エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

偉大な受苦的存在ルター

2013-10-23 03:03:05 | エリクソンの発達臨床心理

 

 エリクソンが展開している心理‐社会的アプローチは、非常に学際的な学問です。近代科学では対応しきれない面がかなりあります。その一つは、クライアントとセラピストの関係性が、臨床ではものを言うのに、近代科学ではその関係性を原則として捨象しなくては(捨てなくては)ならないことでしょう。臨床の深くかかわる、心理‐社会的研究法は、近代科学に収まらない分、近代科学から見たら、あいまいな点や不純物と思われる点がどうしても出てきます。しかし、エリクソンは、新しい学問分野や、新しい方法論が生まれるためには、むしろ、そのようなあいまいな点や不純物が必要と言います。

 

 

 

 

 

 人間性を最もうまく研究できるのは、折り合いがつかない心理的課題がある時です。人が心に中で折り合いがつかないことは、主として特別な事情の下で、興味深い記録のこまごましたところまで注意するようになります。その特別な事情の1つが、心理面接です。心理面接では、苦しんだことが、確実な助けを得るために、事例史(既往歴)にならざるを得ません。もう一つの特別な事情が、歴史です。歴史においては、普通でない人物が、彼ら自身の自己中心的な工作の故に、あるいは、人類がカリスマを熱望する気持ちから、伝記(自伝)になります。臨床心理学者は、歴史学者と共に、二種類の記録された歴史(事例史〔病歴〕と歴史)の間をウロウロすることによって、学ぶことがたくさんあります。ルターは、いつもためになる人ですが、臨床心理学と歴史学に携わる者たちに、特別な気付きをもたらさずにはおきません。彼は一種の派手な自己顕示の中で年を重ねるにつれて、自分自身を楽しんだのでした。その自己顕示のおかげで、臨床家は彼が1人のクライアントと折り合いをつけようとしていたことを感じることができます。しかし、臨床家がこの感じに没頭する場合、この想像上のクライアントは、自分自身と折り合いをつけていたのだと分かります。なぜならば、ルターこそ、芝居じみた鋭い嗅覚によって自伝を書いた人の1人だからなのです。こういった自伝を書く人たちは、自分自身の不安障害(神経症)の苦しみさえ熱心に活用することができるのですが、自分自身を確かにすると、みんなが認めてくれる道(誰もが認めるアイデンティティ)を創りだすために、熱心な仲間たちからもらった手掛かりに自分の記憶を合わせてしまうのです。

 

 

 

 

 

 ルターも自分自身の不安障害(神経症)さえも、自分自身を確かにする道(アイデンティティ)に生かしたのでした。その意味では、ルターは偉大な「患者 受苦的存在 patient」なのです。ですから、エリクソンはここでルターを取り上げているのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする