静かな女房

1998年09月30日 | 健康・病気

  月曜日の夜から、あいつは話さない
 ただ黙々とメシを作り、洗濯物を片づけ、食器を洗う
 せがれたちにお愛想はいうが、おれには沈黙
 いつも思ってた、少しは黙っててくれないか、と
 静かなあいつ
 おれは訊かない、そのわけを
 女房が喋らないだけ、おれも黙る
 ふん、なんなんだよ
 わけ分かんねえよ
 これまでにもあった、こんなこと
 おれァどうすりゃいいんだ
 会社の支えきれないほどの厭なこと、
 けっこうあいつの喋りで紛らわせてきたおれ
 酒もまずい
 煙草もまずい
 人生がまずい
 いいよ
 ずーっと黙ってりゃいい
 知ったことじゃねぇ
 おれは俳句でもひねって、まずい酒を喉に流してるよ
 そとは、秋の長雨
 さて、明日は晴れるか

………………………………………………………………………………………

9月の九想話

9/7  黒沢映画
9/8  蒲団
9/9  スクランブル交差点
9/10  ビリヤード
9/11  競輪
9/12  秋風のせい?
9/13  地球で最初に咲いた花
9/14  コンタクトレンズ
9/15  専業主婦
9/16  いつか老いること
9/17  課外授業
9/18  手話ニュース
9/19  土曜日
9/20  自殺
9/22  私にとっての酒
9/23  父の存在
9/24  詩
9/25  自己嫌悪
9/27  何度も聞いてるよ
9/28  おまわりさん
9/29    昔、ライオンで
9/30  静かな女

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駐在所のおまわりさん

1998年09月28日 | 健康・病気

 子供の頃(小学生になったばかりです)、お金を拾うと駐在所に届けた。
 拾ったお金はたいがい十円玉でした。
「お金拾いました」
 と、十円玉を持っていくと、おまわりさんは、
「えらいね」
 といって、自分の財布から十円玉を出して、
「これは褒美だよ」
 といって私にくれた。
 私は、とってもうれしかったです。


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その話、何度も聞いてるよ

1998年09月27日 | 健康・病気

 Uは、自分の高校の文化祭に行き、まだ帰ってこない。Kは、昨夜家に泊ま
った友だちと出かけている。女房は、先日亡くなった会社の人のお通夜に夕方
出かけた。
 私は、なんとも暗い気持ちで一人家にいた。
 相撲を見た後、6時10分からの「特報・首都圏98 昨日のことが記憶で
きない・交通事故が奪う“脳機能”」というNHKの番組を見た。
 交通事故で脳の機能が奪われ、記憶力が衰えた若い人のことを報道していた。
 近くのスーパーマーケットに買い物にいっても、帰り道が分からなくなる女
性、仕事を教わってもなかなか覚えられない男性。
 男性は、今は仕事を覚えスーパーマーケットに就職し、パソコンでプライス
を作る仕事をしている。女性は、毎日家にいる。両親は、「この子のことを考
えると、心配で死ねない」といっていた。
 私もあらためて、交通事故には気をつけようと思った。車を運転する現在の
私は、加害者になる確率が高いはずだ。
 7時前、シャワーを浴びてるとKが帰ってきた。
「晩飯、Uが帰ってきてからでいい」
 と訊くと、
「お腹が空いてるからすぐ食べたい」
 という。
 女房が作っていった、肉じゃがと野菜の天ぷらで、Kは食事した。私は、ビ
ールを出し飲んだ。
 テレビでは、「K1グランプリ」をやっていた。Kが好きなのだ。
 K1のこと、私はあまり知らないので、Kにいろいろ質問した。
 見ていて、ふっと23歳で死んだ友人を思い出した。一昨年、Kと山口まで
墓参りに行った岡本のことを。彼は一緒の会社で仕事をしていた20歳のとき、
ボクサーのプロテストを受けて合格したが、人に殴られること、人を殴ること
が恐くなってボクシングを辞めたのだ。
 テレビがCMになったとき、
「岡本がいってたよ。『試合の前の夜、恐くて眠れないんだよ』って」
 私が、Kにいうと、
「その話、何度も聞いてるよ」
 と、唇の端をゆがめていった。
(ああ…、またおれはやってしまった)
 いつも女房にバカにされてるのだ。「ヒサシ君は、何度もなんども同じ話す
るんだから」と…。
 私は、明日の会社のことを考えるととても憂鬱なのに、それ以上に立ち直れ
ない気分になった。

