永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(青海波)

2008年04月25日 | Weblog
◆青海波=雅楽の曲名。唐楽の一種。二人の舞人が、波に千鳥模様の袍(ほう)をつけ鳥甲(とりかぶと)をかぶり剣を帯びて舞う、艶麗な舞楽。青海波の文様の付いた袍の片肩を脱ぎ、袖の振りで波の寄せ返す様を表現する。現在では奏法の一部に伝えが欠けている所もあり、多人数・長時間を要する為省略して奏舞されることが多い。

源氏物語を読んできて(30)

2008年04月25日 | Weblog
4/25  【紅葉賀】の巻 (1)
 源氏18歳~19歳秋、 藤壺23歳~24歳、 葵の上22歳~23歳
 紫の上(若紫)10歳~11歳
この時期は、「末摘花」とだぶっています。
 
 朱雀院(桐壺帝の御父)の御賀は十月の十日すぎで、この日のために選ばれた源氏と頭中将は、青海波(せいがいは)を舞う練習に忙しかったのでした。当日に先立ち、宮中では予行が催され、そちらへ行かれぬ藤壺もこの日ご覧になります。
 源氏の立派な美しい姿と優雅な舞いに、相手の頭中将は
「立ち並びては、なほ花の傍らの深山木なり」
――源氏と並ぶと、やはり花の傍らの雑木のようで――(一向見栄えがしない)
 藤壺は心苦しい中にも、源氏のご様子の立派さを思うのでした。

 朱雀院のいらっしゃる一院への行幸の当日は、皇子たちはもちろん、大勢向われました。唐楽、高麗楽が奏でられる中を、多くの舞人が舞います。深山おろしにふさわしい松風に、紅葉が散り交うの中、何とも例えようもない調べとともに、
「青海波のかがやき出でたる様、いと恐ろしきまで見ゆ」「昔の世ゆかしげなり」
――源氏の絢爛たる青海波の舞姿は、この世のものとも思われぬ様子です。――
――源氏の前世はどんな因縁であったか、それが知りたいものだ――
その夜、源氏は中将正三位に叙せられます。これからは、物語上では中将と書かれますが、源氏と訳していきます。

 源氏は、かの王命婦の手引きで藤壺が里としている三條の宮に、ご様子を伺いにやっとお出でになります。伺ってみると、他の女房たちも居り、兵部卿宮(藤壺の兄君)もおいでになりました。逢う機会を窺うにもすべなくて、命婦の手引きの手段もつかず、とおり一遍のご挨拶をしてお帰りになるのでした。なんだつまらないと、舌打ちしながら。

 源氏と紫の上は、親しさも深まり、
「時々こそとまり給へ、ここかしこの御いとまなくて、暮るれば出で給ふを、慕ひ聞え給ふ折りなどあるを」
――源氏は時々は在宅されるが、あちこちへのお忍びでいそがしく、暮れればお出かけになられるのを、紫の上が時にはすねたり、口を尖らせたりと、慕われるご様子をされるので――
一層可愛らしいと思われるのでした。

 紫の上に付いて来られた乳母の少納言は、紫の上が源氏に大切にされているのに満足しながらも、葵の上という、れっきとした正妻がおられ、
「ここかしこ、あまたかかづらひ給ふをぞ、まことに大人び給はむ程は、むつかしき事もや、と覚えける」
――あちらこちらと関わり合いのご婦人方がいらっしゃることが、紫の上が成人された頃には、面倒なことが起こりはせぬかと思うのでした。――
 
 紫の上は祖母の尼君の喪があける(母方の喪は3ヶ月)晦日に御小袿などに着替えなさって、
源氏も「今日よりは、大人しくなり給へりや」
――1つ年をとったので、大人らしくおなりですね――満足げです。
ではまた。