ひだまりの家

2000年10月30日 | 家族

 土曜日(10/28)に、母のいる特別養護老人ホーム「ひだまりの家」に行った。
 前日に兄に電話をすると、病院に母を連れて行くので3時には家を出る、と
いうことなので、その時間をめがけて所沢の家を出た。
 2時半に、茨城の実家に着いた。
 兄から、8月に「ひだまりの家」に入ってからの母の様子を聞いた。
 3時に兄の車で実家を出た。車の中でも、母のことを聞いた。
 母は最初、他の人のいる4人部屋に入ったという。しかし、人付き合いのへ
たな母は、まわりの人と仲良くなれずに、誰もいない4人部屋に移された。
 そして、金曜日に個室になった、と兄がいう。
 母は、汚した下着を自分で洗いたかった。しかし、その部屋には洗面台がな
い。水のあるところはトイレの便器の中しかない。そこで下着を洗っていたら
しい。でも、ときどきそこに洗った物を忘れてしまって、トイレを詰まらせる
結果になった。そういうわけで、個室になったらしい。個室にはトイレはなく、
携帯の便器があるだけらしい。
 3時半、「ひだまりの家」に着く。玄関の扉に「自動ドア」と書いてあるの
に、兄は手で開けた。入所者たちが逃げ出さないように、電源を入れてない、
と兄が説明してくれた。なるほど、電源の入ってない自動ドアは重かった。
 受付のノートに兄は、自分と私の名前、住所、訪問目的を書いた。
 中に進んでいくと、右手に広い空間があった。そこにテーブルがいくつもあ
り、10人ぐらいのお年寄りが椅子に坐っていた。その中に、母がいた。
 29インチのテレビのスイッチは入っていた。その脇の本棚には雑誌類があ
った。そこは、食堂と娯楽室という感じだった。
 母に近づくと、母は二人を認めた。「久、来たのが…」と嬉しそうに笑った。
まわりの老人に「おれの息子だ」と得意げに話した。
 しかし、母の笑顔はそのときだけだった。
 母の部屋に3人で行った。母は、まだその部屋を自分の部屋だと思ってない
ようだった。昨日までいた部屋に歩いていこうとした。それを兄は、「母ちゃ
んの部屋はこっちだっぺよ」といった。
 もうそのへんから、母の機嫌は悪くなった。
 兄が、持ってきた団子をベッドに坐った母に渡し、事務所に行ってくると出
ていった。帰ってきたときに母は、
「お箸がながったら、食べらめんめな」
 と、大声を出した。
「楊枝があっぺな」
 兄がいうと、
「おっちょれっちって(折れてしまって)、くえめなー」
 とわめいた。
 なるほど、楊枝は折れて食べにくそうだった。
 それから、もう母は私の知ってる母とは違った人間になっていた。
「かあちゃんは、もう、うじ(家)に帰えんだ。こんなどごろにもういられね。
みんなでおれのごど、いじめんだ。おめらはかあちゃんをこんなどごろに入れ
で親不孝モンだ」
「そんなごどいうなよ。かあちゃん1人うじにおいで会社に行げねがら、ここ
に入れでもらったんだっぺな」
 兄は、困ったようにいった。
「おら帰えんだ。あんちゃんがだめだったら、久、行ぐべ」
 私は、ただ突っ立てるしかなかった。
「かあちゃん、おれは、あんちゃんの車で来たんだ」
「ほうが、そんじゃ、かあちゃんは1人で行ぐ。歩いで行ぐ」
 そういって、母は、部屋を出た。
「久、おれは辛いよ。こんなにかあちゃんのごど思ってんのになァ。」
 兄が寂しくいう。私はいう言葉が出なかった。
 兄は、会社が終わると毎日「ひだまりの家」に来てるのだ。ここに入ってる
多くの老人は、1年以上も家族が訪ねてこないらしい。
 しばらくして、母が戻ってきてベッドに坐った。
「わがった。かあちゃんは死ぬ。おれは自殺する。おめらは親不孝モンだ」
 そう、目をつり上げて叫んだ。
 兄が私に目配せして、
「久、今日は帰っぺ。こんな状態じゃ病院には連れで行げね」
 兄と私は部屋を出た。
「久、早ぐ歩げ。追っかげでくっと」
 私は、複雑な想いで足を早めた。後ろを振り返れなかった。母を見るのが怖
かった。
(なんでこんな逃げるようにしてここを出なくてはならないんだ)
 重い自動ドアを手で開け、私たちは外に出た。
 私は、自己嫌悪でたまらなかった。
「こんなふうな気持ちで旅行なんか行きたくねぇな」
 兄は、その夜東京の姉の家に行き、翌日富山方面に旅行に行くことになって
いた。これまで母と暮らしていてどこへも行けなかったので、姉たちが計画し
てくれたのだ。
「久、もしよかったら、明日かあちゃんのとこに行ってやって」
「うん、わがった」
 私は、その日田舎の友人のところに泊まる予定だった。
(明日も、かあちゃんがあんなふうだったら辛いな)
 そう思ってしまう自分が哀しかった。
…………………………………………………………………………………………………………………………

10月の九想話

10/3  オリンピック雑感
10/8  久しぶりの野球観戦
10/8  おまつり
10/19 初めての煙草
10/21 壊れた洗濯機
10/21 tokorozawa.com
10/21 許せない差別
10/23 哀しい選挙
10/25 知性のない人たち
10/27 つらいtokorozawa.com
10/27 怖かった
10/29 息子の存在
10/30 ひだまりの家

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息子の存在

2000年10月29日 | 家族

「晩ご飯、何時頃になる」
 台所で夕飯の支度をしている女房に私は訊いた。
「Uが帰ってきたらと思っているんだけど、遅くなるようだったら7時半頃食
べようか」
 Kは、さっきから部屋でギターを弾いていた。
「Uにメール出してみたら。『何時頃帰る?』って」
「そうね、出してみようかな」
 さっそく携帯電話を取り出し、女房はボタンを押しはじめた。
 5分もしないうちに、女房のケータイが鳴った。
 画面を見た彼女が笑った。
「なんて書いてあると思う?」
「どうせ、『8時』とか短いんだろ」
「見てみて」
 といって、ケータイを炬燵にいる私のところまで持ってきて、画面を私の顔
の前に向けた。
 そこにはこう表示されていた。
[もう、家にいる]

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怖かった

2000年10月27日 | 車関係

 昨日の朝、会社に行く途中のことでした。
 右折のために直進する車をしばらく待っていた。
 一台の車が、パッシングしてくれた。
 私は、感謝を込めてパッシングを返し、ハンドルを右に切ろうとしたら、横
断歩道をランドセルを背負った小学生が歩いていた。私に譲ってくれた直進車
に申し訳ないな、と思いながら、小さな横断者の通り過ぎるのを待っていたら、
後ろのワゴン車が私をさしおいて右折した。
驚く小学生の前を、アクセルをふかして去っていった。

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つらい tokorozawa.com

2000年10月27日 | パソコン・スマホ

 昨夜女房が11時過ぎに、いつものようにASAHIネットにアクセスした。
 なんどやってもつながらない。
 諦めてパソコンを消そうとしたので、
「つけといて」
 といい、私も挑戦してみた。
 何回やってもだめだった。
 今週は、まめに九想話を書いたので寝不足になっていた。
 寂しい想いで12時に寝ました。

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知性のない人たち

2000年10月25日 | 政治

 今、あの人たちのいうこと、やってることを知らされるほどに、ナサケない
気持ちにさせられる。
 あの方たちには羞恥心というものがないのだろうか。政治家としての、いや、
人間としての誇りは持ち合わせていないのだろうか。
 この人たちが操縦している飛行機に私たちは乗っている。
 私は、できることなら降りたい。でも、飛行機じゃ降りられない。脱出でき
ないなら、機長、副操縦士たちを代えなければ、近いうちに墜落してしまうに
違いない。
 しかし、自分たちの人気のないことは自覚しているようで、選ぶ方法を変え
ようとしている。
 でも、あの人たちのグループの若い連中の中には、骨のある者が出てきた。
「間違ったことをした者に、間違っていると言えない政党は存在する意義がな
い」
 よくいった、という思いです。
 明日、衆院本会議で、参院比例区の非拘束名簿式法案が可決するらしい。

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哀しい選挙

2000年10月23日 | Weblog

 先日、長野知事選で田中康夫が当選し、昨日は、衆院東京21区補選で川田
悦子が当選した。その他、各地で選挙がありましたね。
 それらの選挙について、私なりに思うことはありますが、かたい話は九想話
に合わないので、私の選挙体験を書きます。

 なんと、私は選挙に立候補したことがあります。
 そんなこと忘れていたのですが、今日、中学校の同窓会のハガキが来ていて、
それを見ているとき思い出した。
 中学2年のときだった。生徒会にクラスから誰かを出そうということになり、
クラス会で話し合って、私が書記に立候補することになってしまった。
 今思うと、どうして私なんかがそんなことにかつぎだされたんだろう、と不
思議です。
 中学2年の私は、なんの取り柄もなく、どっちかというとおとなしく、いつ
もクラスの隅で、仲のよかった友だちとだけ話をしていた暗い人間だったとい
うことしか、思い出せない。目立ったことといえば、クラスの歌を作ろうとい
うことになり、何人かが作ったクラスの歌の中から、私の作詞作曲したものが
多くの指示を得て、クラスの歌になったことぐらいかな。
 立ち会い演説会が午後にあるという日、私は、授業中にその演説の原稿を書
いていたことを思い出す。どんなことを話せば、自分のことを全生徒に印象づ
けられるか必死に考え、演説原稿を書いていた。家で書かないで、授業中に書
いたということが情けない。
 校庭に集まった生徒の前で、演説したことは記憶にあるが、どんなことを話
したかは覚えていない。
 選挙結果は、落選だった。
 クラスで推薦されたのに、投票数はクラスの人数より少なかった。

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許せない差別

2000年10月21日 | テレビ

どうしてテレビ局は、パラリンピックを中継しないのだろう。
 民放はしかたないとしても、NHKはやるべきではないか。45分のハイラ
イトしかやってない。
 これは、健常者(オリンピック)と障害者(パラリンピック)を差別してい
る。
 私は、あの人たちのがんばっている姿を見たい。

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tokorozawa.com

2000年10月21日 | Weblog

 私も今はテレホーダイにしたので、なるべく11時過ぎにASAHIネット
にアクセスするようにしている。
 しかし、11時過ぎてつなごうとしてもダメですね。
 所沢ドット混む。

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洗濯機が壊れた

2000年10月21日 | 暮らし

 今日は休みです。
 この土日は、本を読み、小説の構想を考えたり、有意義に過ごしたいと思っ
ていた。
 起き抜けに女房が、
「大変なことがあるの」
 という。
「なに?」
 と訊くと、洗濯機が壊れた、という。
 ああ…、とうとうきたか、と私は思った。しかたないな、買ってからもう何
年たったのだろう。たしか、息子たちが中学生の頃に買ったものだ。それまで
使っていた二層式の洗濯機が壊れ、女房憧れの全自動洗濯機、展示品処分で安
くなったやつを裸のままラオックスから自分の車に載せて前の家に持って帰っ
たことを覚えてる。
 どういうふうに壊れたのか女房に訊く。
「蓋が閉まらなくなって、脱水できない」
 という。
 すみません。こういわれたら、他人では状況を理解できないですよね。うち
のやつは、日本語をきちんと話せないので、というより、はしょってしゃべる
ので、抜けている事実を推測し、全体を想像して彼女の話は聞かなくてはなり
ません。まるで、発見された土器とか道具や骨から、その時代の生活様式をさ
ぐる考古学のような作業を瞬時にしなくてはなりません。
 洗濯機を見に行き、理解した。本来2ヶ所本体に固定されている部分が1ヶ
所はずれていた。おそらく、洗濯しているとき中のようすを見ようと蓋を開け
たら閉まらなくなり、それで洗濯機のモーターが回転を停止したようです。こ
れを女房は「蓋が閉まらなくなって、脱水できない」と表現したのです。
「Uはバイトから帰ってきて寝ている。12時頃学校へ行くみたい。Kは、ま
だ寝ている。朝飯、ご飯が保温されてるから勝手に食べて。いつもゴメンね。
今日は残業ないと思うけど、夕方電話するね」
 女房は、ドタバタして7時20分家を出た。
 私はこれから、洗濯機を直してみようと思っている。直らなかったら、明日
買いに行くしかないな。メーカーに送って修理してもらいたいが、その間、洗
濯機がないことが問題だ。車なら代車というものがあるが、代洗濯機というも
のはないよな。しかし、粗大ゴミを発生したくないし…。お金もないし…。

 こんなもの書いてる時間に、洗濯機を直せたかもしれないなァ。
 もう10時過ぎている。

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初めての煙草

2000年10月19日 | 家族

 今夜10時頃、息子たちの友だちが来た。
 Kが台所に来て、「栓抜きは?」という。手にはビール瓶を持っていた。
 親父が発泡酒だというのに…。
 そのうちビールがなくなったのか、冷蔵庫の中の私の発泡酒を持っていった。
しばらくして、私の愛飲してる焼酎も持って行った。
 親ばかな私は、焼酎用レモンとウーロン茶をすすめ、おまけにチーズとピー
ナッツの在処をおしえた。
 息子の部屋では笑い声が響き、私は一人、一升498円で買った合成日本酒
を飲みながらキーボードを叩いている。
 ミジメだがみじめではない。私には、のんべになりそうなアホな息子たちがいる。
うれしいです。
 Uが来て、
「初めて煙草を吸った」
 といった。
「どうだった?」
「まずぅエー」
「歌続けんだったら、やめたほうがいいな」
「おれ、もう吸わないよ」
 どうかな…、と私はこころの中でほくそ笑んだ。
 Kは、高校生のときから吸っている。
 私には、バカな息子たちがいる。
 しあわせです。

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