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自己嫌悪

1998年09月25日 | 健康・病気

 今日、5時前、工場長に「帰ります」と怒鳴って、事務所を出てきた。
 あまりにもバカなことを私にいうので、呆れてそういうことになってしまった。
 ロッカールームでさっきまでのことを反芻していたら、製造の副課長があわ
ててやって来た。私をとりなそうとする。私は、あんなやつがいる会社なんて
辞めてやる、と心で思っていた。
「あの人のことは無視して付き合って下さい」
 と彼がいう。
 私が、この会社に就職出来たのは、生産管理の前任者が辞めたからだ。
 その人は8月に辞め、製造課長は7月に退職した。素晴らしい人たちだった。
 入社して5ヶ月めになる私は、彼らがなんで辞めたか、やっとさっしがつい
た。
 しかし、車で家に向かっているとき、「辞めて、次はあるのか」と考えはじ
め憂鬱になってきた。月曜日に会社に行くことが辛い。
 行くつもりでいる。しかし、こととしだいによっては辞めるかもしれない。
私という人間がこれから生きていくためには、あんな奴とは付き合ってられな
い。
 これを、なんて女房にいうか…。
 家に帰ると息子たちはいなかった。
 私は、ブルースハープを吹いた。しばらくして、シャワーを浴びた。その後
も、ブルースハープ、クロマチックハープ、ケーナでいいかげんに自分で作っ
たメロディーを吹いた。
 ビールを飲み、日記を書いた。
 書いてるうちに、女房が帰ってきた。
「Sさんが死んだ」
 家に上がってくるなりそういった。ついに亡くなってしまったか、と思った。
 女房が勤める会社の50歳くらいの男の人で、女房が、これまでいろいろな
人に会ってきたが、一番尊敬出来るといっていた人だ。これまでも、女房がな
んどとなくその人のことを話してくれていた。
「会社に殺されたといっても、いい過ぎじゃないわ。いつも笑顔で仕事をして
いた。なんであんないい人がこんな会社にいるのか不思議だったわ」
 女房に、会社であったこといおうと思っていたが、いえなかった。
 Sさんのこれまでの人生はどんなだったのか。
 私は、自分の忍耐力のなさに自己嫌悪した。


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1998年09月24日 | 健康・病気

 今日のNHK10時からの「課外授業 ようこそ先輩」は、ねじめ正一だった。
 私はこれまで、彼の小説は短編のいくつか入った文庫本を1冊読んでいたが、
詩は、まともに読んだこともない。
 建て替えられて様変わりした、彼の母校の6年*組の授業だった。
 授業の初めの頃、子供たちの反応はさめていた。ねじめ先生が一人空回り、
という感じだった。
「今の子供たちは、詩に興味がないのかな」
 というナレーションが入ったが、昔っていうか、私の小学生のときも、国語
の詩の時間、盛り上がらなかった。私だって好きではなかった。
 このことに限らないけど、なんで「昔はどうのこうの」というのかな。そん
なに昔と変わらないと思うんだけどな。そりゃ、変わったことはありますが…。
 ねじめ先生は、沈んでいる生徒たちをなんとか元気づけようと必死になって
いた。
 私が小学生の何年かの(おそらく4、5年だったかな)、国語の詩の授業の
とき詩を書くように先生にいわれて、私は「詩」という詩を書いた。今どんな
詩だったかちゃんと覚えてないが、

