また年がゆく

2012年12月31日 | 健康・病気

ゆったりした年の暮を何にも逆らわずに過ごしています。
私としては休日に入って2日目なんですが、たったこれだけでものすごくのんびりしています。
いかに常日頃は、あわただしく生活しているのだろうと思う。
朝、目覚ましのアラームをセットすることもない。
女房がいるので朝飯を作らなくても出てくる。
洗濯なんてしない。
何もしないでコタツに坐っていればいい。
これはサイコーですね。

11時ごろ、米原の友人が31日に善光寺に来ることを思い出した。
メールを書くとすぐに電話がかかってきた。
そのときは飯田に来ていて、次に元善光寺に行くといっていた。
善光寺の近くに泊まる一泊のバス旅行で料金が19,000円弱だという。
友人との電話を終えて私と女房は散歩に出た。

  

おとといの雪がまだ残っていた。
少し寒かったが気持ちよかった。
ヤマダ電機に行く。
私が今欲しいと考えている一眼レフカメラが置いてない。
ツルヤに行って年越し用の蕎麦を買う。

午後、私はテレビを観ながら寝てしまった。
5時にまた再びツルヤに出かけた。
これは、軽井沢で暮らす九想家の年末行事となりました。
ツルヤが年末商品を値引きするころに行ってそれらをゲットするというゲームをするのです。
今年の1月1日の「年末イベント」とう九想話を読んで傾向と対策を研究しました。
去年は5時半にツルヤに行った。
そのときはすでに練りものなどが消滅していた。
その経験を生かそうと今年は5時に家を出たのです。
やはり経験とは人生を豊かにしますね。
ちょうどツルヤに着いたころに、カマボコ・だて巻きなどに店員が値引きシールを貼り始めていた。
それから私は鮮魚売り場のほうに足を運んだ。
マグロの刺身に値引きシールが貼られていた。
しかし、1.970円の刺身盛り合わせに値引きシールを貼る気配がない。
ブツはたくさんあるのです。
しばらく私たちはよそを回って時間を潰すことにした。
数の子を買い、ブリの切り身をカゴに入れた。
しかし、まだあの刺身の盛り合わせに変化がない。
店員も近づかない。
時間は、6時近くになっていた。
私と女房は急遽「年末値引き品購入会議」を開いた。
おそらくあの刺身の盛り合わせに値引きシールの貼られるのはあと30分以上はないだろう。
値引きが半額となっても900円以上だ。
それよりは現在400円値引きされている1,000円から1,500円ぐらいのもののほうが出費は少ない。
私は600円ほどになるメバチマグロで十分だった。
それをカゴに収納し、私と女房はレジに向かった。
そのときに買ったものは、豚小間切れ288円(100円引き)、ローストビーフ190円(100円引き)、
メバチマグロ972円(400円引き)、活〆大ブリ940円(400円引き)、味付数の子752円(300円引き)、
糖類ゼロ伊達巻657円(300円引き)、玉子伊達巻475円(200円引き)、
国産丹波黒豆475円(230円引き)でした。



家に帰り風呂に入り食事にした。
明日、朝早くに東京に行くので食事をゆっくりとれないのでおせち料理も食べる。
女房が軽井沢に来てから、ごまめや栗きんとんやなますを作っていた。
私にすればサイコーの食事です。
女房は、紅白歌合戦が嫌いだ。
それで、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」を中心に観た。
女房が早めに長倉神社に行きたいというので10時に家を出た。
私とすれば年が変わるころに神社に行きたかったが、そんなことをいおうものならどうなるか…。
やっぱりというかとうぜんというか神社には客、じゃない参拝者は誰もいなかった。
参拝し、御札をいただいて帰ってきた。

  

  



結局、私のこの1年はかわりばえしないものでした。
健康で仕事をそれなりにやれたことはよかった。
しかし、小説を書くということはだめだった。
元気な孫をさずかったことには感謝をします。
来年、今年以上のことをしなくては、と思う。

みなさま、1年間九想話におつきあい下さいましてありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。

………………………………………………………………………………………………

12月の九想話

12/2   演劇祭終了
12/3   孫の産まれた日
12/5   孫に会う
12/7   今週亡くなった人
12/9   少し早いクリスマス
12/10  小沢昭一的こころ
12/12  マイナス8℃
12/13  転職話                         面接室控える吾の息白し
12/14  軽井沢のふたご座流星群       オリオンも今日は脇役流星群
12/14  軽井沢町情報ランキング3位
12/14  箸の持ち方
12/15  あの句は
12/16  2012衆院選
12/17  11月の句会の結果
12/18  ひとり銀座
12/20  高齢ドライバー
12/21  米長邦雄死去
12/22  喪
12/24  クリスマスライブ
12/26  愛車に感謝
12/26  池袋の夜                 捨てきれぬ夢懐に年の暮
12/27  1日遅れのクリスマス
12/29  クリスマス・ライブの動画
12/29  雪かき
12/30  年末のじん芥処理場
12/30  帰省
12/31  また年がゆく

