永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(757)

2010年06月06日 | Weblog
2010.6/6  757回

四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(18)

 宮の山荘近くになるにつけ、

「その事とも聞き分かれぬものの音ども、いとすごげに聞こゆ。(……)よき折なるべし、と思ひつつ入り給えば、琵琶の声のひびきなりけり。(……)筝の琴、あはれになまめいたる声してたえだえ聞こゆ」
――はっきりとは何の楽器か聞きわけられぬ楽の音が、しみじみ身に沁みて聞こえてきます。(そういえば、八の宮父娘がいつもこうして音楽を楽しんでおられるとお聞きしていたのに、今までそのような機会がなくて名高い技量の音をお聞きしたことがなかった)よい折だ、とお思いになって門をお入りになると、それは琵琶の音色でありました。(場所柄大そう清らかな合奏で趣深く)琵琶に合せた筝の琴の音も、あわれになまめかしさを含んで、途切れ途切れに聞こえてきます――

 薫は、そのまま、そっと聞いていたいと身を潜めておいでになりましたが、香りを知っている宿直人が、薫中将だと気がついて出てきて、「八の宮は、かくかくの次第で阿闇梨のお寺にお籠りでございます。これからご来訪の旨お伝えいたしましょう」と申し上げます。薫は、

「何か。しか限りある御おこなひの程を、まぎらはし聞こえさせむにあいなし。かく濡れ濡れ参りて、いたづらに帰らむうれへを、姫君の御方に聞こえて、あはれと宣はせばなむなぐさむべき」
――何の、それには及ばない。そのように日を決めての勤行ならば、なおお騒がせしてはよくない。ただ、このように濡れ濡れ参りまして、帰京せねばならぬ無念さを、姫君のおいでになるお部屋に申し上げて、気の毒にとでもおっしゃってくだされば、私はそれで満足です――

 と、おっしゃると、使用人は見苦しい顔をちょっとほころばせて、「では、侍女にそう申しましょう」と、行こうとしますのを、薫はつと引き止めて、

「年頃人伝にのみ聞きて、ゆかしく思ふ御琴の音どもを、うれしき折かな、しばし、すこしたち隠れて聞くべき、物の隈ありや。つきなくさし過ぎて参りよらむ程、皆ことやめ給ひてば、いと本意なからむ」
――年来、お噂にお聞きするばかりで、拝聴したいと思う姫君方の御琴の音だから、丁度よい機会だ。しばらくの間、どこかに隠れて聞いていたいが、物陰はあるか。下手に出過ぎて、どなたも弾くことを止めてしまわれたら、全く甲斐のないことだからね――

 と、おっしゃる。

◆つきなく=考えもなく

ではまた。