終業式の日にいただいたクラス通信。
そこに『努力の壺』と言うお話が紹介されていました。
先生からクラスの生徒たちへの応援メッセージです。
『努力の壺』
「人は、新たに何かを始めようとするとき、
誰でも心の中に「努力」という名前の『壺』が授けられます。
その壺には「テストで100点とりたい」「成績を上げたい」など、さまざまな札が付けられています。
その札こそが、皆さん一人一人が抱いている<目標>です。
その壺には、努力する度にコップ一杯の水が注がれます。
つまりコップの水が<努力>なのです。
壺の大きさはさまざまで、小さな壺なら少しの努力で良いのですが、
大きい壺ならその10倍も100倍も努力しないと、水はいっぱいになりません。
最初はいくら水を入れても、水が増えた気配すら感じられません。
中にどれくらい水が溜まったのか見たくても、壺の中を見ることはできません。
わからない中で努力し続けることは本当に難しいです。
人間には弱い心があります。
途中、「自分には才能がないのでは?」
「どんなに努力しても全然変わらないのだから、自分には向いていないんだ」
「無駄な努力はやめてしまおう。そのほうが楽になる」
と自分自身の努力に疑問を持つようになります。
そして、コップに水を入れることをやめてしまいます。
しかし、強い心を持った人もいます。
それは、弱い心を克服し、悪魔の囁きにも負けず、初心を貫ける人です。
コップで毎日水を入れていると、ある時、水の音が変わってきたことに気がつきます。
水を入れたら、「ポチャン!」と音がするのです。
その音から、確かに水が溜まっていることを知ります。
こうなると、コップで水を入れるのが楽しくて仕方なくなります。
今まで一杯入れるのがやっとだったのに、「たまってきている」と実感できたことで
二杯、三杯分の努力を惜しみなくできるようになります。
他の人が見たら「すごい努力だ」と思うことも、
その人にとっては呼吸や食事をすることと同じように
<当たり前のこと> に感じられうようになります。
こうなれば努力を「努力」と思うのではなく、生活の一部として取り組むことができるようになります。
これが<自信>につながるのです。
そして、いつかは壺から水があふれだす時がきます。
この時初めて願いが叶い、努力の大切さを知ることができるのです。
みなさんは、どんな札を貼りますか?
そして、水を何回いれ続けることができますか?
<目標>を見失いそうになったときは、「もう少し入れ続ければ、きっと水があふれ出すはずだ!」
と思ってください。
あふれた水の量が<自信>です。」
さあ、壺から水があふれだすその日まで、お水をいれていきましょう。
と締めくくってありました。
(^_^;)がんばれ、受験生。
人生に一度くらい「あの時は勉強したなーと胸を張って言える時期があってもいいよね。(;´Д`)
今日からとらは冬休み特訓ゼミです。
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