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰省

2012年12月30日 | 健康・病気

帰省 / Nakajima Miyuki



今朝の「なぎら健壱のあの頃のフォークが聴きたい」は、中島みゆきの「帰省」をとりあげていた。
この番組の月の最終は、1曲を完全に聴かせてくれる。
今日は、由紀さおりと安田祥子の歌う「帰省」をかけてくれた。
中島みゆきもいいが、この2人の歌も素晴らしかった。
ピアノだけの伴奏が特に良かった。
YouTubeに、この2人の動画がなかったのでいろいろ探しました。
赤い文字のところをクリックすると見られます。

私も1月1日に茨城に帰ります。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年末のじん芥処理場

2012年12月30日 | 健康・病気

 

軽井沢でゴミを捨てられるのは今日の午前中までと、
「広報かるいざわ」で確認していた私と女房は、午前10時ごろ出かけた。
今日の軽井沢は曇り空だった。
家を出るころには雨が降り出した。
これで雪がいくらか溶けるといいなと思った。
交通量の少ない裏道は、道路に雪が残っていて走りづらい。
凍っている雪の上に乗ると横滑りして怖い。
じん芥処理場に近づくと車の量が増えてきた。
出入口ゲートを通り左折して空き缶を捨てる。
それから可燃・不燃・プラスチック類を捨てるところに行こうとしたらものすごい車の列だった。
「私がゴミ捨ててくるから車の中にいて」
女房が車外に出て、ハッチドアを開けて手に持てるだけのゴミの入った袋を持って歩き出す。
私は、車を出口のほうに停車させてハザードランプをつけた。
中に車を入れても意味がないと思ったのです。
私は車に残っていたダンボールを持って所定の場所に捨てに行った。
ゴミを捨ててきた女房と出会い、離れたところに停めた車まで歩いた。
年末にじん芥処理場にゴミを捨てに行ったのは初めてだった。
あんなに混雑することを知らなかった。
今、あらためて「広報かるいざわ」を読むと、
> ※年末年始のじん芥処理場は、非常に混雑しますので事故等に十分注意してください。
と書いてありました。

帰りにコメリで灯油を買い、ツルヤで食材を買った。
ツルヤの中も買い物客でものすごい混雑だった。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪かき

2012年12月29日 | 健康・病気

 

昨日の午後から雪が降りだし、今朝このような状況になっていた。
わが愛車は雪に包まれていました。
今日は、施設の水抜き作業のために出勤した。
水抜きをしないと水道が凍ってしまって年明けに使えない。
ボイラーもそうです。
施設の開館は昨日まででした。
「水抜きの前に雪かきをしなければならないな」と女房にいうと、
「じゃ、私手伝いに行く」という。
そんなわけで女房と出勤した。

午前中で雪かき水抜き作業を終えて家に帰ってきました。
これで私の今年の仕事は終わった。
1月4日まで私は休めます。
駐車場、家の前の道路に雪がかなり積もっていたので2人で雪かきした。
昨年までは12月中にこれほどの雪が積もることはなかったと思う。
今年の寒さは違います。
北海道・東北・北陸地方など豪雪地帯は大変でしょうね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマス・ライブの動画

2012年12月29日 | 健康・病気

 









あの夜、北軽井沢のパンカーラでのグルーポ・イラ・イ・アルカの演奏を4つ動画に撮りました。
いつ始まるか分からないので、うまく曲の最初から撮れてないかも知れません。
動画を編集するソフトがあればいいのですが、悲しいかな九想は持ってません。
でも、あの日の楽しいライブの雰囲気は伝わるかな…と思っています。
曲名は、最後の曲「El condor pasa」しか分かりません。
ほかの曲を分かる方教えて下さい。
編集して曲名をきちんと書きたいです。
(編集をどうするか分からないので不安ですが…)
4つの動画をアップするのに、2時間近くかかってしまいました。
あの夜、ライブに来た人も、来なかった人も、お楽しみ下さい。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1日遅れのクリスマス

