acc-j茨城 山岳会日記

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八海山

2000年10月15日 12時14分14秒 | 山行速報(登山・ハイキング)

2000/10月中旬 八海山

 

痛恨


その朝の空は重く気分も沈んでいた。


旧体育の日は統計上の「晴れ日」。しかも紅葉の適期ときたら 山に行くしかないだろう。 
私のココロは歓喜の歌を輪唱していた。


山は八海山と決めていた。 
修険の岩稜はいつしか行ってみたい場所のひとつでもあった。 
トレ-ニング効果の見せ所だと越後三山日帰りなどと身の程知らずな 計画も持っていた。

が、しかし。 
寝坊した。しかもどんよりガスが充満する生憎の天候だ。

あはははは。三山日帰りだと?バカも休み休み言い給え。己よ! 
痛恨の計画変更が結果として悪い事ではなかったとはその時思いもしなかった。

歓喜

屏風道の登りは沢の音を聞きながら進む。 
避難小屋のある清滝で一休みをしたら尾根への道を行くようになり、 沢の音とも別れを告げる。 
それからは鎖場の連続する急登となる。

私は決めていた。この登り、鎖は使わない。 
いつもの事といえばいつもの事だった。 
それでもその中に新鮮さを求めるのは日々焦燥しきった自分がそこに居るから でもあった。

未知との遭遇、その先の自分を見つける事はこの上ない快感でもある。 
それがはたして自分の求めているモノなのか未だ手探り状態ではあるが、 ともかく地味に己の四肢で高処を目指した。

五合目辺りの稜線に来てようやくガスが晴れた。 
今までわかり得なかった山の雄大さと紅葉があらわになる。 
その向こうには八海山・八ツ峰がはっきりと視界に入った。 
まさに歓喜の瞬間だ。

要塞

屏風道は飽きのこない爽快なル-トである。 
そこには岩稜がある、静寂がある、山の匂いがある。 
さらには急登がある、距離がある、そして満足がある。

近づくにつれ紅葉の色付きも鮮やかになる。 
要塞だ。八海山・八ツ峰はまるで彩色の要塞のように見える。 
平地で荒んだ心をやさしく中和する要塞。 つまり、雲上の楽園なのである。

期待

最後の鎖場はちょっと厄介だった。 
所要数分、苦しくも楽しい格闘劇を演じる事が出来た。

そこを飛び出すと彩りの頂点へと達する彩色回廊が待ちうけていた。 
この上ない満足と爽快感。これだから山はやめられない。

回廊の先には千本桧小屋の屋根が見える。 
かすかに人の声も聞こえた。 
小屋に着けばこの屏風道も終わり。 
一抹の寂しさを感じながらその先の未知へと期待も膨らむ。

違和感

千本桧小屋付近は丁度良い休憩スポットになる。 
登山者はそれぞれ昼食を摂っていた。

ここから先は地蔵岳、不動岳、七曜岳、白河岳、釈迦岳、摩利支岳、剣ケ峰、 大日岳と八つの峰が連なる岩稜だ。

なんとも岩稜路マニアの心をくすぐる景観がガスに見え隠れする。 
しかし、この頃からだったろうか、左膝に違和感を感じ始めていた。

夢中

最初のピ-ク、地蔵岳に立つ。

千本桧小屋と薬師岳は五分ほどの紅葉に彩られ 黄色と紅と緑のコンビネ-ションが美しい。

ガイド地図によるとここから約一時間の岩稜漫歩が楽しめる。 
さすがにこの道は鎖を使いアクロバティックに登下降を繰り返す。

あいかわらず左足に不安を感じながらも「まあ、大丈夫であろう」と 根拠のない自信を覗かせながら、開放的な岩稜路に、もはや私は夢中であった。


苦境

八つの峰を歩き終え、最後の頂である大日岳山頂で いつしか見えなくなっていた展望に嘆きつつ、先着の単独行者といくつか 会話をしている頃から左膝の不安は増大しつつあった。

当初下山は、阿寺山経由を予定していた。 
しかしこの状態ではまたもや予定を変更せざるを得まい。 
足は必然的に新開道へと向いた。

全く思い当たる節はない。 
あるのは現実のみ。 
すでに左膝の違和感は不安を通り越え辛い痛みとなっていた。

平坦な道はいい。問題はこの下りだ。 
左足というひとつの支点が不安定になるもどかしさは体験したものでなければわからない。 私も実にこの時それを痛感した。 
何度も何度も滑り、転ぶ。

土の匂いを嗅ぎながら、焦りと苛立ちを感じ己に語りかける。

おいおい、頭を冷やせよ。 
今、自分に出来る事は何だ?

すでに手のひらは肥えた土で真っ黒になっていた。


帰還

いきなり駐車場まで着かないかなあ・・・。 
どうしても都合の良い事ばかりが頭を過ぎる。 
そしてまた転ぶ。

「畜生!」 
頭をあげると果てしなく思えるほど延々と登山道は続いている。

再び問いかける。 
今、自分に出来る事は何だ?

真っ直ぐに伸びた登山道を見て、ふと思う。

都合の良い事や現実逃避、はたまた不平を言う前に自分でなにができるか? 
一歩づつ、いや半歩づつでも、ひたすら目の前にある道を進む。 
それが、今、自分に出来るたったひとつの行動。

道はいつでも目の前にあった。 
答えを目前に気づかないとはなんとも悲しいジョ-クである。思わず苦笑する。

空も暮色に染まりつつある時刻に登山道は終わり、林道となった。 
あぁ、これで楽になれる。空を仰いだ瞬間かるい目眩がした。

駐車場に着くと地元のおじさんが山仕事を終え帰り支度をしている所だった。 
おじさんは言った。良い道を歩いたねぇ。 
同感である。 そして今までの苦闘がこの言葉に救われた気分でもあった。

私は今、歓喜と苦境の狭間にいる。 
歓喜は私を山に誘い、 苦境は私を成長させる。 
そして今の私がここにいる。

sak


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