8月が去る

2010年08月31日 | 健康・病気
8月が終わる。
人であふれた軽井沢が静かになります。
はっきりいって8月の軽井沢は好きではない。
さすがに今日などは中軽井沢に車が少なかった。
よかった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
8月の九想話

8/1   1人バーベキュー
8/2   終活
8/3   戦場からのラブレター
8/4   蛍
8/5   精密検査
8/6   広島                 広島を息子と歩く夏でした
8/7   吹奏楽               夏合宿吹奏楽の課題曲
8/8   ぎっくり腰                   無我夢中わが子眺める今朝の秋
8/9   秋の気配             新涼やときのうつりにおいてかれ
8/10  ツルヤ渋滞                大渋滞これが避暑地か軽井沢
8/11 酒をやめる?
8/11 飛べない蛍             帰り道飛べない蛍草の中
8/12 1Q84 BOOK3読了
8/12 飛べない蛍2
8/12 ノンアルコールデイ        酒飲まぬどうしてこれほど長い夜
8/13 飲まない2日目
8/13 がんばる女房
8/14 韓国と日本
8/14 盆踊り
8/15 佐久千曲川大花火大会  ひとはみな何を求めて花火見る
8/16 残暑
8/17 ハエ取り物語        憎き奴ハエ取り紙が待っている
8/18 鳩山セミナー
8/18 父の命日           親父死にお袋死んで俺が死ぬ
8/19 明日                  希望に満ちた明日なんて堕落だ
8/20 きょうだい
8/21 痩せる
8/22 イベント
8/23 疲労困憊                      佐久の夏もう来年までさようなら
8/24 怖いです
8/24 あんちゃん
8/25 詐欺
8/25 さだまさし                      亡き父に何もできないお盆かな
8/27 昭和45年の流行歌
8/27 サマーキャンドルナイト     虫すだく石の教会すみません
8/28 悲しいコメント
8/29 馬場家住宅
8/29 旧開智学校
8/29 松本城
8/30 八ッ場ダムの橋
8/30 久しぶりのパンカーラ        秋気配北軽井沢パンカーラ
8/31 8月が去る              八月や吾怒っても笑っても
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

群馬へ行く

2010年08月31日 | 健康・病気
女房の提案で今日は群馬県に行くことにした。
これまで長野県にいるんだからということで、長野県のあちこちに行った。
でも考えると、軽井沢は群馬県と隣り合っている。
だったら群馬県のほうが近い。それなら群馬に行こうと女房がいう。

まず道の駅「みょうぎ」を目指した。
カーナビにそこを入力した。
軽井沢駅前を通過してすぐ山道になった。
碓氷峠です。
下へ下へ降りていく。めがね橋があった。
ここは2年前に来ていた。
軽井沢に住む友人の家に遊びに行った帰りに通った。
懐かしかった。





横川に着き、ちょっとだけおぎのやに寄る。
道の駅「みょうぎ」に着く。
ひなびた道の駅だった。あまり人が来ているようには思えなかった。
その上にある妙義町立ふるさと美術館に行く。
中に入るのはやめた。観覧客が誰もいない。





俳句の道なんてのがあったが行くのをやめた。
雑草が繁っていて道が見えなかった。
駐車場の前のコスモスが綺麗だった。
しかし、なんの手入れもしていないという感じだった。
すぐ隣に妙義ふれあいプラザもみじの湯があったが、入るのをやめた。







次に、大桁緑地公園をカーナビに入力した。
ここはかなり山を登った所にあった。
綺麗な湖だった。この湖に名前はないようです。





それから、かぶら健康センターかのさとに行った。
ここはお風呂があり、水中ウォーキングをする温水プールのあるところだった。
ここで私たちはのんびりしました。
帰りに、道の駅「しもにた」に寄った。
そのとき国道254号を走っていた。
松本から帰るときも254号を走った。
254号という国道は私になじみがあった。
埼玉では川越街道といいます。
まさか、松本・佐久と川越・池袋が1つの道でつながっているとは思わなかった。

カーナビの指示で254号を右折して山道へ向かった。
この山道がすごかった。
よく私のFitで登れたか?という坂道だった。
それでもなんとか無事に中軽井沢に戻れました。
この3日間、かなりドライブをした。
疲れましたね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりのパンカーラ

2010年08月30日 | 音楽

昼食を食べにパンカーラに行った。
7月10日のフォーク祭りから行っていません。
あれから車の事故にあったり、職場のイベントがあったりで、
行けませんでした。
客が私たちのほかに3組いてマスターは忙しかったが、ちょっと話せました。
私の友人の肥さんがパンカーラを訪ねたこととか、
九想話を読んでくださっている北軽井沢住人さんが
パンカーラにうかがったこととかです。
その日に私がいなかったことが残念です。

9月にきょうだいが軽井沢に来たときに、
お昼を食べに寄りますとマスターにいった。
「それじゃそのときにこんなことしますか?」
とケーナを吹く真似をマスターがした。
マスターがケーナを吹いてくれたら姉兄たちは喜ぶだろうな。

