2021/11/16 南会津・田代山~帝釈山
はじまりのやま
私がはじめて「死」を意識したのが、田代山だった。
さしたる難所もない、山頂が湿原となっている山だ。
当時、趣味としていた四輪駆動車での林道探索の延長で、本格的な登山の経験も装備もないまま、風雨を忍て登山を決行した末の出来事であった。
季節は6月。
とはいえ、全身を濡らし風に叩かれれば、山を知っている者なら事態は想像に容易い。
下山後の温泉は非常に熱く、それゆえ「生」を実感し、そして安堵した。
一方でそんな体験をしたにもかかわらず、登山に傾倒したもの事実だった。
なぜか。
11月。
季節こそ違うが、今の自分にそれを問いたい。
そして、南会津・田代山に向かった。
晩秋の朝。
猿倉登山口はすでに冬支度。
トイレも閉鎖され案内板も雪囲いされていた。
寒いくらいの身なりで歩き出す。
しばらく歩けば、体温も上がってちょうどいい。
あの時は風雨の中、ビニールポンチョで歩いていた。
それで風雨をしのげるはずもなく、すぐに全身濡れてしまう。
さらに歩行ペースなど考えずにガムシャラに登った。
そういうのが「登山」だと思っていた。
今日は樹幹からこぼれる朝陽が眩しい。
そして静かだ。
やがて、木道が現れると小田代。
視界も開けてテーブルマウンテン田代山の端縁を見上げる。
木道には霜が降り、滑らぬように慎重に行く。
田代山は山頂が湿原となっている。
もはや積雪を待つばかりの草木。
反時計回りの木道を行けば池塘は氷で覆われていた。
あの日、私の山に対する観念が変わった。
山頂草原一面に揺れるワタスゲ。
息を呑んだ。
未だ見ぬ自然への憧憬が動き始めた瞬間だった。
その先に、何があるのか。
もっと知りたいと思った。
全身は濡れぼそり喘ぎながらも、その興奮のままに帝釈山への道を進んだ。
今思えば、衝動に突き動かされただけの行動だ。
そして帝釈山に着くころ、その衝動は後悔に変わっていた。
雨は強まり、風に叩かれた。
足元はおぼつかなくなり、時に転倒。
泥水に膝をつきながら、「死」を意識した。
なにもかもが足りていなかった。
知識も装備も判断も。
幸運だったのは、そんな状況で道を外すことがなかったことだろう。
復路、避難小屋に立ち寄った。
今思い返すと、食料は何を持っていたのか思いだせない。
ひとつ覚えているのは、登山前に勇んで用意していたガスとコンロで湯を沸かしたことだ。
反面、味噌汁を持参したつもりが、持っていたのは味噌別売の「フリ-ズドライ野菜」。
なんともちぐはぐな、情けない話だ。
白湯に乾燥野菜。
一口啜る。
わずかな野菜の旨味が私を救った。
あたたかな食事は偉大だ。
あの時の湯気の匂いを思いつつ、避難小屋前。
扉は冬囲いが施されていた。
囲いを外せば、入ることはできるのだが、立ち寄ることはしなかった。
自分の黒歴史ともいえる、この扉を開くのが少し怖かったのかもしれない。
郷愁に駆られ、帝釈山までの往復。
今となってはなんてことない道で「死」を意識した自分を振り返る。
帝釈山で流れ込むガスに雪の予感。
そういえば昨夜のラジオでも北から寒気が入り、天気は不安定と報じていた。
復路を急ぐが、田代山湿原はすでにガスの中。
下山途中に霰が降り出す。
クマザサの葉を叩く霰降る音は、疎らな拍手のようだ。
若かりし彼に、今の私はどう映るだろうか。
おそらくあの日、彼と私が出会い、手を差し伸べていたら、彼は山に惹かれることはなかっただろう。
その後、彼は山に惹かれ、情熱を傾けた。
そして現在。
彼は山で死を突きつけられ、初めて自分の「生」への執着を知った。
私は、それを実感するために山を続けてきた。
落葉松の落葉が林道を染める。
オレンジロードを走りながら想う。
生きていることの実感。
安堵に浸った温泉は、あの日と変わらず熱かった。
-はじまりのやま-
あの日の出来事。
追憶の山を訪れて。
sak