acc-j茨城 山岳会日記

acc-j茨城
山でのあれこれ、便りにのせて


ただいま、acc-jでは新しい山の仲間を募集中です。

西上州・碧岩西稜

2024年12月07日 22時25分05秒 | 山行速報(アルパイン)

2024/12/3 西上州・碧岩西稜


あしひきの山のまにまに


晩秋から初冬にかけての山といえば、西上州
紅葉もさることながら、藪岩の小径を辿る楽しさがある

碧岩は西上州の奥深くに位置する尖塔
山裾に三段の滝を有し、ハイキングはもとよりクライミングも楽しめることから藪岩マニアから愛されている
初顔合わせのyukさんと息合わせに丁度いいかと、西稜へ行くことにした

碧岩西稜は12年前に一度辿ったことがある
この時も、登攀トレーニングとしての山行だった

朝集合で車を走らす
南牧村に入ると道に霜が降りていて路面が白い

勧能を過ぎて熊倉の登山口
さすがに平日、他の車はない
と思っていたら、歩き始める直前に一台駐車場に入ってきた

居合沢を縫うようにつけられた登山道を行く
丸太橋は今にも崩落しそうなものもあって、かなり怖い

三段の滝を眺めながら左岸を回り込んで滝上
ここから見える第一コルを見送って、ケルンと赤布あるルンゼを行く
ルンゼは所によってグズグズなので慎重に

岩壁に突き当たったところでロープを出して、コルへと向けて登り始める
フリクションも効くし、登山靴のままでも不安はない
コルに残置もあるけど、50mロープは半分も出ていないのでこれを見送り岩稜を右上
テラスとなった場所に残置があり、ここでピッチを切る

2ピッチ目はyukさんリード
一か所、高低差のある所を乗越すところが少し面白い

3ピッチ目をリードして岩リッジ手前で切る
この先は藪の斜面となるので一旦ロープを仕舞う

グイグイ登って、北西壁がよく見える場所を過ぎると再び岩場が現れる
ここが西稜の中でも一番すっきりとした岩場で、面白い所
ロープを出しながら「リードします?」と、yukさんに水を向けると「行きます!」とのこと

色々ルートはとれる所だけど、yukさんは右にトラバースしてから直上
いくつか残置もあるのだが、ぐらつく岩もあるので要注意

立ち木でピッチを切って、続く藪岩をひと登りで碧岩の頂
西上州の山々が一望できる

山頂からは南稜を下るのだが、急な岩場もあるので慎重に
不安があれば、懸垂下降したほうが良いだろう

径を大岩へと向かう
大岩からは、碧岩の尖塔が美しい
登っているときにはあまり感じられなかったトンガリがここで実感できる

神が御宿りし碧岩
そして、西上州の山波


あしひきの
山のまにまに
彷徨へば

巡り辿りて
ゆくへを思ふ


ありのままに歩く
自分と向き合う
そして、明日を想う

やはり、山は好い

sak

 


 


南会津・鬼が面山東面、角ノ沢

2024年11月10日 23時37分16秒 | 山行速報(沢)

2024/11/5 南会津 鬼が面山東面・只見沢~角ノ沢


「ちょっと、怖いこと言っていいですか?」
帰途の車中、私はパートナーにこう切り出した

残置のないルートに、日暮れギリギリの登攀終了
充実感に満たされながらも、下山は闇をついての行動となってしまった

パートナーのヘッデンの灯りはだいぶ先に見える
視界が効くうちに少し無理をして登山道に合流したその反動もあってか、足は重い
申し訳ないな、と思いながら疲れ果てないようにマイペースで歩く

径を照らすヘッデンの灯りは、その先で闇に消える
視界の端に白いものが舞う
雪か
どうりで寒いわけだ

あれは、その直後の事だった


※2023/11/1の鬼が面山東面

鬼が面山は南会津・浅草岳の南に位置し、東面に岩壁が峻立する
田子倉から浅草岳を目指す只見尾根でその全容を望むことができる
そこには突き出た尖塔や尾根があり、切れ込んだ谷からは幾筋にも沢が流れ下る

11月、錦秋の谷を詰めて岩を攀じる
それが今回の計画だ

昨年のハイクで大まかな地形は把握していた
とはいえ、どちらかというとマイナーな部類の岩場でもあって明瞭な痕跡や残置は期待できないだろう
もっとも、そういう山を欲しての山行だ


行先は、只見沢から乗越沢、角ルンゼ、角ノ沢のいずれかを遡ることとし、あとは現地での判断とした

前夜、只見駅まで
生憎の雨、それも本降りだ

5時に起床し、天気予報の確認
幸い雨は上がっている
田子倉登山口まで移動して身支度を整える
さすがにこの季節の朝は寒くて、明るくなるまで少し二度寝
7時出発

登山道を歩いて只見沢と幽ノ倉沢の出合に向けて藪下降
昨夜の雨で只見沢は水量が多い

最初のゴルジュ帯は少し手前から左岸を巻く
巻きの途中で支沢が横切り、そこから只見沢を見下ろすが、この先は傾斜も強くて悪そうなので、支沢の手前、立ち木を支点に懸垂下降で只見沢へ降りる

ゴルジュの只中の岩バンドへ降り立つ
今日の水量では、ゴルジュを抜けるのに泳ぎとなりそうだった

夏ならともかく、この季節に序盤でずぶ濡れになるのを嫌って懸垂下降したロープを頼りに登り返す
ところが手をかけた電子レンジ大の岩が剥がれて1mほど落ちる
ケガもなく淵に落ちることもなかったが、岩の直撃を受けたロープが損傷する
末端から1mほどの個所で山行に支障がなかったのは幸いだ

気を取り直して今度はロープを結んでトップロープ状態で登り返す
パートナーのazmさんは末端を結んでフォロー
改めて巻きを続け、横切る支沢を少し登ってから只見沢の上流に向けて藪を漕ぐ
開けた沢が望めるあたりから懸垂下降15mで只見沢に復帰

ゴーロを行くと幽ノ倉沢を分け、カワウソ返し
ここは右岸を巻く
すぐ手前のルンゼを上がるが小尾根に出るまでが少し悪い
もっと手前の支沢を上がったほうがよかったのかもしれない

ここを過ぎると穏やかな川原となり広川原
鬼が面山東面の岩場がワイドに展開する
曇天模様が残念ではあるが、それはそれで幻想的な光景だった

ここからしばらくは平和的な沢登となるが、時に腰上まで没する場面もある

三俣に着いて、この先のルートを協議する
スタートも遅めだったことや小雨のぱらつく天候懸念も踏まえて、角ノ沢へ入ることとした

三俣を中俣へ進んで程なく角ノ沢に出合う
角ノ沢序盤はゴーロの急登
気温も上がらぬまま、腰下を冷やしたことで大腿部が時に攣る
ゆっくり登って体を温めながら行く

2段7m程の滝場で少し苦労するが、ショルダーで抜ける
程なく行くと景観は広がり、鬼ノ角や針峰群に挟まれたスラブと草付に滝場が見える

最初にトイ状があるのだが、なんだか滑りそう
ここでロープを出そうとも思ったがそれを見送って左のゴーロを進むと、ここにもトイ状
さらに左には緩傾斜の沢筋が続く

見る限りこの上部は岩壁となっているので、いずれの流れを行っても最後は岩壁を登ることになるのだろう
ならば、緩傾斜(左)の流れを詰めて右小尾根に乗って岩壁を目指せば容易かと進路を定める

しかし、これが奮戦の始まりだった
まず小尾根の乗越、草付トラバースに非常に苦労した
夏でこそ使える草も晩秋となっては、ただの「藁」
とてもホールドに使えるものではない
面倒がってチェーンスパイクを装着しなかったことを後悔するとともにパートナーにはチェーンスパイクの装着を指示した

バイルと藁を騙し騙し使って小尾根に乗る
さすがにロープの必要性を感じ、パートナーにロープを投げる
小尾根からは草付きのクライムダウン
お尻を少しづつ滑らせながら行くが、念のためバイルを草付きに打って支点としてロワーダウンの要領で少しずつロープを繰り出してもらう

何とかスラブに到達すれば、あとはフリクションが効く
スラブをトラバースして少し登り返す
集塊岩の凸岩を足場にボディビレイでコールを送る

パートナーは草付きが苦手のようだったがなんとか小尾根に上がって、支点としていたバイルを回収
ダブルバイルで草付きを下るが、途中からは尻セードで滑り降りる
こちらはこちらで着地の衝撃がかからぬよう素早くロープを手繰る

