永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(わすれ草)

2010年09月15日 | Weblog
◆忘れ草(ヤブカンゾウ)

 初夏、水田の畦や川岸・溝などの比較的湿った場所に(丁度秋のヒガンバナのような感じで)濃いオ レンジ色の花が咲いているのが目を引きます。近付いて見ると、花は八重で、ユリに似ていますが、ユリほど整っておらず、丈は意外に高くて1mをこえ、茎も太くてしっかりしています。葉も立派でショウブのようです。
 
 この花はヤブカンゾウです。同じ仲間にノカンゾウ、キスゲなどがあり、花も似ています。 これらはユリ科のワスレグサ属で、古典に見える「忘れ草」はこれらの総称です。
 
 カンゾウは「萱草」と書きます。中国ではこの花は「忘憂草」とも呼ばれ、古くから憂いを忘れさせる力があるとされています。忘れな草とは全く違う花。

◆写真:野に咲く忘れ草

源氏物語を読んできて(820)

2010年09月13日 | Weblog
2010.9/13  820

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(39)

「御心にあまり給ひては、ただ中納言を、とざまかうざまに責めうらみ聞こえ給へば、をかしと思ひながら、いとうけばりたる後見顔にうち答へきこえて、あだめいたる御心ざまをも、見あらはす時々は、『いかでか、かからむには』など、申し給へば、宮も御心づかひし給ふべし」
――(匂宮は)ご自分の気持ちを持て余しては、ただ薫をあれやらこれやらとお責めになったり、恨んだりなさるので、薫は可笑しいのを我慢しながら、姫君達のことを全部取り仕切った世話役のような態度でお答えになっては、そのような浮気心では「姫君達をご紹介なんて、とてもとても」と、申し上げますと、匂宮もずいぶんとお心をお遣いなさるようです――

 「心にかなふあたりを、まだ見つけぬ程ぞや」
――(私の浮気も)気に入った女を見つけられない間だけのことですよ――

 と、苦しい言い訳をなさっています。

 その頃(匂宮25歳、薫24歳)

「大殿の六の君を思し入れぬこと、なまうらめしげに、大臣もおぼしたりけり。されど、『ゆかしげなき中らひなる中にも、大臣のことごとしくわづらはしくて、何事のまぎれをも見咎められむがむつかしき』と、下にはのたまひて、すまひ給ふ」
――夕霧左大臣家では、六の君を、かねてから匂宮に差し上げたいとお考えですのに、肝心の宮がどうも気に染まぬご様子なのを、全く心外なことと苦々しく思っていらっしゃいます。匂宮としては「六の君とは、今更心惹かれる間柄と言うわけでもなく(従兄妹同志)、その上夕霧は重々しくも鬱陶しく、ちょっとの浮気などまで咎められるのが厄介だ」と、内々ではおっしゃっておられて、ご縁組を辞退なさっていらっしゃるのでした――

◆うけばりたる後見顔(うしろみがお)=わがもの顔にふるまうお世話役

◆すまひ給ふ=辞まひ給ふ=辞退申し上げる

◆夕霧左大臣家の六の君=夕霧と藤典侍の姫君。評判の器量よし。

◆写真:忘れ草

では9/15に。



源氏物語を読んできて(萱草色)

2010年09月13日 | Weblog
 萱草色(かんぞういろ)とは、ワスレグサの花の色。やや淡い赤味の黄赤。
クチナシあるいはキハダの黄色と、スオウもしくはベニバナの赤色を掛け合わせて染めた色。 萱草の別名は忘れ草といい、別離の悲しみを忘れさせる花として喪の色とされた。ただし、クチナシとベニバナの組み合わせは禁色のひとつである黄丹と同じ配合であるため、喪の色である萱草色に使うのは避けられた。喪中の女子の袴はこの萱草色である。また表に萱草色裏に萱草色の重ねの色目は『萱草の襲』といって喪服に用いる。

 ◆写真:萱草色

源氏物語を読んできて(819)

2010年09月11日 | Weblog
2010.9/11  819

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(38)

「花ざかりの頃、宮かざしを思し出でて、その折見聞き給ひし君達なども『いとゆゑありし親王の御住ひを、またも見ずなりにしこと』など、大方のあはれを口々きこゆるに、いとゆかしう思されけり」
――桜の咲く頃になって、匂宮は、挿頭(かざし)の歌を詠んだいつかの頃を思い出されて、またその頃お供をした貴公子方も「由緒のありました八の宮の山荘をお訪ねせぬままになってしまって」などと、残念そうに口々に申し上げますし、匂宮も姫君たちを是非見てみたい、とお思いになります――

 早速御文をお書きになって、

(歌)「つてに見しやどの桜をこのはるはかすみへだてず折りてかざさむ」
――去年の春、ことのついでに見ました山荘の桜を、今年の春は、隔てるものなく、直接折って髪にかざしたいものです(隔てるものなく=父君も亡くなられて)――

 と、お心のままに述べられます。中の君は、

「あるまじき事かな、と見給ひながら、いとつれづれなる程に、見所ある御文の、上べばかりを持て消たじ」
――とんでもないことをおっしゃるわ、と姫君たちはお手紙をご覧になりながらも、つれづれの折から、ご立派な御文の体面だけでも興ざめにならぬように立てて差し上げねば、と、――

 中の君がお返事を差し上げます。

(歌)「いづくとかたづねて折らむ墨染にかすみこめたるやどのさくらを」
――どこと訪ねて折るおつもりですか、墨色に霞が包んでいる宿の桜のような喪中の私たちですのに――

 匂宮は、姫君の返歌をごらんになって、

「なほかくさしはなち、つれなき御気色のみ見ゆれば、まことに心憂しと思しわたる」
――やはりこうして相も変わらず素っ気ないご様子なので、匂宮は心底辛く思い悩んでいらっしゃいます――

◆折りてかざさむ=私の物にしたい。契りを結びたい。かなり際どい表現で品に欠ける。

◆さしはなち=差し放つ=(さし)は接頭語。相手にしない。遠ざける。

◆写真:三室戸寺本殿。現在も紫陽花と蓮で有名なこの寺は西国巡りの札所としても、全国各地から四季を通して大勢の参拝客が絶えない。

では9/13に。

源氏物語を読んできて(鈍色)

2010年09月11日 | Weblog
◆鈍色(にびいろ、にぶいろ)

 鈍色とは濃い灰色のこと。平安時代には灰色一般の名称であったが、のちに灰色、鼠色にその座を取って代わられた。

 鈍とは刃物などが切れなくなる事などを指す「鈍る」が語源。古語では「灰色がかっている~」という意味で「にばめる~」という。喪の色、あるいは出家の色として平安文学には頻繁に登場する。よく「墨染め」とは言うものの、普通は草木染でタンニンを多く含む矢車という植物を鉄で媒染して染める。

◆喪の色
 現在の葬儀の色は黒と白だが、平安貴族にとって灰色(鈍色)は喪に欠かせないものだった。遺族は死者との関係性に従って定められた喪に服すが、両親や夫に先立たれた場合は特に長い期間喪に服し喪服もより濃い鈍色のものを着る。女性の場合、普通の袴は紅色か紫色だが喪の期間だけは「萱草色(かんぞういろ、かんぞいろ)」のものを着用する。これはこの花が「忘れ草」と呼ばれて別離の悲しみを癒すとされたからである。

 また喪中に手紙を贈ったり、死者と関係はあるものの特別深い喪に服すことも無い人の場合は、灰色がかった青色「青鈍(あおにび)」や紫色「紫鈍(むらさきにび)」などの料紙や喪服を使う人もいた。夫と死別するなどして在宅のまま出家した貴族女性の場合なども、華やかな衣装こそ着ないものの「青鈍」などでそれなりに美しく装う。

写真:鈍色


源氏物語を読んできて(818)

2010年09月09日 | Weblog
2010.9/9  818

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(37)

 この近くの薫の荘園の管理をしている人々のところへ、家来が、薫の許可なく馬の飼料を取りに行かせましたところ、荘園の人々が薫にご挨拶にと、大勢参上申されましたので、薫はきまりが悪く、弁の君に用事があって来たように誤魔化して、平素もこのように姫君達にお仕え申し上げるように、などとお言い付けになって、京へお発ちになったのでした。

年が代わったので、

「空の気色もうららかなるに、汀の氷とけたるを、あり難くも、とながめ給ふ。聖の坊より『雪消えに摘みて侍るなり』とて、沢の芹、蕨など奉りたり。いもひの御台に参れる、所につけては、かかる草木の気色に従ひて、行きかふ月日のしるしも見ゆるこそをかしけれ、など、人々の言ふを、何のをかしきならむ、と聞き給ふ」
――空の景色もほのぼのと明るく、岸辺の氷も解け始めた様子に、生き難いこの世を、まあよく生きてきたことよ、と姫君達はつくづくとご覧になっていらっしゃる。山の阿闇梨の庵室から「雪の間から摘んだのでございますが」と、芹や蕨などが献上されます。仏前の精進のお膳に盛ってありますのを、こういう場所では芹や蕨などで、移り変わる季節が感じられて面白い、などと侍女たちが言うのを、姫君達は、何がいったい面白いのかしら、と思ってお聞きになっていらっしゃる――

