老いへのシフトチェンジ

2001年01月24日 | テレビ

 今日、10時からNHK教育テレビのETV2001「老いをどう生きるか」
を観た。
 坂田明がいった「老いへのシフトチェンジ」という言葉が、こころにす
と~んと入ってきた。
 まもなくおれも50歳になる。人生のシフトレバーの在り場所、確認を
しておかなくちゃ。
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1月の九想話

1/ 4  初恋のひと
1/ 7  息子の成人式
1/ 9  どてら
1/16 ビーシュ
1/23  久しぶりのらくや
1/24  老いへのシフトチェンジ

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久しぶりの楽家

2001年01月23日 | Weblog

 今年初めて楽家に行った。
 なんだかんだいって1ヶ月ぶりか。
 この前行ったときつまんなかったので、つい足が遠のく。
 今日は、女房がフラメンコの練習で家にいなく晩飯もないので、自分で用意
するのが面倒くさかったから、食事をしょうと思い行った。
 カウンターの端に坐ってマグロの刺身をつまんでいたら、ひとつ間をおいて
坐っている人が、
「柳橋物語読みました?」
 と話しかけてきた。やばい、と思った。
 その人は、ずーと前に楽家で、山本周五郎のことを話した人だった。あのと
きおれは、「柳橋物語読みます」と、酔った勢いでその人にいっていたのだ。
「いや、まだ、読んでないです。日々の暮らしで本はなかなか読めなくて、休
みの日にはこんなものしか読んでいないんです」
 と、おれは、話し相手がいなかったら読もうと持っていった小説新潮を見せ
た。
「今のおれは、長編を読もうというエネルギーがないです。こういう雑誌の短
編を読むのが精一杯です」
「私は読みました。よかったですね。20年前に読んだときとはまったく別な
感動を受けました」
「そうですか…」
 穴があったら入れたい、じゃなく、入りたいというのはこういうことですね。
実に情けなかった。
 その人は仕事があるようで、帰っていった。自営業の人のようです。
 こりゃ、なるべく早いうちに読んでおこう、とおれは思っちゃいました。

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ビーシュ

2001年01月16日 | Weblog

 今日の朝日新聞経済欄に、「ビール市場 発泡酒が2割に」という記事があった。
 発泡酒を毎晩飲んでるおれとしては、なんかこそばゆい想いです。
 はじめはバカにしていた息子の部屋には、毎晩のように現在おれが愛飲している
「冷製辛口」の空き缶がある。それを片づけながら女房は、「Uは酒が好きなんだ」
とうれしそう。なんておれが飲むのを煙たがるのに、息子が飲むことをよろこぶん
だ。おれは面白くない。
 発泡酒も今では市民権を得てきた。
 会社のSさんは、「ビールの麦芽くさいのがうるさい。発泡酒はさっぱりしてい
ていい」という。こうなるともう発泡酒はビールのまがいものではなく、ひとつの
文化だな、なんて思ったりします。
 そこで九想の提案なんですが、発泡酒という名前がいけない。なんか野暮ったい。
そこでおれが新しい名前をつけたい。「ビーシュ」というのはどうだろう。ビール
系発泡酒の頭とお尻の文字をとっただけです。
 こんどアサヒビールが発泡酒を発売するらしい。この名前つけてくれないかな。
 もう当然決まってるんだろうな。

