孫のピアノ発表会

2015年01月31日 | 健康・病気

今日、鶴ヶ島のニトリに行った。
食器棚を見に行った。
現品処分などで価格が下がっていたら買おうという下心で行った。
女房がいう。
「こんどの2月8日に、Mちゃんのピアノの発表会があるから行くんだ」という。
え…、私は初耳だった。
しかし、知っていてもその日に私は仕事なので無理だ。
現在、孫のMは、新体操とピアノを習っている。
私としては、新体操よりピアノを弾く孫を見たい。
しかし、行けない。
孫の母親は、子どものときピアノを習っていたという。
高校生のときには器械体操をしていた。
そういうことで孫は、新体操とピアノを習っている。
息子のKは、高校・大学のときにギターを弾いていただけだ。
これはちょっと嫁に負けている。
ま、そんなことはどうでもいい。
私としては孫のピアノ演奏を聴きたい。
今回は無理だが、そのうちいつか聴かせて欲しい。
正月に息子たちが埼玉の家に来たときに、
嫁が子どものときに弾いていたピアノを、群馬の実家からひばりヶ丘の家に持ってきたといっていた。
孫のピアノのことを息子夫婦は真剣に考えているんだな、と私は思った。
あ…、孫のピアノ発表会に行きたい。
ちなみに、孫が2歳の頃、私は「気がつけば82歳」を書いている美海さんにいただいたキーボードを孫にあげた。
そのキーボードで孫は練習していた。

………………………………………………………………………………………………………
 1月の九想話

1/1   初春
1/1   初日の出
1/2   お正月
1/3   第1回九想家新年会
1/4   わが家
1/5   170170人目の旅人
1/5   芝生への準備
1/6   ブラタモリ復活
1/7   1年ぶりに会う
1/8   休み終了
1/9   コーヒー
1/10 Encuentros 出会い
1/11 途中失明
1/12 今日は何も書けない
1/15 カメムシくんの悩み
1/17 マッサン
1/18 何が一番?
1/19 昭和の俳句
1/22 鳴らないケーナ
1/23 雪の湯川ふるさと公園
1/24 今日も歩く
1/25 のみたや
1/26 軽井沢のリス
1/27 胃カメラ
1/28 青春グラフティーコンサート
1/29 ”女心”の歌
1/30 神田川
1/31 孫のピアノ発表会

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神田川

2015年01月30日 | 健康・病気

今夜の「団塊スタイル」(NHK教育午後8:00~午後8:45)は、南こうせつが出ていた。
団塊世代にとって青春の1曲「神田川」、この歌に込められた想いと人生の話だった。
南こうせつにとっても、この歌を巡って、栄光と挫折、様々な人生の曲折が重なる。

> 「神田川」が大ヒットしたのは昭和48年。
> 団塊世代にとって青春の1曲であり、南にとっても決定的な歌だった。
> しかしこの歌のヒットがきっかけで、「かぐや姫」の解散にも繋がった。
> フォークの時代が去ると客も激減。
> 「神田川」も十数年間、歌おうとはしなかった。
> しかし今、南のコンサートに団塊世代の聴衆が詰め掛け、南は必ず「神田川」を歌う。
> この歌に込められた想い、その人生、素顔の魅力に迫る。
                              団塊スタイル「“神田川”にこめた青春~南こうせつ~」より

私は今日、埼玉の家に来ている。
風呂に入って出たらこの番組がやっていた。
始まって20分ほどたっていた。
この番組を知っていたらもっと早くお風呂に入っていたのに…。
南こうせつが、昔のことを語っていた。
だいたい私の知っていることだ。
女房と「神田川」の話をする。
私たちは、私が26、女房が21歳で同棲をした。
東京都文京区本駒込の四畳半のアパート、共同トイレで風呂はなかった。
1日おきに2人で近くの銭湯に入った(毎日行くだけの金がなかった)。
そのとき、私の頭の中では「神田川」が流れていましたね。

♪あなたはもう忘れたかしら 赤いてぬぐいマフラーにして
   二人で行った横丁の風呂や いっしょに出ようっていったのに
  いつも私が待たされた 洗い髪がしんまで冷えて
  小さな石鹸かたかたなった あなたは私の身体を抱いて
  冷たいねっていったのよ

南こうせつと奥さんが知り合ったのはアパートのゴミ集積所だったという。
それから発展して同棲したらしい。

「私、あのときのお風呂屋さんとアパートの位置関係、覚えていないな」
「おれもだよ。でも風呂屋に行ったのは覚えているよ」
私たちが同棲を始めたのが11月だった。
銭湯に通っていた頃は寒かった。
まさしく「神田川」のころだった。

あの時代の人がみな年をとった。
私も62歳になった。
風呂のある中古住宅を手に入れ、そこに孫を連れて息子たちが来てくれる。
私としては、いい時代になったな、と思う。

しかし、世の中はそう簡単ではない。
「イスラム国」などというあぶない組織がある。
後藤さんはどうなるのか?
日本でも、「人を殺してみたかった」などという人間がいる。
人間というものは、実に、なんとも、人間なんですね。

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”女心”の歌

2015年01月29日 | 健康・病気

1月27日3時台<にっぽんの歌こころの歌は、「思い出の流行歌:”女心”の歌」>だった。
私は、26日の夜は11時過ぎに家に帰って何もせずに寝てしまった。
翌日胃カメラ検査の日で飲み食いができないからだった。
九想話「軽井沢のリス」は、出勤する前に下書きを書いておいた。
私はだいたい4時間ほど寝ると目が覚めてしまう。
なのでちょうど午前3時に目が覚めてしまった。
ラジオをつけると、ラジオ深夜便の3時台「にっぽんの歌こころの歌」が始まった。

「バス・ストップ」平 浩二
「めぐり逢い紡いで」布施 明
「涙のシークレット・ラヴ」ダウン・タウン・ブギ・ウギ・バンド
「悲しい色やね」上田 正樹
「雪國」吉 幾三
「氷雨」 佳山 明生
「細雪」五木 ひろし
「北の蛍」森 進一
「逢わずに愛して」前川 清
 
その日のアンカーの宮川泰夫の歌の説明がよかった。
のど自慢を12年間もして、歌に関しては思い入れが深い人だ。
その歌の説明を書くことができないのが悔しい。
なんとなく覚えているが、文章にするとなると正確でなくてはいけない。
全部、きちんと書く自信がありません。

と書いておいて、
「バス・ストップ」は、男と別れてきた女が、バス停でバスを待っている間の微妙な女心をうたっている。
「めぐり逢い紡いで」は、大塚博堂の歌でそれを布施明がカバーした。
「涙のシークレット・ラヴ」、山口百恵は、この曲を聴き、自分の歌を宇崎竜童に頼もうと決めたらしい。
「悲しい色やね」は、大阪弁で女心をブルース調にうたった始めての歌。
などなど…。

私は目が冴えていたこともあって、歌の歌詞をしっかり聴いた。
みんないい歌詞だった。
私はこれまでこれらの歌の歌詞を真剣に聴いたことはなかったと思う。
これから私も歌詞を書いて歌を作ってみたいと思った。
これまで曲は何曲か書いたが、歌詞はあまり書いたことはなかった。

私は、<にっぽんの歌こころの歌「思い出の流行歌:”女心”の歌」>を聴いていて、
ちょっとした小説の短篇集を読んでいるような気持ちになった。

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青春グラフティーコンサート

2015年01月28日 | 健康・病気

今夜、私の勤める施設で「青春グラフティーコンサート」というコンサートがあった。
出演者は因幡晃、ばんばひろふみ、杉田二郎、大勢のお客さんが入りました。
プログラムによると、最初に杉田、ばんば、因幡で「風」をうたったようだ。
私はそれを聴いてない。
次は、因幡晃で、「忍冬」「涙よ今祈りになれ」「わかって下さい」「雪」。
そして、ばんばひろふみ、「白い色は恋人の色」「北山杉」「『いちご白書』をもう一度」「Sachiko」。
私は杉田二郎のときに、コンサート会場に入った。
「白い鳥にのって」「八ヶ岳」「祈り」「男どうし」をうたった。
私は、高校三年のときに、岡林信康、はしだのりひことシューベルツのコンサートに行ったことがある。
場所は、下館(現在は筑西市)の市民会館だった。
はしだのりひことシューベルツの中に杉田二郎がいた。
あのとき私は18歳、そして今日62歳になって杉田二郎の歌声を再び聴いた。
「白い鳥にのって」は、杉田二郎がシューベルツにいたときにうたっていた。
下館市民会館でもうたった。
私は、胸が熱くなって涙がこぼれそうになった。
“あのとき”が瞬時によみがえってきた。
高校三年の私がいた。
あのとき私は、暗い思春期の中にいたがそれなりに若者として明るい希望を持っていたはずだ。
ところが今の私は、夢がみんな剥げ落ちた初老の男になってしまった。
それが、杉田二郎の、
♪ 白い翼の鳥に乗ーり~
を聴いただけで、高校三年の青年に戻った。
涙を流してもいいでしょ。
会場は真っ暗で誰にも見られないんです。
次、また杉田、ばんば、因幡3人で「戦争を知らない子供だち」をうたった。
この曲は、高校生のときよくうたった。
3年のクラスでうたったとき、私はギターで伴奏をした。
いろんなところで私はこの歌の伴奏をした。
そのおかげで20歳過ぎたらこの曲はうたいたくなくなった。
でも、今日は大きな声でうたいました。
これでコンサートのプログラムは終わった。
そして、アンコール。
「この街で」「あの素晴しい愛をもう一度」だった。
「あの素晴しい愛をもう一度」は、去年の11月、パンカーラでの「ソークソング祭り」で私はうたった。
今夜も大きな声でうたいました。
私にとって、素晴しい“青春グラフティーコンサート”でした。

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胃カメラ

2015年01月27日 | 健康・病気

今日は、胃カメラを受ける日でした。
以前は、健康診断のときに受けていたのだが、
これからは会社の補助が出なくなり、そのときやると自己負担が15,000円だといわれたので、
自分で安い病院を探してやることにしたのだった。
いつも内科検診をしている病院で胃カメラをやることを知った。
前回受診したとき医師に、「胃カメラはいくらですか?」と訊くと、
「3,000円ぐらいじゃない」というのでやることにした。
それが今日だった。
私は胃カメラをやることを決めてから憂鬱だった。
誰もそうだと思うが、私は胃カメラは苦手です。

40歳のとき、胆石除去の腹腔鏡手術をしたときに、その前に医師が私の身体の状態を調べた。
レントゲン台の上に横になって胃カメラを飲み込んだ。
その状態で上を向いて、横を見てと医師の指示のままに身体を動かした。
かなり長い時間そんなことをしているうちに私は気を失ってしまった。
内視鏡で見て胆石をとる手術をするためには、
私の身体のことを知りつくしていないとできないと医師はいった。
間違って血管などを切ってしまっては命取りになる。

昨日、私の胃カメラに対する恐怖心は最高潮に達した。
もう憂鬱でユウウツでどうしようもなかった。
昨夜は、7時までに食事をとり、それ以降は何も食べても飲んでもいけなかった。
あたりまえのことだが、酒も飲めない。
11時過ぎに仕事から帰り、何もしないで布団にもぐりこんだ。
朝、6時20分に起きてラジオ体操をした。
たまった燃えるゴミとプラスティックゴミを、町の集積所に持って行ってから病院に向かった。

今日の胃カメラは、以前健康診断をした病院で受けたより楽だった。
何が違ったのだろう。
以前のところは総合病院で大きなところだった。
胃カメラ専門の医師がやってくれた。
私の背中をなでる看護師がいて、胃カメラを操作する医師と言葉で指示をする医師がいた。
今日は、いつも内科検診をする医師だけだった。
看護師は2人いたが、私の身体には触れなかった。
考えれば、喉の麻酔がよかったのかな、と思う。
以前の病院より喉が楽だった。
これぐらいの気持ち悪さだったら、来週、も一度胃カメラを受けてもいいかな、という感じだ。
前の病院で受けたときは、もう一生胃カメラなどするもんか、と思ったものだった。
胃カメラを操作する医師のセンスもあるのかな、と思う。
この先生とは、もう2年はつきあっている。

今日の胃カメラの結果は、私の胃に癌はないということだった。
これはうれしかった。
胃酸過多で食道が荒れているということで、胃酸を抑える薬を飲むことになった。
前の病院では、逆流性食道炎だから毎年胃カメラで経過を確認するように、といわれていた。
それだけで治療しろとはいわなかった。
今日、胃カメラをしてくれた私の主治医は、
「このままにしていてはいけないよ」といって、胃酸を抑える薬の処方箋を書いてくれた。
これまで私は、しょっちゅう胸焼けがして、痰が出て、喉のコンディションが悪かった。
これは逆流性食道炎だからしかたないと諦めていた。
これからは、ちょっと楽になるかな?

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軽井沢のリス

2015年01月26日 | 健康・病気

 

いつものように湯川ふるさと公園を歩いていた。
今日は春のような暖かさだった。
出勤のときの道路の温度計は+9℃だった。
空が青く気持ち良かった。
ドッグランのほうに歩いて行くと、雪の中で小さなものが動いた。
よく見るとリスだった。
私は、コンパクトデジカメのシャッターを押した。
晴れていてデジカメのディスプレーがよく見えなかった。
リスのいる方向にカメラを向けてシャッターを切った。
こういうときに一眼レフのカメラだったらと悔しかった。
でも、なんとかこれだけリスの姿を撮れました。
ウォーキングのときに一眼レフ(小さいものですが)は重いんですよね。













 

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のみたや

2015年01月25日 | 健康・病気

  年をとって、職場と自宅を往復している九想には、そうそう毎日面白い話はありません。
 といって九想話をやめるのもさびしいので、私の昔話を書きます。
 おめえの昔のことなんか知らねぇよ、とおっしゃる方もいるでしょう。
 そのへんのことは無視して書きたいと思います。
 これまたいつまで続くのかもわかりません。
 しょせん、いいかげんな男なんです。
 気が向いたときにときどき書きます。
 ほんとうのこともウソのこともあります。全部フィクションと思っていただいたほうがいいです。
 名前はみな本名ではありません。
 すみません  m(_ _)m


 いつものように山本さんの部屋でおれたちは飲んでいた。酒は一升瓶に入った剣菱だ。おれたちが飲む
日本酒はいつも剣菱だった。
 その日は、山本さんの就職祝いになった。
 山本さんはこれまで、山谷の日雇いで暮らしていた。高校を出てからずうっとらしい。
 山本さんは二十歳だ。去年は冬になってもそこそこ仕事はあったが、今年はまったくないらしい。
 それでこのところ山本さんは、山谷ではない仕事を探していた。
 それで見つけたのが「のみたや」というスナックだった。おれたちのアパート高瀬荘から歩いて七・八分ほど
のところにあるスナックの壁に募集のポスターが貼ってあったそうだ。深夜営業のスナックで、夕方七時から
翌日の七時までの仕事だという。昼間は、オーナーが店を開けていて、夜を山本さんがやるということだった。
 おれは十九歳、三月に上京して仕事を探し、その会社から近いということで駒込駅から十分ほど歩く高瀬
荘に住むことになった。ま、おれのことはあとにしよう。
 山本さんは、東京の下谷の生まれだった。絵を描くことが好きで、中学高校と生活のほとんどの時間に絵を
描いていたという。将来は絵描きになることが夢だった。そのために美大に入ろうと思った。どうせ入るなら東
京藝術大学に入ろうと考えたが落ちてしまったという。
 そのとき浪人も考えたが、“もう大学はいい、自分で絵の勉強をしよう”という気持ちになったという。
 そして高校を卒業して家を出た。高瀬荘に引っ越してきて、一週間に二・三日山谷で日雇いの仕事を探し
て働いて、あとはカンバスに向かって絵を描くという生活をしてきたようだ。
 と山本さんから聞いていたけど、おれが知っているのは、アルトリコーダーを吹いている山本さんだった。
 おれが高瀬荘に引っ越して住み始めて思ったのは、笛の音がいつも聞こえるアパートだな、ということだった。
いつも笛のメロディが流れていた。
 山本さんが吹いていたのです。のちに知ったのだが、山本さんは、フルートの楽譜をアルトリコーダーで吹い
ていたのだった。おれが会社に行っているときは知らないが、夜はいつもリコーダーの音が聞こえてきた。
 おれは、高校を出て手工ギターを作る工房に弟子入りした。ところが未熟なおれは、そこを三ヶ月で辞めて
しまった。辞めて茨城に戻った。兄の紹介で駅前の金物屋に勤めた。
 おれは高校のとき吹奏楽部にいた。手工ギター工房に行くときには、駅まで吹奏楽部の後輩たちが見送っ
てくれた。「おれは日本一のギターを作る」なんてことを後輩たちに宣言して列車に乗った。
 その吹奏楽部の元部長が金物屋の店先を、毎朝箒で掃除していた。おれはみっともなかった。
 毎日、毎日恥ずかしかった。生きていることが情けなかった。
 同級生に、高校を出て建築の各種学校に行っている橋本という男がいた。大学の夜間部に行っている奴も
いた。何度か話をするうちにおれも大学に行ってみようと考えるようになった。
 おれはそれから金を貯めた。といっても安い給料なのでたいした額は貯まらなかった。
 翌年の一月に金物屋を経営している奥さんに、辞めることをいった。ご主人は鉄鋼材を扱う会社を経営して
いた。奥さんの話では、息子に鉄鋼材の会社を継がせて、この金物屋はおれにまかせたいと考えていたという。
ありがたい言葉だったがおれは、東京に行って夜間の大学に行くと奥さんにいった。 
 それからおれは東京に行って仕事を探した。ちょうどそのとき、田舎で就職していたがカメラマンの夢を捨てき
れない男がいた。彼が東京に行って写真学校に行きたいという。それで最初は彼と一緒のアパートで暮らそうと
なり二人で東京に行った。しかし、かなかな仕事も住むところも難しく、結果として別々に暮らすことになった。
 二年前の中学校の同窓会で彼と会った。彼はカメラマンになっていた。一度、フランスのカメラ雑誌の賞を受
けているとそのとき話していた。おれは、長野に出稼ぎしている労働者だった。おれは明らかに彼に負けていた。
 彼は、写真学校に行っているとき、昼間は秋葉原の市場に勤めていた。昔、秋葉原には市場があったのです。
 彼とのことでは、ちょっと切ないエピソードがあります。今は書きません。
 おれは、本郷三丁目にある試薬会社に就職することに決まっていた。そこで龍彦に出会うことになる。

                                                      ーつづくー

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今日も歩く

2015年01月24日 | 健康・病気



 

 



  

今日は12時前から1時間半ほど歩いた。
快晴で気持ちよかった。
新幹線の高架線路にできていたツララが大きくなっていた。
あそこはコンクリートに穴が開いていて、
線路にたまった水がしたたり落ちてツララができるのだろうか?
家に戻って部屋の掃除をした。
前回掃除をしたのは…、おそらく夏だった、か…。
このことではいつも女房に怒られている。
錦織の全豪オープンテニスの3回戦の試合をテレビで観ながらした。
ときどき手が止まってしまう。
錦織は勝った。

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雪の湯川ふるさと公園

2015年01月23日 | 健康・病気

今日の10時半、ウォーキングに出た。
心にわだかまるものを発散したかった。
昨日は朝から雪が降っていた。
外に出たかったが出られなかった。

 

湯川ふるさと公園の遊歩道が雪に埋まって見えない。
雪の上は歩きにくい。
ギュッ、ギュッっと音がする。
新幹線の高架線路の下を行くと広いところに出る。
そこは春夏秋には、子どもたちが沢山遊んでいるところだ。
冬は誰もいない。
今日は浅間山が雲に隠れて見えなかった。

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鳴らないケーナ

2015年01月22日 | 健康・病気

毎日ケーナを練習しているが、よい音が出ない。
ケーナは吹くというより、鳴らす楽器だそうです。
私のケーナは鳴りません。
へたなんですね。
24日(土)にパンカーラでワイワイガヤガヤコンサートがあるのですが、
今回は参加しないことにしました。

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