永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(640)

2010年02月05日 | Weblog
010.2/5   640回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(55)

 夕霧は、(歌)

「うらみわび胸あきがたき冬の夜にまた鎖しまさる堰のいはかど」
――あなたの無常が恨めしく胸も晴れない冬の夜に、なおその上、お部屋の戸まで閉めて私を拒絶なさるとは――

 全く申し上げようもない落葉宮のお心よ、と、泣く泣くお帰りになります。ご自邸にはお戻りにならず、(三条を通り過ぎて)そのまま六条院においでになり休息なさいます。夕霧を御母に代わって養育なさった花散里(はなちるさと)の東の対は心の休まるところなのです(夕霧にとっては実家)。花散里は、

「一條の宮渡し奉り給へる事と、かの大殿わたりなどに聞こゆる、いかなる御事にかは」
――落葉宮を小野の別邸からご本邸にお移しになられたとか、致仕大臣(柏木の父君・落葉宮の御義父)あたりで評判になっていますが、どういうことなのでしょう――

 と、ご几帳で隔てていらっしゃいますが、その脇からちょっとお顔を覗かせておっとりとおっしゃいますと、夕霧は、なるほど世間では妻を迎えると噂しているらしい、と
意を強くなさって、

「さやうにも、なほ人の言ひなしつべき事に侍り。故御息所は、いと心強うあるまじきさまに、言ひ放ち給うしかど、限りのさまに、御心地の弱りけるに、また見譲るべき人のなきや悲しかりけむ、亡からむ後の後見にとやうなることの侍りしかば、(……)」
――やはりそのように人が思いそうな事なのです。亡き御息所は、初めは大変きつく(結婚は)とんでもない事と、言い切っておられましたが、臨終も迫ってお心が弱られたときに、他には宮の後見人が居ないことを悲しまれて、ご自分の亡きあとには後見人になって欲しいというようなご遺言がありました。私としては元々亡き柏木との約束がございましたので(こういう気持ちになったのですが、人はさぞいろいろと取りざたしているのでしょう)」

 と、苦笑いなさって、さらに、

「かの正身なむ、なほ世に経じと深う思ひたちて、尼になりなむと思ひ結ぼほれ給ふめれば、なにかは。こなたかなたに聞き憎くも侍るべきを、さやうに嫌疑はなれても、またかの遺言は違えじと思ひ給へて、ただかくいひあつかひ侍るなり」
――ご当人の落葉宮は、やはり世俗には暮らすまいと固く決心なさって、尼になってしまおうと沈み込んでおられるご様子ですから、なんで私の申し上げることなどお聞き入れになるものですか。落葉宮を迎えれば方々で悪い噂も立ちましょうから、宮がそのようにご出家なさって世間の疑いが無くなってからでも、御息所のご遺言には背くまいと存じまして、ただこうしてお世話しているだけなのです――


ではまた。