永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(646)

2010年02月11日 | Weblog
 010.2/11   646回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(61)

 気もそぞろな夕霧は、

「なよびたる御衣ども脱い給うて、心ことなるをとり重ねて、焚きしめ給ひ、めでたう繕い化粧じて出で給ふを、灯影に見出して、忍び難く涙の出でくれば、脱ぎとめ給へる単衣の袖を引きよせて」
――糊気のぬけている衣裳を脱がれて、立派な衣裳を重ねて香を焚きしめ、きれいに身づくろいをし、化粧をしてお出かけになりますのを、雲井の雁は灯影にお見送りしながら、堪え切れぬ涙があふれ出ますので、お脱ぎになった夕霧の単衣の袖を引きよせて――

(歌)「なるる身をうらみむよりは松島のあまの衣にたちやかへまし」
――長年連れ添って飽きられた身を恨むよりは、いっそ尼になった方がましです――

 と、独り言のように言われますと、夕霧は立ち止まって、

「さも心憂き御心かな。(歌)『松島のあまのぬれぎぬなれぬとてぬぎかへつてふ名をたためやは』うちいそぎて、いとなほなほしや」
――厭なお心癖ですね。「長い間の夫婦仲が厭になったといって、それで尼になったなどという噂を立てられないでください」と返しの歌を詠まれましたが、急いでお出かけになる時だからでしょう、まことに平凡なお歌ですね。――

 さて、

 あちらの落葉宮は、まだ塗籠に籠っておられますので、女房たちが、

「かくてのみやは、若々しうけしからぬ聞こえも侍りぬべきを、例の御様にて、あるべき事をこそ聞こえ給はめ」
――こんなにいつまでも籠って居られるものではございません。子供っぽく、変わり者だと言われましょうに。(御対面になって)普通におっしゃるべきことをおっしゃいますように――

 と、いろいろと申し上げます。宮は、確かにそうとは思いますものの、

「今より後のよその聞こえをも、わが御心の過ぎにし方をも、心づきなく、うらめしかりける人のゆかりと思し知りて、その夜も対面し給はず」
――これから後の人聞きの悪さも、今までの私のさまざまな辛さも、皆あの気に入らない、恨めしかった夕霧のせいだと思い込まれて、その夜も御対面なさらない――

ではまた。