小売市場判決と薬事法判決

2010-07-23 18:00:00 | 司法試験関連
超重要判例である,小売市場合憲判決と薬事法違憲判決。何度読んでも勉強になる判例ですが(特に後者),ちょいと頭の体操してみましょう。

両事件は,職業選択に関する事前抑制と言う「同じ類型」の事件です。ところが,用いられた審査基準は異なり,結論も合憲と違憲という真逆のものとなっているのはご存知の通り。

そこで,「同じ類型」なのになんで両極端の結論になったのか,改めて理由を考えてみて下さい。積極目的規制だから,消極目的規制だから,というだけではさすがに説得力はないですね。もう少し具体的に考えてみましょう。それぞれの「事案の特殊性」という観点から判決文を読み直してみる,ということですね。

規制態様も考慮すると言っても,両方とも参入規制型ですからこの点でも差は無いですね。
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人間は主観に囚われる

2010-07-23 15:43:08 | 雑感
最近強く感じるのが,実際問題,物事はネガティブにもポジティブにも両方解釈可能である,という事である。プラス評価もマイナス評価も見事に双方成り立ちうる。
どちらが正確な評価なのかはケース・バイ・ケースとしか言いようが無い。だから最近思うのは「あれこれ思案しても仕方がない」という実も蓋も無い理屈である。これは最近とみに感じるようになった。

一つの法則性として言えるのは,自分に自信が無い,不安な気持ちになっている,主導権を握れていない(相手方次第の場合とか),拘りの対象が代替性がない(もしくは低い)と言う時は,まぁ,すべからくマイナス評価の方をピックアップしてしまうという人間の哀しい性である。連続した事柄全ての評価をマイナス評価で考えてしまうからそりゃ凹むしテンション下がる。やる気も無くなる。「あー,何しても仕方がない」なんて最後にはなってくる。正に自分に選択権が無いという状況。この場合,それこそ自分ではどうしようもない,という状況なので不安になるのは当然だ。状況を自分でコントロールできないと思っているからだ。

でも,本当にそうなのか,と言ったら全然そんな事はないのが普通であろう。正に思い込みである。自分がネガティブ思考になっているから物事全てがマイナスに「見えてしまう」だけの話である。傍から見たら,「何してんだ一人相撲」状態。でも本人にしてみたら深刻である。人間くさいと言えばそれまでだが,それだけ精神状態に影響されると言うことである。客観的事実に影響されているわけではない。

こういう時は行動に気をつけないといけない。焦りは禁物である。足が地についていないときのジャッジほど後々自分の首を絞めるものもない。即断は禁物だ。こういうときは,まず思考を停止するのがいい。で,のぼーんとしてみる。考えるとネガティブになるのが主要原因なので,まず考えない。まるっきり考えないのが難しいのならば,意図的にプラス評価の理由付けを考えてみる。これはこういう風に捉えられるんじゃないか,こういう意味ではないのか,とひたすらプラス評価をしてみる。そうすると少し楽になってくる。この場合,プラスの評価が正しいか,マイナスの評価が正しいか等考えては駄目である。意味が無くなる。ひたすら,実はこういう風にも考えられるんじゃないか,こういう可能性もあるんじゃない,と良い方向にのみ徹底的に考えるのである。

普通の状態でも人間という生き物は精神的に不安定だ(安定していない,という程度の意味)。ましてや「受験生」と言う属性が加わるとえらい事になる。日々の感情のアップダウンは日常茶飯事。たかが答練の点数で「Top of the World!!」とオスカー受賞時のジェームズ・キャメロン並みに叫びたくなったかと思えば,「もう駄目だ,向いてないんだ,絶対無理だ」,なんてマリアナ海溝の底目指す勢いで意気消沈する。
気分が高揚しているときは,あまり調子に乗らないようにすればいいだけなのでまだ楽だが,実際には意気消沈する事の方が世の中多い。凹みモードの時で,何も考えない,プラスに考えてみる,という対症療法も効かないときはどうすんだぃと。

現代版若きウエルテルの悩み野郎吉野の行きついた結論は!

「じゃ,諦めんのかよ」という自問自答である。

一番のお薬。一旦現状を受け入れる,というのも意外に効き目があるように思う。
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