ここは、明らかにルーファイミス
なんとかリカバリーできたものの、最初のトイ状を行くべきだった

そこからもう一つ右の尾根を乗越て沢筋を詰めると被った岩場の基部
基部のバンドを左にトラバースして草付尾根に乗って小さく巻くと垂直の岩場

垂直とはいえホールドスタンスが豊富なので慎重に行けば困難はない
10m程上がって右へトラバースする
岩場を回り込むとルンゼ状が鬼ノ角の右、ムジナのコルへと続いているのが見えた

このルンゼは悪いので、右の岩稜に乗って詰めていく
テラスに出ていったん区切る
ここから上部は傾斜も落ち着くので、ロープを出さずに行く

この時点で16時半
なんとか、闇に沈む前に稜線の登山道へと出たい
時に痙攣する大腿筋を酷使して脆い岩場、そして最後の藪を力任せにひと登り
なんとか登山道へ出ることができた

うっすらとパートナーの顔が見えた
安堵か、それとも楽しかったと心底思っているのか、緩んだ表情が見て取れた
それは、私とて同じだった

装備を整え、登山道を行く
あとは愚直に足を前に出すだけだ

残置のないルートに、日暮れギリギリの登攀終了
充実感に満たされながらも、下山は闇をついての行動となってしまった

パートナーのヘッデンの灯りはだいぶ先に見える
視界が効くうちに少し無理をして登山道に合流したその反動もあってか、足は重い
申し訳ないな、と思いながら疲れ果てないようにマイペースで歩く

径を照らすヘッデンの灯りは、その先で闇に消える
視界の端に白いものが舞う
雪か
どうりで寒いわけだ

そして、浅草岳
山頂直前、視線の先にパートナーのヘッデンが見える

1つ、いや2つ?

「こんな時間に、ほかにも誰かいるんだ」と少々驚いた
足元を見ながら山頂標に達し、顔を上げるとそこにいたのはパートナーただ一人

あれ?
あの灯りは自分のヘッドランプが何かに反射でもしたのかな?
その時はそう思った

言葉を失っていると、パートナーが言った

「只見尾根にヘッデンが2つ見えましたよ。結構近かったですね」

そう聞いて、私もその灯りを探した
確かに遠く灯りは見えるが、あれはおそらく田子倉の街路灯だろう

「稜線歩いているときから見えましたね。登っているのか下っているのかわかりませんが、なんか、こっちを見ているようでした」


不思議な出来事はそれを口にしてしまうことで「その世界」に迷い込んでしまう
そんな気がして私が見た灯りのことは、無事下山するまで黙っておくことにした


只見尾根はしっかりした踏み後で迷うことはない
昨年11月の水晶尾根での下山路とは大違い

雪は途中で雨となり、降りもひどくなってくる
メガネが曇って苦慮するも、パートナーの協力もあって何とか無事に歩を進める

浅草岳から見えた田子倉の街路灯が目の前に見える
駐車場に着いて、ほっと一息

「11月はヘッデンの季節ですね」
そんな軽口で互いの健闘を労いながらも、山頂での出来事が疑問として残っていた
もちろん、疲れていた私の幻視だったのかもしれない
それでも、いったいあれは何だったのだろうと考えてしまうのだ

山にまつわる逸話は多い
念の集う場所には歓喜もあれば、悲劇もある
不思議な話があったとしてもおかしくはない

互いに信じた仲間がいる
想いを分け合う人がいる

悪鬼、神鬼、怨鬼、才鬼
人と対峙する畏怖がその存在を作り出す
時空を超えて波長が共鳴することだってあるのかもしれない

そうして帰途の車中、私は山頂での出来事をパートナーに切り出すのだ


sak


 

 


明星山P6南壁フリースピリッツ

2024年10月20日 05時41分16秒 | 山行速報(アルパイン)

2024/10/5-6 明星山P6南壁フリースピリッツ


sztさんから計画を聞いたとき、これに乗らないわけにはいかないと思った
これがラストチャンスになるかもしれない

仕事のことなど後で考えればいい
そこには、過去の後悔があった

あれは何年前だったろう
明星山・ACC-J直上ルートの開拓に携わったガストンさんにこのルートへ誘われたことがあった
まだまだ、前時代的な労働環境が色濃かった頃の話だ
平日休の私にとって、土日の登攀に参加することは困難であった

今まで、そんな仕事を何度恨めしく思ったことか
否、それを言い訳にして挑まなかったのは自分だったと、今になって思う
忌むべきは、あの時の自分自身だ

時は流れ、巡ってきたこの好機
湿原系沢屋に傾倒した最近の私にとって、フリーマルチは心理的ハードルが少々高めではある
気軽な山ではない、という緊張感があった


前夜、展望台のある駐車場まで入り車中泊
隣には少し前に着いたと思しきパーティーが幕を張っている途中であった

3時間ほどの仮眠
5時に起床するが、天気はどんより霧雨が舞う

この時点で今日の登攀は停滞ムード
装備を付けて万全の態勢となっていた隣のパーティーも「様子見」とのことだった

明るくなって岩壁を偵察するといたるところが濡れている
天候は回復傾向であるものの、より条件の良い明日の予備日に登攀することし今日は停滞
午後に取付きまで偵察に行くことにして、それまでは糸魚川の街に出たり、海を眺めたり、温泉に浸かって過ごす

昼過ぎに展望台まで戻ってお昼を食しながら岩壁を観察
だいぶ乾いてきているが、染み出しはまだ多い
偵察で下降路の確認と小滝川の状況、取り付きの確認
幸い、小滝川の水量は少なく渡渉の必要はなかった

他にやることもないため、車を走らせてフォッサマグナ(糸魚川ー静岡構造線)の断層見物や買い出しでまったりと過ごす
展望台に戻ったら、早々に食事をとってあとは寝るだけ
昨夜の寝不足を解消すべく、17時前には寝袋に入り12時間ほど眠りに入る


翌朝、雲の合間に星も見えて雨はなさそう
駐車場には昨日とは違う車が1台
私たちが準備をしていると、すでに準備は整っていたらしく早々に出発していった

アプローチは土産物屋(営業はしていない)から舗装路を左に少し降りた凸凹ガードの始まりから藪をかき分けて下る
次第に踏み後も明瞭となり小滝川に至る
下流に向かって河原をしばらく歩くと大岩が3つ連なっている
フィックスロープは切れているがいい目印になる
1つ目の岩からジャンプで2つ目へ渡って、あとは川原に降りる

岩壁基部を右に10mほどでリングボルトが1本打たれた箇所が取り付き
その先のリングボルト2本まで行くと行き過ぎというのは、予習済み

先行パーティーも同ルートとのこと
先行Pのフォローを見送り、適度な間隔が開いたら打合せ通りsakが先行、以下ツルベで登攀開始

1P:Ⅲ:40m、リード
草付き、ブッシュの岩場を左上
中間支点はブッシュで取り、ピッチの終了点は明瞭

2P:Ⅳ-:20m、フォロー
出だし3m程の小垂壁を越え、スラブバンドを左へトラバース

3P:Ⅴ+:30m、リード
スラブから真上の凹角をウメボシ岩に向かって登る
左上にフレークがあり、それを使って右上
一歩、スラブのちょっとした窪みに足を置くと安定する

4P:Ⅳ+:30m、フォロー
凹状を少し登り三角形の岩の頂点からスラブを下りトラバース
このスラブ下り数mが濡れていて、非常に怖かった
ここしかないと思われる窪みに足を置いてあとは滑らないことを祈りながら体重を乗せる
トラバース後は簡単なバンドを右上しハング下までバンドを右上

5P:Ⅴ-:20m、リード
ハング下のスラブを左へトラバースしウメボシ岩直下まで

6P:Ⅴ+:15m、フォロー
急な凹角を登りウメボシ岩を左から乗越し、岩を抱えながら下り気味にトラバース
ウメボシ岩の乗越は後ろにあるスタンスを使えば登りやすい
トラバースの初め、岩を抱えて一段降りるところは足場が見えないが、スタンスはあるとリードのsztさんが教えてくれた

sztさんと初めて山に行ったのは2014年11月
西上州の大津という、いわゆる「藪岩ルート」だった

それから、一ノ倉二の沢本谷3ルンゼ幽ノ沢左俣滝沢大滝などでロープを結んだ
彼にとってアルパインクライミングはどのように映ったか
今となっては聞くこともないが、彼自身の研鑽と継続によって今もこうして明星P6南壁の只中で共にいる

現在、私の技術は彼に及ばないのが現実で、できることといえば経験則によるルート考察だろう
技術と考察
共に作り上げるというのが、何よりも尊い

7P:Ⅴ+:30m、リード
頭上のフレークを越え右に見えるカンテを越えフェースを直上、上に見えるハングまで
出だしで少々左に行ってしまい、右へと移動するのに苦労しA0(残念!)