2012年12月27日 | 健康・病気

私と女房は26日に、孫の住むひばりヶ丘の家に行った。
仕事帰りの女房との待ち合わせの約束時間は午後6時40分だった。
昨日、私は朝から女房の家でぐだぐだしていた。
午前中は、NHKラジオの「すっぴん!」の阿川佐和子のインタビューを聴いていた。
午後はニセビールを飲み、生麺のタンメンを作って食べて昼寝した。
目が覚めたのが3時過ぎだった。
私の予定としては、前日の九想話を朝から書こうと考えていた。
ところが上に書いたようなありさまで目が覚めて焦った。
それからあわてて九想話「池袋の夜」を書いた。
3時半から書き始め、なんとか6時前にgooブログに送信した。
清瀬駅行きのバスの時刻を見ると「18:07」というのがあった。
そのとき女房から「池袋だよ」とメールが来た。
私の気持ちは浮き足立つ。
女房との待ち合わせ時間に間に合わなかったら何をいわれるか分からない。
おそらく来年1年間は、あのひとに頭が上がらないだろう。
そんなことになっては私の来年の生活が悲惨な状態に陥ってしまう。
私は普通家を出るときに電気のコンセントを抜いたことや、
ガスの元栓をしめたことをくどいほど確認する。
自分でもイヤになるくらい何度もなんども確認する。
それでも3階から下に降りて、再び部屋に戻って確認することもある。
でもそのときは3回ぐらいにして家を出た。
なんとか私は、「18:07」の清瀬駅行きのバスに乗れた。
そのバスの中で私は、「コンセントは抜いた、はずだ」「元栓は締めた、はずだ」と心で反芻する。
そういう自分に私はもう50何年か疲れています。

6時20分過ぎにひばりヶ丘駅に着く。
改札を出てパン屋の前に立っているとあのひとが来た。
これで来年の私の生活は安泰です。
駅の下にあるケーキ屋に女房がケーキを予約していた。
ケーキ屋の前に行くと、ビル風のせいだろうものすごい風が吹いていて寒かった。
丸い直径20センチほどのケーキを渡されるときに女房は、店員からいろいろ説明を受けていた。
強風の音の合間に、途切れとぎれに聞こえてくるのを私なりに解釈するとこんなことだろう。
「1日過ぎているのでクリスマスのプレートなどはつけられません。
 ろうそくはどうしますか?このどちらがいいですか?」
女房に、ケーキの形をしたキーホルダーのようなものを見せていた。
(きっとあれは孫にはあげないで自分のものにするんだろうな)と思った。
あのひとは、料理サンプルや野菜・ケーキを本物そっくりにプラスティックで作ったのものが大好きだ。
以前、浅草の合羽橋まで2人で買いに行ったこともあった。

息子の家は正直いってこれまで真っ直ぐ行ったことがない。
ひばりヶ丘駅から歩いて20分はかかる。
住所は埼玉です。
あの辺は、西東京市と新座市が隣り合わせになっている。
20代でマイホームを購入した息子は、価格が安い埼玉の家を選んだ。
その息子の家のある場所を今でも私と女房はきちんと理解していない。
あのあたりは道が入り組んでいて難しいんです。
それでもなんとか孫が住む家にたどり着いた。

女房がチャイムを押すと玄関の明かりがつき、ドアの鍵が外された。
ドアを開けると孫と嫁がいた。
「こんばんは」と孫がいう。
私たちも「こんばんは」と応える。
リビングに行くと、息子がパソコンの前にいた。
孫の話では、「新しいゲームだからパパは集中しているんだよ」という。
孫にこういうふうに見られているとは、情けないパパです。
女房はケーキを孫に差し出し、孫のほっぺたを両手でなぜて「大きくなったね」という。
私は、家から持ってきた長靴に入ったお菓子とジグソーパズルを渡し、デジカメを出して孫に向ける。
孫はパズルの包装紙を外し、さっそくやり始めた。
1000ピースのジグソーパズルに私は目がくらむ。
孫は喜々として箱の絵を見ながら1コ1コピースをつないでいった。
嫁が大きな一眼レフを取り出しシャッターを押し始める。
「M子さん、それ買ったの」
「やっと許してくれたんです」
「M子さんは、カメラ好きなんだ」
それを見て私も一眼レフを買おうと思った。
前から欲しかった。
今の私のカメラは12,000円で買ったコンパクトカメラです。
嫁のはペンタックスで8万ぐらいだったそうだ。
そんなお金はない私は、4万ぐらいのミラーレス一眼レフを買おうと考えているところだ。

私と孫が並んだ写真を女房が撮ってくれた。
ふだんピースサインなどゼッタイしない私ですが、孫と一緒なのでついしてしまった。
そんな自分が情けない。
息子の家を出るときに、私は孫を抱っこした。
重かった。来年は小学1年生だ。
孫がほっぺたをくっつけてくれた。
女房がシャッターを押した。

