2010.9/7 817
四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(36)
「けざやかに、いともの遠くすみたるさまには見え給はねど、今やうの若人たちのやうに、えんげにももてなさで、いと目安くのどかなる心ばへならむとぞ、おしはかられ給ふ人の御けはひなる。かうこそはあらまほしけれ、と、思ふにたがはぬ心地し給ふ」
――(大君は)特に際立って近寄りにくく取り澄ましたご様子には見えませんが、今時の若い女たちのように、媚びた風なご態度もなく、ごく自然でおおらかなお人柄とお見受けされます。こうあって欲しいと思っていたことと違わぬ御方であると、薫は思うのでした――
「ことに触れて気色ばみよるも、知らず顔なるさまにのみもてなし給へば、心恥かしうて、むかし物語などをぞ、ものまめやかに聞こえ給ふ」
――(薫が)ことに触れて胸の内を仄めかされますのも大君は気付かぬふりを通していらっしゃるので、薫は極まりが悪く、仕方なしにただ昔の話などを仔細らしくお話になるのでした――
供人が「日が暮れてしまいましたら、雪がますますひどくなって、空が塞がりそうでございます」と咳払いをしながらご帰京を促しますので、薫はお立ちになりながら、
「『心苦しう見めぐらさるる御住ひのさまなりや。ただ山里のやうにいといと静かなる所の、人も行きまじらぬ、侍るを、さも思しかけば、いかにうれしく侍らむ』など宣ふも、いとめでたかるべきことかな、と片耳に聞きて、うち笑む女ばらのあるを、中の宮は、いと見苦しう、いかにさやうにはあるべきぞ、と見聞き居給へり」
――「お気の毒にと、見まわさずにはいられぬお住いのご様子ですね。実は、京にまるで山里のようにとても静かで、人も行き来しない家がありますのを、そこにとでも思い立たれますならば、どんなに嬉しいでしょう」とおっしゃるのを、「そうなればどんなに嬉しいことかしら」と小耳にはさんだ侍女たちが、思わず顔をほころばせているのを、中の君は「まあ、なんと物欲しそうな。そんなことある筈がありましょうか」と思っていらっしゃいます――
お帰りに先立って、薫が、八の宮の生前のお部屋を案内させてお入りになりますと、
「塵いたう積りて、仏のみぞ、花のかざり衰へず、行き給ひけりと見ゆる御床など取りやりて、かき払ひたり。本意をも遂げば、と契り聞こえしこと思し出でて、(歌)『立ちよらむかげとたのみし椎が本むなしき床になりにけるかな』とて、柱に寄り居給へるをも、若き人々はのぞきてめで奉る」
――塵が積もって、仏像ばかりは金銀の飾りが色あせず、八の宮が勤行されたと見えます御床などは取り除いて片づけてあります。自分が出家の望みを遂げるならば、八の宮を師と頼もうとお約束申し上げました事などを思いだされて、(歌)「出家のあとの師と頼みにしました八の宮は、すでに空しくなってしまわれたことよ」と、柱に寄りかかっていらっしゃるお姿を、若い侍女たちが覗きみて、何とお美しく艶な御方でしょうと、囁き合っています――
◆椎が本=宇津保より「優婆塞(うばそく)が行ふ山の椎が本あなそばそばし床にしあらねば」(優婆塞(うばそく)が行う山の椎の木の下は、ああ、角ばっているよ、寝床ではないから)による。椎が本に八の宮を譬えた。
◆優婆塞(うばそく)=在俗のまま仏門にはいった男
では9/9に。
四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(36)
「けざやかに、いともの遠くすみたるさまには見え給はねど、今やうの若人たちのやうに、えんげにももてなさで、いと目安くのどかなる心ばへならむとぞ、おしはかられ給ふ人の御けはひなる。かうこそはあらまほしけれ、と、思ふにたがはぬ心地し給ふ」
――(大君は)特に際立って近寄りにくく取り澄ましたご様子には見えませんが、今時の若い女たちのように、媚びた風なご態度もなく、ごく自然でおおらかなお人柄とお見受けされます。こうあって欲しいと思っていたことと違わぬ御方であると、薫は思うのでした――
「ことに触れて気色ばみよるも、知らず顔なるさまにのみもてなし給へば、心恥かしうて、むかし物語などをぞ、ものまめやかに聞こえ給ふ」
――(薫が)ことに触れて胸の内を仄めかされますのも大君は気付かぬふりを通していらっしゃるので、薫は極まりが悪く、仕方なしにただ昔の話などを仔細らしくお話になるのでした――
供人が「日が暮れてしまいましたら、雪がますますひどくなって、空が塞がりそうでございます」と咳払いをしながらご帰京を促しますので、薫はお立ちになりながら、
「『心苦しう見めぐらさるる御住ひのさまなりや。ただ山里のやうにいといと静かなる所の、人も行きまじらぬ、侍るを、さも思しかけば、いかにうれしく侍らむ』など宣ふも、いとめでたかるべきことかな、と片耳に聞きて、うち笑む女ばらのあるを、中の宮は、いと見苦しう、いかにさやうにはあるべきぞ、と見聞き居給へり」
――「お気の毒にと、見まわさずにはいられぬお住いのご様子ですね。実は、京にまるで山里のようにとても静かで、人も行き来しない家がありますのを、そこにとでも思い立たれますならば、どんなに嬉しいでしょう」とおっしゃるのを、「そうなればどんなに嬉しいことかしら」と小耳にはさんだ侍女たちが、思わず顔をほころばせているのを、中の君は「まあ、なんと物欲しそうな。そんなことある筈がありましょうか」と思っていらっしゃいます――
お帰りに先立って、薫が、八の宮の生前のお部屋を案内させてお入りになりますと、
「塵いたう積りて、仏のみぞ、花のかざり衰へず、行き給ひけりと見ゆる御床など取りやりて、かき払ひたり。本意をも遂げば、と契り聞こえしこと思し出でて、(歌)『立ちよらむかげとたのみし椎が本むなしき床になりにけるかな』とて、柱に寄り居給へるをも、若き人々はのぞきてめで奉る」
――塵が積もって、仏像ばかりは金銀の飾りが色あせず、八の宮が勤行されたと見えます御床などは取り除いて片づけてあります。自分が出家の望みを遂げるならば、八の宮を師と頼もうとお約束申し上げました事などを思いだされて、(歌)「出家のあとの師と頼みにしました八の宮は、すでに空しくなってしまわれたことよ」と、柱に寄りかかっていらっしゃるお姿を、若い侍女たちが覗きみて、何とお美しく艶な御方でしょうと、囁き合っています――
◆椎が本=宇津保より「優婆塞(うばそく)が行ふ山の椎が本あなそばそばし床にしあらねば」(優婆塞(うばそく)が行う山の椎の木の下は、ああ、角ばっているよ、寝床ではないから)による。椎が本に八の宮を譬えた。
◆優婆塞(うばそく)=在俗のまま仏門にはいった男
では9/9に。