<筑波山の風景・21>
園児の遠足
筑波山にまつわる伝説や神話は数にいとまがないほどに語り継がれている。
西暦717~724年に書かれたとされる常陸国風土記から現地の言伝え、神話の世界にも話は及ぶ。
そのひとつひとつは当時の人々が故郷の母なる山として筑波山の魅力を伝えるための、~いわゆる身贔屓な~逸話が多い。
少年の頃に聞いた、富士山と筑波山の逸話もそのひとつだ。
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天地創造の母なる神のおはなし。
神様が富士山を完成させたとき、あまりの出来の良さに我ながら感動し、残りの材料を放り投げた。
その投げた材料が適当な所にドサッと落ちて固まり、それが筑波山になり、山頂が割れて2つになった。
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八百万神の所を旅する母なる神が、富士山に到着する頃には日はもう暮れてしまいました。
そこで神は自らが作った中でも一番のお気に入りだった富士の神に泊ることを頼んでみました。
ところが、富士の神は、
年に1度の収穫祭の儀式の最中ということを理由に母なる神の申し入れを断りました。
我が子からこのような待遇を受けた母なる神様はこの仕打ちを恨み、
未来永劫にわたり雪と氷に閉ざされて、信奉者も誰ひとりとして近寄る者すらいない山にしてしまいました。
自分の作った中で最も美しく気高く、なによりも気に入っていた富士の神のむごい仕打ちにすっかりと気を落とした母なる神は
今まであまり気にかけていなかった筑波の神に、同じように一夜の宿を頼みました。
すると筑波の神は、
「1年で最も大事な収穫祭の儀式のある日ですが母なる神様をお泊めしないわけにはまいりません」
と答えて、食事や酒を振る舞い、丁重にもてなしました。
このもてなしを受けて母なる神の心は晴れ、歓びそこで歌をよまれました。
「いとしい我が子よ 高い筑波の嶺の神の宮よ
天地と共に 月日と共に変わることなく
人々が集い 食べ物も豊かに
そしてそれが永遠に続くように
そしてそれが日増しに栄えるように
永遠に幸せと楽しみの尽きることないように」
以来、富士山は美しいけれども冷たく、いつも雪をかぶって誰も登ることができなくなりました。
一方、筑波山は、人々が頂にまで行き交い、歌い、舞い、飲んだり食べたりとにぎやかな山になったのだそうです。
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この逸話は、最後に母なる神様が、見かけだけで判断していた私は愚かだったこと、
心の美しさは外面だけではわからないものだと反省することで締めくくられるわけですが、
今日、筑波山を子供たちが嬌声を上げながら駆け上る姿を見かけ、逸話は時代を越えているのを実感するのである。
sak
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