8P:Ⅳ+:40m、フォロー
ハング右下の切れ目凹角を越え、緩傾斜のスラブを直上

9P:Ⅴ:30m、リード
ハングの間、カンテ左裏に有る凹角へラインを取る
クラック伝いに登る為ホールドは少なくジャムとバックアンドフットで登る
支点も見当たらずカムが必要
凹角を抜ければ左上する中央バンド緩傾斜帯

10P:Ⅱ:20m、フォロー
中央バンドガレ場を登る
非常に不安定なガレ場で、ここでの落石は南壁基部に落ちるので慎重に
上部岩壁基部までくればひと休みできる

11P:Ⅲ:50m、リード
11-12ピッチは迷いやすいというのは予習で把握していた
パートナーと相談して以下のルートを選択した

への字ハング下の岩壁のもう一段下
いかにもⅢ級と思われる容易なバンド状緩傾斜を行く
次第に階段状の凹角となり、黒い垂壁を目指して右上、このあたりは容易だが支点少なくランナウト
少し上にリングボルト2本があるが、それを見送りハンガーボルトが2本打ってあるところまで進む

これが「正解」かどうかはわからない
手前のリングボルト2本がオリジナルとしては正解なのかもしれないが、12Pへ繋ぐ意味ではこのルートが合理的であると判断した
また、この場所はACC-J直上ルートと交差した場所というのも理由の一つであった

ACC-J直上ルートはこのP6南壁をほぼ直上する人工主体のルート
1970年にACC-Jによって拓かれた

ガストン氏は初登攀メンバーに名を連ねてはいないが主体的に開拓に携わっていた一人
彼がヨーロッパ遠征中にこのルートが完遂されたと聞く

初登攀の発表後、氏がACC-J直上ルートを完登したのは1977年
会報・なーげる8号(1977年)には「やっとACC-Jルートを登った喜びは大きい」と記されていた

その後、氏が故郷・茨城に移り創設したのが「ACC-J茨城」
初めはACC-Jの茨城支部という位置づけだった

後年、彼は明星山P6南壁に訪れた際、ACC-J直上ルートに取付くパーティを見てこう回顧した(R&V23号:1996年)

ルートというものは無形のものであるが、なにか自分の子供のように可愛く感じてしまうのだ。
できればそばに行って”ACC-Jルートを登ってくれてありがとう”と握手を求めたい心境である。
(中略)
このルートには私の青春がある。
それだけ情熱をかけたのだ。

でも、完登されたとき、私は海外登山で日本を留守にしていてメンバーに入れず、今でも少々悔しい思いが残っているのも事実なのだ。


その情熱と交差する場所に今立っている
時の経過とともに風化していくであろうルートの痕跡と自身の気力を前に、せめても会の先達が情熱を注いだ場所に立ちたい
私がこの登攀に込めた意義の一つでもあった

12P:Ⅴ-:30m、フォロー
11Pのラペルステーション(ハンガーボルト2本)から真上の凹角状を直上し中間部より左上する

13P:Ⅳ:30m、リード
凹角からパノラマバンドを左へトラバース
顕著なバンド下のスタンスを拾っていけば快適

14P:Ⅴ+:40m、フォロー
凹角から凹状左フェース、右にカンテ越え緩傾斜帯の草付きへ

凹状の左フェースがこのルートの核心かと思う
手足ともに細かくバランシー(力及ばず、A0で)
抜け口左にあるガバをとれれば、一気に体を上げられる

sztさんはロープが重く途中で切っていたので、sakがそのまま上がり上部の松の木まで
実質の登攀はここで終了

15P:Ⅱ:20m、リード
松の木から左へトラバース
岩交じりの安定した踏み後をリッジのテラスまで

16P:Ⅲ:20m、フォロー
リッジ通しに行く
途中の岩にスリングとカラビナの残置があり、本来14P終了点の松の木からここに上がると思われる
この先の岩塔は左を回り込む

17P:Ⅲ:20m、リード
岩塔左の基部から一段上がれば、左右どちらでもルートはとれそう
左は切れ落ちていそうだったので、安全第一で右から回り込むと南山稜の踏み後
ここから踏み後を少し下るとスリングの巻かれた松の木があって、そこでロープを外し靴を履き替える
いつものことながらこの瞬間はホッとする

下山は急な踏み後を行く
少し行くと左岩稜の大岩上の松の木が見えるのでそれを目指してクライムダウン
そこからはフィックスやピンクテープを目印に下るが、時に不明慮となる
あとは山屋の勘で踏み後を探しながら行くと導水管のある場所に出る
南山稜の松の木(靴を履き替えた所)から約1時間半だった

あとは導水管伝いに下り、小滝川は飛び石伝い
少し登り返して舗装路に出る
ここまでくれば駐車場までは一投足


「気持ちいい」
岩壁を仰ぎ見て、優しい風に吹かれながら想う

山は逃げないというけれど、時の経過からは逃れられない
それでも「行きたい」という気持ちに偽りはない

自由を手に入れろ
魂を磨き、解き放て

FREE SPIRITS


sak



↓動画も

 

~追記~

振り返ると、明星山の存在を教えてもらい気にかけ始めたのがもうかれこれ10年近く前。

3年前に展望台に立ち寄って南壁を目の当たりにし、具体的に登ろうと思ったのが1年くらい前の話。そのころには磨いていた登攀力はすっかりサビついていて、それからのサビ落としのトレーニング中は楽しい時間でもありました。

藪をつかみ、ヌンチャクをつかみと何でもありでスピードを意識しながら登り、10ピッチをこえるルートでしたがsakさんとお互い持っている良さを出し合ってまずまずのスピードで登りきることができたかな?と思っています。道中の運転は全部sakさんにお世話になって、無事に事故なく自宅まで戻ることができました。どうもありがとうございます。

それからサビ落としのトレーニングにお付き合いいただいた方々や、トレーニングの時間を融通してくれた家族にもお礼をお伝えしなければなりません。どうもありがとうございました。トレーニングはまだまだ続きそうなんですけどね、ムフフフフ、、、

同行者より


南会津・大津岐川一ノ沢~下ノ沢下降~ミノコクリ沢~中門沢

2024年10月14日 15時41分47秒 | 山行速報(沢)

2024/9/24-26 南会津・大津岐川一ノ沢~下ノ沢下降~ミノコクリ沢~中門沢

 

隣は何をする人ぞ


普段の私は「山」という趣味を身近な人たち ー特に職場の人たちー に発信していない
したがって、私が休日をどのように過ごしているかなど知る人物は少ない

最も、皆から興味を持たれているわけでもなく「ねぇねぇ、休日は何してるの?」なんて聞かれることもない
プライベートに深入りするのは、お互い慎重になる
まぁ、時代といえば、そういう時代でもある

おそらくはあまり面白味のない「無趣味人」
そんな風に映っているのかもしれない

転勤して約2か月
ようやく仕事にも周りの人との距離感にも慣れてきた
職場の少々希薄な人間関係をどう思うこともないのだが、ある日「独り時間が大好き」と公言する隣の席の同僚が珍しく話しかけてきた

「実は、休日に近所の店で独り昼めし食べながらビールを飲むのが好きなんです」
そういいながら、こちらに向けたスマホの画面には蕎麦と天婦羅、そして瓶ビールが写っていた

私は「いい趣味ですねぇ。楽しいだろうなぁ」と最大限の賛辞を示し、当の本人も大層満足そうだった

これは忖度でも社交辞令でもなく本心からの言葉だった
この後、風呂にでも入ったならこれはもう天国だろうな、とも思った
危うく明日からの山行の決意が揺らぐところであった

私は私でこの時とばかりに「実は、明日から趣味の山登りに行くんです」と応じることもできたが、刹那躊躇しその言葉を飲み込んだ
そしてその代わりにもう一度、心を込めて「羨ましいなぁ」と呟いてみせた


