<筑波山の風景・29>
常陸山
神道は山や川などの自然や現象、また神話に残る祖霊たる神など八百万の神を見いだす。
自然と神とは一体的に認識され、神と人間とを取り結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域となっている。
山と神道との関わりは古く、山自体を神格化することも多い。
筑波山においても例外ではなく、山頂には筑波山神社の本殿が祀られ、ほかにも多くの摂社末社が山中に祀られている。
むしろ、シンボリックな山が神として拝められない方が稀なのではないだろうか。
神と人間とを取り結ぶ祭祀の一環として、「奉納相撲」があり、日本国内各地で祭りとして「奉納相撲」が現在も行われている。
主に、天下泰平・子孫繁栄・五穀豊穣・大漁等を願い、占いとしての意味も持つ場合もある。
勢のある里の力自慢、どちらが勝つかにより、五穀豊穣や豊漁を占う。
村人はそれに熱狂し、一喜一憂したものだろう。
筑波山と相撲の関わりとして、御幸が原にある第19代横綱・常陸山の手形碑がある。
常陸山谷右衛門は第19代横綱で現在の水戸市出身。
手形碑は1909(明治42)年5月19日、筑波山登山記念として据えられた。
その相撲は、相手の力を十分発揮させたうえで、勝負に臨むいわゆる「横綱相撲」。
また、その強さだけでなく相撲界の近代化に尽力し、国技と呼ばれるまでに高めたことから角聖と呼ばれる存在だ。
片足を高くあげ、強く地を踏む。
他方で地を踏み鎮めるという宗教的意味をもつ。
日本各地の祭礼で行う民俗相撲では、力士の四股によって大地の邪悪な霊を踏み鎮め、
大地を目ざめさせて豊作を約束させると伝えるものが多い。
---100年以上の時を経て、手形碑に手を添える。---
常陸山の手形が四股に代わり筑波山の地鎮となっている。
故郷の横綱に想い馳せ、そういう解釈もまた愉し、なのである。
sak