もうすぐ、祖母の命日。母代わりに育ててくれた祖母にいつもに感謝している。
いつも働いていた祖母。祖父の死で未亡人になったのが歳の時、農作業の傍ら、人の息子を育て、も建てた。
昔、父が大阪で会社を経営していた頃、祖母は、父の仕事の手伝いをしている母に変わり、幼い私の面倒をみるため、宮崎から年間手伝いに来てくれた。
土とともに生きた祖母。慣れない都会生活は、大変だったろう。
数年後、父は事業をたたみ祖母とともに帰郷。新聞紙を敷いて眠ったこと夜汽車の旅・・。今となっては良き思い出だ。
昭和39年。故郷宮崎で再スタート
幼い頃、祖母の行商について行った。野菜を積んだリアカーでいろんな町へ出かけた
帰りには田んぼ道で、祖母を乗せたりして遊んだこともあった。
ある時、市場へ野菜の代金をもらいに行ったときのこと。
代金を楽しみに祖母と袋を空けたら、中に入っていたのは円硬貨と明細書だけ。忘れない一コマ。
あれだけ苦労して育てたものが・・
「お金は大切に使えよ」が口癖だった祖母。
苦しい・キツイという言葉を聞いたことがなかった祖母が、病気で緊急入院したあの日漏らした苦悶の声・・・。
その時、心に決めた。それは「これからは祖母に精一杯尽くそう」ということ
亡くなるまでの数年間は、祖母へできる限りの優しさを尽くした。
だからという訳ではないけれど、お別れの日は、経験したことがないくらい涙がこぼれた・・。
そして、自分自身の人生の中で一番の熱くて悲しいラブレターを弔辞として、祖母へ送った。
気付いてみると孫を持つ世代になりつつある。人の強さ優しさ、逞しさ。後姿で教えてくれた祖母。そして今も思うのは、祖母がどこかで見守り助けてくれているという不思議な安心感。それが私の財産かもしれない。
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