「いつかは中門沢」

会津朝日・駒山群にあっていつかは訪れたい場所の一つであった
御神楽沢ではなく中門沢を選んだのは、その秘境成分の濃さからである
しかしながら詰めあがる中門岳から会津駒は言わずと知れた人気スポットであるが故、足が向かなかったのも事実

9月の三連休
それが明けた日からの三日間

そのタイミングなら静かな山旅を堪能できるのではないか
そうして私は中門沢に向かった


2024/9/24

前夜、大津岐発電所まで
一ノ沢の林道を歩き取水堰から入渓

一ノ沢を少し下降して白沢岳北の鞍部に至る支流に入る
いくつかの滝を直登や軽い巻きでこなして鞍部に出る
藪はそれほど濃くない

鞍部をまたいで下ノ沢へと下降する
藪を頼りに下ると視界が開けてガレ場に出た
藪とのコンタクトラインを藪伝いに下っていくとやがて窪へと落ち込む

淡々と下っていき、途中で懸垂下降を2回
いずれも捨て縄があるので、ミノコクリへのアプローチとして使われているのだろう

中流部からは穏やかな渓相となって軽快に水を蹴りながら進む
天気も良く、気持ちのいい沢下降となった

やがて下ノ沢はミノコクリと合流する
ミノコクリは想像以上に水量が多く、白波を立てうねりながら流れ下っていた

遡行するには川縁を繋ぎながら進むほかない
途中に滝場やゴルジュ地形も出てくるが困難な滝登りや泳ぎ、大高巻きはなかった
歩くたびに逃げまどう魚たちを目で追いながら今日の夜を想う

金山沢を過ぎ、ウグイ沢(地形図では「ドングリ沢」)に出合う
その少し上流の左岸に幕場を見出し、宵の準備に勤しむ


ミノコクリの夜

自由で孤独な暗闇に咲く紅蓮華
華片がひらひらと天に舞う

見上げれば無数の星が目に染みる
そして手を伸ばす

心情はビジュアルに残らない
歩いたことと、思ったことを残したい

山を歩き、言葉を繋げることが私にとっては救いであり、逃避だった
もう少し勇気を持てたなら、手の届く星もあったのだろうか


2024/9/25

ミノコクリ沢はウグイ沢出合から中門沢と名を変える
水量も落ち着き、流心を渡るにも不安はなくなる

特段の難場もなく、ただひたすらに高度を上げていく
時に現れるナメも美しいが、それこそが中門沢というものではない
むしろ美しさでいうなれば御神楽沢の方に軍配は上がるのだろう

それでも中門沢を選んだのは、そのアプローチの不便さと山深さに他ならない
何より、そのクライマックス
そう、中門岳である

クライマックスを思い描いて上流部を詰め上げる
背後には丸山岳と会津朝日岳
何度も振り返って山波を目で追ってしまうのは、これらの山々に思い入れと思い出があるからだ

やがて源流
流れも枯れて藪に入り、中門岳と2038mの鞍部に出る

少し上がると草原に出たので、ここでひと休み
中門岳へは今しばらく藪を漕ぐ必要があるけど、もう少しだけ秘境成分に浸っていたいとの思いからだった

そこから藪の斜面をひと登りで中門岳の一角に出る

中門岳は筆舌に尽くしがたい美景が広がる
先を急ぐ気持ちはあったけど、ここはそういう場所ではない
ここで先を急いだならきっと後悔するだろう

もう一日ある
本来の計画では、大津岐へ小ヨッピ沢か大沢岐沢を下ろうと思っていた
その予定を鉄塔奥只見線の巡視路下降へと変更することで時間は稼げる

誰一人いない中門岳で日本酒を一口
微かに発泡するさわやかな甘さが口に広がる
思わずもう一口

そして少しだけ昼寝をする
少し前に教えていただいた山の嗜みだ

水面は雲を映す
雲は流れて穏やかに時を刻む
そうして陽は傾いていく

傍らに寒菊の剣愛山
この山を前に独り酔いが回れば、詩人にもなる
この時が何より麗しい

会津駒ヶ岳を越えて、駒の小屋を大津岐峠方面に進む
駒の小屋周辺で人と出会うことはなかった
時間的に夕餉の準備中で皆忙しいのだろう

暗くなるまで尾根を進むこととしたが、途中で風が強まりあたりが霧に覆われてくる
大津岐峠前後では草原がそこここに現れて飽きることなく歩くことができた

鉄塔巡視小屋付近まで行って幕としようと思っていたが、強まる風と霧を避けるため手前の1749鞍部で幕とした
普通の登山道なのだが、一人横になるスペースは確保できた
後は、食べて寝るだけ
明日は天気も回復するとラジオで報じている
それを寝袋の中でウトウトしながら聞いていた


2024/9/27

今日は下山するのみ

朝日に染まりながら歩き始める
1861m南の鉄塔と巡視小屋(利用不可)を見物したら、少し戻って鉄塔巡視路を下る

結局、山で人と会うことはなく静かな山旅となった

「いつかは」と思い描いた場所に立つ
先延ばししたことを後悔し、同時にここへ来たことに満たされる
過ぎゆく時と対峙して白秋を歩く

巡視路を下りながら、山行前日の同僚との会話を思い起こす

刹那、言葉を飲んだのは彼の満ち足りた感情に水を差すことになるのではないか、そう思ったからだ
あの会話は、彼が主役であるべきだった

さて明日、彼に会ったらどこから話そうか
今度は、私の番だ


sak



↓動画も

 


奥只見・袖沢北沢~丸山岳~メルガ股沢下降

2024年09月17日 12時10分17秒 | 山行速報(沢)

-丸山岳-

私にとって、丸山岳とは何か

「好き」だけで語るなら、もっと素敵な場所はいくらでもあるだろう
けれども、それだけではない何かがある

知る人ぞ知る名山という称号
路が無いという高揚感
そして、あの頂

山という妖に憑かれし者に宿る感情とでもいうのだろうか

 

2024/9/3-5 奥只見・袖沢北沢~丸山岳~メルガ股沢下降


一路、北へ
これからの山旅を想い、開放的な気分に浸れるひと時だ

午前二時
シルバーラインを走り抜け、トンネルを抜けるとそこは奥只見ダム
奥只見エコパークの駐車場で車中泊
実に静かで瞬時に記憶が朧気となる

五時起床
のはずが、寝袋にくるまり15分ほどウダウダと過ごす
独りの山は、こういった自由がちょっと幸せ

とはいってもあまりのんびりしていられない
手早く整え、朝食は歩きながら食べることにした

下り基調の舗装路を軽快に行く
大鳥ダムへの道を分け、奥只見ダム下で只見川を渡り最初のトンネルを抜ける



「結界を抜けて、山へ」
そんな気分にさせてくれるシチュエーションがいい

平坦な道を淡々と行けば、南沢を分ける
その先、二度目に森を行く途中で沢型が横切る
これを袖沢に向かって下ると対岸に北沢の出合

北沢は袖沢に比べれば小さな流れ
しばらくは平凡な川原を行く



途中のゴルジュは膝上程度で容易
この後に出てくる2mほどの滝は釜が大きく、右岸を巻く

3段15mは右岸を巻くが、傾斜の強い草付きをトラバースするので要注意
灌木に手が届けばあとは強引に登れる

沢床へ戻るとき50cmほどズリ落ち、左ひざを強か打ち付ける
しばらく悶絶

多少の出血があったもののテープで止血
痛みは残るが骨に異常はなく、歩行はできそう
とかく、独りの山はこういう小さなトラブルが致命的になりかねない


-自由の代償-

ここは想像的かつ自由の、美しくも厳しい輝きに満ちている
輝きと渡り合う歓び、そして代償
本能がこれこそ本物だと言っている


この先、10m以下の滝が続く
いずれも沢ヤなら一見して何処をどう行くか、見当もつくだろう
1000mあたりで幕場を求められるが、明日の行程を考慮して先を急ぐ

10m幅広滝は水流左からシャワーを浴びて中段まで
そこから右へトラバース
先ほどの教訓も含めて、空身で中段まで登り荷揚げとした
水量が多い場合は、巻きとなるだろう

