吉本隆明さんのことを、NHKが「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第5回」で取り上げています。
私は『ひきこもれ』くらいしか読んでこなかったので、とても新鮮で、いくつかの視点が大事だと感じました。このブログでいくつかの点を取り上げたいと考えました。
その一つは「善悪について」。「だいたい人間と言うのは、良いことをしている、と自分が思っている時には、だいたい悪いことをしている、と思うとちょうど良い、という風になっているんじゃないでしょうか。悪いことをしているんじゃないか、と思っている時は、だいたい良いことをしていると思った方が良いと思います。人間の善悪というもの、あるいは、倫理と言うものは、本当に警戒しなければならない。また、それは思想と言うものの一番大きな眼目だ」と吉本隆明さんは講演の中で述べています。これは卓見ですね。「良いことをしている、と思っている時」は、「正義」を旗印に最も残虐なことが行われたのが歴史ですし、日常では、親や教員などの大人が、子どもに対して「善意の暴力」を働いている場合が非常に多いことを、吉本さんは見事に指摘しまいますね。吉本さんは「アマノジャク」と言われることがよくあるそうですが、非常にバランスが良い。
これは、戦争中の体験を反省したことに根差していると言います。吉本隆明さんもが高校生から大学生の頃、軍国主義に染まっていたようですね。それでも、「腑に落ちない気分」があったと言います。それを飲み込んで軍国主義につきすすんでいたようですね。戦後になって、戦争中の自分を反省して、戦後に活かしたのは、この「腑に落ちない」を誤魔化さないで、それを大事にしよう、ということ。この「腑に落ちない」ということ、あるいは、「腑に落ちる」と言う体感的な感覚は、心理臨床において、最も大事な感覚です。それは言語化される前の感覚なんだけれども、自分のオリエンテーションを決める際の道しるべとすべき感覚ですね。それを吉本さんは、自分の思想形成の原点にしていたのですから、見事ですね。
もう1つは、上野千鶴子さんが言ってたことですが、吉本さんは、大学教員になることになく、「在野に徹した」点がお見事ですね。それは、自分を権力の側にも、指導者の側にも置くことを拒否して、自分自信も、「大衆の1人」、「国民の1人」でいることを選択したものですよね。平凡な生活をしている人を大事にする発想ですね。それを単に考えるだけではなく、自分自身の生活もそうするということです。これは「言ってること」と「やってること」の一致にも繋がる、極めて大事な生活態度、生活倫理です。