2010.9/9 818
四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(37)
この近くの薫の荘園の管理をしている人々のところへ、家来が、薫の許可なく馬の飼料を取りに行かせましたところ、荘園の人々が薫にご挨拶にと、大勢参上申されましたので、薫はきまりが悪く、弁の君に用事があって来たように誤魔化して、平素もこのように姫君達にお仕え申し上げるように、などとお言い付けになって、京へお発ちになったのでした。
年が代わったので、
「空の気色もうららかなるに、汀の氷とけたるを、あり難くも、とながめ給ふ。聖の坊より『雪消えに摘みて侍るなり』とて、沢の芹、蕨など奉りたり。いもひの御台に参れる、所につけては、かかる草木の気色に従ひて、行きかふ月日のしるしも見ゆるこそをかしけれ、など、人々の言ふを、何のをかしきならむ、と聞き給ふ」
――空の景色もほのぼのと明るく、岸辺の氷も解け始めた様子に、生き難いこの世を、まあよく生きてきたことよ、と姫君達はつくづくとご覧になっていらっしゃる。山の阿闇梨の庵室から「雪の間から摘んだのでございますが」と、芹や蕨などが献上されます。仏前の精進のお膳に盛ってありますのを、こういう場所では芹や蕨などで、移り変わる季節が感じられて面白い、などと侍女たちが言うのを、姫君達は、何がいったい面白いのかしら、と思ってお聞きになっていらっしゃる――
大君の歌
(歌)「君がをる峰のわらびと見ましかば知られやせまし春のしるしも」
――これがもし父君の折られた峰の蕨なら、春のしるしとも思い知られましょうに(折るに居るをかけた)
中の君の歌
(歌)「雪深きみぎはのこぜり誰がために摘みかはやさむ親なしにして」
――雪深い汀(みぎわ)に小芹が萌えても、親のないわたし共は、いったい誰の為に摘んで楽しみましょう――
などと、お互いに寂しさを紛らわしながら、明かし暮らしておいでになります。
「中納言殿よりも宮よりも、折すぐさずとぶらひきこえ給ふ。うるさく何となきこと多かるやうなれば、例の書きもらしたるなめり」
――薫中納言殿からも、匂宮からも、時期を外さずにご挨拶申されます。(その人々の消息もここに記すべきでしょうが)ごたごたと何でもないような事が書いてあるらしいので、例によって書きもらしたのでしょう――
◆写真:早蕨(さわらび)
四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(37)
この近くの薫の荘園の管理をしている人々のところへ、家来が、薫の許可なく馬の飼料を取りに行かせましたところ、荘園の人々が薫にご挨拶にと、大勢参上申されましたので、薫はきまりが悪く、弁の君に用事があって来たように誤魔化して、平素もこのように姫君達にお仕え申し上げるように、などとお言い付けになって、京へお発ちになったのでした。
年が代わったので、
「空の気色もうららかなるに、汀の氷とけたるを、あり難くも、とながめ給ふ。聖の坊より『雪消えに摘みて侍るなり』とて、沢の芹、蕨など奉りたり。いもひの御台に参れる、所につけては、かかる草木の気色に従ひて、行きかふ月日のしるしも見ゆるこそをかしけれ、など、人々の言ふを、何のをかしきならむ、と聞き給ふ」
――空の景色もほのぼのと明るく、岸辺の氷も解け始めた様子に、生き難いこの世を、まあよく生きてきたことよ、と姫君達はつくづくとご覧になっていらっしゃる。山の阿闇梨の庵室から「雪の間から摘んだのでございますが」と、芹や蕨などが献上されます。仏前の精進のお膳に盛ってありますのを、こういう場所では芹や蕨などで、移り変わる季節が感じられて面白い、などと侍女たちが言うのを、姫君達は、何がいったい面白いのかしら、と思ってお聞きになっていらっしゃる――
大君の歌
(歌)「君がをる峰のわらびと見ましかば知られやせまし春のしるしも」
――これがもし父君の折られた峰の蕨なら、春のしるしとも思い知られましょうに(折るに居るをかけた)
中の君の歌
(歌)「雪深きみぎはのこぜり誰がために摘みかはやさむ親なしにして」
――雪深い汀(みぎわ)に小芹が萌えても、親のないわたし共は、いったい誰の為に摘んで楽しみましょう――
などと、お互いに寂しさを紛らわしながら、明かし暮らしておいでになります。
「中納言殿よりも宮よりも、折すぐさずとぶらひきこえ給ふ。うるさく何となきこと多かるやうなれば、例の書きもらしたるなめり」
――薫中納言殿からも、匂宮からも、時期を外さずにご挨拶申されます。(その人々の消息もここに記すべきでしょうが)ごたごたと何でもないような事が書いてあるらしいので、例によって書きもらしたのでしょう――
◆写真:早蕨(さわらび)