生憎の曇天にシャワーを浴びてチョット寒い
今宵の献立も頭をよぎるが、体を温めるために遡行に専念する

5m前後の滝を思い思いに越えていき1435mの二俣
少し進んだ1450mの右岸イタドリ台地を整地して幕とする

このあたりまで来ると、流れも細く流木も少ない
やはり焚火のない夜は、侘しい

一杯やって食事をとったら、もはや不貞寝のごとく睡眠不足の解消を決め込む

明けて翌朝は青空が広がる
だいぶ距離を稼いでいたので、今日は余裕をもって取り組める
左膝の痛みは軽快していないが、幸い悪化もしていない
滑りも強いので不用意な転倒はしないよう意識的にゆっくりと一歩一歩踏みしめる



詰めは様々登られているようだが、本流と思われる方へ進む
視界が開けてきたと思ったら、ガスが垂れ込めてくる
山頂での景観が如何ばかりかと気も沈むが、こればかりは運だろう

やがて水流もわずかとなって源頭の草付き
右の笹と灌木を使って乗り上げると笹藪漕ぎ
ほどなく尾根に乗って尾根を緩やかに登っていく
15分ほど藪を漕げば丸山岳南東峰の草原に至る



南東峰から丸山岳へはまた少し藪を漕ぐ
そうこうしている間にガスも晴れてきて青空が広がる

山頂からは山波のうねりが広がる
その頂を指呼しながらやはり会津朝日岳へ稜線が目を引く




-辿り着いた場所-

初めて丸山岳を目指したのは25年前
当時2歳だった息子の口癖は「だっこ」「ぶぅーぶ」だったのだが、社会人となった今では「メンドクセぇ」が口癖だ
そんな現実だけど、まあ苦笑い程度で過ごせるのだからおそらく今も昔も幸せなのだと思う

あの時ここに至ることはなかったけど、季節や登路を変えて五度目の丸山岳
私にとって丸山岳とはいったい何か

想いを馳せて山谷を繋ぐ
そして辿り着いたこの場所
また来ることができるだろうか


丸山岳を後に西へ
薄い踏み後もしばらくで不明慮となる
尾根を歩いて右は大幽西ノ沢、左は北沢
会津朝日岳への稜線を右に分け、村杉岳への尾根に入ったら右へと下る
わずかの下りでメルガ股沢の沢型に出る

このあたりは、地形図だけなら不安な場面だが、GPSを使えば心理的負担も少ない
GPSといいwebの情報量といい、あの頃とは環境が違う
勿論、それらを使わないという選択肢もあるのだけれど、俗世に浸かり切った身にはもはや後戻りなどできないのも事実だ


メルガ股沢は4か所ほど懸垂下降
概ね、捨て縄が残置されている
しかし、不安なものもあるので自前の捨て縄は用意したほうがいいだろう
また滑りが強いので下降には十分注意したい

1100mほどから幕場適地が散見される
この先を急ぐという選択肢もあったのだが、痛めた膝を言い訳にして左岸台地の物件で幕とした

付近に流木も少なく、昨夜に続いて焚火なしの一夜
実を付けたミズがたくさん採れるので、宵の膳に

明るいうちから一献
ミズは油炒めとたたきにしていただく
持参したつまみも加えれば、充分満足のお品書き
そして流輝の大吟醸


-夜空の流輝-

谷を映すように流れる夜空
その流れに星が輝く
夜空の流輝で一献

幻想的な夜であった

最終日は袖沢乗越を越えて、帰路に就く
昨夜も雨はなかったし、袖沢の渡渉も問題はないだろう
ほかに難所もないので気は楽だ
このあたりは既知の情報があるというありがたさ

とはいえ、1100mから袖沢乗越の支沢までは距離もある
滑りも強いので確実に歩を進める
淡々と行けば2時間ちょっと
ゴルジュ状の先の左岸から5mほどの滝で出会う

慎重にこの滝を越えればあとは細い流れを詰めるだけ
最後は落ち葉の斜面を登り尾根に乗る

少し下った鞍部のブナに切付を見る
その昔、ここは生活の場であった証である

-袖沢乗越-

南会津に興味を持ちはじめた頃から気になっていたことがあった
それは、白戸川への尾根越えル-ト、袖沢乗越だ
日本登山大系の記録を読むにつれ、想像ばかりが広がった

想像の世界をこの目で確かめる
誰にでもあると思う
そういう思いを巡らすこと



そこからは落ち葉の急斜面を下って、沢型へと進む
すると仕入沢上部の7m滝上に出る

ルート取りによってはこの滝をうまく巻き下ることもできるようだが、捨て縄もあるので懸垂下降
よく見るとフィックスも張ってあるのだが、なんとも不安を覚えるロープなので要注意

ここから上部の滝場をクライムダウンでやり過ごし、中流部からは平凡となる
下流部に至っても細い流れに草が覆いかぶさり、終盤までボサ沢の様相
ついに流れが開けることなく袖沢に合流する

-九月の蝉-

山に想いを募らせる

地図を読み、想像する
そこへ至る自分の姿を想像する
そして何をすべきか想像する

私が初めて想像的登山に取り組んだのが丸山岳だった
「初恋の山」
それが、私にとっての丸山岳なのだと思う

時代は変わっても
自身が変わっても
あのときの胸の高鳴りは変わらない

結界を抜ければ明日が待っている

時に「初恋」を想いながら、ほろ苦い現実を生きる
嘆きながらも、存外満たされていることを知る
この先どうなるかなんて分らないけど、このくらいが丁度いいのかもしれないな、とも思うのだ

辿り着いた場所
蝉が一匹、九月の空に向かって鳴いていた

丸山岳(左)、梵天岳(右)遠望

 

sak


 


清津川・釜川右俣~ヤド沢

2024年08月30日 18時01分06秒 | 山行速報(沢)

2024/8/19 清津川・釜川右俣~ヤド沢


泳ぎのある沢に行きたい

切り出したのはazmさん
そうして実現したのが、この山行だった

行先は清津川・釜川ヤド沢
かねてよりヤド沢に興味のあったというsztさんも加えて3人での計画

前夜、大場林道ゲート前を左折した広場まで入って仮眠
4時半起床
手早く身支度を整えて5時過ぎに出発
日帰りとしては長めの行程なので早出を意識する

雲が焼けるのを見ながら、目印のある踏み後へと分け入る
踏み後は明瞭で、取水堰
お手軽なアプローチ
ここから入渓する

巨石帯は岩を縫うように進む
岩に触れ体を動かす感覚が楽しい

二俣を右に入ると淵と小滝が断続してくる
最初の泳ぎはazmさん
ロープを引いて左岸から水流左へ泳ぎ渡ってひと登り

淵の先にCSが見えるところは左岸を巻いて10m弱の懸垂下降
その先の滝は右岸を小さく巻く
続く5m滝は右岸沿いに泳いで凹角をひと登り

長い瀞は左岸の壁を伝うように泳ぐ
その先で流れは狭まり、奔流となる
右に左に両足突っ張りなど思い思いにこの流れを遡る

そして現れるのが三ツ釜
手前の湾曲したスラブは水線あたりをへつれるのだが、azmさんは積極的に泳いでいる
「攻めるねぇ」と彼のスタイルを称える

三ツ釜最初の滝を左岸から巻き、ヤド沢に出てひと休み
azmさんは、この上の程よい高さの釜に滑りこんで泳いでいる
沢登は「楽しい」が一番だ

ここからナメの美しい流れを遡る
しばらく行くと、滝が連なるゾーン

15m3段は左岸を巻いて滝上まで
スダレ状の美瀑は水線右を行けるらしいが、シャワー覚悟
おとなしく左岸巻き
20mスダレ状は左の流水溝を行くが最後のスラブが緊張させられる

8m滝は右から巻いて懸垂下降
10m滝は水流右の乾いた岩壁を登る
その先の4mはいろいろ登られているみたいだけど、手前左岸垂壁を5mくらい登って巻く
この登りはなかなか登攀的でクライミングに秀でたsztさんにリードしてもらう

3人パーティーは、とてもバランスのとれた構成
スピードはやや劣るかもしれないが、対応力や危機管理の上ではバランスがいい
こういう時、それぞれの得意分野で対応ができる
志向性が同じ向きなら、いうことはない