    詩
 詩は嫌いだ。
 今は国語の授業中
 外では体育の授業をやっている
 一人がうまそうに蛇口から水を飲んでる
 僕はなんで、詩なんか書かなければならないんだろう

 以下、もう少し続いたと思うが、覚えていない。
 ともかく、詩を書くことは嫌いだった。
 その私が、高校生のときには詩を書くノートを作っていた。
 二十代の初めの頃、酒を飲んでは駒込の4畳半のアパートで、ノートに詩の
ようなものを書いていた。

 話をテレビに戻すと、教室で冷ややかだった子供たちが、高円寺の商店街に
出て、いろいろなお店の人と話し、そのことを詩にした。
 なかなかいい詩があった。それを見たねじめ先生も元気が出てきたようだ。
 25人の子供たちが、25の詩を書いた。
 私はそれを(子供たちが朗読した)聞いていて、涙が流れてきた。私は涙の
路がゆるやかで困ります。
 最後に「高円寺」というテーマで子供たち一人ひとりが、1行の詩を書いた。
それをねじめ先生がそれなりに並べ、子供たちが、それぞれ自分の書いた“詩”
を読んでいった。
 今日もやっぱり素敵な授業でした。
 番組とは関係なく、また、詩を書いてみようかなとちょっと前から考えてる
私です。


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親父の存在

1998年09月23日 | 健康・病気

 今日、残業をして(ああ…、今日も会社でした)9時過ぎに家のドアを開け
ると、息子たちが蜘蛛の子を散らすようにして自分の部屋に消えた。
 シャワーから出ると、女房がビールと鳥の唐揚げ、キュウリとマカロニのサ
ラダ、圧力釜で煮たサンマ、胡麻をのせた冷や奴などをテーブルの上に並べて
いた。
「今日さあ、さっきまでUと話していたんだ。いいでしょう。Uに訊いたんだ、
パパがUとKと話したいと思っているんだけど、いつも帰ってくると二人とも
部屋に行っちゃうじゃない。パパ寂しいんだって。やっぱりパパとは話しづら
いのって訊いたら、そうだって。そんなもんなんだね」
 うれしそうに、優越感にひたった顔で女房はいう。
「ヒサシ君(なぜか5歳年下の女房は、私をこう呼ぶ)はあんなにUとKの面
倒見たのにね。男親なんてつまらないな。私なんかいつもガミガミ怒っていた
だけなのにね」
 そうだそうだ。私は、あいつらが小学校5年まで一緒に寝て、絵本や童話を
読んでやったり、即興の作り話を聞かせたりしていたのだ。
「やっぱり男親って煙たいのかな」
「そりゃそうだよ。おれだって親父とは一緒にいたくなかった」
 息子たちが、私を煙たがらずに話せるのはいつのことだろう。自分のことを
振り返ると二十歳過ぎかな。酒など一緒に飲んだりして…。
 それまでじっと耐えるしかない…な。


