法と民意と司法権を無視する法相

2010-07-27 19:27:11 | 雑感
死刑判決確定後6カ月以内に執行命令を下さなければならない。しかし、千葉法相は昨年9月に鳩山内閣で大臣に就任して以来、一度も死刑執行命令にサインしていない。法相は人権派弁護士から政治家に転身し,大臣就任までは超党派議員による「死刑廃止を推進する議員連盟」のメンバーで、死刑反対論者というのは就任前から有名であった。

さてこの問題ですが,やはり由々しき事態と言えると思う。死刑廃止か存置かと言う議論はここでは置いておく。というか関係ない。問題にすべきは,法相の法の軽視,司法権の軽視の姿勢である。法による行政を完全に無視しており,法治国家の否定である。

どうしてもこの手の議論は,「なんだお前,死刑賛成なのか」という方向に行きがちで,おまけに「死刑賛成派」というレッテルは何だかネガティブなイメージがある。積極的に「人を殺せ」と言っているかのような印象がある。

しかしここでの問題はそういう問題ではない。単に法相の個人的信条ゆえに法執行を拒否しているのは誰の目にも明らかである。自己の信条を貫く為に法を完全に無視しているとしか言いようが無い。こんなのが法務大臣でいいのか,という問題である。例えば,国民世論として,死刑について真っ二つに割れているというのならまだ分からんでもないが,最新の産経新聞の世論調査では、「死刑制度は必要」が94%で、「法相は速やかに死刑執行命令を下すべき」が88%だったそうである。これをどう見ているのか。また,本気で死刑廃止を目指し問題提起したいのならば,死刑廃止法案を提出し国会で議論すべきである。それすらしていないで,ただ執行を控えるとは何事であろうか。

「(死刑判決確定後も)再審が起こされていないとか、心身に問題がないかも含め、死刑は慎重にならざるをえない刑罰だ」と述べたそうだが,これもおかしな話である。死刑確定囚は今109人いるが,109人全員が,再審を提起したり心身に問題を抱えているのであろうか。ならば法相は即刻109人全員について具体的事実を摘示して説明すべきである。また仮に死刑確定囚が自ら早期の刑執行を望んだ場合(実際以前いた),法相は執行するのだろうか。恐らく何だかんだ理由をつけて執行しないのではないか。これが問題なのである。死刑廃止・存置とは関係ない。政治的理由で議論は避けつつ,しかし個人的信条に基づいて法と確定判決を無視する姿勢が許されないと言う話である。

昨年の就任当時,この人がガチガチの死刑反対論者であることは知っていたので,いずれ顕在化する問題だと思っていた。恐らく「友愛」大好きバドライト鳩山の好みで(政権のイメージ優先で)就任させたのだろうとは思ったが,鳩はどうするつもりだったのか,というのは今でも気になるところである。いずれ政権のアキレス腱になるのは目に見えていた。まぁ,多分何にも考えていなかったのだろう。海兵隊の抑止力すら知らない最高権力者だったのだから。それとも前任者の鳩(弟)がガンガン死刑を執行していた事に対するあてつけだったのか。

おまけに肝心の法相がまさかの参議院選で落選である。一票の格差最大の「被害者」という皮肉なおまけつきだ。そんな落選した現職大臣を留任させるクアーズライト管も困った者だ。一人でも入れ替えがあれば人事問題に波及する為,残したに過ぎない。それも見え見えである。基本的に現在の民主党政権は,民意などもうどうでもいいのであろうか。自己保身しか考えていないし,政策は滅茶苦茶だ。

話を元に戻すと,現在未執行の死刑確定囚は109人おり、財政や収監スペースを圧迫しているのも事実である。そう,多額の税金がかかっているということも見逃せないのだ。これを「無駄遣い」と言い切るのは流石に躊躇を覚えるが,釈然としないのは事実である。

しかし,法相のこの態度,正当化(というか適法化)できるのかね。ちょっと酷いんじゃないかなぁ,って思う。死刑について異論がある以上,執行は控えるべきだ,というけれど死刑廃止法案が無理なら停止法案くらいは成立させた上で執行停止すべきだと思う。それが法治国家のルールなのではないだろうか。単に個人的信条を理由に執行停止をすることがいかん,という話である。この問題を死刑廃止・存置の話に摩り替えてはならないと思う。相当おかしな事になっている。
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The Pacific

2010-07-27 16:36:33 | 雑感
最近,WOWOWで「ザ・パシフィック」というTVミニシリーズの放送が始まった。ミニシリーズとは言うものの,全10回放送で総制作費200億円,スピルバーグとトムハンクスが製作総指揮という超豪華版である。TV番組に200億円かける辺りがアメリカのパワーだ。

