新しい意識を世代から世代に伝えるためには、無意識を考慮しなくてはなりません。これは非常に大事な具体的指針です。子育てにおいてしかり、(学校)教育においてしかり、職場の人間関係においてしかり、なのです。それができないばっかりに、いずれの場でも、無意識の圧倒的な暴力の餌食になっているケースが、今の日本ではあまりにも多い、といわなくてはなりません。
歴史的な相対主義を精神分析的に研究する方法は、同様に、完成した精神分析の理論を歴史的人物や出来事に当てはめることではありません。むしろ、この研究をするためには、変わりゆく歴史において、理論も変えていく働きをいつも何度でも意識していることが必要です。私どもの対抗ヴィジョンは、長い間、個々の人間の「内的な経済」に注意を集中してきましたが、人生の巡り合わせ(ライフサイクル)の舞台(発達段階)を通して人間のエネルギーが生まれるのを司る生態学(エコロジー)に私どもは直面しています。この生態学(エコロジー)は、社会的制度(慣習)の中に生きています。精神分析を政治に応用する研究法は、毎日の生活の「政治」であっても、大きな政治の「政治」であっても、世代間が対話する関わり(弁証法的関わり)や進化論的対話の関わり(弁証法的関わり)を考慮に入れなくてはなりません。
子育てにおいて、(学校)教育において、職場の人間関係において、無意識を考慮に入れる時、私どもは意識して、世代間が対話する関わり(弁証法的関わり)や進化論的対話の関わり(弁証法的関わり)をする必要があるのです。つまり、相対主義の時代には、ことさらに、対話とやり取りが欠かせないのです。