永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(756)

2010年06月05日 | Weblog
2010.6/5  756回

四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(17)

「秋の末つ方、四季にあててし給ふ御念仏を、この河面は、網代の浪も、この頃はいとど耳かしがましく静かならぬを、とて、かの阿闇梨の住む寺の堂にうつろひ給ひて、七日の程行ひ給ふ」
――秋の終りの頃、四季毎に一度づつなさる御法要を、この宇治川の近くの山荘では、網代の季節とて、近頃はいっそうやかましく、静寂さがないというので、かの阿闇梨のいらっしゃる寺の御堂にお移りになって七日間の法要をなさることにしました――

「姫君たちは、いと心細くつれづれまさりてながめ給ひける頃、中将の君、久しく参らぬかなと、思ひ出で聞こえ給うけるままに、有明の月の、まだ夜深くさし出づる程に出でたちて、いと忍びて、御供に人などもなく、やつれておはしけり。河のこなたなれば、船などもわづらはで、御馬にてなりけり」
――姫君達は心細くつれづれに所在なく月を眺めておいでの頃。薫は宇治の八の宮の山荘に久しくお伺いしていないことをお思いになって、急に、有明の月がまだ夜深い空にかかる頃京を発って、お供の者もろくにお連れにならず、目立たないお忍びのご様子でお出かけになります。山荘は宇治川の此方側ですので、船を使って渡る必要もありませんので、馬をお召しになりました――

「入りもて行くままに、霧ふたがりて、道も見えぬ繁木の中をわけ給ふに、いと荒ましき風のきほひに、ほろほろと落ちみだるる木の葉の露の散りかかるも、いと冷やかに、人やりならずいたく濡れ給ひぬ。かかるありきなども、をさをさならひ給はぬ心地に、心細くをかしく思されけり」
――(宇治の山荘に)入るほどに、霧が遮って道もさだかでない茂みの中を踏み分けて行きますと、荒々しい風が吹き立てて、はらはらと散り乱れる木の葉の露も冷たく衣裳に降りかかり、すっかり濡れておしまいになりました。こうした夜歩きなど、あまりなさったことのない薫は、心細いながらも、ああ何と風情あることよと、お思いになるのでした――

(歌)「山おろしにたへぬ木の葉の露よりもあやなくもろきわが涙かな」
――山おろしの風に耐えず散る木の葉の露よりも、妙にもろくこぼれるわが涙よ――

「山がつのおどろくもうるさしとて、随身の音もせさせ給はず。芝の蘺をわけつつ、そこはかとなき水の流れどもを、ふみしだく駒の足音も、なほ忍びて、と用意し給へるに、かくれなき御にほいぞ、風に従ひて、主知らぬ香とおどろく寝覚めの家々ありける」
――山人が目を覚ますのも面倒なので、先払いの声もたてさせられません。芝の蘺(まがき)の間を踏み分け踏み分け、流れるとも見えない細い川の流れを踏んで行く馬の蹄の音にも注意を払っておいでになりましたが、隠れようもない香りばかりは、風のまにまに漂って、誰とも知らぬ香に目を覚ます家も多いのでした――

◆網代の浪=九月ごろから、宇治川に網代を張って氷魚をとるので、川べりは騒々しいので。

ではまた。