7時半を過ぎて私たちは孫の家を出た。
孫といたのは40分ぐらいだろうか。
長居はすまいと女房と決めていた。
元気な孫の姿が見られ、息子と嫁が健康なのが確認できればいい。
ひばりヶ丘駅前の喫茶店でコーヒーを飲んだ。
温かいコーヒーを女房と飲んで、私はしあわせだと思った。
あのひとが、ケーキのキーホルダーのようなものを取り出した。
「やっぱり孫にあげなかったんだ」
「あたりまえじゃん」

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池袋の夜

2012年12月26日 | 健康・病気

  

昨夜は、池袋で旗坊さんと飲みました。
彼と11月に会ったときには喫茶店でコーヒーを飲んで話した。
彼も私も身体のことでアルコールを控えていた。
そのときに、年末には酒を飲める身体にして忘年会をしようと約束していた。
昨夜はなんとか2人ともアルコールが飲める身体になっていた。
場所は、いつもの清龍です。
私が20代のころは汚い店だったが、現在は小ぎれいな居酒屋になりました。

 お互いに最近の仕事のこと、生活のことを話す。
そして俳句・文学・人間のことなどを語った。
旗坊さんには、11月に会ったときに私の書いた小説を渡していた。
その感想を聞きました。
「何を書きたかったのか、読者に何を伝えたいのか、それが弱いと思う」
というようなことをいわれた。
その通りだと思う。
私はまだまだ勉強しなおさなければならない。

 彼は、俳句を1日10句作っている。
朝日俳壇にとられている。
私は最近俳句をサボっている。
「1日1枚書いて1年で365枚。それを投稿するってのは…」彼がいう。
私も書かなければならない、と考える。

 「有名な作家になって『徹子の部屋』に呼んでもらうんだ」旗坊さんがいう。
「早くしないと『徹子の部屋』が『徹子の墓』になっちゃうよ」と私。
「嫉妬激励」という造語に2人で笑った。
楽しい忘年会になりました。
8時過ぎ、お開きにした。
外に出るとものすごい人の数です。
池袋の夜はいつもと変わらない。

     捨てきれぬ夢懐に年の暮   九想

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛車に感謝

2012年12月26日 | 健康・病気



昨日、私は東京に来ました。
東京に来る前に、東松山ICを降りてからコイン洗車場で愛車を洗車した。
(女房の家に近いのは所沢ICですが、節約のため東松山ICで降りてます)
常日頃、私は洗車をしていません。
いつも愛車には申し訳なく思っております。
昨日は、一所懸命愛車を洗いました。

Fitくん、来年もよろしくお願いします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマス・ライブ

2012年12月24日 | 健康・病気

  

  

  

昨日の夜、北軽井沢のパンカーラでクリスマス・ライブがありました。
毎年クリスマスにやってくるグルーポ・イラ・イ・アルカのライブです。
私にとっては久しぶりのライブでした。
ここのところパンカーラの「わいわいがやがやコンサート」や「フォークソング祭」にも出演していない私です。

私は、午後7時に始まるライブに20分ほど遅刻しました。
職場を出たのが午後5時半になってしまい、
中軽井沢のハルニレ・テラスや軽井沢高原教会あたりがももすごい渋滞だった。

ライブはなごやかな雰囲気で終了しました。
ライブが終わってからが楽しかった。
グルーポ・イラ・イ・アルカのメンバーと大酒を飲んでケーナを吹きました。
それで今朝はものすごい二日酔いになり、午後からの出勤がきつかった。
60歳にもなって、バカをやってます。

  

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年12月22日 | 健康・病気

大沢悠里 小沢昭一を偲ぶ 2012.12.10



こんなものがYouTubeにありました。
わたしがあの日に軽井沢のじん芥処理場を出たところで聴いたラジオです。
あの俳句のことを永六輔が話している。
永六輔も心が動転していたんだろうな。

今日の「永六輔の土曜ワイド」で小沢昭一のことをたくさん話していた。
ゲストの北山修は、加藤和彦のことを話していた。
最近まで彼のことが許せなくて話すこともできなかったらしい。
やっとこのごろ加藤和彦のことを話すことができる、といっていた。

そういうことから北山修が「喪」について話していた。
心を許した人間が亡くなってしまうということは辛いことだな、としみじみ思う。
わたしにとってこれまで一番辛かった死は、23歳で亡くなった龍彦の死です。
あのときは1年ちかくわたしは喪に服していた。
何をしていても楽しくなく、つまらなかった。
できることならああいう気持ちはもう味わいたくはない。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする