永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(776)

2010年06月25日 | Weblog
2010.6/25  776回

四十五帖 【橋姫(はしひめ)の巻】 その(37)

 弁の君の話を聞きながら、薫はお心の中で、

「げによその人の上と聞かむだにあはれなるべき古事どもを、まして年頃おぼつかなくゆかしう、いかなりけむ事のはじめにか、と、仏にもこの事ををさだかに知らせ給へ、と念じつる験にや、かく夢のやうにあはれなる昔語を、覚えぬついでに聞きつけつらむ」
――なるほど、他人の話と聞いてさえ哀れ深く感動する昔話を、まして自分としては長い間はっきりしないまま、心を痛めてきたことであったので、いったい事の起こりは何であったのかと、勤行の度に仏に真相を知らしめ給えと祈願してきた霊験があったのか、と、このような機会にあの事を、意外なところで耳にしたのだろうか――

 とお思いになって涙がとめどもなく流れるのでした。薫が、

「さても、かくその世の心知りたる人も、残り給へりけるを、めづらかにもはづかしうも、覚ゆることの筋に、なほかくいひ伝ふる類やまたもあらむ。年頃かけても聞き及ばざりける」
――それにしても、こうして当時の事情を知っている人も残っていたというのを、私は珍しくも恥ずかしくも思わずにはいられない。このような話をあなた以外に知っている人がいるのだろうか。今までに聞いた事がないが――

 と、おっしゃると、弁の君は、

「小侍従と弁と放ちて、また知る人侍らじ。一言にても、また他人にうちまねび侍らず。かくものはかなく、数ならぬ身の程に侍れど、夜昼かの御かげにつき奉りて侍りしかば、おのづから物の気色をも見奉りそめしに、御心よりあまりて思しける時々、ただ二人の中になむ、たまさかの御消息のかよひも侍りし」
――小侍従と私以外には、ご存知の方がいらっしゃらないでしょう。私は一言も他人に話してはおりません。このようにつまらない、数ならぬ身の私ですが、夜昼を母の傍らにおりまして、一緒にお仕えしていましたので、自然に御事情も推察できる立場にございました。柏木の君が何か御思案にあまると思われた日は、小侍従と私とだけを通されて、たまの御文通もございました――

◆小侍従(こじじゅう)=女三宮の侍女で、柏木を手引きした人

ではまた。