2010.2/27 660回
四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(3)
花散里の御方も明石の御方もこの御供養においでになります。紫の上は、
「南東の戸をあけておはします。寝殿の西の塗籠なりけり。北の廂に、方々の御局どもは、障子ばかりを隔てつつしたり」
――南東の戸を開けてお座りになっております。法会の場所は、寝殿の西の塗籠で、北の廂の御方々(花散里や明石の御方)のお席は衝立だけをそれぞれ仕切りとして設けております――
「三月の十日なれば、花盛りにて、空の気色などもうららかにもの面白く、仏のおはするなる処の有様遠からず、思ひやられて、異なる深き心もなき人さへ、罪を失ひつべし。……この頃となりては、何事につけても、心細くのみ思ひ知る」
――ちょうど三月十日のことで、花盛りで空の景色もうららかで趣ふかく、仏のおいでになる極楽浄土もさぞかしこの通りであろうと思われ、特に信心深くない人でも、罪が消えそうな清々しさです。ただ紫の上は、この頃何かにつけてお心細くのみ思われるのでした――
紫の上は、中宮腹の三の宮(匂宮五歳)をとおして明石の御方へお文にお歌を書かれます。
「惜しからぬこの身ながらもかぎりとて薪つきなむことのかなしさ」
――死んでも惜しくは無いこの身ですが、いよいよ寿命が尽きると思いますと悲しゅうございます――
明石の御方はお返事を申し上げますにも、
「心細き筋は、後のきこえも心後れたるわざにや、そこはかとなくぞあめる。『薪こるおもひはけふをはじめにてこの世にねがふのりぞ貼るけき』」
――心細い詠みぶりは、後世思慮がないとの評判になることもあろうかとも思い、(歌)
「法華経に奉事なさるのは今日を最初として、末長く長命なさって願われる法の道は永遠でございます」――
ではまた。
四十帖 【御法(みのり)の巻】 その(3)
花散里の御方も明石の御方もこの御供養においでになります。紫の上は、
「南東の戸をあけておはします。寝殿の西の塗籠なりけり。北の廂に、方々の御局どもは、障子ばかりを隔てつつしたり」
――南東の戸を開けてお座りになっております。法会の場所は、寝殿の西の塗籠で、北の廂の御方々(花散里や明石の御方)のお席は衝立だけをそれぞれ仕切りとして設けております――
「三月の十日なれば、花盛りにて、空の気色などもうららかにもの面白く、仏のおはするなる処の有様遠からず、思ひやられて、異なる深き心もなき人さへ、罪を失ひつべし。……この頃となりては、何事につけても、心細くのみ思ひ知る」
――ちょうど三月十日のことで、花盛りで空の景色もうららかで趣ふかく、仏のおいでになる極楽浄土もさぞかしこの通りであろうと思われ、特に信心深くない人でも、罪が消えそうな清々しさです。ただ紫の上は、この頃何かにつけてお心細くのみ思われるのでした――
紫の上は、中宮腹の三の宮(匂宮五歳)をとおして明石の御方へお文にお歌を書かれます。
「惜しからぬこの身ながらもかぎりとて薪つきなむことのかなしさ」
――死んでも惜しくは無いこの身ですが、いよいよ寿命が尽きると思いますと悲しゅうございます――
明石の御方はお返事を申し上げますにも、
「心細き筋は、後のきこえも心後れたるわざにや、そこはかとなくぞあめる。『薪こるおもひはけふをはじめにてこの世にねがふのりぞ貼るけき』」
――心細い詠みぶりは、後世思慮がないとの評判になることもあろうかとも思い、(歌)
「法華経に奉事なさるのは今日を最初として、末長く長命なさって願われる法の道は永遠でございます」――
ではまた。