永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(819)

2010年09月11日 | Weblog
2010.9/11  819

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(38)

「花ざかりの頃、宮かざしを思し出でて、その折見聞き給ひし君達なども『いとゆゑありし親王の御住ひを、またも見ずなりにしこと』など、大方のあはれを口々きこゆるに、いとゆかしう思されけり」
――桜の咲く頃になって、匂宮は、挿頭(かざし)の歌を詠んだいつかの頃を思い出されて、またその頃お供をした貴公子方も「由緒のありました八の宮の山荘をお訪ねせぬままになってしまって」などと、残念そうに口々に申し上げますし、匂宮も姫君たちを是非見てみたい、とお思いになります――

 早速御文をお書きになって、

(歌)「つてに見しやどの桜をこのはるはかすみへだてず折りてかざさむ」
――去年の春、ことのついでに見ました山荘の桜を、今年の春は、隔てるものなく、直接折って髪にかざしたいものです(隔てるものなく=父君も亡くなられて)――

 と、お心のままに述べられます。中の君は、

「あるまじき事かな、と見給ひながら、いとつれづれなる程に、見所ある御文の、上べばかりを持て消たじ」
――とんでもないことをおっしゃるわ、と姫君たちはお手紙をご覧になりながらも、つれづれの折から、ご立派な御文の体面だけでも興ざめにならぬように立てて差し上げねば、と、――

 中の君がお返事を差し上げます。

(歌)「いづくとかたづねて折らむ墨染にかすみこめたるやどのさくらを」
――どこと訪ねて折るおつもりですか、墨色に霞が包んでいる宿の桜のような喪中の私たちですのに――

 匂宮は、姫君の返歌をごらんになって、

「なほかくさしはなち、つれなき御気色のみ見ゆれば、まことに心憂しと思しわたる」
――やはりこうして相も変わらず素っ気ないご様子なので、匂宮は心底辛く思い悩んでいらっしゃいます――

◆折りてかざさむ=私の物にしたい。契りを結びたい。かなり際どい表現で品に欠ける。

◆さしはなち=差し放つ=(さし)は接頭語。相手にしない。遠ざける。

◆写真:三室戸寺本殿。現在も紫陽花と蓮で有名なこの寺は西国巡りの札所としても、全国各地から四季を通して大勢の参拝客が絶えない。

では9/13に。

源氏物語を読んできて(鈍色)

2010年09月11日 | Weblog
◆鈍色(にびいろ、にぶいろ)

 鈍色とは濃い灰色のこと。平安時代には灰色一般の名称であったが、のちに灰色、鼠色にその座を取って代わられた。

 鈍とは刃物などが切れなくなる事などを指す「鈍る」が語源。古語では「灰色がかっている~」という意味で「にばめる~」という。喪の色、あるいは出家の色として平安文学には頻繁に登場する。よく「墨染め」とは言うものの、普通は草木染でタンニンを多く含む矢車という植物を鉄で媒染して染める。

◆喪の色
 現在の葬儀の色は黒と白だが、平安貴族にとって灰色(鈍色)は喪に欠かせないものだった。遺族は死者との関係性に従って定められた喪に服すが、両親や夫に先立たれた場合は特に長い期間喪に服し喪服もより濃い鈍色のものを着る。女性の場合、普通の袴は紅色か紫色だが喪の期間だけは「萱草色(かんぞういろ、かんぞいろ)」のものを着用する。これはこの花が「忘れ草」と呼ばれて別離の悲しみを癒すとされたからである。

 また喪中に手紙を贈ったり、死者と関係はあるものの特別深い喪に服すことも無い人の場合は、灰色がかった青色「青鈍(あおにび)」や紫色「紫鈍(むらさきにび)」などの料紙や喪服を使う人もいた。夫と死別するなどして在宅のまま出家した貴族女性の場合なども、華やかな衣装こそ着ないものの「青鈍」などでそれなりに美しく装う。

写真:鈍色