エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

教育と独立 4訂版

2015-01-06 14:50:47 | エリクソンの発達臨床心理

 

 教育は独立のためにあるのか?

 鈴木範久先生によれば、内村鑑三が好きだった言葉の一つは「単独之幸福」であったと言いますね。内村らが札幌で作った教会は、「札幌独立基督教会」でした。教育においても、内村は「独立」を大事にしたと言います。現在の西新宿、角筈にあった「女子独立学校」は内村が直接かかわった最後の学校だそうですが、その目的は「自給独立の精神を具えたる平民女子の養成」だと言います。内村のとって、独立は非常に重要な人格的な特性でした。当時の内村にとっては、国からも宣教師からも独立していることが、ひときわ重要だったと言えるでしょう。「独立」は本物の教育をする上でも重要だと内村は考えていたとみて、間違いないでしょう。

 今の日本の教育はどうでしょうか? 内村の弟子の1人、鈴木弼美先生が創設し、西村秀夫先生も関わった、山形県小国叶水の基督教独立学園のような実践や、金森俊朗さんのような実践もありますから、一概には言えないのかもしれませんね。でも、私が直接間接に関わった、公教育を素材に考えてみたいと思います。

 子どもに対する態度を見ると、いろんな態度があるように見えます。しかし、教師が子どもに「正しい」ことを押し付けている場合が多いと感じます。それは以前にもこのコラムに書きましたね。子どもは「正しい」ことは大体知っています。それは科学的に正しいこと、というのではなくて、「人として正しいこと」はたいてい知っています。それはアンパンマンのように哲学的テーマを大事にしているアニメが、0, 1, 2才の子どもに人気があることからも、想像できますね。

 子どもが求めているのは、「自分は価値がある」ということです。そして、それは「人格的独立」を基礎づけるものでしょ。でもね、「正しいこと」を押し付けられると、子どもはどう感じるでしょうか? 「正しい」ことを押し付けられると、子どもたちは緊張してます。不安に感じます。逆に≪陽気で楽しい≫感じに大人がしてると、俄然子どもはくつろぎます。楽しそうにしますね。それは≪陽気で楽しい≫と、子どもは「自分は価値がある」と感じるやすいからなんですね。

 このように、日本の公教育は、概ね、子どもに対して次のようにメッセージしていると言えるでしょう。「あんたは自分一人で立つほど価値がない」。「長いものには巻かれて生きなさい」。

 この間違ったメーセージは、訂正していくことが、今の公教育で何よりも大事ですね。

 よろしくね!

 

 

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成功の秘訣

2015-01-06 11:55:13 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)

 

 妖怪ウォッチとパワースポットを求める気持ち。今の日本人も、実は、信じられものを探しているんですね。

 p98冒頭から。

 

 

 

 

 

 宗教は、自己暗示や心理療法と協同して、ビジネスをしている人を助けます。20人のうち1人も、神を「人格の陶冶」の目的で求めたりはしません。1938年のベスト・セラー、デイル・カーネギーの『友達に勝つ方法と人々への影響の与え方』は、極めて世俗的なレベルです。当時、カーネギーの本の果たした役割は、今日の最大のベストセラー、レバーランド・N.V.ピールの『ポジティブ・シンキングの力』の働きと同じです。この宗教的な本の中では、私どもが成功に対する主たる関心事が、一神教のスピリットに一致しているかどうかなどには、問題にしません。反対に、一神教のスピリットに合致している、という、この最高の目的は、疑うことなどできないのですね。神を信頼することとお祈りする、ということこそが、成功できる能力を高める手段として、ご推薦しますよ。

 

 

 

 

 まるでフロムは、一神教のキリスト教かユダヤ教を伝道しているかのようですね。でもね、必ずしもそうじゃぁないと私は考えますよ。それはね、一神教のスピリット、それは何も特定の宗教を信じなくても、信頼を支える根源になり得る、ということです。それは揺るぎのないのに、実にしなやかな信頼の源です。それを皆さんにも知っていただきたいって言うのが、フロムの趣旨でしょうね。

 妖怪ウォッチが好きな子どもたちにも、パワースポット巡りをしている大人たちにも、その信頼の源なるスピリットの悦びを知ってもらいたい、というのが、私の申し上げたいことですね。

 

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ガンディーの行動指針 改訂版

2015-01-06 06:39:33 | アイデンティティの根源

 

 内面まで変わる「救い」に至る争い、ってどんなものでしょうかね。

 p239の16行目途中から。

 

 

 

 

 

ガンディーは、中世のシュプール門の外にある、あの有名なアカシアの木の下で、労働者に毎日話をしました。ガンディーは労働者たちの滅茶苦茶な状況について、よくよく調べていましたが、労働者たちに対して、工場主たちの脅しの気にするな、約束も当てにするな、と強く勧めました。工場主たちは、およそすべての「持てる者」の頑固なやり方で、「持たざる者」の無秩序な無礼な振る舞いと暴力を恐れていました。ガンディーは、工場主たちがガンディーも恐れていることを知っていました。というのも、工場主たちは、「あなたの言葉を受け入れてもいいですよ。ただし、労働者たちと今後関わらないでください」とガンディーに言っていたからです。しかしながら、ガンディーが証明して見せたことは、1人の人間でも、「雇用主たちの福祉を守りながら、労働者たちの福祉も守ることができる」、ということでしょう。2つの対立する者たちは、アナシュヤーベンとアムバラル・サラバイとは、兄弟姉妹なのです。アカシアの木の下で、ガンディーが宣言した行動指針は、私どもが修正した黄金律に一致します。すなわち、「行動指針は正義に叶うものです。ですから、争う者の双方を傷つけません」と。傷つけるとは、ガンディーによれば、ガンディーが日ごろから言っていることが間違いなくこうなりますが、経済的に不利にすること、社会的に尊厳を認めないこと、自尊心を失わせること、隠れた復讐心のことです。

 

 

 

 

 ここも素晴らしい。ガンディーの行動指針は、否定的に言い方ですが、「経済的に不利にすること、社会的に尊厳を認めないこと、自尊心を失わせること、隠れた復讐心」は持たない、しない、ということです。

 

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