巻き終えて沢床に戻ると、視界の先には50m大滝
このころから雲がかかり、ガスが垂れ込め幻想的な景観

ひと休みしていると、雨が落ちてきた
雨具を身に着けて左岸巻き

急な斜面を腕力頼りで灌木を繋ぐ
昼過ぎなのに薄暗い中、雨に打たれて藪を行く
一抹の不安が過ぎる

それでも未来を信じて歩き続ける
自分と向き合うのは、こういう時だ

傾斜が緩くなったらトラバース
ほどなく滝上へと至る

最後の4段滝を慎重に登るとヤド沢の主だった滝も終了
このころには雨も上がり、気分も晴れる

この沢旅のエピローグ
ゴーロ歩きは多くなるものの、時に現れるナメが美しい

奥の二俣を右へと進み、次に現れる二俣を左に入るとやがてコンクリート構造物が見える
踏み後をひと登りで林道に出る

あとは歩きやすい林道を横一列になって行く
おしゃべりしながら1時間半も歩けば、スタート地点へと帰り着く

山行後、旅先の温泉に浸かる
そして、食事を楽しむ
自分への労いとともに、微力ながら旅先への返礼


仲間と力を合わせる
自身と向き合い、自ら労う
そうして心が蘇る

三者三様
心の様相に違いはあったとしても、この喜びは変わらない
そう、私達には明日がある

それぞれの明日にエールを送りながら、こうも思うのだ
明日、有給にしておけばよかったな、と

心の様相にチョットした違いはあったとしても、これもまた真理だろう
だが、私には乗り越えねばならない”ヤマ”もある

進め!振り返るな!


sak

 


↓動画も

 

 


奥利根・湿原を巡る沢旅

2024年08月01日 12時13分53秒 | 山行速報(沢)

2024/7/24-26 奥利根・湿原を巡る沢旅

楢俣川ススケ沢~ススケ峰湿原~下ノ田代~上ノ田代~南田代~楢俣川下降

 

雷鳴
鉛色の空から落ちる雨
水面にいくつもの輪が広がり重なり合う

胸に届く、波紋


以前、湿原を「湿った草原」と表現したことがあったがそれは誤りだ
湿地と湿原ではその時間経過がまるで違う


湿原を巡る沢旅

そこに行ってみたい
そう思ってしまった
あれは「モウセンゴケの湿原」を目指した時が始まりであったか

極めて個人的な自己満足の旅
ここを目指す人が一体どれだけいるのか、という場所
むしろ、それがいい



当初、楢俣川からススケ沢~ススケ峰湿原~裏ススケ沢を下降する計画であったが、何か物足りなさを感じていた

-地形図を眺めれば創造の山並みが手招きをする-

地形図の余白、等高線の間に何を見るのか
足りない部分を想像で補ってこそ、それは完成される
地形図にはそういう美しさがある

確保した時間は3日
ススケ峰湿原から水長沢支流の文神沢中俣の源頭にある湿原へと繋いでみる

この計画には4日欲しかった
決して足の速くない私には、3日で収めることに多少の無理というか頑張りが必要だと思った
その「頑張り」に何の根拠もないのだが、ひたすら歩くほかあるまい

それからもう一つ
この地図の余白、等高線の連なりをどう読むか
そこにどういうラインを引けるか、これが最大の楽しみなのである


1日目

前夜、奈良俣ダム先のゲートまで
僅かな仮眠で朝焼けとともに歩き出す

入渓点までは湖岸道をひたすら行く
通常3時間ほどかかるらしいが、自転車投入で時間短縮を図る

とはいえ、16インチ折り畳み自転車でザックを背負ってではわずかな登りも手押しで進んだほうが体力消耗が抑えられる
下りの滑走を楽しみに、登りは手押しでこらえる
それでも1時間程短縮できたと思う

湖尻を過ぎて楢俣川の流れを右に見るころ、自転車をデポする
少し荒れた林道を歩いていると後方からヘリが飛来する
こちらを観察するように旋回し、上流へと飛び去って行く

事故でもあったのかと思いながら歩いていくと水位観測所に2人
誰かと交信をしている
どうやら、彼らの仲間がこの先の沢で怪我をしてしまったらしい
先ほどのヘリはその救助の為だとのこと

「気を付けて楽しんでらしてください」
との言葉に手伝いできることもないのだろうと、別れを告げる

藪に隠れた踏み後を辿っていると、空に暗雲が立ち込め雷鳴
救助に向かったヘリが引き返していく
救助できたのかななどと考えているとほどなく雨がボタボタと落ち始める

この3日間「不安定な天候」は織り込み済みなのだが、初っ端からこの天候は少し滅入る
雨具を着込んでとにかく距離を稼ぐ
幸い、楢俣川へ降りるころに雨は上がっていた

本流を徒渉し対岸の踏み後へと入る
淡々と踏み後を行くが、矢種沢を渉ってから踏み後が左右に分岐する

明瞭なのは左だが明らかに尾根へと向かっており、沢へ降りるには右の薄い踏み後に入るのだろう
そう思い右へとトラバースしていく
しかし、このあと踏み後は判然としなくなり、強引に楢俣川へと下ることになる

※下山後に確認すると、ここは矢種沢を渉る前に沢へと下降するのが正解らしい

先ほどの雨もあってか、水量は多め
初めの滝は右岸を軽く巻くと幕場適地
ここで、装備を身に着けて再び川床へと戻る
若干の水位上昇はあるものの、流れの渕を行けば遡行に差支えはなかった

楢俣川の本流は岩盤の発達したナメ滝が美しい
時に緊張させられる場面もあるが慎重にいけば問題はないだろう

右に深沢を合わせ、日崎沢出合では日崎沢の水流右に垂れるロープ頼りで這い上がる
滝上から対岸へ渡って楢俣川の滝場を左岸から巻いて流れに復帰する
ここから先もナメと滝が美しい区間である

やがて流れは平凡となり淡々と遡行することになる
水流も次第に細くなり、川というよりは沢にふさわしい規模になってきたころススケ沢(横沢)出合
時間は昼過ぎ
今日はこの左岸台地で幕の予定

3日間で唯一、ゆったりと沢を楽しめる時間がとれる日であった
もちろんこれを堪能するわけだが、昨夜の睡眠不足に酒と肴、炎のゆらぎが加われば睡魔に勝てるわけもない
明るいうちから舟をこぎ、星を見る間もなく寝袋に納まる


2日目

心配した雨もなく、あたたかな夜を過ごせた
明けて中日は高曇り
まずはススケ沢を詰めてススケ峰湿原を目指す

ススケ沢はいくつかの大滝を有するが、困難はなく小さく巻くことができる
源頭は様々にルートがとれるようだけど、水流の多い流れを選び遡る
やがて草付きの急傾斜に出る

このころからは青空も覗くようになって、実に開放的
背後に、至仏山が大きい

その中腹に、ヘリが飛来している
昨日は天候急変で救助ができなかったのだろう
なんとか事なき得たのならいいのだが

草付左岸側の灌木と笹頼りに高度を上げると尾根に乗り傾斜も落ち着く
但し、ここからの藪は丈もあり、消耗する
それでも大きな針葉樹の根元を繋いでいけば、藪も幾分薄いこと事が多い

いくつか草原を散見するようになるとススケ峰湿原は近い
緩傾斜の藪を漕いでいくと、その先に広がる山上湿原


-ススケ峰湿原-

有難き充足がそこにある
今、ここにいるだけで満たされる
そんな気持ちにさせてくれる場所だった


さて、ここからは下ノ田代に落ちる沢筋まで笹薮をトラバース気味に下る
このようなルート選択ができるのもGPSのおかげ
かつてこの地を跋扈した先達に到底敵うものではない

狙い通りに窪の流れを見出すと、下方に目指す下ノ田代が望める
難場のない流れを淡々と下ると、右にぽっかりと広がる下ノ田代


-下ノ田代-

草原に近い高層湿原に腰ほどの葦が広がる
中央に湿原を分ける流れ、そして白樺の木立が印象的な空間であった

この流れ(文神沢中俣中沢)を遡って次なる場所へと向かうのだが、空模様が怪しくなり始める
みるみる空は鉛色となって、雷鳴が近づいてくる

急ぎ足で小さな流れを遡る
いくつかの小滝を越えるが、総じて容易
しかし、流れは冷たく踵にできた靴擦れに凍みる


-上ノ田代-

地形図に名も記されぬ湿原
先達の残した記録から上ノ田代と記す
藪と山谷に囲まれたこの場所は、まさに隔絶された別天地


雷鳴
鉛色の空から落ちる雨
水面にいくつもの輪が広がり重なり合う

胸に届く、波紋

晴れた彼の地が歓喜なら、雨は潤い
雨が落ちるからこそ、水辺も生まれる
静かに雨音に耳を傾ける

やがて雨は上がり、水面が森を写す
そして鳥が小さく鳴く

実に美しい時間であった


片隅に幕を張りたい衝動をこらえ、往路を戻る

さて、ここからが「頑張り」どころ
今日は日暮れまで歩く予定だ

下ノ田代に戻って、Co1600mの平坦地をトラバース、南田代を目指す

平坦地とは言ってももちろん道はなく、藪に覆われた森
しかしながら、予感はあった
湿原や草原が点在するこの辺りは動物の往来も多い
その獣道が使えるのではないか、ということだ

