エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ウソのない、陽気で楽しい対抗ヴィジョン

2013-10-04 02:30:56 | エリクソンの発達臨床心理

 

 意識と無意識のやり取りが最も根源的なやり取りなのかもしれませんね。およそ、あらゆるカウンセリングは、これを守られた自由な空間でやっている、ということのなりますね。文学作品や、物理学でさえ、本当にクリエイティブなものは、このやり取りの範疇だと私は考えます。

 

 

 

 

 

 この国は、最近の国家的な危機の間ずっと(多くの場合、それ以前も同様に)、最も驚くべき範囲の、断片的な対抗ヴィジョンの現場になってきました。この対抗ヴィジョンは、最も戦闘的なほどに政治的で、率直なほどに危険なものから、最も社会のためになり、静かで瞑想的なものまで含まれます。対抗ヴィジョンはすべて、ある種の「ウソのない、陽気で楽しい」ということがある、ということを何度繰り返し申し上げても、過言ではありません。そうなんです。私どもがこまれで見てきたことは、たくさんな対抗ヴィジョンは、忘れがたい方向性を指し示しつつ、単に対抗することだけに心奪われることから、遊びと勢いをいかに失ってしまうのか、ということでした。現実には、対抗ヴィジョン(対抗ヴィジョンが、新しい、美しい黒人であること、新しい、法律を守る若者たち、新しい、自己決定をする女性などのいずれであっても)は、強迫的なほどに繰り返されることが多いのです。それも、対抗ヴィジョンは、それら、すなわち、既成秩序の、すでに儀式になりすぎたカテゴリーを乗り越えるのではなくて、むしろ、単に反対することによって、繰り返されることが多いのです。その既成秩序のカテゴリーのイメージは、対抗ヴィジョンのイメージが示すもの以上に、輪郭がよっぽどハッキリしていることがあります。

 

 

 

 

 

 段落の途中ですが、今日はここまで。

 対抗ヴィジョンの特色がいくつか取り上げらています。その最大の特色は、ウソのない、陽気で楽しい、ということでしょう。その理由はもうすでにご存じの通りです。陽気で楽しい、ということの特色をまとめた、一昨日のブログを参照していただけたら、と思います。

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