マイライン

2001年10月31日 | Weblog

4月からマイラインの受付が始まる、
というニュースを目にしたときから、
うちはどうしようかな、と考えていた。
あれこれ、ときどき考えていたが、
10月まであるから、ゆっくり調べて決めよう、
と思っていた。
何度か、NTTの営業のひとが来た。
そのたびに、
「10月までに申し込めばいいんでしょ」
といっていた。

私は、テレホーダイを使っているので、
「市内通話」は、NTT東日本になる。
「同一県内の市外通話」「県外への通話」「国際通話」
をどこにするかを決めなくてはと悩んでいた。
しかし、あらためて考えると、
私は電話をあまり利用していない。
固定電話も携帯電話もです。
電話そのものが好きではない。
田舎の兄に、おふくろの様子を電話できこう、
と10月はじめから思っているが、かけてない。
息子たちはほとんど携帯電話しか使わない。
女房もめったに家の電話はかけない。
パソコンとケータイのメールですませている。
これじゃマイラインをどこの電話会社にしても、
あまり関係ないな、と思ったら、
熱心に考えるのをやめてしまった。

そして、今日で10月が終わる。
マイラインの申し込みをしていない。

……………………………………………………………………………………………………………………………

10月の九想話

10/1  血液型と性格
10/2  北山修
10/3  怖い夢を見た
10/4  私の先輩
10/5  自分で生きる老い
10/6  志ん朝を偲ぶ
10/7  永平寺の修行僧
10/8  あるコンサート
10/9  将棋のこと
10/10 前を向いて歩こう
10/11 テロから1ヶ月
10/12 頭が痛い
10/13 久しぶりの投稿
10/14 「フーテンの寅」in 楽家
10/15 出社拒否?
10/16 深夜の空爆
10/17 デジカメ
10/18 腰痛休暇
10/19 さぶ
10/20 おんがく三昧
10/21 乾燥肌
10/22 楽家のボーリング大会
10/23 ロト6
10/24 納豆チャーハン
10/25 今夜はカレー
10/26 今の私
10/27 土曜ワイドからのプレゼント
10/28 息子のパソコン
10/29 味噌汁
10/30 生協が好きだった
10/31 マイライン

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生協が好きだった

2001年10月30日 | 会社・仕事関係

今日(10/30)の朝日新聞朝刊第2社会面に、
「コープこうべ」希望退職者 インタビュー集を出版
という記事があった。
記事は、同生協の業績悪化で希望退職者を募り、
640人が昨年の4月に職場を去った。
辞めた仲間たちの思いを記録に残そうと、
インタビュー集を出版したという内容だった。
それを読んで私は久しぶりに、
生協に勤めていた頃を思い出した。

私が生協に勤めていたのは、21から26歳までだった。
最初は日本女子大生協で、4月からアルバイトとして入った。
新しく出来た学生会館の地下の食堂の隅で、
パンやアイスクリームを売っていた。
女子大生が眩しかった。
目白駅から学バスに乗ると、男は私と運転手だけだった。
夏なんか女子学生は薄着で、満員のバスで私は困った。
そのとき私は、夜のデザイン学校に行っていた。
昼間の学生が羨ましかった。
9月、書籍部の職員が辞めるので、
私に職員にならないか、という話があった。
書籍部担当ということがうれしかった。
ちょっと悩んだが、なることにした。
本を売るということに憧れていた。
生協も学生会館に4月に移ったばかりで、
25坪の書籍部の棚は、まだ全部ふさがってなかった。
私は当時の東販に行き、本の倉庫から好きな本を選んで、
それを納品してもらった。
文芸書と文庫と絵本は、ほぼ私の好みの本を入れた。
あの頃は楽しかった。
でも、そのせいでいつの日か
デザイン学校には行かなくなってしまった。
職員になると残業があり、学校に行けなかった。
昼休みにはだいたい外のベンチで、ケーナを吹いていた。
けっこう私は女子大生に人気があった(カナ?)。
翌年、東大生協に移籍になった。駒場で雑貨担当になった。
新学期、蒲団や電気コタツを、
今年なくなった駒場寮までよく配達した。
汚いところだったが、羨ましかった。
学生演劇をやっていた野田秀樹の芝居を、観たこともあった。
東大生協ではエレキバンドを作り、私はドラムを叩いていた。
労組のいろいろなイベントで演奏しました。
24歳、本郷に移動になった。毎日赤門をくぐって通勤した。
電機担当、レコード担当をやった。
レコードを売ってたときも楽しかった。
生協では何度か恋をして、失恋した。
女房と会ったのも本郷の東大生協だった。
結婚した26歳のとき、
東洋大生協の店長として3月に行き、5月で辞めた。