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私にとっての酒

1998年09月22日 | 健康・病気

 日曜日、私は11時頃車に乗り込んだ。
 世の中は快晴で、気持ちよかった。
 女房は、友人と会うとかいって所沢にいった(私の住んでるところは新所沢
駅の周辺で、所沢駅のあたりにいくことを所沢に行くと私たちはいっている。
同じ所沢市のなかなのに…)。
 目的は、私が飲むサケを買い、愛車にガソリンを入れるためだ。
 サケのディスカウントショップと、いつもガソリンを入れてるガソリンスタ
ンドが10メートルも離れていないので、日曜日にはこうなることが多い。二
週間に1度は、その先の図書館に行くこともある。
 この酒屋はいつもバロック音楽が流れている。それも私の大好きなリコーダ
ーの曲が多い。酒屋とバロック音楽、なかなかのもんです。
 その日私は、350mlの缶ビール1ケース(24本入り)、日本酒一升、
甲類の焼酎4リットルを買った。それぞれ3,780円、980円、1,680円だった。
 それらをキャスター付きのカゴに乗せ、レジで順番を待ってるとき、なんか
とてもやるせない気持ちになってきた。
(こんなものおれは買ってなんだっちゅーんだ。暮らしになくともいいもので
はないか。これからいくらでも金の必要な我が家なんだ。こんなもの買ってる
場合ではない)
 しかし私は、レジの順番がくると、さっきまでのココロはウィスキーののっ
てる棚の一番上に放り投げ、アルバイトの青年のいう金額を素直に払っていた。
 ここのレジでのマニュアルなのか、客がビールを持っていくと「一番搾り1
ケースでよろしいですね」と必ずいう。なんでなんだろう。客がわざわざ重い
ビールをレジまで持っていくのだ。買いたくないものを、持って行くわけない
じゃないか、といつも心で反発してしまう。
 ガソリンスタンドに行く。いつも思うのだが、両手を顔の前あたりに上げ、
私の車を誘導する青年の青春は、どうなんだろうと。
「お支払いはカードですか、現金ですか? はい、それでは灰皿車内のゴミを
お出し下さい。給油口をお開け下さい。窓はお拭きしてよろしいですか」
(拭くんなら、ちゃんと拭けよ)
 と、心の中で思ってしまう。たいがい手を抜いて拭いてるので、汚れがフロ
ントガラスについていることが多いのだ。
 夕方、家から5分のパルコに出かけた。たいがい日曜日の日暮れどき、私は
ここに来る。人が沢山いるのがいい。しあわせそうな顔をしている人々にまざ
るのが心地いい。いろんな商品が、それなりにディスプレーされた店で暗い顔
してるのは私くらいなものだ。
 地下の楽器屋に行く。なんのあてもないのに行く。楽譜を見ることが好きだ。
楽器を眺めていると心が弾む。
 4階の本屋に行く。新しい本の匂いがいい。
 芥川賞、直木賞それに関連の本が平積みされている。私の中の何かが騒ぐ。
騒いだってしょうがないのに。
「人格改造マニュアル」という本があった。「自殺完全マニュアル」という本
を書いた人の本だ。(書名に自信がない)
 覚醒剤からはじまり、サケなども含めて、自分を変えるものを紹介する本だ。
 覚醒剤は、今読んでいる「新宿鮫」にいろいろ書いてあるので興味ある。こ
の本には、覚醒剤がかなりいいものだとして書いてある。コントロールして飲
めば悪いものではないという感じだ。ちょっとこれは危険な書き方だなと思っ
た。買い方まで書いてある。
 私にはサケがいい。アルコールを脳にしみこませてる方がいいだろう。
 私のような鬱で気が小さく、出来ない人間にはサケがいい。
 やっぱり、サケを買っておいてよかった。



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自殺

1998年09月20日 | 健康・病気

 女房が、会社で仲良くしている人の義姉が亡くなった。
 6月の頃、首を吊って自殺をしようとしたが死ねないで、それから意識不明
のまま病院にいたそうだ。亡くなったと聞いて、なんかほっとした。
 その友人が以前、「五木寛之の『大河の一滴』という本はよかった。義姉さ
んに読ませたかった」と女房にいっていた、という。
 私は、「大河の一滴」に書いてあることを大雑把に話した。
 自殺しようとしたその人は、何を悩んでそういうことをしたのか。女房より
一つ下らしい。夫と子供がいるのに自殺しようとした。
 五木寛之は「大河の一滴」の中に、平成7年には自殺者が22,000人、
平成8年には23,000人、1年間の交通事故で死ぬ人よりも多い、と書い
ていた。
「明日から、また元気に働こう。イヤなことあるのが普通なんだよね。会社で
仕事していて、失敗して命取られることないんだから」
なんか訳の分かんないこと、いきなりゆうのがうちのやつなんです。
「そうだな。明日もがんばるか」
 なさけない夫婦の会話ですね。

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土曜日

1998年09月19日 | 健康・病気

 今日も私は会社に行った。今日は月に一度の、品質向上講習会の日でした。
 現在の私の会社は、硝子メーカーの子会社で、そこのガラスに樹脂を成形し
てある車メーカーに売っています。ですから、そのメーカーの何種類かの車に
はうちで成形したウィンドウガラス、リアガラスがついている。
 講習会は1年間ある。今年の5月から始まった。じつにつまらないものです。
 なんといっても、講習する先生がいけない。品がなく、知性も感じられず、
講習の内容もくだらない。いや、最初はいいと思って参加していた。しかし、
2日もかければ終わる講習の内容です。こんなことを来年の4月まで続けるの
かと思うと、哀しくなる。
 先生は硝子メーカーを退職して、A硝子総研なんていう会社をつくり、その
関連会社や子会社で余生を生きて行くつもりらしい。

 5時前に会社に帰って、来月の生産計画を7時まで立てていた。疲れたので
そのファイルを保存して家に持ち帰ってきた。家でファイルを読み込もうとし
たら、立ち上がらない。「どこそこのページに不正ななんとかがあり、なんだ
かんだ」という表示が出てパソコンの画面がクローズしてしまった。
 悲しくなる。一昨日からそのワークシートに、月初の予想在庫数、日々の予
定出荷数、成形数などを入力して、3台の成形機で成形する20種類ほどの硝
子の生産計画を作っていたのだ。
 受注の多かった7月ぐらいまでは、3台の成形機が24時間3交代で稼働し
ていた。9月から注文が減り、収支をよくするために稼働時間を少なくして派
遣社員を減らさなければならない。そのための計画が複雑でめんどうくさい。
 家に帰って少しやれば終わりになったのに…。月曜日、はじめからやりなお
しです。Excelなんて嫌いだ。

 飯を食べてから、「新宿鮫」でも読もうと考えていたとき、新聞のテレビ番
組表を覗いたら、衛星放送で「黒澤明とその時代・全30作の軌跡」という番
組を9時から12時までやる。これは見ないわけにはいかない、と思ってしま
う私。
 いろいろな人が彼のこと話していたが、「黒澤さんは、晩年に小津安二郎の
映画のビデオを見ていた」と山田洋次がいっていたのが印象深かった。

 こんなふうにして私の土曜日が終わります。



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課外授業 ようこそ先輩

1998年09月17日 | 健康・病気

 NHKのテレビ番組で、私は毎週楽しみに見ている。
 今日は、増田明美でした。
 最初の頃は、新聞を読みながらだったのであまり真剣に見ていなかった。
 子供たちに、ロサンゼルスオリンピックのときのビデオを見せているときか
ら、テレビに専念した。
 増田明美は、自分が途中棄権したビデオを黙って子供たちと見てから、その
ときの心のうちを話した。
 その頃は、走ることを楽しむ気持ちはなくて、勝つことばかりを考えていた。
一緒のレースで走り、脱水症状で完走したアンデルセンを見て、自分が恥ずか
しくなった。余力はあったのに、勝てないと思ったので棄権してしまった。そ
れが恥ずかしい、といっていた。
 次に、4年後に参加した大阪女子マラソンのビデオを子供たちに見せた。
 30位(?)でゴールした増田明美も泣いていて、それを見ている現在の増
田明美も大粒の涙を流していた。私もお付き合いしてしまった。
 走っていたとき、沿道の人が「もう、増田の時代はおわったんや」と叫んで
いたそうだ。
 でも、そのときの増田さんは走っていることが楽しくて、順位なんて関係な
かった、という。
 私は、マラソンの解説をする増田さんの話し方が好きだ。
 なんどかTBSラジオの「永六輔の土曜ワイド」(関東だけの放送かな)に
出たときの話もよかった。
 挫折をまっすぐ見つめて立ち上がった人は、素敵です。
 マラソン選手は走るとき、それぞれ好きな歌、曲を心で口ずさみながら走っ
ているそうです。誰々はあの歌、誰それはあの曲、と子供たちに話していた。
どれもポップス調なのに、増田明美は「天城越え」を歌って走るそうです。



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