 大君の歌

(歌)「君がをる峰のわらびと見ましかば知られやせまし春のしるしも」
――これがもし父君の折られた峰の蕨なら、春のしるしとも思い知られましょうに(折るに居るをかけた)

 中の君の歌

(歌)「雪深きみぎはのこぜり誰がために摘みかはやさむ親なしにして」
――雪深い汀(みぎわ)に小芹が萌えても、親のないわたし共は、いったい誰の為に摘んで楽しみましょう――

 などと、お互いに寂しさを紛らわしながら、明かし暮らしておいでになります。

「中納言殿よりも宮よりも、折すぐさずとぶらひきこえ給ふ。うるさく何となきこと多かるやうなれば、例の書きもらしたるなめり」
――薫中納言殿からも、匂宮からも、時期を外さずにご挨拶申されます。(その人々の消息もここに記すべきでしょうが)ごたごたと何でもないような事が書いてあるらしいので、例によって書きもらしたのでしょう――

◆写真:早蕨(さわらび)

源氏物語を読んできて((蕨)

2010年09月09日 | Weblog
蕨(わらび)
イノモトソウ科の常緑性シダ植物。疎林や日当たりのよい山地に生え、早春、先端がこぶし状に巻いた新芽が地下の根茎上から直立して生い出る。これを山菜として食用にする。葉は三回羽状に分裂。羽片の縁が下面に巻きこんで、胞子嚢(のう)群がつく。根茎から蕨粉をとる。

源氏物語を読んできて(817)

2010年09月07日 | Weblog
2010.9/7  817

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(36)

「けざやかに、いともの遠くすみたるさまには見え給はねど、今やうの若人たちのやうに、えんげにももてなさで、いと目安くのどかなる心ばへならむとぞ、おしはかられ給ふ人の御けはひなる。かうこそはあらまほしけれ、と、思ふにたがはぬ心地し給ふ」
――(大君は)特に際立って近寄りにくく取り澄ましたご様子には見えませんが、今時の若い女たちのように、媚びた風なご態度もなく、ごく自然でおおらかなお人柄とお見受けされます。こうあって欲しいと思っていたことと違わぬ御方であると、薫は思うのでした――

「ことに触れて気色ばみよるも、知らず顔なるさまにのみもてなし給へば、心恥かしうて、むかし物語などをぞ、ものまめやかに聞こえ給ふ」
――(薫が)ことに触れて胸の内を仄めかされますのも大君は気付かぬふりを通していらっしゃるので、薫は極まりが悪く、仕方なしにただ昔の話などを仔細らしくお話になるのでした――

 供人が「日が暮れてしまいましたら、雪がますますひどくなって、空が塞がりそうでございます」と咳払いをしながらご帰京を促しますので、薫はお立ちになりながら、

「『心苦しう見めぐらさるる御住ひのさまなりや。ただ山里のやうにいといと静かなる所の、人も行きまじらぬ、侍るを、さも思しかけば、いかにうれしく侍らむ』など宣ふも、いとめでたかるべきことかな、と片耳に聞きて、うち笑む女ばらのあるを、中の宮は、いと見苦しう、いかにさやうにはあるべきぞ、と見聞き居給へり」
――「お気の毒にと、見まわさずにはいられぬお住いのご様子ですね。実は、京にまるで山里のようにとても静かで、人も行き来しない家がありますのを、そこにとでも思い立たれますならば、どんなに嬉しいでしょう」とおっしゃるのを、「そうなればどんなに嬉しいことかしら」と小耳にはさんだ侍女たちが、思わず顔をほころばせているのを、中の君は「まあ、なんと物欲しそうな。そんなことある筈がありましょうか」と思っていらっしゃいます――

 お帰りに先立って、薫が、八の宮の生前のお部屋を案内させてお入りになりますと、

「塵いたう積りて、仏のみぞ、花のかざり衰へず、行き給ひけりと見ゆる御床など取りやりて、かき払ひたり。本意をも遂げば、と契り聞こえしこと思し出でて、(歌)『立ちよらむかげとたのみし椎が本むなしき床になりにけるかな』とて、柱に寄り居給へるをも、若き人々はのぞきてめで奉る」
――塵が積もって、仏像ばかりは金銀の飾りが色あせず、八の宮が勤行されたと見えます御床などは取り除いて片づけてあります。自分が出家の望みを遂げるならば、八の宮を師と頼もうとお約束申し上げました事などを思いだされて、(歌)「出家のあとの師と頼みにしました八の宮は、すでに空しくなってしまわれたことよ」と、柱に寄りかかっていらっしゃるお姿を、若い侍女たちが覗きみて、何とお美しく艶な御方でしょうと、囁き合っています――

