨日は、水中ストレッチをやるS会がある水曜日です。
私は、水中ストレッチが好きだな、とあらためて思った。
運動音痴の私にとって、ただ水中で身体を動かしていることが気持ちいい。
なんの劣等感も持たない。
先生の指示する動きを真似て動いているだけです。
これは面白い感覚だなと思う。

水泳はなかなかうまく出来ない。
やはり息継ぎが難しい。
女房は先生に褒められている。
まあ、いい。
私は、のんびりやっていこう。
今日、太ももが1日中痛かった。
あらためて水中ストレッチは過酷な運動だと思った。

なんといっても私は痩せなければならない。
水中ストレッチを続けて、食事も考えて痩せるんだ。
健康診断の結果には絶対「肥満」と書いてあるはずだ。
現在私は身長170cmで体重が75kgです。
標準体重が63kgといわれている。
煙草をやめて5kg太ってそのままなんです。

プールから家に帰って女房は、午後4時16分の高速バスで東京に帰った。
疲れ切った私は、バス停にも見送りに行かずすぐ布団に入った。
2時間近く爆睡していた。

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健康診断

2012年05月23日 | 健康・病気

今日は、会社の健康診断の日です。
胃カメラを飲むので、昨夜の9時以降食事をしてはいけない。
昨日は夜勤だったのでお弁当を持っていって9時前に食事をした。
家に帰ってから何も食べられないしアルコールも我慢した。
起きていてもしかたないので、
いやアルコールを飲まないで起きていることが辛いので、九想話を書いて早く寝た。

朝8時に病院に着いた。
イスに坐って待っていると、番号を呼ばれている人がいる。
私は何かなと思いながら掲示板を見たが、
「問診票に記入したものと保険証を持ってお待ち下さい」
などと書いてあるだけで「整理券を持って」とは書いてなかった。
去年は、その部屋に着いたときに受け付けのところに行って手続きをした。
8時半になり、受付をやっていた看護師が書類などをしまっている。
私は、その看護師にいった。
「私は今日、健康診断に来たのですが、受付は終わりなんですか?」
「整理券は持ってないのですか?」
「どこにあるんですか?整理券は。整理券を持って待つようになどとどこに書いてあるんですか?」
「……書いてありません…が」
「受付を終了にするときに『本日健康診断をする人はもういないですか?』とか聞かないんですか。
 まだ今日やる人で来てない人がいるんでしょ。私がまだ受付してないんですから。
 それでも黙って受け付けをやめてしまうんですか?」
私に渡されている今日の健康診断の書類には、いろいろなことが細かく書かれている。
指定された日に健康診断を受けないと、料金は払い戻しはしません、などとも書いてある。
病院側の要求は厳しいが、受けるほうのことには気を配ってはくれない病院だ。
「すみません。**さんは、特別に先にやるようにいっておきますから」
「そんなおざなりなことはいわないで下さいよ。あなたにそんなことが出来るのですか?」
会社関係の健康診断のグループが行ってから10分ほどたっている。
私は、一般の健康診断の人たちと別な看護師に案内された。

私は、不愉快な思いで健康診断を受けていった。
一通り終了して、私はオプションの内視鏡の部屋に案内された。
この胃カメラをやることが、私は1週間前から憂鬱だった。
部屋に入って看護師が注射を打ってくれた。
喉に麻酔の薬を噴霧してくれた。
ベッドに横になり、担当医師が私の喉に胃カメラを射し込んだ。
私の喉を胃カメラは通過して食道・胃へと入った。
私の内臓を胃カメラで覗きながら医師が看護師にいう。
「たまらないですね。胃に空気がたまらないですね」
私は最初、何をいっているのか分からなかった。
そのうち、私の背中を撫でている看護師が、
「口から空気を吐かないで下さい。胃を空気でふくらませたいのです」という。
私はそういうのを聞きながら、胃カメラが喉を刺し抜いている不愉快さに耐えきれなくなっていた。
私の前にいるのは、胃カメラの操作をしているのは、男の医師なんだ。
なんで医師が看護師にいって、それを看護師が私に通訳するんだ。
その医師が私に直接いえばいい。
終わって、パソコンのモニターで私の胃や食道の状態を説明する医師にそういいたかった。
まだ、40前の若い医師だった。
去年、胃カメラをやってくれた女性の医師は、気配りがあってよかった。

私が一昨年から1年ほど尿酸値を下げる治療を受けるためにその病院の内科にかかっていた。
その医師は、私が医師と話している間私のことは見ずに、パソコンのディスプレーばかり見ていた。
診断書なんて患者を診察してから書けばいい。
医師が見る(診る)のは患者でしょう。ディスプレーではないはずだ。
今の若い医師はへんなのがいると思った。

これからこんなのが多くなるのかな?
イヤな世の中になってしまったな。

終わってから、家にいる女房に電話した。
「おれはもうダメだ。尿酸値はまた高くなっているし、血糖値も高い。糖尿病だ~。
 もうおれは酒は飲めなくなる」
「早く終わってよかったじゃない」と女房はとりあってくれない。
ま、細かいことをあれこれいわないこんな女房で、これまで私は生きてきた。
感謝、感謝。

それはそれとして、今回の結果が送られてきたら、私は真剣に治療しなければ、と思った。

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花は咲く

2012年05月22日 | 健康・病気

NHKの復興支援ソング「花は咲く」は、いい歌だと思う。
しかし、あの漫才師・俳優・歌手が歌いつないでいく映像が私は嫌いだ。
見にくいものに感じてしまうのは私だけでしょうか?
なんかもったいつけたような表情をして歌っている顔を見たくない。
あれを見ていると歌っている人たちが“偽善”の集団に見えてしまう。
そんなことを感じてしまう私の心が貧しいのだろうか。

「I love you & I need you ふくしま」は、胸を熱くして聴けたのに、なんでだろう?

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