 

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味噌汁

2001年10月29日 | テレビ

テレビ(たけしのTVタックル)を観ていたら、
「最近、味噌汁を飲めない若者が増えている」
とナレーションがいっていた。
一瞬私は、はっとした。
うちの息子たちは食事に味噌汁が出れば飲むが、
わが家の食事に、味噌汁が出てくるのは少ない。
女房は勤めから帰ってきて夕食を作る。
おかずはそれなりに作るが、
面倒くさいのか味噌汁はあまり作らない。
休日には作るが、毎週ということはない。
夏の暑いときには作ったことがなかった。

私の母は、朝昼晩味噌汁を作っていた。
昼間、田圃や畑で泥だらけになって働いてきても、
食事には味噌汁を必ず作っていた。
思うに、貧しくて、
あまりおかずらしいおかずがなかったから、
味噌汁ぐらい作ったのかな。
私はおかずがないときは、
よく味噌汁をご飯にかけて食べた。
醤油をかけて食べたこともあった。
味噌は自家製。野菜も畑でとれたもので、
いつも囲炉裏の自在鉤に、鍋をぶら下げて作っていた。
私は、高校生まで野菜が嫌いだったので、
味噌汁をあまり飲まなかった。
しかし不思議なんだけど、
おふくろの作ったけんちん汁は好きだった。
今でも、けんちん汁は、私のかなり好きな料理です。

これから寒くなるし、
女房にはたいへんだけど、
味噌汁をなるべく作ってもらおう。

 

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息子のパソコン

2001年10月28日 | パソコン・スマホ

土曜日、昼近く、
蒲団に寝ていた私のところに息子が来て、
「行政道路にある…、なんていうんだっけ、
 あそこにパソコンを見に行きたい」という。
「パソコン買うのか」
「うん、買おうかなと思って」
今、Kには私の使っていたディスクトップがある。
それでインターネットができない、といっていた。
だからゲーム機でやっている。
「バイトやって返すから、買ってくれる?」
私は前から、ノートパソコンを買えばといっていた。

2人で出かけた。まずPCバイキングに行った。
次ぎに、ジョーシン、そしてT・ZONEに行った。
Kが欲しいと考えているパソコンがなかった。
息子は、東芝のダイナブックのVシリーズを
買うつもりでこれまで、いろいろ調べていたようだ。
インターネットで調べたり、
大学に行く途中の渋谷近辺や、
近所のラオックスで見たりしていたらしい。
他のメーカーは眼中にないようだ。
ちょっと遠いが入間市にあるヤマダ電気に行った。
目当てのものが、展示品販売としてあった。
pentium III 700MHz マルチディスク
HDD 20GB メモリー128MB 165,000円だった。
展示品なので、フォッピードライブもつくという。
「これだけでこの価格だったらいい」息子がいう。
「よかったら、ご説明します」若い店員が来た。
「これから引けますか?」
「ちょっと、この価格からは無理ですね」
これまでのプライスは、199,000円とある。
学校でインターネットにつなぐには、
LANカードが必要だと息子がいっていた。
「LANカードつけてくれない」
「ちょっと、きいてきます」
そういって店員は消えた。
息子は恥ずかしそうに立っていた。
私がいろいろ店員にいうのがイヤみたいだった。
「もうしわけありませんが、それはできません」
しばらくして戻ってきた彼がいった。
「Kどうする? 今日はよすか」
私がそういうと、Kは買ってもいい顔をしていた。
若い店員が、困った表情をしていた。
「これどのぐらい展示してあったの?」
「3ヶ月ほどです」
「ついてるソフトは何があるのかな」
店員が画面を操作して「プログラム」を表示し、
必死になって説明してくれた。
「K、買うか」というと、
「うん」と息子が笑顔になった。
私としては、何もいわずに買ってもいいと思っていた。
でも、息子に値段交渉することを知ってもらいたかった。

家に帰って、
Kがインターネットに接続するための
設定をするのを私はそばで見ていた。
もうこのパソコンは息子のものだ。
おれが触るのはやめよう、と思った。

 

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土曜ワイドからのプレゼント

2001年10月27日 | ラジオ

昨日、会社でとても厭なことがあった。
それで、昨日の九想話はあんなことを
書いてしまった。

夕方、団地の駐車場に車を停め、
わが家のある5階建てのコンコースに入り、
エレベーターのボタンを押す。
たいがい夕方は、エレベーターは上の階にあがってる。
5メートルほど離れた郵便受けの中のものを取ってから、
降りてきたエレベーターのドアが閉まらないうちに
乗り込むというのが、いつもの私の日課です。
昨日は、広告のチラシだけとはちがう厚みがあった。
チラシを1枚1枚めくっていくと、
B5ぐらいの封筒があった。
差出人を見ると「岩波書店」と書いてある。
なんなんだと思って、封筒の中を見てみた。
赤い表紙の岩波新書がビニールの袋に入ってあった。
「エノケン・ロッパの時代」矢野誠一著
その本を見て思い出した。
「永六輔の土曜ワイド」に矢野誠一が出て、
その新書の話をしていた最後に、
「10人にプレゼント」というのに私は
ハガキを出していたのだ。
それに当選したようです。
うれしさがこみ上げてきた。
会社であんな厭なことがあった夕方に、
“神様”はこんな素敵なプレゼントを用意していた。
あのハガキには、以下のようなことを書いた。

 毎週、土曜ワイドを楽しく聴いています。
 私は、「九想庵」というホームページを
 作っていまして、そこに「九想話」として、
 毎日エッセイを書いています。
 そこに、土曜ワイドのことを書いています。
 土曜ワイドはほんとうに勉強になります。

これからも、九想話に「土曜ワイド」のことを書け、
ということかな。それでは、

今日の「土曜ワイド」には、野坂昭如が久しぶりに出た。
彼は、永六輔から「テロ」「アフガニスタン空爆」
「自衛隊派遣」などのことをきかれていったことは、
「あきらめましょう」ということだった。
野坂らしい“皮肉”だと思った。
私のこころにすとんと入ってきた。
あんな政治家たちだものどうしょうもない。
その野坂が、こんど土曜ワイドに出たときは、
「がんばりましょう」というかもしれない、
なんていっていた。

 

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今の私

2001年10月26日 | 暮らし

できぬ我慢、するが我慢。

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今の私

2001年10月25日 | 暮らし

できぬ我慢、するが我慢。

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今夜は、カレー

2001年10月25日 | 家族

女房が帰ってくるなり、
「今日はカレーだよ」という。
最近私は残業がないので、6時には家に着いている。
彼女が帰ってくるのは6時半前後だ。
今日は、カンテ(フラメンコの歌)の練習日。
(昨日はフラメンコの練習日だった。
 現在、踊りも同じ先生に習っている)
いったん家に帰り、夕飯の支度をしてから練習に行く。
たいていカレーは、こういう日の献立になる。
朝、カレーの具は煮ておいたという。
女房は、鶏肉(わが家はいつも鶏肉です)、
じゃがいも、タマネギなどを圧力鍋で煮ている。
普通の鍋よりやわらかくなる。
あとはインスタントのルーだけ入れればいい。
さっさと作って、7時に出かけた。
私は、6時半頃から日本シリーズを観ていた。
とうぜん、ビーシュを飲みながら。
カレーはいけません。
お腹いっぱいなのに、二杯も食べてしまった。
最近太ってきたので減量しなければならない九想です。

