2000/8月中旬 北岳
広河原は朝から雨だった。
夏山の涼しさが忘れられず、急遽、北岳を目指したのは昨夜の事だった。
世界的空手家、マス・オ-ヤマは房州・清澄山で山篭もりをする際、 自ら片方の眉を切り落とした。
山を下りる事を自ら絶つ決意が伝わるエピソ-ドである。
そして言った。「馬鹿よ!まさに空手馬鹿!」
私は雨と判っていて山に行く事に少し躊躇していた。
しかし、遥々登山口まで行ってしまえば登らずには居れまい。
あははは!「馬鹿よ!まさに山馬鹿!」
雨中そんな回想をしながら、広河原の吊橋をギッシギッシと渡る。
この旅は、山馬鹿「さかぼう」と、息子「こ-ちゃん」の 失敗あり、笑いあり、涙なし?のドタバタ珍道中なのです。
大樺沢への登りはしっとりとした 樹林帯をゆったりと登っていく。
背負うザックの重量も履いている靴の重さも前回の立山より格段に 軽くなっているのが良く分かる。
しかしここで調子に乗ってはイケナイ。 地味に地味に、息を乱さない様に歩いていく。
こ-ちゃん:「ねえねえ。パパちゃんはなんでそんなにゆっくり歩いていくの」
さ か ぼ う:「それはねえ、はじめから頑張っちゃうとすぐ疲れちゃうからだよ。」
こ-ちゃん:「でもでも、みんなパパちゃんを追いぬいていくよ。」
さ か ぼ う:「まあ、見てなって。そのうちすぐ追いぬいちゃうんだから。」
こ-ちゃん:「ふぅぅ-ん。(疑念!)」
二股を過ぎた辺りから眼前に 北岳バットレスの威容が現われる。
雨は上がった。しかしガスがかかってその全容はままならない。 ほんの一部であろうがさすがに実物は偉大である。
これを登る方々がいるのだから素直に驚くしかない。
私にとっては憧れの領域だ。
さ か ぼ う:「さて一休み。バットレスを眺めながらパンでもカジろうか」
こ-ちゃん:「パパちゃん。さっきの人たちにぜんぜん追いつかないよ。」
さ か ぼ う:「まあまあ、きっとあの人たちはすごい人たちなんだよ。」
こ-ちゃん:「パパちゃん、それ、すごく曖昧な言訳って感じがする。」
さ か ぼ う:「山登りは競争じゃないんだから良いじゃない。」
こ-ちゃん:「ウン、わかった。でもパパちゃん、かなり息上がってるね。」
八本歯のコルは岩とハイマツの稜線。
所々に設置してある階段が難所である事を演出してくれる。
一歩一歩足を前に出す度に丸太の階段はコン、コンといい音を響かせる。
しかし油断は禁物。一歩踏み外せば、転落。怪我は必死だ。
こ-ちゃん:「パパちゃん。すごいよ。あんな所を人が歩いてる。」
さ か ぼ う:「そう、その非日常的な光景はわたしが好きな山の景色のひとつなんだよ。」
こ-ちゃん:「へえ-。じゃあ、もっと素敵な景色があるの?」
さ か ぼ う:「そりゃもちろん。まずはその先のピ-クを抜けたら見えてくるはずだよ。」
こ-ちゃん:「じゃあ、早く行こうよ-。・・・え?もうちょっと休ませてくれって?」
間の岳への稜線間ノ岳への稜線はガスに見え隠れする 歯がゆい状況だった。
鳳凰三山は厚いガスに姿すら見る事はできなかった。
それでも濃い緑のどっしりとした山々に、はじめて知る 南アルプスの魅力の一端を垣間見させてくれた。
こ-ちゃん:「ウ-ン。残念。雲ばっかりだ。」
さ か ぼ う:「今度の楽しみに取って置こうよ。」
こ-ちゃん:「ウン。期待しないで待ってる。」
さ か ぼ う:「・・・ん?どういう事?」
こ-ちゃん:「ママが、パパはガス男だって言ってた。」
北岳山頂の夏模様突出した山頂は、雲を突き抜け青空が 広がっていた。
周りは雲が湧き展望は真っ白だが夏らしい雰囲気が満ち溢れていた。
それにしても日差しが強い。暑いと言うより日差しが突き刺さり「痛い」 とも表現できる程であった。
