精神分析が若者の仕事を無視するのは、精神分析が理論においても、その理論がよって立つ信念にも、仕事を考慮に入れていないからなのですね。
このような発見によって明らかになったのは、臨床上のさまざまな方法は、技法を洗練することや理論を明確にすることにある程度まで従う、ということです。臨床上の方法は、この点を超えて、価値の影響に従います。様々な国、様々な街で、非常に多様な臨床思想が登場することは、心の革新的な臨床科学が価値の流行りによって色づけられもし、あるいは、暗くされる場合も多いのです。心の臨床科学は知的で文学的な雰囲気に、不注意にも影響をするのですが、それは歴史がこの臨床科学を活用する場合とその時と場です。ですから、たぶん、人間の心の臨床科学は結局、臨床家と臨床の学者の一部に対して、歴史的自覚を求めることになります。歴史家のコリングウッドが次のように述べています。「歴史とは心の歴史なのであって、心は、心が歴史の中で生きて、しかも、心そのものがピチピチ、キラキラしていることを知っている、ということがない限りは、心ではないのです。」
心は、目には見えないのですが、歴史の中にあり、しかも、ピチピチ、キラキラしているものなのです。その時、その心根の人は、ピチピチ、キラキラ生きて、自分にも周りの人にも、生きる喜びをもたらすことでしょう。そのような心の持ち主が、歴史を作るのです。