いろんな組織の裏取引やウソが新聞などで報道されることがありますよね。でも、報道されず、国民の目にさらされないでいる裏取引は、報道される裏取引よりも、はるかに多いでしょう。さらにいま国会で審議されている「特定秘密保護法」は、その裏取引やウソが、極端に表に出ることが少なくなる危険な法律案です。日本が裏取引やウソが表に出さない体制を創りだそうとしているのは、それだけ、ひとりびとりの日本人が、猛烈に深い防衛機制を抱え込んでいることの現れであり、今の日本が無意識の猛烈な暴力の餌食になっていることの証拠だと、私は考えます。
過去に囚われていると、将来を見通すことがいかにできなくなるのか、それも、まじめであると同時に、陽気で楽しい、ということと情緒的に元気でいることを蝕む形で、将来を見通すことが、いかにできなくなるのか、ということを明らかにしたことが、歴史においても、個人の生育歴においても、精神分析がずっと貢献してきたことだとするならば、生活史と諸々の慣例が最高のやり取りをするのを手助けするという精神分析の使命を、1つの、世界に対する見方が果たす仕方を研究する際に、精神分析が役立つ、ということがお分かりでしょう。しかし、これは、このゲームの舞台(発達段階)において、自分でコントロールできる新たな事実を、最も些細なことから、最も大規模なものまで膨大の範囲を、統合しようとする努力のことです。あるいは、アメリカ人が、いっそう包括的な自分を確かにする道の中で、経験した超越的なリアルな感じを、責任を持って理解しようとする努力のことかもしれません。さらには、私どもが物事の本質と、それから人間性の本質について、知りだしている、という根源に基づいて、日常生活をやり取りのあるものにすることに役立てる努力のことです。
精神分析の使命について、エリクソンが総括しているところですね。最終章、最終節ですからね。
精神分析の使命は、見当識を生成して、自分を確かにすることです。見当識は、自分を、時間・空間・人間に位置づけて、どういう方向性を願って生きるのかを、ハッキリさせることです。それがハッキリすれば、そして、それが社会に受け容れられ、人々とのやり取りの中で実感できれば、自分を確かにすることも可能です。この自分を確かにすることを、エリクソンはアイデンティティと呼んでいるわけですね。
時間・空間・人間は、現実と言ってもいいものですが、その現実には、3つのアスペクトがあることは、エリクソンが繰り返し繰り返し、教えてくれていることでしたね。ですから、精神分析の使命においても、この3つのアスペクトが出てくるわけです。
1) 自分がコントロールできる、観察可能な現実をまとまりのあるものにする。
2) 自分を確かにする道の中で、リアルに感じていることを理解する。
3) 自分と自分の対人関係は無意識からもかなりの影響を受けて生きているという人間性の本質を理解しつつ、日常生活をやり取りのあるものにすることに、実際に役立つ。
この3つこそが、それは結局、その人ならではの人生を大事にするという一つのことが、精神分析の、そして、あらゆる心理療法の唯一の使命です。