Uが9時過ぎ帰ってきた。
このところ、
グリーンクラブの定演(11/5)の練習で毎日遅い。
「カレーがあるよ。あっためてたべな」といったのに、
あったかいご飯の上に、さめたカレーをかけ、
福神漬けを皿の隅っこにのせて自分の部屋に持っていった。

9時から「スティング」を観る。
むかしから観たかった映画だった。
なぜか観ていなかった。
しかし、日本シリーズも気になる。
満腹なお腹も気になる。
酒は、焼酎のウーロン茶割りになっている。
10時過ぎ、9回表ヤクルトの高津が投げている。
「スティング」のストーリー展開を気にしつつ、
若松監督の胴上げまで観てしまった。
ヤクルトおめでとう。
わが阪神の来年は…。

11時前、Kが起きてきた。
昼間から寝ていたようだ。あいつは夜活動する。
私がインターネットにつなげようとすると、
よくあいつが使っている。
「10分間、いい」
なぜか私が低姿勢でお願いしてる。

今(10/26 AM1:00)、女房が帰ってきた。
練習が終わってからいつも食事が出るらしい。
「今日は、ハヤシライスだった」とうれしそう。
毎回、ちがう料理が出るという。
カンテの練習に行ってるのか、
先生の料理の味見に行ってるのか。

 

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納豆チャーハン

2001年10月24日 | 料理

昨夜、ビーシュを飲みながら日本シリーズを観ていたら、
「これ食べてみて」
と、女房が皿にのった料理を私の前においた。
「納豆チャーハン。
 今のフラメンコの先生が作ってごちそうしてくれたの。
 おいしかったから、真似して作ってみたんだ」
なるほど、皿にのったチャーハンから納豆の匂いが
プンプンした。
納豆としらすとネギが入っていて、
醤油で味付けしてある。
その上に、一味唐辛子が振りかけてあった。
「本当は、ねばりを取るために
 ラードで炒めるんだけど、
 めんどくさいから普通の油でやったんだ」
おいしかった。
納豆好きには、なかなかの味です。

納豆なんて醤油をかけて、
ご飯とまぜて食べたことしかない。
細かくきざんだネギなんかがあれば最高だ。
たまに卵を入れることはあるが、
白いご飯というのが常識だろう。
それが、納豆をチャーハンの具にしてしまうとは、
誰が考えたのだろう。

これしかない、と思っていたものを、
別なかたちで目の前におかれると、
新しい世界を見せられたようで楽しい。

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ロト6

2001年10月23日 | Weblog

10/19金曜日の新聞で、
第55回ロト6抽選(18日)を見ると、
「1等 該当なし」と書いてある。
それでなんとキャリーオーバーが
2億5638万4594円です。
今週の賞金はいくらになるのだろう。

私は今年からロト6を買っている。
お恥ずかしいのですが、
人生を自分の力で切り開くものが何もない
ということが分かった現在、
“宝くじ”だけが頼りの暮らしをしています。
千円で5回分を買って、毎週金曜日の新聞を、
「期待」と「諦め」の気持ちをいだき見ています。
女房も買っている。
「人生を自分の力で切り開くものが何もない」
ということを自覚した亭主に見切りをつけたからです。
彼女は、6つの数字を、家族の誕生日にしている。
すると、一桁の数字が4つにもなる。
「そんなの当たるわけないよ」と私はいうのですが、
「いつか、もしその数字が出たらと思うと、変えられない」
という。
私の場合、毎回適当な数字を6つ選んで買っているから
記憶してないが、家族の誕生日となると覚えている。
その気持ちも分からなくはないが、
しかし、一桁が4つというのは出ないだろう。
でも分からないな、18日のは
11、12、13、14、37、39
これじゃ該当者なしだよな。
女房の「家族誕生日数字」が出たりして…。
ああ…、さびしい夫婦です。

 

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