さ か ぼ う:「さあ、山頂に着いたよ。」
こ-ちゃん:「わ-い。てっぺんだ。」
さ か ぼ う:「しかし、日差しが強いな。」
こ-ちゃん:「周りは曇ってるのに不思議だね。」
さ か ぼ う:「背中が熱いな。日焼したかな?」
こ-ちゃん:「だってパパ。Tシャツが後ろ前だもの。」
肩の小屋山頂を後に肩の小屋に着いた。
ここで標高3000m。北アルプスの槍ヶ岳山荘と同じ高さだ。
山荘前辺りから高山植物が咲き競うお花畑が広がる。
3000mのバケ-ション、お花畑に好展望、なにより涼しい夏休み。
こんな贅沢、山じゃなくては味わえない。
こ-ちゃん:「なんだか頭が少しイタイよう。ボク、病気になっちゃったの?」
さ か ぼ う:「おや、大変だ。高山病だね。でも大丈夫。山を下りたらすぐ治るよ。」
こ-ちゃん:「これが高山病なのかぁ!」
さ か ぼ う:「こ-ちゃんは高度に弱いのかな?」
こ-ちゃん:「パパちゃんもこの前、剣沢でグッタリしていたね。ボク、パパに似ちゃったのかなぁ。」
お花畑を振り返る肩の小屋からはそれまでの岩稜急坂から なだらかなお花畑へと姿を変える。
ここはゆったりと周りの花に目を留めながら歩きたい、気持ちの良い道である。
こんな道ではいつも歩きながらに花の写真を撮るけれど、結果はいつも残念賞。
まったくもって花の写真は難しい。
さ か ぼ う:「ほら、山上のお花畑だよ。」
こ-ちゃん:「わあ、お花がいっぱい。きれいだね-。」
さ か ぼ う:「これはトウヤクリンドウ、こっちはトウヒレンの仲間だね。」
こ-ちゃん:「家に帰ってからガイドブック片手に解説されても臨場感ないなあ。」
稜線からは、 ハイマツ帯、樹林帯、草スベリへと急坂を一気に下る。
さすがに登りの方々は息も絶え絶えといった感じだ。
上から見ると数十メ-トル間隔で休憩している登山者が点と成し、登山道が 線を形成していた。
見上げると北岳がガスの合間にほんの一瞬、姿を現した
草スベリが終わると白根御池小屋に着く。キレイな池の湖畔にはカラフルな テントがいくつも花を咲かせている。
こ-ちゃん:「パパちゃん。下りになったらすごい元気だね。」
さ か ぼ う:「この手の下りはいつもこうして駆け下りるんだ。」
こ-ちゃん:「フゥ-ン。」
さ か ぼ う:「日頃鍛えている筋力がモノをいうんだよ。」
こ-ちゃん:「でもなんでパパの足はカクカクしてるの?」
すっかり朝の雨模様が嘘のように 夏の日差しへと変わった広河原山荘前。
昨晩、群馬から雁坂トンネルを抜けてやってきた疲れも何のその、 下山後はいつものスカッとさわやか飲料で独り祝杯をあげる。
躊躇はあった。しかし、今は来て良かったと満足していた。
灼熱の舗装地獄の毎日で、体力的にも精神的にも弱りきっていたある日、 ネットで北岳の報告を見た。どうやら日帰りでも行けるようだ。
今の私にはココしかないと思ったのは仕事も終わりに近づいた午後6時。
そして帰りがけに地図を買い、ザックに日帰り装備を詰め込み旅路へついた。
さ か ぼ う:「こ-ちゃん、楽しかった?」
こ-ちゃん:「ウン。山がキレイで楽しかった。」
さ か ぼ う:「それは良かった。もうチョット大きくなったら写真じゃなくて本当の山に行こうね」
こ-ちゃん:「そうだね。もうチョットしたらいこうね。」
さ か ぼ う:「じゃあ、何年後に行こうか?」
こ-ちゃん:「そうだなぁ。パパちゃんがもうチョット岳人として大きくなったらついて行ってあげるよ。」
山に癒しを求める自分の弱さを知る。
それもまた原寸大の私の姿。認めざるおえない事実である。
帰りの南アルプス林道は車の窓を全開にして深山の風を体中に受けながら走った。
sak