永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(649)

2010年02月14日 | Weblog
 2010.2/14   649回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(64)

 少しも打ちとけない落葉宮に夕霧は、

「いとかう言はむ方なき者におもほされける身の程は、類なうはづかしければ、あるまじき心の着きそめけむも、心地なく悔しう覚え侍れど、とり返すものならぬ中に、何のたけき御名にかはあらむ。いうかひなく思し弱れ」
――こうして貴女から不都合な者に思われる身の上が、譬えようもなく恥ずかしくてなりませんが、とんでもない事を思い初めました事も良からぬ事と思いますが、今更取り返しもつきませんし、たいしたお名前でもないでしょう。(どんなに私を突き放されたとて、浮名を立てられた貴女の名が清くなることはありませんよ、の意)仕方がないと諦めてお仕舞いなさい――

 さらに重ねて、

「思ふにかなはぬ時、身を投ぐる例も侍るなるを、ただかかる志を、深き淵に准らへ給うて、棄てつる身と思しなせ」
――思い通りにならないときは、淵に身を投げるという例もあるらしいですが、ただこの私の愛情を深い淵だとお思いになって、身を棄てたお気持におなりなさい――

 と申し上げます。落葉宮のご様子は、

「単衣の御衣を御髪籠めひきくくみて、たけきこととは音を泣き給ふさまの、心深くいとほしければ」
――単衣のお着物を髪ごと引き被っておしまいになり、できることと言えば、ただ声を上げてお泣きになるばかりで、そのお姿がいじらしくて――

 夕霧はお心の中で、

「いとうたて、いかなればいとかう思すらむ、いみじう思ふ人も、かばかりになりぬれば、自づからゆるぶ気色もあるを、岩木よりけに靡き難きは、契り遠うて、憎しなど思ふやうあるを、然や思すらむ、と思ひよるに、余りなれば心憂くて、」
――ああいやだ、どうしてこうも私を嫌われるのか。いくら気強い人でも、これ程になってしまえば、自然折れるものなのに、岩木よりずっと手ごわいのは、やはり縁がなくて、嫌い抜くとでもいうお気持なのかと、気づかされてみると、余りにも情けない――

 ふと、三條の君(雲井の雁)の今のお気持や、昔は何の気苦労も無く慕い合っていた間柄のこと、長い間安心しきって生活してきたのに、こうも気まづくなったのは、

「わが心もて、いとあぢきなう思ひ続けらるれば、あながちにもこしらへ聞こえ給はず、歎き明かし給うつ」
――みな自分の心が招いた不幸なのだと、すっかり鼻白んで詰まらない気分になられましたので、強いて宮を口説こうともなさらず、歎き明かされたのでした――

◆御髪籠めひきくくみ=髪ごと引きかぶって
◆音を泣き給ふ=声を出して泣く

ではまた。