想像した通り、獣道がそこここに見て取れ、思いのほか歩が進む
地図の余白を読み取れたこういうときは実に嬉しい

途中、地図にはない湿原に出会う
こういう偶然もまた、山旅ならではだろう

中俣右沢に出てそれを横断しさらにトラバースを続ける
南田代から流れ出る水流があるはずだ
もちろん、地形図に水線の記載などはない

アタリを付けたら流れを遡る
このころから再び雷鳴
幕場を探しつつ遡るが、なかなかいい場所はなかった

そして、南田代

それは水芭蕉に囲まれて広がっていた
これまでの湿原と違い、一部は水面に植生が生い茂っている
これが中間湿原というのだろう

沼から低層湿原、中間湿原を経て高層湿原へ
経過には数千年もの時間が積み重ねられる
その成長過程を感じられる場所だった

雷鳴が近づき雨も落ちてきた
辺りも暗くなりつつあり、適地とは言い難いが南田代から少し上流の藪中に幕を張る
雨に打たれながらの幕場設営はツライが、今日の充実を思えばこのくらいの辛さは幸せと紙一重であるとそう思いたい

幕を張って一杯やるころ、派手な稲光とともに土砂降りの雨
笹葉に落ちる雨が心地いいBGM
明日の行程を案じながら、眠りにつく


3日目

昨夜20時頃に雨は上がった
翌朝、空は鉛色ながら雨は落ちていない
楢俣川の増水という事態は何とか回避できるだろう

今日は最終日
朝食のラーメンを作りながら、下山したら何食べようかなどと考える

ふと入山日のヘリ旋回シーンがよみがえる
いや、その前に無事の下山だろと気を引き締める

南田代から赤倉岳とススケ峰の鞍部を目指す
ここは昨日のように獣道はあまり期待できそうもない

事実、屈強な笹というか細竹の藪に分け入ることになる
時に木登り、鞍部を見定めて次なる巨木を目印として進む
それでも鞍部からの沢型まで至れば、草原がそこここにあって藪漕ぎの苦労はなかった

しかしながら稜線にのれば背丈を越える藪
より安全と思える楢俣川下降点までの約100mがなかなかの奮戦となった

楢俣川側へ下降を始めると、すぐに窪となり水が流れる
しばらくは平凡な流れで時に草原に出くわす

沢床に笹が覆い被らなくなるといくつかの滝が出てくる
1か所、10mくらいの懸垂下降
それでも下から見ればクライムダウンでも行けたようだった

あとは藪を使って小さく巻き下ることが可能で楢俣川本流(沢種沢)に至る
上流右岸には10mほどの滝が美しく流れを落としており開放的な景観だった

さすがに上流部は滝やゴルジュ状が散見されるもクライムダウンと小さな巻き下りで通過が可能
このころから陽も出てきて楽しい沢下り
大きな三角岩のオミキスズ沢出合で小休止

この3日間を振り返る

山中に独りで入る
なんの社会貢献も関りも持たない時間
いうなれば「余白」の時であった

私は余白に何を見たのか
流れを下りながら、それに想い巡らせていた

 

sak



↓動画も

 

 


剱岳・本峰南壁A2稜

2024年07月20日 23時24分42秒 | 山行速報(アルパイン)

2024/7/18(木)〜2024/7/20(土)

(1日目) 扇沢〜雷鳥沢テント場〜新室堂乗越〜剱御前小屋〜剱沢テント場

(2日目) 剱沢テント場〜前剱〜平蔵の頭〜A2取付〜剱岳山頂〜剱沢テント場

(3日目) 剱沢テント場〜剱御前小屋〜雷鳥沢テント場〜扇沢

メンバー: azm, nksさん

記録: azm

 

ACC-J茨城に昨年秋ごろ入会した2人で、剱岳の本峰南壁A2稜に行って来た。

今日まで会の皆さん、とりわけsakさんには山行を通して本当に色々なことを教えていただいた。

まだまだ未熟な我々であるが、今回の山行は自立した登山を行えるようになるためのマイルストーンとなるよう意識して励んだ。

 

南壁への取付。雪渓が想定していたよりもかなり残っていた。

平蔵のコルからは雪渓の角度が急でチェーンスパイクで下るのは無理そう。平蔵の頭から斜面を谷側に下降し、雪渓をトラバースすることにした。

トラバースも滑り出すと止まらなさそうで怖い。

ピッケルとストックを補助に使いながら、平らになっているところを足掛かりに渡っていく。

一ノ倉沢でsakさんに「雪渓はこう歩くんだよ」と教わった経験が生きた。とはいえ今回一番怖かったのは間違いなくこの雪渓横断だ。

 

(P1: azmリード)

雪渓をトラバースし、赤丸の雪の窪みの地点から岩を眺めてみる。

残置支点などはなかった。おそらく本来の取り付きは雪渓の下なのだろう。

登山大系の解説には「取り付きはA1との間のルンゼの左側の顕著なスラブ」とあったので、この時点ではルートはもう少しルンゼ側にあるのだろうと認識した。

雪渓から岩への乗り移りはなんとかできそう。

ここでハーネスを装着してロープを出し、azm先行でルンゼ側へ岩をトラバースして見に行ってみることにした。

あとから振り返ると、雪渓から岩に乗り移った先でそのまま上へ行ってしまっても良かったかもしれない。

 

(P2: nksリード)

A1との間のルンゼを認めて、A2の右端あたりに到達したところでピッチを切る。

nksさんリードで行ってもらうと残置ハーケンが見つかり、やっとルートに自信が持ててくる。

ロープをなるべく伸ばしてもらい、次のピッチへ。

 

(P3: azmリード)

フェースの残りを登っていくとどこかで聴いた光景。

「ハイマツをつかんでリッジに移る。」(登山大系)

こういう追体験は楽しい。

 

(P4: nksリード)

リッジを進んでいく。

 

(P5: azmリード)

さらにリッジを進む。左右にもルートを取れるがなるべくリッジを選んで登る。

少し難しそうな凹角を手前にピッチを区切る。

 

(P6: nksリード)

核心部をnksさんがトライ。しかし、思ったより悪いらしく1ピン目をかけた後どうにも手が進まず...消耗してしまい交代の打診。

古いハーケンが連打されていて、先人もここを嫌がったのかなあと思ったり。

 

(P6リトライ: azmリード)

核心部を交代してリトライ。左側にあるオフィズスサイズのクラックをうまく使って登ることができた。

触りながら見つけたクラック内部のホールドを使ったり、腕をスタックさせたりして楽しめた。

 

(P7: nksリード)

リッジの残り。ロープを伸ばし切りたいところだったが、重たくなってしまいもう1ピッチ。

 

(P8: azmリード)

ザレ場の手前まで。P8の終了点からコンテで少しだけ進むとロープなしでも進めそうなことが分かったので、ロープを解いて進んでいく。

ザレ場を数メートル進むと一般登山道と合流できそうなのが見えた。山頂方面へ直接登ってゴール。

 

振り返って、今回の山行は2人で出来うる限界ギリギリくらいだったように思う。

雪渓の状況などもう少し条件が悪かったら...

