ウォーキングで会った人

2024年05月21日 | 友人

今日、ウォーキングをしていて郵便局の前で、去年10月まで働いていた職場の人と出会った。
彼は私より3・4歳上の人だった。
埼玉ではかなり偏差値のいい女子高校の校長をしていた、と聞いている。
私は仕事をしているときに、この人と話しをすることが楽しかった。
その職場を、厭なひとがいたので辞めた。
それは後悔していないが、この人と会えなくなったことを悔やんでいる。

女房の給料日が20日だったので、通帳記帳をして、と女房に頼まれていた。
妻の4月から働いた給料が通帳にあった。
それは素晴らしいことだなと思った。

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横田基地 日米友好祭 2024

2024年05月20日 | 友人

横田基地 日米友好祭2024

今日は私の72歳の誕生日です。
こんな私でも、誕生日にはそれなりの思い入れがあります。
ところが私は、誕生日よりその前の日にいろいろなことがありました。
20歳になる前の5月19日に私はバカなことをしました。
そのことはここに書けません。
30歳になる前の5月19日、40歳になる前の5月19日、
そういう意味で考えると、私の場合20日より前日の19日が重い日になってます。
そんな訳で昨日はいろいろ考えました。
といって何もありません。
ただ、72歳になるんだな、としみじみ考えていました。
しょせん何も思考的にはだめな、どこにでもいるアホウな爺(ジジイ)なんです。

5月18日(土)に、茨城の高校の同じクラスの友人2人と横田基地に行った。
友人2人は会社を設立し社長という立場になった。
私は、転職を20回以上繰り返した男です。
横田基地の帰りに川越で酒を飲んだ。
いろいろ語り合った。
それぞれの生き方がある。
人生いろいろですね。
今は語れない。
死ぬとき、どう思うか、かな?

横田基地 日米友好祭2018

 

コメント (4)
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淡路島の新玉ねぎ

2024年04月28日 | 友人

今日、女房と買い物をして12時半に家に帰ると、佐川の不在票があった。
私は、急いで電話して再配達をお願いした。
すると30分ほどで、荷物は配達された。

淡路島の友人から送られた新玉ねぎだった。
彼からはもう何10年も新玉ねぎが送られてきている。
3歳ほど年下の彼とは、私が30歳の頃からのつきあいだ。
私が30人ほどの社員の電機製造会社の資材購買担当をしていたときに、
彼は新宿にあった半導体部品販売会社の営業として私の会社に来た。
そのときには、彼の会社からICやLSIを購入していた。
その頃、年に何回か彼の会社の接待で飲みました。
でも彼は、私が40歳ぐらいになったときに埼玉に買ったマンションを売って淡路島に帰った。
彼が淡路島に帰ってからも年賀状などは交換していた。
彼が40歳になった頃、彼が勤めていた瓦の製造会社が不景気で退職することになった。
彼は淡路島に仕事がないということで、保険会社の営業をすることにした。
それで私は、私の車の任意保険と私と妻の入院保険などを彼の保険会社のに入った。
私が51歳のときに、岐阜に住む友人と淡路島を訪ねたときがあった。
2003年07月31日九想話「淡路島
あのときは楽しかった。

彼は昨年、保険会社を定年退職した。
現在、あちこち旅をしている。
それをFacebookにアップしている。
こんどいつか女房と淡路島に行きたいと思う。

送られてきた新玉ねぎは、両隣の人にお裾分けした。
女房は明日、職場の人にも持って行くという。
今日さっそくオニオンスライスで食べた。
淡路島の新玉ねぎはうまかった。

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新所沢の花見2024

2024年04月01日 | 友人




3月30日(土)は、私がむかし住んでいた新所沢の友人たちとの花見だった。
この連絡を受けた3月の上旬のときは、ちょうど花の見ごろかな?と、思っていた。
ところが今年の3月は雨が降ったりして寒い日が続いた。
東京の桜の開花も遅かった。
新所沢の中央公園の桜は、この程度しか咲いていなかった。

12時半からという予定でしたが、私は12時前に花見のところに着いた。
参加者は7名です。
20年ほど前に、楽屋という飲み屋で知り合った飲み友だちです。
2001年04月05日九想話「らくやの花見」を見て下さい。
私が初めて、花見に参加したときのことが書いてあります。
このときはかなりの人が参加した。
あのとき私は48歳だった。
みんな元気だった。
楽屋のマスターとママは、がんで他界してしまった。
客で来ていた人も、何人かが亡くなっている。
その日に来ていた1人は肺がん、2人が膀胱がん、
去年は来たが今年は来られない人が肝臓がんということだ。
その日に来ていた5人が70歳をこえていた。