◆椎が本=宇津保より「優婆塞(うばそく)が行ふ山の椎が本あなそばそばし床にしあらねば」(優婆塞(うばそく)が行う山の椎の木の下は、ああ、角ばっているよ、寝床ではないから)による。椎が本に八の宮を譬えた。

◆優婆塞(うばそく)=在俗のまま仏門にはいった男

では9/9に。

源氏物語を読んできて(816)

2010年09月05日 | Weblog
2010.9/5  816

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(35)

 薫がさらに、

「ほのかに宣ふさまも侍めりしを、いさや、それも人のわき聞こえ難きことなり。御かへりなどは、いづかたにかは聞こえ給ふ」
――匂宮から中の君にちょっとお便りされることもおありだったようで。さあ、それも(ご姉妹のどちらが目的か)はたでは判断申しにくいことです。ご返事などはどなたがなさるのでしょう――

 と、思いがけない薫のお問いかけに、大君はお心の内で、

「ようぞたはぶれにも聞こえざりける、何となけれど、かうのたまふにも、いかにはづかしう胸つぶれまし」
――よくぞ迂闊にもお返事申し上げないでいたことよ。格別どうということもないけれど、もしお返事していたならば、どんなに恥ずかしく胸つぶれる思いであったことよ――

 と、思われてお返事もお出来になれません。そこで歌を、

(歌)「雪ふかき山のかけはし君ならでまたふみかよふあとを見ぬかな」
――雪深い山の道に人が通わないように、私は貴方以外にはほかにお文を通わせたことはございません――

 と書いて差し出されますと、

「御ものあらがひこそ、なかなか心おかれ侍りぬべけれ」
――そのご弁解が、却って気にかかりますけれど――

 と、つづけて、

「(歌)『つららとぢこまふみしだく山川をしるべしがてらまづや渡らむ』然らばしも、影さへ見ゆるしるしも、浅うは侍らじ」
――(歌)「氷が張って、駒が踏みしだく宇治の山川を案内しながら、まず私が渡りましょう。」(匂宮を仲立ちするついでに、私は先に貴女と結ばれたい)それでこそ、こうしてお伺いする私の志も浅くはないのです――

 薫の思いをお聞きになって大君は、思いの外の成り行きに疎ましく、不愉快な気分になられて、これといったご返事もなさいません。

◆写真:大君に思いを告げに宇治の山荘を訪る薫

では9/7に。


源氏物語を読んできて(815)

2010年09月03日 | Weblog
2010.9/3  815

四十六帖 【椎本(しひがもと)の巻】 その(34)

 それから薫はつづけて、

「もし似つかはしく、さもやと思し寄らば、そのもてなしなどは、心の限り尽して仕うまつりなむかし。御中道のほど、みだり脚こそ痛からめ」
――もし匂宮を、似つかわしい夫君としてはどうかと思い立たれますならば、そのお取り持ちは私の力の及ぶ限りお骨折りもいたしましょう。またお仲人役としては、宇治と京の間を奔走いたしましょう。さぞかし脚が痛いでしょうが――

 と、真面目に話されますが、大君は、

「わが御みづからの事とは思しもかけず、人の親めきて答へむかし、と思しめぐらし給へど、なほ言ふべき言の葉もなき心地して、『いかにとかは。かけかけしげに宣ひつづくるに、なかなか聞こえむことも覚え侍らで』と、うち笑ひ給へるも、おいらかなるものから、けはひをかしう聞こゆ」
――このお話がご自分のこととは思ってはおらず、中の君の親代わりとしてお答えになろうと思い巡らしておいでになりますが、それでも何とお答えしたらよいものか、「何とお答え申し上げたらよいのでございましょう。お話がいかにも含みのある懸想じみた筋の多いおっしゃりようですので、却って申し上げる事もできませんで」と、慎ましげに微笑んでいらっしゃるご様子は、おっとりとした中に思慮深い才気のほどがしのばれるのでした――

 薫は、

「必ず御みづから聞こしめし負ふべき事も思う給へず。それは、雪を踏み分けて参り来る志ばかりを、御らんじわかむ御このかみ心にても、過ぐさせ給ひてよかし。かの御心よせは、また異にぞ侍べかめる」
――いえいえ今のお話は貴女が責を負われることではございません。貴女ご自身のことはといえば、雪を踏み分けて参上しました私の志だけを、ご理解になる御姉様のお心としてお過ごしください。匂宮が恋焦がれている方は貴女とは別の方のようでございますから――

では9/5に。