同じルートを辿っているけれど、山行の内容は毎日変わる。

記録や残置物だけを頼りにするのでなく、状況に応じて自分で見出したルートも組み合わせることで山行を成し遂げる。

そんな経験がちょっとだけ出来たような気がして嬉しかった。


谷川岳・一ノ倉沢烏帽子沢奥壁南稜

2024年07月13日 22時03分45秒 | 山行速報(アルパイン)

イチノクラ
この響きは何度聞いても特別だ

いつだって山行前はナ-バスになる
心の奥底に臆病な自分がいる
その彼が何か伝えようとしている
そんな気がしてならないのだ

道の駅・水紀行館で仮眠
3:30起床
皆、無言で身支度を始める
今日への意気込みが伝わってくる

ロープウェイ駐車場に移動して装備を整え出発
一ノ倉出合を目指す

烏帽子沢奥壁・南稜は一ノ倉の人気ル-ト
快適なリッジやフェ-スの続き、乾いていれば快適の一言に尽きる

nksさんたちから「一ノ倉の南稜に行きたい」
そう聞いたとき、「まあ、そうなるよね」と思った

思い返せば自身もそうであった
アルパインクライミングの舞台として誰しも憧れる場所だろう

一方で不安もあった
3人を引率することへの不安だ
個々が最低限の自立した技術と知識は持ち合わせてほしい

一ノ倉は彼らがこれまで経験してきたクライミングルートとは一線を画す場所
タクティクスと装備は指定し、厳守とした
登れるかどうかではない
無事に下山ができるかどうかが重要だと諭した

メンバーは4人
skmさんは一度経験があるとのこと
nksさん、azmさんは一ノ倉デビュー
そしてsak

南稜は、一ノ倉の全体像を知る意味でとてもいい場所にある
所々でレクチャーを入れながら行く

一ノ倉沢出合駐車場で装備を付ける
河原をしばらく歩いて右岸の踏み後へ入る

沢へと復帰し、ゴーロを行くと前方に雪渓
幸いテールリッジまでつながっており、雪渓通しでいく
衝立沢側は降りられそうもないので本谷側を少し登ってテールリッジ末端
そこから衝立沢側に回り込んでからフィックスに導かれてリッジの上の出る
このあたりは知らないと思わぬ苦労をするだろう

テールリッジのスラブも一部濡れてはいるものの、フリクションは十分効いている

新人を連れてここを歩くのは何回目だろう
新しい仲間が増える度、先人の務めとして幾度となくこの道を歩いた
「連れて行ってあげれば」自ら学んでくれるだろうという期待もあった
しかしながら、多くはそうならなかった

「連れていってもらった」山行は、次への要望へと繋がっていく
つまりは「消費者」を増やしたに過ぎず、勿論長続きはしなかった

自立した登山者の育成には「主体的な学びの実現」が必要だと悟った

そういう経緯から今回のメンバー3人には厳しく指導した
もしそれでついてこられないというのであれば、遅かれ早かれ遠のいていくのだろう
時に厳しい言い方で指導したこともあり、本当に申し訳ないと思っている

「楽しい」だけではない
自分で作り上げる山、その先の景色を見てほしい
その一念あってのことなのだ

中央稜取付きでクライミングシューズに履き替える
烏帽子沢奥壁基部のトラバース
中央カンテ、凹状、変形チムニー、南稜フランケの取付きを指呼しながら南稜テラス

ロープを出して登攀体制
先発:skm-nks、後発:sak-azmでツルベ登攀

1P(リード)
南稜テラスから直上し右に少しトラバース
チムニー手前で切る

2P(フォロー)
チムニーを抜ける

3P(リード)
フェースを右上気味に

4P(フォロー)
草付き(笹原)を踏み後に従い歩く

5P(リード)
フェースから大岩を回りこむ
先発が大岩で切っていたので、その先(リッジの基部)まで伸ばすよう指示

6P(フォロー)
コールの声から先発は馬の背の途中で切った様子
azmさんには、先発より上(垂壁手前)まで伸ばすよう指示して送り出す
しかし、途中でロープが重かったらしく馬の背途中で切っていた

7P(リード)
馬の背リッジ後半、垂壁手前まで
最終Pはazmさんにリードしてもらうために切る

8P(フォロー)
リードのazmさん、最後のところで少し苦労したけどフリーで抜けた
sakも4年ぶりなので新鮮な気持ちで楽しめた

終了点から少し上がった場所で休憩
強烈な紫外線に皆干上がり、早々に下山にかかる

【6ルンゼ下降の備忘録】

下降は南稜終了点から6ルンゼ方向に少し歩いた懸垂支点から
6ルンゼ懸垂下降の注意点は3つ

① ピッチ切りに注意する(特に懸垂下降3ピッチ目)
② ロープの回収(特に懸垂下降1.3ピッチ目)
③ 斜め懸垂の危険個所(懸垂下降3ピッチ目)

①はハンガーボルトと鎖で構築された支点を繋ぐと無駄がない
南稜テラスへの最終ピッチは50mロープで、10mくらい足りないので、チムニーの下で切る

②は懸垂1ピッチ目の回収時にルンゼ内部へロープが入り込みやすいので「一定リズムで淀みなく」回収する
また、懸垂3ピッチ目は大岩の目線高さにある支点を使うとスタックしにくい

③は懸垂3ピッチ目の大岩手前を降りるとき、6ルンゼ側に引き込まれやすいので注意(先に降りた人は補助する)

無事に南稜テラスまで降りる
残置していた装備を回収したら、烏帽子沢奥壁基部のトラバース
基部バンドまでの下りは結構怖いので、南稜フランケの取付から50m1本で懸垂下降
変チの取付きあたりに流れるわずかな水を啜って水分補給する

中央稜取付きまで戻ってひと心地
靴を履き替え行動食を口にするが、すでに行動水はない
唾液分泌量が少なく、嚥下に苦労する

そうなるとテールリッジの先に見える雪渓の末端から流れる水を求めて下るのみ
テールリッジ末端から雪渓へ乗り移る
ここは「沢登」的な身のこなしが必要
ほかのメンバーは少し戸惑ったかもしれないけど、これが総合的な登山なんだと思う

雪渓は念のため持ってきた軽アイゼン着用でサクサクと
振り返れば、衝立岩が大きい

雪渓末端で念願の水分補給
1.5Lくらい補給しただろうか

最高に冷たくて、最高に美味い
そして皆、最高の笑顔

まだまだ、課題は少なくない
それでも今は皆の笑顔を噛みしめたい


岩壁を振り返る
いつだって登り終えた後の山は
ちょっとだけカッコよく見える
ここに来るたび今日を思うことだろう


sak




霧来沢前ケ岳南壁V字第二スラブ

2024年07月11日 15時31分45秒 | 山行速報(アルパイン)

梅雨入り前、前線が北上するらしい
この知らせをもって奥秩父・鶏冠谷から計画も北上

だいぶ前から「行きたい場所リスト」に入っていものの機を逸していた前ケ岳南壁
「やっぱり秋かなぁ」と思い描いていたものの、条件が揃ったときこそ「ベストタイミングなのだ」と言い聞かせる

- 会 越 -

会越は豪雪に磨かれたスラブと険谷に守られた未開が多く残されている
また近代交通事情から観光地化した山域とは一線を画す
その奥深さゆえの静かな山、そして自然の造形が美しい貴重な山域と言っていい


道の駅かなやまで夜を明かして霧来沢沿いの御神楽岳登山口まで移動
しばらくは登山道を歩く

本日のメンバーはskmさん、nksさん
共に会越の山は初めてとのこと
山の特性、植生などレクチャーしながらそぞろ歩く

八乙女の滝を越え鞍掛沢の手前、八丁洗板のナメ床から入渓
なかなか優雅な風情である

思いのほか素晴らしい渓相に気をよくしながら遡っていき、霧来沢本流へ
630mで右の支流へ入るとゴーロの急登
雪渓の残る崩壊地を過ぎ、滝場が出てきて左岸の小さなルンゼから巻くが藪頼りで腕力を要する

滝上からはV字スラブへと誘われていく
下部スラブを思い思いに登っていくと、広いテラス
ここでロープを繋ぐ

わずかに濡れる水流沿いを行けば容易だろうが、ここは右岸岩壁の凹角を登る
登攀は沢靴でも問題ない

この後も念のためロープで確保をしながらスラブを行く
振り返れば会越の山波に切れ込むスラブ、残った雪渓が独特の景色となっている

都合、5ピッチほどロープを出して稜線直下まで
最後のひと登りはフリーで不安なく登れる

と、ここまではよかった

この先は登山道まで藪漕ぎ
踏み後も薄く、1145峰先で少し彷徨
さすがに初夏の藪漕ぎは濃く暑い
まだ地に足がつくだけマシだろう

前半の気持ちの良いナメ歩き
乾いたスラブ登攀の記憶が、酷暑の藪漕ぎに塗りつぶされる

やはり、秋か
そんな思いを口には出さず黙々と藪を漕ぐ
これはこれで、訓練と思えばいい

会越
雪に磨かれたスラブと険谷に守られた奥深き山々
踏み後も疎らな径を行く
そういう山登りがここにはある

会越初見参のメンバーにはどう映ったのだろうか


sak