花見で桜はほとんど咲いていなかったのですが、
友人たちと話していて楽しくて私は飲み過ぎてしまった。
私だけが飲むための日本酒が用意してあったのです。
その上にウイスキーも飲んでしまった。
ケーナも吹きました。
夕方になり公園から友人宅へと移動した。
夜まで飲みました。
最近こんなに飲んだことはありません。
楽しかったです。
友人がいることがありがたかった。
来年も花見ができるといいです。
そのときは、あまり飲み過ぎないようにします。

2023年03月27日九想話「令和5年のシントコの花見
去年は3月27日に桜が満開でした。
ところが雨で、桜の下では花見ができなかった。
2022年は、コロナで花見というものがやれなかった。

それなりに動画を撮ったのですが、やはり今の私には、
顔のぼかしをすることができないのでYouTubeへのアップは断念しました。

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龍彦の亡くなった日

2023年12月08日 | 友人

今日12月8日は、真珠湾攻撃の日・ジョン・レノンの亡くなった日ですが、
私にとっては、龍彦の亡くなった日です。
1975年12月8日に、備前焼の備前市の病院で23歳で亡くなった。
2020年12月08日九想話「龍彦の写真
2022年12月08日九想話「龍彦が死んだ日
今日は、龍彦のことを偲んで過ごしている。

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花火の思い出

2023年07月30日 | 友人

4年ぶりの隅田川花火大会 観客は過去最多100万人超
(テレビ朝日)

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/tvasahinews/nation/tvasahinews-000309446


昨夜、隅田川花火大会がありましたね。
今日のニュースでいろいろ取り上げられていました。
花火は見たいけど、うちからは遠くて見に行くのはムリです。

昔、軽井沢に住んでいたときに所沢の友人たちが遊びに来た。
その日の夜がちょうど長倉神社の花火大会だった。
隅田川花火大会とは比べものにならないかも知れないが、いい花火大会でした。
あのような夜を友人たちと過ごせたのは幸せでした。

2016年07月18日九想話「所沢から軽井沢

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令和5年のシントコの花見

2023年03月27日 | 友人

昨日は、新所沢での花見の日でした。
なのに朝から日本中に雨が降っていた。
朝、友人から電話があった。
「雨なので**さんの家でやるよ」
ということなので、私は10時半に家を出た。
11時45分に新所沢駅に着いた。
私は、1985年から2009年まで新所沢に住んでいた。
シントコで暮らしていたときによく行っていたパルコが、
来年2月で閉店するというので行ってみた。
驚いたのは、2階の多くの売り場を占めていたユニクロがなくなっていた。
新所沢にパルコがなくなるということは、街がさびしくなると思う。

**さんの家に行く前に中央公園に行ってみた。
雨でなかったら、そこで花見をやっていたところです。

桜は咲いていた。
この桜の下で花見をしたかった。
**さんの家に行くとみんながいた。
料理はそれぞれが昨日から準備して、持ってきてくれたそうです。
酒を飲み、いろんな話をして、楽しい時間を過ごした。
昨年は、コロナ禍のために花見を中止した。
来年は、どのような花見になるのだろう?