そのあと私と女房は、草津のホテルの予約に行った。
ネットで予約してもいいんですが実際に見ておきたかった。
きりっとしたおかみさんが相手をしてくれた。
いいホテル(純和風)だと思いました。

白根山を下調べしようと思ったが、カミナリが鳴ってきたので帰る。
帰り、八ッ場ダムの工事現場に寄ってみました。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八ッ場ダムの橋

2010年08月30日 | 健康・病気


今日、八ツ場ダムの工事現場に行ってきました。
といってもまだ、ダムの工事はしていない。
橋を造っているだけです。
先日テレビニュースで、橋がつながったといっていた。
それをわざわざ見に行きました。
左の写真が、昨年の11月に撮ったものです。

「八ツ場ダム継続か中止か、9月中に検討の場 国交相表明」
という記事が、asahi.com(8月29日)にありました。
どうなるんでしょうね?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松本城

2010年08月29日 | 健康・病気
今日から私の夏休みということになります。
9月1日まで仕事が休みで、私の休日に合わせて女房が軽井沢に来ています。
今日は、松本市に行きました。
去年から行こうと考えていましたが、ちょっと遠い気がして行けなかった。
軽井沢から上信越道で行って130キロ弱でした。
今日は日曜日なので高速道路が1000円です。
いい天気だったので運転していて気持ちよかった。

松本に行くと決めたとき、上高地も候補にあった。
でも、上高地は秋になり、紅葉が綺麗になったら行きたいと思った。
私は25歳のときに上高地に行っていた。上高地は秋がいい。
女房が「私はこれまで城に行ったことがない」という。
私はいくつもの城に行っている。
そういうこともあって今日は松本城に行きました。

松本城には、私が40歳の頃行っている。
そのとき勤めていた半導体製造装置会社の長野事業所が松本にあった。
熊本事業所と福島にあった東北事業所、
所沢にあった武蔵野技術センターの資材担当者が長野事業所に集結した。
そして3日間、資材会議をした。コストダウンが主な議題だった。
そのときに、松本城を見学した。
その会社はそのあと親会社の意向で子会社3つが合併し、私が45歳のとき消滅した。
長野事業所、東北事業所、武蔵野技術センターはなくなり、
熊本事業所は、別な会社に売却され現在もそのときの装置を製造しているようだ。
松本には、ちょっぴり悲しく懐かしい私の思い出がある。

松本城の裏あたりの蕎麦屋で蕎麦を食べた。うまかった。
ビールを飲みたかったが、飲むわけに行かない。
車での旅行はこれが辛い。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧開智学校

2010年08月29日 | 健康・病気
松本城を出て蕎麦を食ってから、女房が行きたいところに行った。
彼女は、今日松本に行くにあたって松本をネットで調べていた。
「ここは絶対行きたい」といっていた。
道を歩いていて暑かった。汗がしたたり落ちた。
道に迷ったが、なんとか20分ほどで辿り着いた。
素敵な建物でした。
長野が教育県ということがしみじみ分かりました。



廊下                                 教室


講堂                                 旧開智学校

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

馬場家住宅

2010年08月29日 | 健康・病気
ここも女房が行きたかったところです。
私はなんの思いもなかった。
しかし、行ってよかったですね。
松本のいいところを見たという気持ちです。

このへんの豪農の家のようです。
私の生まれた家は茨城の貧農ですが、この家を見ていて私の実家を思った。
天井の梁、土間から座敷に上がる雰囲気が似ている。
縄なえ機、唐箕(とうみ)は、私が子どもの頃にありました。
私の生家には囲炉裏があったのです。

松本からの帰りは、一般道を通った。
なんか気分的に同じ道で帰るのは好きじゃない。
85キロほどで、軽井沢まで2時間半という感じでした。
やっぱり松本は遠いですね。











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悲しいコメント

2010年08月28日 | 健康・病気
私は、コメントがあるととても嬉しい。

しかし、これだけくだらな、いやらしいコメントがあると、
考えなくてはいけない。
なんであんなバカなことをこの九想話に書くのか?

悲しいけど、私が検閲してから九想話に
載せるようにしなくてはならないか。
しかし、さびしい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サマーキャンドルナイト

2010年08月27日 | 健康・病気



もともと女房は、今日来る予定ではなかった。
しかし、軽井沢高原教会のサマーキャンドルナイトが、
8月27日にあることを先週、軽井沢に来たときにネットで知ってしまった。
あのひとはなんとか仕事の都合をつけてやってきた。
12時過ぎに中軽井沢に着いた。
昼間は、旧軽井沢あたりに車で行った 。
9月にきょうだいが来るのでそのための下調べをした。
駐車場などを確認したのです。

夜6時40分に家を出た。
5分ほどで軽井沢高原教会に着いた。
駐車場には車が一杯だった。それでもなんとか空きを見つけて停めた。
林の中の地面にロウソクを灯したランタンがいくつもあるのが綺麗だった。
まず、石の教会に行く。ここは素晴らしい。
地下をくぐり抜けて元に戻った。





7時半からサマーキャンドルナイトが始まった。
牧師がお話を始めた。
人には悲しいことがあり、泣くことが多い。
人間で泣いたことのないひとはいないのではないか。
赤ちゃんは泣いて生まれてくる。
人間は多くの涙を流す。しかし、それと同じぐらいの喜びがある。
というようなことを話した。
当たり前じゃないかと思いながらも、このキャンドルに包まれた環境では素直に聞ける。
いただいたキャンドルに火をつけられ、それを隣のひとにうつす。
ちょっぴり心が背伸びする。





毎週日曜日に、ゴスペルを練習しているグループ「クワイヤ」の歌が始まった。
「オールライト」という歌詞を歌う。
いや、歌うというよりかけ声だった。
「オーパッピディ」の曲のときも、私たちは歌った。
アフタービートで手拍子を打ち、大きな声で歌って楽しかった。

私たちは最初にキャンドルと紙の筒をもらい、その紙の筒に願い事を書いた。
それをキャンドルタワーのあるあずまやから高原教会までの道の両側に置く。
それが光の道となる。
高原教会の中では「結び灯」という儀式をやっていた。
私と女房もやりました。
礼拝堂の前にあるキャンドルに、
竹串?の先に火をつけ、願い事を1つ思いながら火をともす。
それを終えると、「三つ撚りの願い糸」というのをいただいた。
「私は年に2回だけなんちゃって信者になろうかな」と女房がいう。
クリスマスと夏に軽井沢高原教会に来てキリスト教の信者になるという。
まったくいい加減な信者です。
長野の善光寺で手を合わし、浅草の浅草寺で祈って、明治神宮でも頭を下げる。
そして年に2回キリスト教の信者になるという。
イエス様、こんなずぼらな女房をお許し下さい。





光の道をあずまやに戻ると、その横でまたハンドベルの演奏が始まった。
淡いなんともいえない神聖な音が響く。
その演奏を聴きながら私たちは石の教会のほうへ歩いた。
ライトアップされていると聞いた石の教会を見たかった。
ありました。厳粛な気持ちになります。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和45年の流行歌

2010年08月27日 | 健康・病気
一昨夜、九想話を書いて寝たのが26日の2時半頃だった。
布団に入りラジオ深夜便を聴いていた。
2時台は、ビートルズの特集だった。
最後に、「Let It Be 」が流れていた。
「しばらくは、深夜便でビートルズの特集はしません」
とアンカーの宮川泰夫がいっていた。

3時のニュースが終わってから、「にっぽんの歌こころの歌」
「昭和歌年鑑:昭和45年の流行歌」が始まった。

「京都の恋」 渚ゆう子
「真夏のあらし」 西郷輝彦
「噂の女」 内山田洋とクール・ファイブ
「命預けます」 藤圭子
「走れコウタロー」 ソルティー・シュガー
「老人と子供のポルカ」 左ト全(ひだり・ぼくぜん) と ひまわりキティーズ
「今日でお別れ」 菅原洋一
「長崎の夜はむらさき」 瀬川瑛子
「酔いどれ女の流れ歌」 森本和子
「希望」  岸洋子

昭和45年、懐かしいです。私が高校3年のときです。
全部この歌は知ってます。
でも、どうしてもフォーク系の曲が好きだった私は、演歌をあまり聴いてない。
渚ゆう子の「京都の恋」なんて私のストライクゾーンからはほど遠かった。
で西郷輝彦の「真夏のあらし」は、まったく私の生活に関係なかった。
ただ「昼も夜も~、夜も昼も~」というフレーズは記憶にあった。
内山田洋とクール・ファイブの「噂の女」は、なぜか私は好きだった。
次の、藤圭子の「命預けます」なんて涙が出るほど懐かしい。
この2人は次の年に結婚した。
この結婚生活がうまくいっていたら、宇多田ひかりは生まれなかったんだよな。
ソルティー・シュガーの「走れコウタロー」は、画期的だった。
美濃部亮吉という人間が懐かしい(歌の途中で物真似で出てくる)。
そして左ト全です。「老人と子供のポルカ」。
あの頃、菅原洋一が売れていた。
「長崎の夜はむらさき」 瀬川瑛子
「酔いどれ女の流れ歌」 森本和子
は、あまり記憶にありません。
でも、みなみらんぼうの歌う「酔いどれ女の流れ歌」は知っている。
この曲は、彼の作った歌です。
「希望」も、私は岸洋子が歌うより、フォー・セインツのほうが好きでした。

しかし、昔は「昭和45年の流行歌」というと出てくるが、
現在、「平成22年のヒットした曲」といわれても何も分からない。
オリコンには流行っている曲は出ているが、みんな知らない。
以前なら、そのときヒットしている曲がラジオ、テレビから聴こえてきたが…。
寂しい世の中になってしまった。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

この九想話を途中まで書いていて寝てしまいました。
職場のイベントのあと、私はとても疲れていて、体がまともではありません。
今日は休日です。のんびりします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする