2010.9/15 821
四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(40)
「その年三條の宮焼けて、入道の宮も六条の院にうつろひ給ひ、何くれとものさわがしきに紛れて、宇治のわたりを久しうおとづれ聞こえ給はず」
――その年、三條の宮(女三宮の御殿)が火災で焼けて、母宮も六条院にお移りになったりで、薫は何かと身辺があわただしく、忙しさに紛れて、宇治へは随分御無沙汰しておしまいになりました――
「まめやかなる人の御心は、またいとことなりければ、いとのどかに、己が物とはうち頼みながら、女の心ゆるび給はざらむ限りは、あざればみ情けなきさまに見えじ、と思ひつつ、昔の御心わすれぬ方を深く見知り給へ、とおぼす」
――(薫は)実直で生真面目なご性格で、世間の男たちとは違って格別で、しごくのんびりと、大君をご自分の物とは信じ込みながらも、大君のお心がお解けにならない以上は、ふざけて情趣のない風には思われないようにと思いつつも、どうか自分と八の宮との御旧情を忘れておりませんことを、深く御理解くださるように、と、念じていらっしゃるのでした――
この年の夏は、常よりも暑苦しくて、京の人々は難儀をしていました。薫は宇治の川岸はさぞかし涼しいだろうと思い立って、急にお出掛けになります。朝の涼しい間に京を出立なさいましたので、宇治にお着きになる頃は日差しも強く、故宮のおられた西廂の間に宿直人をお召しになってお休みになりました。
「そなたの母屋の仏の御前に、君達ものし給ひけるを、け近からじ、とて、わが御方にわたり給ふ御けはひ、忍びたれど、おのづから、うちみぢろぎ給ふほど、近う聞こえければ、なほあらじに、こなたに通ふ障子のはしの方に、かけがねしたる所に、穴のすこしあきたるを見置き給へりければ、外に立てたる屏風を引き遣りて見給ふ」
――(姫君たちは)そちらの母屋の仏間においでになりましたが、(薫のお部屋)とはあまりに近すぎると思われて、ご自分のお部屋にお移りになります気配が、つつましやかに、身じろがれるお具合が、とても身近に聞こえます。薫はこのままでは居られないお気持で、こちらに通じる襖の端の掛金の所に、穴が小さく開いているのをかねてから知っておりましたので、襖の外側に立ててある屏風を脇へのけて、覗いてご覧になりますと――
では9/17に。
四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(40)
「その年三條の宮焼けて、入道の宮も六条の院にうつろひ給ひ、何くれとものさわがしきに紛れて、宇治のわたりを久しうおとづれ聞こえ給はず」
――その年、三條の宮(女三宮の御殿)が火災で焼けて、母宮も六条院にお移りになったりで、薫は何かと身辺があわただしく、忙しさに紛れて、宇治へは随分御無沙汰しておしまいになりました――
「まめやかなる人の御心は、またいとことなりければ、いとのどかに、己が物とはうち頼みながら、女の心ゆるび給はざらむ限りは、あざればみ情けなきさまに見えじ、と思ひつつ、昔の御心わすれぬ方を深く見知り給へ、とおぼす」
――(薫は)実直で生真面目なご性格で、世間の男たちとは違って格別で、しごくのんびりと、大君をご自分の物とは信じ込みながらも、大君のお心がお解けにならない以上は、ふざけて情趣のない風には思われないようにと思いつつも、どうか自分と八の宮との御旧情を忘れておりませんことを、深く御理解くださるように、と、念じていらっしゃるのでした――
この年の夏は、常よりも暑苦しくて、京の人々は難儀をしていました。薫は宇治の川岸はさぞかし涼しいだろうと思い立って、急にお出掛けになります。朝の涼しい間に京を出立なさいましたので、宇治にお着きになる頃は日差しも強く、故宮のおられた西廂の間に宿直人をお召しになってお休みになりました。
「そなたの母屋の仏の御前に、君達ものし給ひけるを、け近からじ、とて、わが御方にわたり給ふ御けはひ、忍びたれど、おのづから、うちみぢろぎ給ふほど、近う聞こえければ、なほあらじに、こなたに通ふ障子のはしの方に、かけがねしたる所に、穴のすこしあきたるを見置き給へりければ、外に立てたる屏風を引き遣りて見給ふ」
――(姫君たちは)そちらの母屋の仏間においでになりましたが、(薫のお部屋)とはあまりに近すぎると思われて、ご自分のお部屋にお移りになります気配が、つつましやかに、身じろがれるお具合が、とても身近に聞こえます。薫はこのままでは居られないお気持で、こちらに通じる襖の端の掛金の所に、穴が小さく開いているのをかねてから知っておりましたので、襖の外側に立ててある屏風を脇へのけて、覗いてご覧になりますと――
では9/17に。