何の話かというと,タイトルからして分かるように「太平洋戦争」が素材である。実は9年前にスピルバーグ&ハンクスは,第2次世界大戦の欧州戦線を素材にしたTVミニシリーズ「ザ・バンド・オブ・ブラザーズ」で大絶賛を浴びている。欧州戦線の次は太平洋戦線というわけだ。昨夜は第2回が放送され,タイトルは「ガダルカナル 後編」。実在の海兵隊員3名の手記をベースにした実話だ。バンド~もパシフィックも,とにかく見ていて「痛い」ドラマである。戦闘シーンが最大のウリではあるのだが,とにかく「痛い」。とことんリアルに戦闘シーンが再現されている。銃弾一発当たったらドンだけ痛いんだろうか,というのがビシビシ伝わってくる映像なのだ。空襲シーンもとてつもなく恐ろしい。ただ自分に当たらない事だけを祈るしかない。生死を分けるのは運だけだ。見ていて自分が戦場にいる錯覚に陥り,ハラハラドキドキどころではない。一瞬にして命が奪われる極限状態を見事に再現している映像である。見終わると徒労感すらでてくる。スピルバーグもハンクスもこのドラマで何を描きたいのか,という質問に対し,「色々ある」としつつ,「最も描きたかったのは,如何にして彼らが生還したかである」と言い切っていた。何故生還者が帰還後,社会に順応でなくなるのか,PTSDを患うのか,良心と狂気の合間に落ちていくのか。これらが全て,見れば分かるドラマというのは中々無い。

今回は太平洋戦線が素材であるから,当然「敵国」は大日本帝国ということになる。物凄い数の日本兵が毎回死んでいく。そういう意味では,欧州戦線を描いたバンド~より感情移入しにくいか,と思っていたのだが全然そうではない。映像はアメリカ兵の視点で描かれているが,見て思ったのは,最前線で命のやりとりをしている時には,アメリカ人も日本人もないということである。そこにあるのは,「人間」の生存本能だけだ。ただひたすら登場人物の生存を祈りたくなる,そういう極限状態が再現されている。日本人もアメリカ人も無い。たまたまアメリカ人の登場人物の視点で映像を追う事になるから,彼・彼らに生き残って欲しいと感じてしまうだけなのである。日本人視点で追えば逆になるということである。その意味で,反日映画でもなんでもないし,アメリカお得意の戦争賛歌映画でもなんでもない。これを見て感じるのは「戦争はよくない」ということだけである。かけがえの無い命を一瞬で奪われるからだ。スピルバーグが秀逸なのは,バンドも今回も,最前線の軍曹レベルの兵士を主役に据えている事である。しかも最激戦地に投入された部隊が主役だ。勝つも負けるも,鬼畜米英もジャップもない,あるのは「今日も生きて帰ること」だけなのである。如何にして生きて帰るか。そんな日が毎日続く無限地獄だ。当然,「何でこんな事をしなくてはいけないのか」という疑問が湧き上がってくる。兵士達は日に日にジャングルに飲み込まれていく。

戦争では「お題目」が良く語られる。ナチスや共産主義を食い止める,民主主義を守る,などである。司令部レベルでは国民意識を高めるために,プロパガンダが必要だ。しかし最前線の兵士には関係ない。「なんでそんなもののために殺しあわなければならないのか,自分は一体何をしているのか」という疑問にぶつかってしまう。それが精神を蝕んでいくのである。そこには栄光の勝利などない。自分が生きて帰るかどうかしかない。命を懸けて命を守るだけである。得る物など何も無い。

そういう意味で確かにこのドラマで描こうとしているのは強烈な「生」だ。今後物語はシリーズ後半に向けて,シリーズ最大の山場「ペリリュー島の激戦」3話連続放送に向けてひた走って行く。ペリリュー島で米軍は,序盤戦で日本軍の猛攻撃を受け,上陸部隊の第1海兵師団が全滅判定を受けるほど大打撃を被ることになる。海兵隊の司令官はこの結果に衝撃を受け心臓病を発病し,最終的には米軍勝利に終わるも,負傷者8000名以上,この他に精神異常を惹き起こした兵士が数千名を超えるという史上稀に見る大激戦となる。物語ではこの激戦に実際に参加した主人公の一人が精神を病んで行く過程が描かれる。日本側は数十名の生き残り兵士を除き,1万1000名近くが尊い命を落とし,玉砕作戦を決めた後,大本営に打電された「サクラサクラ」の6文字は,全ての日本兵がサクラのように命を散らした事伝えたものとして後世に伝えられる事になる。そしてシリーズ第9回では,終戦に向けて最後の「悲劇」沖縄戦が描かれる。

毎年夏になると戦争関連の本を読んだり,ドラマを集中的に見るようになる。やはり日本人として8月は特別な季節なのだと思う。なお,ペリリュー島は現在,パラオの名前で知られている。
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