私は靴下の穴程度なら、自分で裁縫を使って直します。 それほど上手くはないのですが…。 今朝も見つけたので、さっそく補修しました。
以前、ボタンの取り付け方も教わったのですが、ちょっと完全には憶えてないので、こちらは近くの補修屋さんにお願いしてます。
しかしまぁ、たまにこういった料理やお裁縫すると楽しいものです。
いい気分転換といいますか。
皆さんもたまにどうです?
ここ最近、なんといいますかお酒を呑みたい気持ちになることが多いですね。
今週は肌寒かったのですが、先週はなかなか暖かい気候で喉も渇きました。
で、暑いと感じたときにまず飲みたいのがビールですね。
おつまみは焼き鳥でももつ煮込みでも合いますね。
ただ、ここでもっとがっつりと食べたいときはどうします?
やはり焼肉でしょう。
もうね、ただ何も考えずに食べたい時って年に何回かあると思います。
そして、熱々の肉とともにキンキンに冷えたビールってのがまたうまいんだな、これが。
やれ、脂肪やコレステロールやら、糖分やらとかを一切考えないでただひたすらに喰い、そして呑む。
これって、生物として当たり前の欲求だと思うんですよ。
その後、歌ったりして運動すればいいので、充分プラマイゼロです(笑)
うおー、久方ぶりに宴会でもやってやるかー!!!
今日の午前2時と先ほど23時ごろにまた地震がありました。
東北でも余震が頻発してますが、いよいよ関東もかなりの頻度で地震が起きてます。
たしかにあれだけの大きな地震なので、余震もかなりの規模にはなると報道はありますが、これもいつまで続くかは誰もわかりません。
というよりも、余震とは言われてもかなり大きい地震ですからね。
実際、揺れていても地震なのか自分がめまいで揺れてると感じているのかわからないくらいですから。
建物の地震対策として、耐震と免震があります。
私は免震の建物で地震を経験しましたが、たしかに大きく揺れてます。
事前に説明を受けてましたので、それほどパニックはないのですが、感覚としては地震の揺れの後に建物自体が揺れをそのまま伸ばしていて、建物自体の揺れは船に乗って揺れてるような感覚でしたね。
でも、これは実際に体験しないとなかなか理解できないと思います。
言葉だけではなかなか実感が湧かないものですからね。
でも、いくら冷静にしていても、やはり怖いものは怖いです。とりあえずは、なんとか無事でいることと、家に戻れるなら戻るようにして食料等を確保するくらいですかね。
なんだかんだ言いながらも、今日もお弁当のおかずを何にするかとか、それこそどうでもいいことに頭を悩ませているんですが・・・。
我ながら、呆れるくらいの呑気ぶりです。
昔の話なんですが、私がいた地元の学校や鉄道は古く、なかなか新しい備品に換えられることはありませんでした。
小学校は当時でも珍しい木造校舎と鉄骨の校舎、中学校は鉄骨コンクリートの校舎でしたが、とくに中学校の校舎は窓ガラスも古く、建てつけが良くなくて開閉する際はよく詰まって途中で止まることはよくありました。
ある日、誰かが窓ガラスを割ってしまいました。
さっそく、学校側に掛け合い修理をしてもらうように話をしたのですが、教頭先生よりの回答にびっくりしました。
「うちは貧乏な学校だから、窓ガラス一枚直すにも時間がかかる。しばらくはダンボールで蓋をしてガムテープで応急処置しておくだけとする」
当時はバブル景気の真っ只中でしたが、そんなことはよく理解していない中学生としてはただうなづくしかありませんでした。
たぶん、ある意味では罰としての意味合いもありそう言ったんだとは思います。
でもねー、貧乏な学校だからと窓ガラス一枚もすぐに修理できないとは・・・。
これはショックでしたね。
あとは、鉄道でのエピソードです。
現在は第3センター鉄道として運営されている我が町を走る路線も、かつては国鉄・JRの路線でした。
ただ、田舎の路線でしたので、ご他聞に漏れずに赤字路線としていつ廃止になってもおかしくない状態でした。
駅の施設も古かったのですが、車両も古かったので、連結部分の幌や運転席、連結の扉にはガムテープで補修されているのみという状態でした。
当時、国鉄は大赤字でしたので、それは仕方ないものなのかもとは子供心には感じてはいました。
ただ、大人になった今では、どうやら廃止は決定事項として設備投資はしない方針だったようです。
そりゃねー、どうせ廃止するんだからと思えばその気持ちはわからなくはないですけどね、利用している人間からすると寂しい気持ちはしますね。
何も全部新しくしてほしいとは思いませんが、でもガムテープでの補強ってあくまでも応急措置だと思うんですが・・・。
こうやって考えると、経費節減というよりも設備投資を怠ってるって意味合いが強かった気がします。
価値観の違いもあるとは思いますけど、最低限の設備投資って必要ですよね。
それを無駄の一言で怠ってしまうというのは、結局は悪循環への入り口だと思います。
今回の震災で、今まで無駄とされていたことが実は無駄ではなかったと再認識されることが多くなりました。
その時々で、需要は変化すると思いますが、最低限の水準は必ず維持することはトップにある立場の人の心構えが必要なんだと思います。
パフォーマンスだけとは思いませんが、民主党もこれまでの政権で良い部分や知恵を柔軟に受け入れて早く復興できるように動いてほしいものです。
もうね、くだらない不毛な政局ゴッコはしなくていいから。