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どてら

2001年01月09日 | テレビ
 私は、寝るとき「どてら」を使う。
 九想話を読んでくれる人の中で「どてら」というものを知っている人がどの
くらいいるのかな。標準語でいうと「かいまき」っていうのかな…。辞書を引
けばいいのだが、正月にハードディスクの中をきれいにしてしまってから、広
辞苑を引くソフトをまだ入れてないので調べられない。紙の広辞苑もあるが、
今日は眠たいので触る気もしない。
 子どものときからどてらをかけて寝ているので、もう放せない。毛布だけだ
と、首のまわりが寒くていけない。
 昔っからだけど、私がかけてるどてらは、母のつくってくれたものです。
今のは、10年以上は使っているものです。ですから、内側のほころびがすご
いです。3年ほど前に女房に繕ってもらった。それがひどい繕いかたなんです。
裏には浴衣生地がついてるのですが、その破けたところにタオルをあてがい、
大雑把に糸でとりつけてある。
 最近、その隣あたりが破けた。寝るときは、そ~と手足を入れないと、ほつ
れた裂け目に突っ込んでしまい、どてらの中綿に届いてしまう。
 ですから、そ~と体を入れ、どてらの下に落ち着いたら、なるべく体を動か
さないようにしている。しかし、眠ってしまえばそうもいかない。
 なので、破れたところがだんだん大きくなる。年末まで毎日残業のわが妻
に、正月休みに恐るおそるお願いした。
「どんなふうでもいいから、どてらのほころびを縫ってくれないか?」
 と…。
 縫ってくれました。また、タオルを一枚あてがい、粗い針のはこびですが、
なんとかタオルがどてらの裏にくっついている。現在、手足がどてらの破れ目
に入らずに、それなりに快適に寝られる。女房どのに感謝しています。
 しかし、あいつはヴォーグの編み物学校を卒業してるんだよな。昔、息子た
ちが幼かった頃、手のこんだセーターを編んでは着せていた。わが女房ながら
なかなかやるな、と感動したこともあった、のに…、あのどてらの修繕のしか
たは、ヴォーグの学校にいた人間とは考えられない。
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息子の成人式

2001年01月07日 | 家族

  5日の朝、会社に行った女房に「今日は、燃えないゴミの日だから捨てとい
て」といわれたので、ベランダに置いてあるゴミ袋を捨てようと思った。
 ところが、半透明の袋の中身が、燃えるものだか燃えないものだかよく分か
らない。しかたないので、結んだゴミ袋の口をほどいて中を確認した。全部で
ゴミ袋は6つあり、めんどうくさいな、と思った。
 それらの中に、年末に自分の部屋を片づけた息子たちのものがあった。息子
たちのそれは、燃えるものも燃えないものも混ざって入っていた。
 頭にきながらそれらを選別していると、Kが中学2年のときの生徒手帳があ
った。それをパラパラ見ると、印鑑の朱の色が見えた。そのページを開いて見
ると、私と女房の字で、
「体調が悪いので見学させて下さい」
「気持ちが悪いようなので見学させて下さい」
「頭痛があるようなので見学させて下さい」
「頭痛があるようです。出来るだけやるようにしますが、一応見学にして下さ
い」
 などどと書いてあった。4月14日から3月20日までの間の「諸届・許可
願」だった。18日分が書いてあった。
(ああ…、体育の時間に見学させてもらうために書いたものだ)
 と、思い出した。
 おそらく学校に行かなかったときには書いてないから、このぐらいしか中学
2年のときは、学校に行かなかったのだろう。
 私は、あの頃のことを思い出して、胸が熱くなり涙を流してしまいました。
 Kは、中学1年の3学期から中学2年の終わりまでほとんど学校へ行かなか
った。所沢の防衛医大や清瀬の都立病院の小児科に、私はKを連れていき精密
検査をしてもらった。あのときは、Kの人生はどうなるんだろう、と悲観的に
なっていた。高校も行けないのではないのか、と考えた。ここにも泣き言を書
いてしまったっけ。みっともなかったけど、書かずにいられなかった。
 そのKが明日は成人式です。
 あたりまえですが、Uも成人式なのに、まだ帰ってこない。この雪の中どこ
いってるのか。
 明日は、私も女房も仕事だ。デジカメで二人の写真撮りたかったな。

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初恋のひと

2001年01月04日 | Weblog

 中学の同窓会で、Hさんが昨年胃ガンで亡くなったと聞いた。
 その人は、私の初恋のひとといってもいい女性でした。
 私たちは、小学4年まで分校だった。31名のクラスで、彼女は一番可愛い
(と私は思っている)女の子だった。
 3年の学芸会のとき、Hさんがおとひめで、私が浦島太郎をやった。
 音楽の時間に私が、
「ハーモニカを忘れてきた」
 というと先生が、
「学校にあるものを吹いていいよ」
 といった。
 音楽の時間が終わってからが大変だった。そのとき私が吹いたハーモニカは、
この前Hさんが忘れてきたときに吹いたものだった。
「OとHはキスをした」
 とみんなからいわれた。
 からかわれるのはイヤだったが、相手がHさんだったのでうれしかった。
 さようなら、Hさん。

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