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龍彦が死んだ日

2022年12月08日 | 友人

12月8日は、1975年に龍彦が23歳で死んだ日です。
多くの人は、12月8日はジョン・レノンの命日だと思うでしょう。

その年の8月に龍彦は、駒込の私のアパートに女性と2人で来た。
その人と結婚したいと龍彦は私にいった。
龍彦と彼女は、萩焼きの窯元で一緒に働いていたらしい。
萩の窯元からその春に2人で抜け出して、九州のほうを旅したらしい。
私の知り合いの福岡にある九想窯(きゅうそうがま)にも行ったという。
九想窯は、私の友人のお兄さんの窯で、私は26歳のときに新婚旅行で訪ねている。
そこから龍彦と彼女は、東京の私のアパートに来た。
その夜、3人で飲んだ。
龍彦は、彼女と結婚したいと私にいった。
私は龍彦に、「おまえがちゃんとした仕事についたときに結婚しろ」といった。
翌日、私のアパートから出て行った2人のその後を、くわしくは知らない。
9月になって龍彦の母親から、備前で病気になり入院していると手紙が来た。
龍彦は、女性とは結婚しないで備前焼きの窯元に弟子入りしたということだった。
そこで働いているときに倒れて病院に入院したらしい。
私は有給休暇をとってすぐ備前に行った。
最初に龍彦が働いていた窯元に行って、私は彼が働いていたロクロを見せてもらった。
あいつがひねった茶碗などがいくつか置いてあった。
それから病院に行った。
龍彦は、喉に人工呼吸器をつけられて寝ていた。
龍彦の病気は、脳髄炎といわれた。
(あの東京に一緒にきた彼女は、大阪から何度も看護に行っていたらしいです)
その夜私は、弟に代わって龍彦のベットのわきに深夜3時間ほどいた。
「喉からへんな音がしたら、痰が喉にからまっているからなので、
 この機械でバキュームして下さい」と弟にいわれた。
龍彦の喉から痰がからまった音がしたとき、人工呼吸器の管を外し、痰をバキュームした。
あのときの痰をバキュームした音が今でも忘れられない。

12月8日に龍彦は亡くなった。
私は彼の葬式に山口県まで行った。
龍彦のふるさとは、錦帯橋の架かる錦川の上流にあるところだった。
龍彦の遺体は、石の上で焼かれた。
そのときその土地には、火葬場というものはなかった。
茨城の私のところでも、墓場の隅で藁などを燃やして火葬をしていた。

龍彦が好きでよく歌っていた井上陽水の「紙飛行機」を聴いて下さい。
あいつがボクシングをやめてから、私がギターを教えた。
それまでクールファイブの前川清の歌しか歌わなかった彼が、一番好きだった歌です。

井上陽水 紙飛行機 (ライヴ)

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亀屋のよっちゃん

2021年09月22日 | 友人

私は暴力は嫌いです。
争いは出来るだけ避けます。
それはただ私が臆病なだけなのかも知れません。
映画やドラマを観ていても、そういう場面は苦手です。
そういう私が、51年前の秋にひとりの男を殴りました。

そのとき私は高校3年の18歳でした。
吹奏楽部の部長をしていた。
同じ中学校の吹奏楽部から一緒にやってきた高2の後輩が、
「吹奏楽部を辞める」と言った。
そのときの詳しい状況を、今の私は何も覚えていない。
(今日、高校3年のときの日記を読んだが、見つけられなかった)
その日の夜、私は彼の家に行っていた。
彼が、どうして吹奏楽部を辞めたいのか訊こうとして行ったのだと思う。
その理由を彼から聞いたのかどうなのか、それもはっきり覚えていない。
確実に覚えているのは、彼を殴ったことです。
「わがった、おめが吹奏楽部辞めんのはあぎらめる。でもおれの気がすまねぇ。
 おれはおめを殴る」
そう言って、私は彼の頬を殴った。
他人(ひと)を殴ったことなどない私は、うまく殴れなかったと思う。
へたくそな殴りかただったでしょう。

先週、茨城の兄と電話で話したときに、
「亀屋のよっちゃんが、がんで死んだよ」と言った。
亀屋というのは屋号で、うちは伊勢屋という屋号だった。
昔、物を売る店をやっていたようです。
亀屋は宿(しゅく)の下(しも)で、伊勢屋は宿の上にあり500mほど離れていた。
よっちゃんというのは、私が高校3年のときに殴った後輩です。
今日は、よっちゃんの告別式でした。

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友人の写真が最優秀賞

2021年09月06日 | 友人

さきほど友人のFacebookを見たら、次のようなことが書いてあった。

>SONY 月例フォトコンテスト自由部門「路傍の花」で最優秀賞を頂きました。
>十日町から六日町へ抜ける道路沿いの光景を撮影したものでした。
>そして下の方へスクロールしていただいてテーマ部門【テーマ「空気」】の
>「沸き立つ」(上から8枚目)で優秀賞とWで選んで頂きました。
>審査員は並木隆さんで、コメントがうれしいです。
>ピンクの花はシモツケ草ということですが、マンションの管理人さんに教え
>ていただきました。
>花の名前は苦手ですので(;^_^A

ソニーマーケティング主催
MONTHLY OPEN PHOTO CONTEST
第8回月例オープンフォトコンテスト 【結果発表】

彼(甚四郎さん)とはインターネット以前のパソコン通信からだから、25・6年の付き合いです。
彼の写真は素晴らしいと思う。
これからもどんどん素敵な写真を撮ってもらいたい。

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