2010.6/29 780回
四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(41)
その御袋を手になさった薫は、
「あくるも恐ろしう覚え給ふ」
――袋の口を開けるのも恐ろしい気がなさる――
「いろいろの紙にて、たまさかに通ひける御文の返事、五、六ぞある。さては、かの御手にて、病は重く限りになりたるに、またほのかにも聞こえむこと難くなりぬるを、ゆかしう思ふことは添ひにたり、御容貌も変わりておはしますらむが、さまざま悲しきことを、陸奥紙五、六枚に、つぶつぶとあやしき鳥の跡のやうに書きて」
――(御袋の中には)いろいろな色紙で女三宮から時折り受け取られたお返事が、五、六通あります。又別に、柏木の筆跡で、「私の病はたいそう重くなりまして、いよいよ最後の時のように思いますので、今後はほんの少しのお便りを差し上げますのも難しいほどですのに、いっそう貴女様をお慕いする気持ちが増してまいります」そのあとにも、女三宮が尼姿になっておられるということが、あれこれにつけても悲しいということを、陸奥紙五、六枚にぽつりぽつりと奇妙な鳥の足跡のような筆跡で書かれていて――
柏木の歌、
「めの前にこの世をそむく君よりもよそにわかるるたまぞ悲しき」
――現世を目前に見ながら出家された貴女よりも、貴女を置いて死んでいく私の魂の方が悲しい――
また、その端の方に、
「めづらしく聞き侍る二葉の程も、うしろめたう思ひ給ふる方はなけれど」
――珍しく生まれたと聞いています児についても、源氏のお世話があると思えば心配な点はありませんが――
(歌)
「命あらばそれとも見まし人しれずいはねにとめし松のおひすゑ」
――私も生きていられますならば、秘密にもうけた児も、わが子と思って将来を楽しみにしようものを――
と、途中で書き止めたように大そう乱れた書きようで、「小侍従の君に」と上に書きつけてありました。
◆鳥の跡のやうに=重態で手が震えてつづけて書けず、たどたどしい様子を表した
◆「小侍従の君に」=人目をはばかって、わざと宛名を小侍従にした
ではまた。
四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(41)
その御袋を手になさった薫は、
「あくるも恐ろしう覚え給ふ」
――袋の口を開けるのも恐ろしい気がなさる――
「いろいろの紙にて、たまさかに通ひける御文の返事、五、六ぞある。さては、かの御手にて、病は重く限りになりたるに、またほのかにも聞こえむこと難くなりぬるを、ゆかしう思ふことは添ひにたり、御容貌も変わりておはしますらむが、さまざま悲しきことを、陸奥紙五、六枚に、つぶつぶとあやしき鳥の跡のやうに書きて」
――(御袋の中には)いろいろな色紙で女三宮から時折り受け取られたお返事が、五、六通あります。又別に、柏木の筆跡で、「私の病はたいそう重くなりまして、いよいよ最後の時のように思いますので、今後はほんの少しのお便りを差し上げますのも難しいほどですのに、いっそう貴女様をお慕いする気持ちが増してまいります」そのあとにも、女三宮が尼姿になっておられるということが、あれこれにつけても悲しいということを、陸奥紙五、六枚にぽつりぽつりと奇妙な鳥の足跡のような筆跡で書かれていて――
柏木の歌、
「めの前にこの世をそむく君よりもよそにわかるるたまぞ悲しき」
――現世を目前に見ながら出家された貴女よりも、貴女を置いて死んでいく私の魂の方が悲しい――
また、その端の方に、
「めづらしく聞き侍る二葉の程も、うしろめたう思ひ給ふる方はなけれど」
――珍しく生まれたと聞いています児についても、源氏のお世話があると思えば心配な点はありませんが――
(歌)
「命あらばそれとも見まし人しれずいはねにとめし松のおひすゑ」
――私も生きていられますならば、秘密にもうけた児も、わが子と思って将来を楽しみにしようものを――
と、途中で書き止めたように大そう乱れた書きようで、「小侍従の君に」と上に書きつけてありました。
◆鳥の跡のやうに=重態で手が震えてつづけて書けず、たどたどしい様子を表した
◆「小侍従の君に」=人目をはばかって、わざと宛名を小侍従にした
ではまた。